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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
20/35

マロの止まらない京都観光(十七)あの男を待ちながら

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」

氏真さんの京都観光ついに三十二日目~。


ついにあの男が動いた! 久々に仕事する氏真さん。

銀閣。文弱の汚名を残すのか……。

さびれた吉田神社。

西行庵に桜はなし。

神楽岡にかざしの花はなし。

鴨川再び。



 清水寺参詣の後月が変わった三月一日まで供の者たちを休養させる間に、氏真は織田と徳川それぞれから知らせを受け取った。信長の京都所司代村井貞勝からは信長が三好の残党を一掃するため軍勢を率いて二月二十七日にいよいよ上洛を開始したとの知らせがあった。家康の家臣松平家忠からは武田から徳川に寝返った奥平信昌が三河国長篠城の守備を命じられた事を伝える書状を受け取った。


「三好と武田は東西呼応しているであろうな」


「村井様から聞いた話では信長様もそれを承知で三好を討ち、返す刀で武田を屠る所存と見えまする」


 そう答える弥三郎は京にいる間しばしば村井に会って話を聞いていた。


「うむ。マロが村井に会った時もそう申しておった……。裏切り者の奥平を長篠に据えたのは勝頼をおびきよせるためか」


 氏真は茶屋四郎次郎や松平家忠など徳川方とのやり取りを任せている弥太郎に尋ねた。


「御意。どうやら武田は近々東三河に攻め込む手はずを整えているらしいと茶屋殿から聞いておりまする」


「ふむ……。勝頼はあえて家康の誘いに乗り長篠城を落とした後吉田城を攻めて家康をおびき出す算段であろう。信長が援軍を出しても苦しからず、無二の一戦を仕り、信長が来ねばそのまま家康を攻めるか家康を降すといった構えであろうよ……。いずれにせよいつ信長に呼び出されてもよいように支度はしておこう。その上でゆるりと京の見物を楽しむとしよう」


「御意」


 そんなやりとりを主従の間で交わして、信長に会う際の進物や装束などを整えた後氏真は再び京見物を始めたのだった。


「銀閣を見たい」


 三月二日、氏真は初めて入京した日に近くを通り過ぎただけの銀閣を思い出した。あの時は長年のあこがれだった京の都に入りたい一心で通り過ぎてしまったが、今度ゆっくり見る事にしたのだ。


 木下の宿から銀閣まで東に一里足らずを歩いて氏真一行が着いた時、いつもは重厚な姿を示す銀閣は夕陽に照らされて心なしか陽気に見えた。


「夕陽に照り映える桜咲く山を背にした銀閣はよい。銀閣はこうして建立以来繰り返し陽の光に飾られて輝いているのだな。応仁の乱の始まった義政公の頃から……。義政公は銀閣をその名の通り銀箔で覆うつもりが力及ばなんだというな……。この乱世に風雅を求めるのは難しき事よのう……うむっ、一首浮かんだ」


 弥三郎は文弱として知られる義政が建てた銀閣の前で歌作にふける氏真の姿を見つめていた……。我が殿も義政公のように文弱の汚名を残すのか、と思いながら。



 東山殿御跡外より花計白し


 立かへりもとの光やかさるらん夕日にむかふ花の山本(1‐204)



 氏真一行は帰り道に吉田神社にも寄ってみたが、夕方とはいえ人もまばらで寂れた印象は否めなかった。しかし氏真は神前で手を合わせながら言う。


「吉田神社の大元宮には日本国中の神が鎮座ましますというが、ここまで廃れるとは寂しい事よのう。しかし大元宮の神々が元の誓いを守ってくださるならば帰ってくる者もおるであろう。うむっ、一首浮かんだ」


 吉田神社参拝を済ませた氏真一行は今日は早々に宿に引き上げた。氏真も信長上洛を控えて自制しているのだろう、と弥三郎は思った。



  吉田宮中零落諸社名計也


  石上ふるきにかへる人もあらむもとの誓を神し守らは(1‐205)



 翌三月三日、氏真は朝餉の後弥三郎を呼びつけた。


「間もなく信長が上洛するであろう。弥三郎、様子を見て参れ」


「御意」


「村井にマロの信長への面会はいつになるか、分かれば聞いて参れ」


「かしこまりましてござりまする」


 弥三郎は慌ただしく身支度をして信長の宿所となる相国寺に向かった。京都所司代村井貞勝も信長の到着を相国寺で待ち受けているはずであった。


氏真が予想した通り信長が軍勢と共に相国寺に到着し、付近は軍勢でごった返した。


弥三郎は相国寺で貞勝を捕まえ、氏真の謁見の日取りを訪ねた。


「そうですな、京や天下の仕置きもある故十日ばかり後にせざるを得まい。追って日取りが固まり次第お知らせすると氏真様にはお伝え願いたい」


との貞勝の返事であった。


 弥三郎は木下の宿に馳せ帰って氏真にその旨を報じた。


「そうか、ならばこちらも焦る事はない。信長に会えば忙しくなろう故それまでは京で名残りを惜しむとしよう」


「御意」


 信長と氏真の初対面が首尾よくいくか一抹の不安を感じるようになっていた弥三郎なので、氏真の言葉に異存はなかった。


 その後二三日の間氏真は山科、冷泉、三条西、正親町三条、飛鳥井など懇意にしている公家を訪問して今回の信長の上洛についての情報と、彼らの意見を聞いて回った。いずれも信長が朝廷を護持してくれる事を願い、信長を実際に礼問した公家は皆信長が朝廷や公家に積極的に接近を図っているという印象を持っていた。


「そなたの言われた通り、信長は武田との戦いを控えて朝廷に大義名分を求めたいのであろう。口ではそうとは言わなんだが、我らに何か便宜を図るような事を言っておったよ」


とは朝廷きっての信長通である山科言継の弁であった。


「どうやらマロの見立ては正しかったようじゃな。京にいる間は公家衆と信長の間を取り持ち、武田との戦にあたって武田方の駿河遠江衆の切り崩しが出来れば信長も我らの駿河回復を後押ししてくれるであろう」


 公家衆訪問を終えて宿に戻った氏真は弥太郎と弥三郎にそう言って聞かせた。


「御意」


 二人は期待と興奮に胸を高鳴らせつつ答えた事であった。


 

 三月七日になって氏真は


「伏見醍醐あたりを散策したい」


 と言い出した。


 「御意」


 後数日で信長に出仕せねばならない事が分かっている弥太郎と弥三郎なので、それまで氏真には気分良く過ごしてもらいたいという思いであった。


 のんびりとやってきた氏真一行であったが、来てみれば伏見は霞に覆われていた。


「うむう……花盛りの伏見を見渡そうと思ってきたが、これでは遠くは何も見えぬ……。木綿山(ゆうのやま)の木綿のような霞が関守のように花の姿をかくして隠してしまっているという風情だのう。せめて春の山風が花の香りだけでも運んでくれればよいのだが……うむっ、一首浮かんだ」


 霞のために桜咲く伏見の里を見回す事は叶わなかったが一行は応仁の乱を生き残った醍醐寺の五重塔を訪ねたり、伏見稲荷に再び詣でたりして穏やかな一日を過ごした。


 

 伏見醍醐此あてと云共霞わたりてみえす


 木綿山花に霞の関守も匂ひはゆるせ春の山かせ(1‐206)


 

 翌三月八日には氏真が再び東山をあちこちと散策する事を望んだ。まずは知恩院や霊山周辺の寺を見て回った。


「前に来た時も思ったが、霊山八寺といっても名ばかりよのう。しかし有為転変の世を経た寺もがいまだ跡を留めていて、み仏がおわす。うむっ!」


「ここでも西行庵には桜が残っておらぬとはなあ……。西行法師は『願わくば花の下にて 春死なん、その如月の望月の頃』と詠まれたのに……昔の花はなくその名ばかりが残っておる……。うむっ!」


「しかし桜は荒れゆく里の春を我がものと思って元の場所で忘れずに咲き誇る……けなげなものよのう。うむっ! 一首浮かんだ。あわれにもお、あれゆくさとをわがはるとお、わすれずはなのお、さかりなるかなあ……」


「さすがは御屋形様、変わらず咲くけなげな花の盛りに人の世の有為転変の悲しさを思い起こさせるよいお歌にござりまする」


「うむうむ。そうであろう、そうであろう」


 今まで鬱陶しく思っていた氏真と弥太郎のやりとりだが、信長への謁見を目前にしていると、こうした日々ももう終わるのかと思えて名残惜しくなる弥三郎だった。


 その後の氏真はその途中どこかの寺の鐘の音を聞いて


「うむっ!」


 と反応した以外特にどこかを訪ねたいという風でもなく、桜のある風景を求めて散策を続け、八坂神社まで戻ってきた。そこから


「神楽岡にでも行って見るか……」


 と言い出し吉田神社にほど近い神楽岡まで半里余りを北に歩いた。


「神楽岡とはいうが、いつの時代に名がついたのであろう、神楽を舞う神人が頭に花をかざす様子もないし、かざしの花にする花もないではないか……。うむっ、一首浮かんだ」



 けふ又東山かたとをりに見物古跡とも 

 只かた計也 

 西行の住し跡なとも有寺もあまた零落 


 かはる世の跡に残れる寺古て仏あるてふ実をそ知(1‐207)


 跡とめて見れは昔の花もなしあまたの春の名のみ残れる(1‐208)


 哀にもあれ行里を我か春と忘す花のさかりなる哉(1‐209)


 鐘の音に霞そはるゝ古寺のありやなしやの春の山陰(1‐210)


 いつの世の名を残すらん神楽岡さしてかさしの花たにもなし(1‐211)



 神楽岡まで来る頃には日も沈みかけていたので、氏真一行は宿へ戻る事になった。鴨川の橋を渡る時、氏真が声を上げた。


「おお、今では鴨川の岸辺は若草の花に覆われておるのか……。初めて鴨川を渡った時は凍っておったのに……。うむっ、一首浮かんだ。わたりそめしい、こおりもいまはあ、わかくさのお、はなにとじたるう、かものかわぎしい……」


 氏真の後ろに並んで従っていた弥太郎と弥三郎はお互い顔を見合わせて微笑んだ。氏真もその二人を見て微笑んだ。いずれも始めて京に来てから今までの移り過ぎた月日を思い、旅情を感じているのであった。



 鴨河わたり京に入る


 渡り初し氷も今は若草の花にとちたる鴨の川岸(1‐212)




『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第20話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光三十二日目~四十一日目です。


信長上洛の知らせを受けて氏真さんも準備が必要だったと見え、京都観光のペースも落ち着いたようです。

同時に入京早々に通り過ぎた銀閣や吉田神社を巡り、


「あの頃は……」


と振り返っていたようです。


信長は三月初めには相国寺にいたはずですが、氏真さんとの面会は十六日でした。


信長はこの上洛を機会に、朝廷に接近し、足利将軍に代わって自分が「上様」になろうとしていました。


そうした重要案件があったので氏真さんとの面会のプライオリティが低かったのか?


あるいは、氏真さんをどうするか、じっくり考えていたのかもしれません。


どうするか、とは、やっちまうか、利用するか、です。


信長と言う人はしばしば人をだまし打ちにしています。反逆した弟信行の謀殺は有名ですね。


悪名高い例は長島一向一揆の高さんを認めたふりをしてから襲いかかり皆殺しにした一件。


他にも越前から出仕のためにきた土豪をだまし打ちにしたり、色々やっています。


信長と言う人は自分自身も含めて人を使えるか、使えないか、という基準で評価し、使えない、と評価した相手には過酷だったように思われます。


ましてや氏真さんは累代の敵だったわけですから、お互いに心の準備が必要だったのではないでしょうか。



お知らせ。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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