マロの止まらない京都観光(十八)孤高の月
「戦国最大のおのぼりさん」あるいは
「動いたっきり風流人」またの名を
「『風流仕様』のタフガイ」
氏真さんの京都観光ついに四十二日目~。
あの桜の木の生まれ変わり?
遅咲きの桜も咲く時が来た。
信長の徳政令。
言継と家康の面接アドバイス。
なぜか澄んでゆく孤高の月。
三月九日にはまた清水に出かけた。昨夕紹巴が宿に来て、
「今日清水に参りました所桜が盛りでござりました」
と氏真に話したのだ。
氏真はいそいそと清水寺に行き、前来た時に目を付けていた桜の木の下まで足を運んだ。この木も他の木も清水の桜は満開であるが、なぜか氏真はこの木が特に気になるらしい。
「この木は他の木と何か違いがあるのでござりまするか?」
「うむ? いや、この木が駿府にあった桜によく似ておってな……生まれ変わりではないか、と思ったのじゃ……」
「はあ、生まれ変わりにござりまするか……」
弥三郎は好奇心を抑え切れずに氏真に聞いてみたが、氏真は何か言い淀んでいた後そう答えた。そんなはずはない。桜の木がここまで育つのに何年かかると思っているんだ? またいつもの妄想詠歌か。氏真がいつもより何かを思い詰めているように見えたので気になったが、弥三郎はそう思い捨てて忘れてしまった。
氏真は清水の桜に瀬名と寄り添って過ごしたあの桜の面影を見ていたのだった。あれから二十二年にもなるが、一生忘れられない思い出である。
氏真は感傷に浸りつつその桜を眺めていたが、やがて無言で筆と懐紙を取り出し、思い浮かんだ歌を書き付けた。
清水の花猶盛と云に又立出地主の花田舎
にて見しより替る生かはりたるならん
咲みてる花に枯木も枝ふれて山のかひある春を見る哉(1‐213)
しかし過ぎた事は取り返しがつかない。それが分からないほどもう氏真も青くはない。
「おお、どこも花盛りであるな。見て回ろう……」
と元気を振り絞って山に分け入った。
山中の満開の桜を見る氏真は笑顔を浮かべた。
「我らの花を求めて移り歩く心は空まで覆うほど故、その思いが通じてどの桜もこうして咲いておるのやも知れぬな。雲さえ光り輝いておるし、春の山風も心地よいのう。定家は『折る袖に匂いは留まる梅が枝の、花に移るは心なりけり』と詠まれたな。雅有は『年を経し春の深山の桜花、雲居に映る色を見るかな』と詠んだぞ……。うむっ、一首浮かんだ」
氏真は清水寺の桜を堪能した後伏見や周辺の桜を眺めながら宿への帰り道をゆっくりとたどった。途中変わったものを目にする度氏真は弥三郎や弥太郎に語りかける。
「あれを見よ。垣根に桃の花がつたっておるわ。民の心も都らしく風流ゆえ、ああして花をかざしておるのであろうな。……うむっ」
「あの者たちは山から採ってきた柴に鍵蕨を添えて都に出てきておるな。鞍馬の民であろう。鞍馬の民が名乗り(商品の名を呼んで行商する事)をするつもりで都に出てきたのであろう……。うむっ、一首浮かんだ」
山に分行て見れは何くも花盛なり
花にうつる心や空におほふらむ雲さへ匂ふ春の山かせ(1‐214)
桃咲そめてそれならぬあたりも時めけり
かさすらむ賤か心も都とて垣ね伝ひにさけるもゝ園(1‐215)
山人のあまた出たるに蕨薪持つゝく
山柴に折そへ出るかきわらひくらまの賤か名のり成らん(1‐216)
三月十日は宿で休む事にしたが、折しも村井貞勝から信長への出仕の日取りを十六日とする旨使者があり、十一日には氏真主従は信長との面会の準備をして過ごした。氏真は信長と話す内容を考え、弥三郎と弥太郎は信長の宿所相国寺に詰める貞勝に会って段取りを確認し、他の者たちは当日持参する進物や装束などを改めた。
夜になり寝るばかりになって、氏真は今日は何も歌を詠んでいない事を思い出した。信長に会って何を話すかそれほど気を使って考えていたのだ。しかし不安や緊張を感じていたのではなく、むしろ待ち望んでいたいた事がとうとう現実になるのだ、という満足と期待を感じていた。
そう思った時、氏真は二階の自分の部屋から見える遅咲きの桜が咲いた事を思い出した。昨晩から降っていた小雨が続く夜明けに戸を開けて見下ろすと、宿先の桜のつぼみが開いていたのだった。
雨は昼には上がり、暖かい夜になっていた。氏真は今日の一首を思い付き、懐紙に書き付けると満足して穏やかな眠りに就いた。
夜雨すこしふりしに遅き花今朝開く
いつかもと思ひし花の夜半のまに紐とき初る雨の曙(1‐219)
三月十二日、四日後に信長との対面を控えて、
「今日は雲林院に行ってみたい」
と氏真は言い出した。
「御意」
雲林院は北野天満宮の近くの紫野にある。元は淳和天皇の離宮であったが後に常康親王の手に渡り、親王が亡くなった後僧正遍昭が官寺雲林院としたというが、応仁の乱で焼けてなくなってしまったという。
「御屋形様、雲林院は応仁の乱で廃れてしまったと聞きましたが、それでも行かれまするか?」
「構わぬ。寺は焼けてなくなっても紫野の桜は残っておるはずじゃ」
氏真は雲林院そのものがなくなっていても構わない様子であった。殿がそれでよいならそれでよい。今の弥三郎は信長との対面を首尾よく果たしてほしいので、それまでは氏真に気分よく過ごしてほしいと思うばかりであった。
紫野に着いて見てみると、雲林院はやはり焼け落ちてほとんど何も残っていなかったが、それでも氏真は紫野をうれしそうに見渡している。
「そなたら知っておるか? 紫式部はこのあたりで生まれ育ったゆえ名を紫野から取ったのだと聞いたぞ。源氏物語にも光源氏が雲林院に参籠する場面があるのじゃ。花も紅葉も美しいとて多くの歌が詠まれておる。例えば惟喬親王は『さわぎなき雲の林に入りぬれば、いとど憂き世の厭わるるかな』とお詠みになった。『木のもとに織らぬ錦の積もれるは、雲の林の紅葉なりけり』という歌は……確か詠み人しらずであったな。西行法師も『これや聞く雲の林の寺ならん、花をたづぬるこころやすめん』という一首を残しておるぞ。……西行法師は雲林院で花を求めて焦る心を休めようとしたというが、ここの桜は盛りを過ぎようとしておるようだのう。今でも花を思う我らの想いをよそに、命はかない花の面影は荒れて行くのか……。うむっ! 一首浮かんだ。いまとてもお、くものはやしのよそめにはあ、なにかあれゆくう、はなのおもかげえ……」
「名所の桜が盛りを過ぎるのを惜しむ御屋形様のお気持ちがよく表れておりまする」
「うむうむ、よう言うてくれた」
氏真も弥太郎もこうしたやり取りができるのも後幾度か、という思いなのだろう。言葉にしみじみとした響きがあった。
氏真も信長との対面を控えているためか、他にどこへ行くとも言わず、夕方には宿へ引き上げた。
いつこともしらさる梢を昔の雲林院の辺と云
今とても雲の林のよそめには何かあれ行花のおも影(1‐220)
雲林院から帰った明くる十三日は氏真一行は何もせず休養した。翌十四日には信長が動いた。信長は公家や門跡のために徳政令を発したのである。その知らせは瞬く間に京中に広がり、宿の者から弥三郎を通じて氏真一行の元にも伝わった。昼過ぎには山科言継の嫡男言経がその話をするために足を運んで来た。
「これはありがたい事じゃ。信長殿のお蔭で我らの借銭や借米が帳消しと相成る。今川殿の言われた通り、信長殿は天下静謐のために朝廷を護持するお考えなのであろう……」
この事は氏真にとっても朗報であった。氏真の見立て通り、朝廷に接近を図る信長は氏真にも接近を図るであろう。
氏真は言経と語り合って日中を過ごした。その中で、言経は言った。
「信長殿には小細工をせず、正面からぶつかれ、と父言継が申しておりました。信長殿は勘癖も強く、知恵鋭く、何より小細工やごまかしがお嫌いなのだとか。くれぐれも心してかかるようにとも申しておりました」
「ご忠告ありがたく承りましたとご父君にお伝え下され。それがしも誠心誠意にて信長殿に対面する所存でござる」
「首尾よきご対面をお祈りしておりまする」
十五日は信長との対面の前日である事もあって、宿に留まったが、今度は家康側から使者として松平家忠がやって来た。
「主家康より、岐阜殿とのご対面がうまくいくよう念じているとのことです。岐阜殿も氏真様とのご対面を楽しみにしておられるとか……。岐阜殿からは来る武田との決戦のための兵糧が我らに送られておりまする。また、佐久間信盛殿にも諸城をお見舞いいただいております。無二の決戦には織田の総力を挙げておん自ら出陣されるご決意と承っておりまする」
いよいよ武田との決戦も近い中の信長との対面である事を氏真は改めて実感した事であった。
氏真は家忠と夕餉を共にして歓談した。戦やまつりごとの事も大いに語り合ったが、連歌を嗜む家忠とは特に気があった。
やがて家忠も辞去して、氏真は一人になった。夜が更けると氏真は密かに宿の庭に降り立った。月が澄んでいる。
「うむう……」
氏真は一首思いついたが、それは京の都にいる感興とも領土奪回を狙う武将の感慨とも違うものを詠んだ歌だった。
いよいよ明日は信長への出仕となるが、月下の氏真の心中では駿河回復への意欲よりもむしろ明澄な心境が昂ぶるのを抑えられず、氏真は戸惑っていた。都の月といえば朧月夜であり、それは源氏物語源氏と右大臣の六の君朧月夜の物語のような風流と淫靡さの象徴であるはずだと氏真は思っていた。それなのに駿河回復の野心も朧月夜も氏真の心は煩悩と捉えてしまい、澄んだ月の光が煩悩をかき消していくように感じられてならないのだった。氏真は西行の歌を思い出した。
ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならんとすらん
西行は月を愛したがそれは風流というよりも悟りへと誘う存在であり、別の一首でも澄みゆく心を詠んでいた。
闇はれて心の空にすむ月は西の山べや近くなるらむ
氏真はさらにもう一首を思い付いたが、その歌も西行の
雪と見てかげに桜の乱るれば花の笠着る春の夜の月
を念頭に詠んでしまったものだった。
自分の中に武将でも風流人でもない者がいる。
氏真自身戸惑いながら二首を書きつけて浅い眠りに就いた。
月のもとにて
いかなれば心の空に晴ぬらむ都といへは朧月よの(1‐221)
おほへたゝ月に横をる山桜其庭の姿也(1‐222)
『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第21話、いかがでしたか?
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
氏真さんの京都観光四十二日目~四十八日目です。
信長への出仕を控えて、氏真さんの動きがペースダウンしています。
緊張もしたでしょうが、宿の遅咲きの桜の開花に希望を感じていたようです。
一方氏真さん出仕の直前に、信長の公家や寺社向け徳政令が出ました。
信長上洛時の公家の礼問も以前は山科言継や吉田兼見くらいだったのが、天生三年の今回から豪華メンバーになったようです。
参考文献:
神田裕理「織田信長に対する公家衆の「参礼」」『戦国史研究』43号(2002年2月)
氏真さん出仕や蹴鞠もこの信長の「上様」化の動きと長篠の戦いの文脈で理解しないといけないですね。
しかし、なぜか前日になって氏真さんの心は澄んだ月に引き寄せられる。
悠久の月、孤高の月は氏真さんの心の中で大きな意味を持っていたようです。
さあ、翌日はいよいよ信長への出仕です!
次回もお楽しみに!
お知らせ。(再掲)
大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。
こちらも是非ご覧ください!
大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
http://ameblo.jp/sagarasouju/
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。




