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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
22/35

マロの面接(一)ついに対面!

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」

氏真さん、上洛四十九日目にしてついに対面!


でたっ! 信長の超圧迫面接!!!

氏真さんの運命やいかに!?


マロの面接


 とうとう三月十六日の朝が訪れた。村井貞勝から確認の使者がやってきて、


「信長様は朝からお公家衆にも会われるため、今川様とのご対面は(ひつじ)の上刻(午後一時)になり申す故その旨ご承知おき願いたい」


と弥三郎に伝えた。


 木下の宿から信長の宿所は目と鼻の先だから、一行は昼過ぎまで宿にいられる事になり、供の者たちは未の上刻を焦るような気持ちで待った。氏真は一人茶を喫して時を過ごした。


「では行こうか」


 いよいよ出立する事になった。供の者たちが一様に緊張の頂点にある中、氏真は


(虚心坦懐に思うところを申すのみ)


 と強く念じて馬上の人となった。


 相国寺には未の上刻の四半刻ほど前に着き、控えの間に通された。織田の侍たちの警戒のものものしさに弥三郎は固くなり、弥太郎もキリリと引き締まった顔をいつもより引き締めて氏真の側に控えている。


 太鼓が未の刻を告げると信長の近臣がやってきて、


「お側の方まで申し上げまする。今川様ご出仕の刻限となり申した故それがし謁見の間までご案内仕りまする」


 と声を掛けてきた。


「承知仕った」


 弥三郎は勇気を振り絞って答え、


「御屋形様……」


 と氏真に向かって促した。


「うむ。ご苦労」


 と答えて氏真は立ち上がり、信長の家臣の後に続いた。さらにその後に弥三郎と弥太郎が続く。


 信長がいるとおぼしき部屋の縁側に小姓が座っており、氏真を先導する家臣と目配せすると、室内に向かって甲高い声で叫ぶように伝えた。


「駿河の今川氏真様、お目通りに参られました!」


 部屋の中からの返事はよく聞き取れなかったが、小姓は


「はっ!」


 と声高く返事をすると、氏真らに向かって平伏し、平伏したまま、


「お側の方まで申し上げます。主信長が今川様にここよりお入りいただくよう申しております!」


 と叫ぶように言った。


 小姓の前の障子が開いている。案内の侍も小姓に並んで平伏した。


 氏真は頷いて下手から部屋に入った。村井貞勝、明智光秀と共に二人の織田家重臣らしき者たちが左右に居並び、信長はそこから数間奥の上座に左右に小姓を従えて端座している。氏真は信長の方を向いて背筋を伸ばし、眼を凝らした。


「今川殿か、これへ……」


 その人物は右手に持った扇子で自分の一間ほど前の畳を指した。


 氏真は一礼してゆっくりと進み、指された場所に座り、平伏した。


「駿河の今川五郎氏真にござりまする。この度はご尊顔を拝し奉り恐悦の極みにござりまする……」


 そこまで言うと氏真は顔を上げた。


「織田信長である……」


 相手はそれだけ言って一旦言葉を切った。


 そこで氏真は織田信長の顔を初めてじっくりと見る事が出来た。


 信長は中肉中背、髭がなければ美しい女性(にょしょう)のような顔立ちであったが、そのつぶらな眼は癇気を宿して強く光り輝いていた。


「此度の上洛、誠に悦ばしい限りである。我ら今川殿に会いたいと久しく願っておった」


「それがしもお目通りが叶い、恐悦至極に存じまする」


「今日はこの通り我が家中から今川殿に引き合わせたい者を呼んである。この者は佐久間信盛。三河の親類の取次ぎを任せてある。これなるは木下藤吉郎秀吉。村井、明智と共に京の仕置きを任せておる。藤吉郎はかつてご家中だった松下加兵衛に仕えていた事がある」


 二人はそれぞれに初対面の挨拶をし、氏真も礼を返した。


「此度は出仕をお赦しいただき、誠に有り難き仕合せと存じ奉ります。御礼のため心ばかりながら進物を持参致しました。ご笑納賜りますようお願い申し上げます」


 氏真がそう言って後ろを振り返ると、弥太郎が木箱を風呂敷から取り出し自らの目の高さに捧げた。信長の小姓がいそいそとやって来て箱を受け取り信長の前に箱を据えた。


「それがし秘蔵の百端帆(ひゃくたんぽ)釣花入にござりまする」


 信長から目配せされて小姓が蓋を開け、信長は百端帆を手に取って眺めた。


「信長様のますますのご隆盛を願い献上仕りまする」


 これを聞くと信長は機嫌よげに微笑み、


「これはよい物をいただいた。我ら中国四国も手にすべく西海に乗り出そうとしている折、百端帆の進物とは縁起がよい」


 他にも遠江の名産などの進物の目録を説明した。


「我らからもお渡ししたき物がある」


 信長がそう言って目配せすると小姓は木箱を捧げて氏真の前に据え、蓋を開けて引き下がった。


「以前千鳥の香炉と共に進上いただいた宗祗香炉である。千鳥の香炉は気に入った故当方に留め置く」


「御意」


 氏真はそう答えたが、宗祗香炉も信長自身が興味がないにしても家臣に下げ渡すなり、使い道はあるはずである。そうせずに自分が欲しくない物を返す信長に氏真は好奇心を感じた。


 その後武田との戦いが話題となった。


「我らは三好との戦いを進めておるが、その隙をついて武田が三河境を越えて長篠城を攻めるであろう。我らはそれまでに三好を片付け、取って返して三河の親類に加勢し勝頼を討つ所存。その折には後詰していただきたく」


「承りましてござりまする」


「武田を討てば家康殿とお約定なされた通り駿河をお渡しできるであろう」


「ありがたき仕合せに存じ奉りまする……」


 それから話題も他に移り、初めての謁見は順調に進んだかに思われた。信長は終始穏やかで、氏真の頬にも微笑が浮かんだが、織田の家臣たちの表情は固いままだった。


 もうそろそろ辞去する頃合いかと氏真が思い始めた時、信長が思い出したように、


「あれを持て」


 と小姓に命じた。


 その瞬間織田家臣の間に異常な緊張の高まりが生じた事に気付き、氏真は怪訝に思った。


 小姓は一振りの太刀を両手で捧げ持って氏真の前にうやうやしく進み、太刀を置いて下がった。


 信長は静かに語りかけてきた。


「氏真殿、それに見覚えはござらぬか」


「はて?」


「鞘から抜いてご覧になれば分かるであろう」


「ならば拝見仕る」


 織田家臣たちの様子を怪しみながらいずれの名物でろうか、と思いつつ太刀の鞘を払って一目刀身を見た氏真は凍り付いた。


 刀身には金象眼で



 永禄三年五月十九日義元討捕刻彼所持刀

 


 という文字が彫ってあった。


 それは紛れもなく義元の佩刀宗三(そうざ)左文字であった。二尺余りの刀身は以前見たより短い気がしたが、刃紋でそれと知れた。宗三左文字は隠居後に宗三と号した三好政長から武田晴信と三条家の姫の婚姻の祝いに武田信虎へと贈られ、信虎が氏真の父義元に娘を嫁がせた時、義元に贈った太刀である。


 氏真にとっては父母にまつわる思い出深い一振りであったが、桶狭間以後の混乱の日々の中でいつしか忘れ去っていた。まさか桶狭間で信長の手に渡っていようとは想像さえもしていなかった。


「氏真殿、それを見ていかが思われる。余を父の敵と憎く思う事はないか」


 信長は氏真を射抜こうとするような、挑みかかるような鋭いまなざしで氏真を睨み据えた。


(氏真! うぬは父を討った余を憎んでいるのであろう! できる事なら余を殺したいと願っているのであろう!)


 そんな信長の心中の怒号が聞こえるようであった。口調は不気味なほど物静かであったが、信長の眼はそう激しく問い詰めていた。


 氏真は静かな表情で信長を見返した。


「討ち討たれるは戦の世の習いと存じまする」


 ここまで露骨に問い詰められるとは思っていなかったが、信長がそのような思いを持っているかもしれないと氏真も想像はしていた。


(信長殿は人を信じず人の心の底まで見抜こうとされるお方であられる。異心ありと疑われれば、お命も危うくなりましょう。そのような事のなきようくれぐれも気をつけられよ)


 浜松を出立するにあたって家康はしつこいほどにそう念押しして氏真を京へ送り出したのだった。


 しかし氏真は落ち着いていた。氏真には信長への敵意はない。それは本心だった。


 確かに織田と今川は数十年にわたって争ってきた。しかし今は強敵武田に対して手を結ばねばならぬ。武田は今川にとっても織田にとっても縁戚であったが、信玄はその縁を捨てて敵となった。信玄は実の叔父でありながら、今川家臣を数多殺して領国を奪い、あまつさえ氏真の身柄を引き渡すか殺すよう家康に迫った。


 氏真にとって信玄こそが最も卑劣な裏切り者であり仇敵だった。信長はその昔父信秀が氏真の叔父氏豊から那古野城を奪った行き掛かり上敵味方に分かれたに過ぎない。


「相違ないか、しかと相違ないか。討ち討たれるは誠に戦の世の習いか」


「相違ございませぬ」


 信長はそれでもなお数瞬の間強い眼差しで氏真を睨み続けた。しかし氏真の静かな表情が崩れないのを見て取って、ようやく表情を和らげた。


「であるか……。実を申せば余も父の代からの遺恨なくば、天下静謐のために義元殿に力を貸したかも知れぬと思う事もあったのだ。今はこの信長がみかどを戴いてこの世の安寧を乱す輩と戦っている。氏真殿にも力を貸してもらいたいと思っている」


「仰せの通り、それがしも信長殿が四方(よも)の境を鎮めるお役に立ちたく存ずる」


「うむ。よく言ってくれた。礼を申す」


 氏真がいよいよ辞去しようとすると、信長が再び口を開いた。


「そういえば氏真殿は蹴鞠の上手、いや上足との噂を聞いておるが……」


「若き頃飛鳥井雅綱様のお教えを受けてよりいささか嗜んでおり申す」


 多少自慢めいた響きがあったかも知れないと思いながらも氏真はためらわずに答えた。


「氏真殿の蹴鞠の腕前、いや、足前と言うべきか、ぜひ拝見したい。公家衆を呼び集める故、この相国寺にてご披露願えぬか」


 やはり信長は朝廷との融和を目指しており、マロもその仲立ちに使おうと考えている。


「これは願ってもない事。それがしからも早速懇意にしておる公家方にお声をおかけ致しましょう」


 氏真は気負い込んで答えた。


「それは重畳。日取りは追ってお伝えする」


「御意」


 信長との対面はようやく終わった。控えの間で貞勝と光秀からの手短な挨拶を受けた後、氏真一行は相国寺を出た。


 一町ほど歩いて相国寺から見えない所まで来ると、氏真は深い安堵のため息を漏らした。供の者たちもその様子を感じて一様に緊張が解けたようであった。


 弥三郎もあたりを見回して怪しい者がいない事を確かめてから、


「いやあ、先ほどは生きた心地もござりませなんだ」


 と氏真に語りかけた。


 四半刻もかからぬ束の間の事だったが、確かに激しくしびれるような対面だった。信長の激情的と言えるほどの猜疑心を宥め、手を携えて武田に当たりいずれ駿河を取り戻す事も認めさせ、得意の蹴鞠を通じて信長と公家衆を結び付ける役目も引き受ける事になった。


 しかし信長に会っただけである。これからまだやる事がある。


「まだ終わっておらぬぞ。宿で一服した後公家衆に会うて蹴鞠の儀を相調えねばならぬ」


「御意」


 木下の宿に戻って四半刻ほど休むと氏真はまずは新在家町にある里村紹巴の家を訪ねた。紹巴は今日の対面を気にかけてくれていて、結果を知らせると約束していたのだった。


 歌を志す同好の士としての誼もあったろうが、連歌のよき後援者であった氏真が再び力を付け、なろう事なら連歌の隆盛のために信長に働きかけてほしいという打算もあろう。しかし氏真はそのしたたかさが嫌いではない。


「これはこれは、このようなむさい所へおん自らお出ましいただきますとは……」


 紹巴は氏真自身の訪問は予期していなかったと見え恐縮していたが、信長との対面が首尾よく終わったと伝えると、喜んでくれた。


 氏真はその足で駿府時代から昵懇にしている公家たちの家を自ら訪ね、信長との対面の首尾と相国寺での蹴鞠の催しの件を伝えて回った。


 最初に訪れた蹴鞠の宗家飛鳥井雅教・雅敦父子は信長の所望を聞くと躍り上がらんばかりに喜んだ。


「蹴鞠の家にとってこれはまたとなき吉事。嗜み深き公家衆に我らから声をかけまする」


 次いで冷泉、正親町三条、三条西などの屋敷を訪ねるといずれも氏真のために喜んでくれ、自ら鞠を蹴るかどうかは別として、氏真の蹴鞠披露の際には相国寺に参上すると約束してくれた。


 山科家には最後に訪れ、言継に今日の対面について子細に話した。他所では話さなかった宗三左文字を見せられた下りを語ると、言継は感慨深げに聞いていた。


「まずは最初の対面が上首尾で何より。しかし、討ち討たれるは戦の世の習い、か。武士には武士の(ことわり)があるのだのう……」


「御意。武田との無二の一戦を前にして互いに旧怨に囚われている時ではござりませぬ。いよいよ公武一体となって天下静謐をもたらす(とき)かと思われまする故」


「うむ。信長も朝廷とのつながりをますます深めていくようじゃな。二条家との縁組みしかり、公家や寺社向けの徳政令しかり。そなたの蹴鞠を見物したいと言うもそのきっかけの一つというわけじゃな。よろしく頼むぞ」


「承りましてござりまする」


 山科言継邸から木下の宿に戻った時には既に夜になっていたが、その後も公家や駿府時代の御用商人の本人あるいは使いの者が、祝いの口上と進物のために次々と宿を訪れた。氏真から使いをよこして信長との対面の首尾を伝えた者も、噂を聞きつけた者もいた。


 村井貞勝からも追いかけるように使者が来て、気の早い信長が三月二十日に氏真の蹴鞠を見たがっていると伝えてきたので、それに応じる旨を答えて返した。氏真らは今までとは打って変わって慌ただしい夜を過ごした。


 ふと夜空を見上げると、月が煌々と輝いていた。氏真は改めて今日の信長との対面の一部始終を思い返した。


 氏真が予想した通り、信長は武田との決戦のために使えるものは何でも使うという考えで氏真の出仕を認め、氏真の駿河回復への支援も約束してくれた。氏真は蹴鞠を披露して公家衆との仲立ちもする事になった。


 ここまでは目論見通りだが、信長は噂以上に苛烈な人物であった。この男と生涯平穏無事に付き合っていけるのだろうか。いつか用済みになれば使い捨てられるのではないか。その懸念が拭えなくなった。


「実を申せば余も父の代からの遺恨なくば、天下静謐のために義元殿に力を貸したかも知れぬと思う事もあったのだ」


 信長は確かにそう言った。それはおそらく信長の本心だったであろう。強大だった今川となぜ戦わねばならないか思い悩み、義元に膝を屈するべきではないかと秘かに思い悩んだ事も時にはあったのだろう。


 しかし信長はそれを断固として拒絶し、絶望的な戦いを挑んで義元を倒した。それ以前から信長は人の前に膝を屈する事を決してしなかった。実の弟や主筋にあたる織田守護代も殺し、さらには比叡山さえも焼き払った。


 信長は敵を容赦なく殺し様々なしがらみを断固として断ち切って今の権力の座を築いた。あの苛烈さがなければ信長は生き延びる事が出来なかったのだろう。


 しかし自分には信長の真似はできない。


 駿河を取り戻したくば信長と家康の力を借りる他はない。信長を味方に付けなければ武田に加えて織田、徳川までが敵に回り、氏真には味方がいなくなる。生き延びたければ信長に従うしかないと思われた。それは朝廷を護持しつつ天下静謐をもたらす事につながり、天道にも沿う事だと氏真は信じようとしてきた。


 しかし改めて見上げた月は違う何かを語りかけているように氏真には思えてならなかった。


 春の花を求めるように信長の後ろ盾を求め、公家衆に会い、人間(じんかん)の世を慌ただしく立ち回って一日を過ごした自分を、孤高の月はずっと見下ろしていたのだ。


 月の光は冷ややかだった。父の仇に媚びてまで駿河を取り戻したいのか、盛者必滅の世にいつまで権勢にしがみつこうというのだ、とでも言わんばかりに。


 今盛りの桜の花もいずれは散る。人の世の花を求めるよりも、孤り澄む孤高の月のようでありたい。


 氏真の心中にそんな思いが密かに膨らんできていた。



 あたり立まはれは終夜人の絶間なし


 ことはりの花のなかめに暮はてゝ思へは月の都成けり(1‐223)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第22話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光が一段落しました!!! 長い京都観光でしたねえ。


ほんと、追い駆けてる私は何度も心が折れそうになりました……


京都人を除いて、戦国時代にこれだけ京都観光しまくった人は他にいないのではないでしょうか。


上洛四十九日目にしてついに信長との対面を果たしました。


就職活動として考えると、四十八日の観光付きで、途方もなくゴージャスな面接ですね。


しかし、太田牛一の『信長公記』では「氏真『様』ご出仕」となっていて、氏真さんには特別な敬意が払われています。


暗愚で怠惰で享楽的で間抜けな氏真が恥知らずにも卑屈に信長に媚びるために京に出てきた、というイメージとは違うとらえ方をしていることが分かります。


やはり、氏真出仕は信長「上様」化の一環としても、武田との決戦の手札としても重要視されたのではないでしょうか。


ちなみに、家康家臣の松平家忠の『家忠日記』でも、家康はよく呼び捨てにしているのに、氏真さんには「氏真様」と敬語を使っています。


公家の山科言経も、『言経日記』で「給了」と、ほぼ同年代の氏真に敬語を使っています。


家康も遠江侵攻後には氏真にはかなり好意的で、駿河復帰にずいぶん協力していたようです。


いずれ書きますが、おそらく家康は氏真を牧野城主から解任していません。


氏真は同時代人からは敬意をもって扱われていましたが、江戸時代になって「神君」家康の事績を正当化する中で、暗君として貶められていったようです。


History is his story. 

歴史は誰かの物語。


歴史はその時代の語り手の都合によって書き換えられて行きます。


21世紀の歴史学では、実証研究とともに、「歴史(歴史叙述、歴史認識)の歴史学、政治学」の重要性が高まることでしょう。


その中でも第二次世界大戦の日本に関する歴史認識や歴史叙述が世界史的重要性を持ち始めています。


『マロの戦国』や、執筆中の今川氏真伝は、勝者(及び勝者にぶら下がる人々)の歴史歪曲への解毒剤たらんとするものです。


ごまめの歯ぎしりはここまでとしましょう。


面接終了後の氏真さんの心は、またしても月を気にしているようです。


悠久の時をけみしてきた月を見上げる氏真さん。


氏真さんは「月の歌人」と言っていいほど月をこよなく愛し、和歌に詠んだ人でした。


西行法師を敬愛していたらしい氏真さんにとって月は風雅と仏教的悟りの象徴であり、月を愛した今川家ゆかりの人々を絶えず思い出すよすがとなったのでしょう。


駿河国島田出身の連歌の宗匠宗長は余生を過ごした柴屋軒から眺める月を愛し、月を吐き出すように見える山を「吐月峰」と名付けました(吐月峰柴屋寺の由来です)。


氏真さんの父義元は若干十五歳の時


「扣氷月煎茶」(氷を(たた)いて月に茶を煎る)


と詠みました。


そしておそらく氏真が終生心の中で愛した女性は、おそらく岡崎城外で月を愛でていたために「月山=築山殿」と呼ばれるようになりました。


氏真さんにとっては月は風雅と悟りと、そして愛の象徴だったのですね。


上洛後四十八日間も遊びまくりながら、あの信長との面接に成功して駿河一国をもらってしまう、途方もなく要領のいい氏真さん。


命を削るようにして戦っていた武将たちが氏真さんの生活を知ったら


「やってらんねえ」


と思うのではないでしょうか。


氏真さんは途方もない要領のよさであの信長から駿河復帰支援を手にしつつ、さらに贅沢な事に、これが人としてあるべき姿か、煩悩に囚われているのではないか、と悩んでいるようです。


氏真さんの事績を十数年にわてって追い続けてきましたが、歴史の奥深さへの興味は尽きることがありません。


今川家は桶狭間の戦いから十年も経たないうちに滅んだ

>小説もゲームも、『甲陽軍鑑』も『松平記』も氏真を暗愚だとしている

>じゃあ氏真は暗愚に違いない、信長かっちょいいー!!!

「そんなふうに考えていた時期が俺にもありました」


しかし、インターネット時代の助けもあって「氏真ってそんなに無能だったの?」という素朴な疑問を追い駆ける内に、全く新しい世界が見えてきました。


これからも皆さんがびっくり仰天するような氏真さんの知られざる秘密を明かしていきます。


『マロの戦国』次回もお楽しみに!


お知らせ。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。



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