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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
19/35

マロの止まらない京都観光(十六)清水寺と不死の生薬

「戦国最大のおのぼりさん」あるいは

「動いたっきり風流人」またの名を

「『風流仕様』のタフガイ」

氏真さんの京都観光ついに三十日目~。


清水寺再び。

清水の舞台から飛び降りてみるか?

今度は願掛け。

清水寺の裏山は東亀山。蓬莱山を想像。

記念すべき200首。あんたも好きねえ~。

知恩院。

 嵯峨への遠出では三怙寺まで足を延ばし、十里近く歩いたのでさすが疲れたと見え、翌二月二十五日は氏真もゆっくり休む事にした。


 翌日になると、氏真は元気を回復して、


「今日はまた清水寺へ行こう」


 と言い出した。


「御意」


  今日も途中どんな寄り道をするか、と弥三郎は思ったが、今日の氏真は清水寺の景色が気になるらしく、寄り道せずまっすぐに寺に着いた。清水寺は既に参詣の人であふれていた。


「清水寺の桜はいかが相成っているであろうか……滝もあるというな……」


 氏真は何か引き寄せられる様に清水寺の奥に入って行き満開の桜を見つけて本堂近くまで来た。


「おお、清水寺の桜は今が盛りだのう。あの桜のあるあたりが錦雲渓(きんうんけい)というのか。誘われるように来て見れば知らぬ間に白雲の陰まで来たというわけじゃな。うむっ! 一首浮かんだ。はなみんとお、いりつるやまはあ、ふかからでえ、いつしらくものお、かげにきつらんん……」


「知らず知らず錦雲渓の陰、白雲の陰にたどりつかれた御屋形様の花に惹かれる風流なお心を表しているよいお歌でござりまする」


「うむうむ、よう言うてくれた。……おっ、音羽の滝は久しぶりであるな。音羽川に流れる水が花咲く梢よりも高き所から滝の白波となって落ちておる風情、よいのう……。うむっ、また一首浮かんだ」


 一行は清水の舞台に登ってみた。


「絶景かな。ここから眺める錦雲渓の桜は見事としか言いようがないのう。おお、そういえばこの舞台から飛び降りて無事であればどんな願いもかなうと聞いたが、弥三郎、どうじゃ、そなた飛び降りてみては」


「ぶるぶるぶるぶる! いいえ、お断り申し上げます」


 弥三郎は慌てて声を出しながら首を振って拒んだ。


「はっはっはっはっ。戯れ言じゃ。はっはっはっはっ……」


「もうし……」


 二人がじゃれ合っていると、弥太郎に清水寺の僧が声をかけて来た。


「あそこにおわすお方のご家来であられまするか」


「いかにも。我が主は駿河太守今川氏真でござる」


「おお、やはりそのようなやんごとなきお方におわしましたか……」


 寺の僧と少し会話した後、弥太郎は氏真の前に膝をついた。


「御屋形様、あれなる清水寺の僧が願掛けをされてはいかがかと申しておりまするが、いかがいたしましょう」


「ほう、清水寺で駿河回復のための願掛けか。よかろう、我らの願いの成就のためにみ仏にお頼りしてみるとしよう。その方が弥三郎がここから飛び降りるより確かであろうし」


「御意」


 氏真は願主として本堂に招かれ、阿闍梨に駿河回復の誓願をしてもらいながら、自分も心中祈った。誓願を終えて出て来た氏真は上機嫌でその後境内の花と堂塔を巡り、十分に堪能した。


「なに、あの奈良桜の名は伊勢というのか。よく名付けたものじゃ。伊勢といえば歌人の伊勢大輔(いせのたいふ)女性(にょしょう)であるよ。『いにしえの奈良の都の八重桜、きょう九重ににおいぬるかな』という歌から伊勢の名を付けたのであろう。この歌は百人一首にある名歌じゃが知らぬか?」


「存じておりまする」


 弥太郎はすぐさま答えた。弥三郎はそんな歌があったかな、と頭をひねってみたが、そもそも歌など覚える気がないから記憶にない。


「去り際になって知った伊勢なる奈良桜か、名残惜しくなるのう。伊勢が詠んだ奈良の八重桜と同じ根から生まれたものならなおさら風流であろうよ……うむっ、一首浮かんだ」


 今日は清水寺の他どこも行かなかったが、清水寺で願主となって誓願をし、桜と堂塔を見て回っただけで日も暮れた。氏真は近くに宿を取らせ、その夜は供の者に前祝いの酒と料理をふるまった。



 清水の花盛也見物の次願主へ招かれ終日遊興 

 あり庭の花は伊勢と云田舎ならさくら也


 花見んと入つる山はふかからていつ白雲の陰にきつらん((1‐195)


 音羽川流るる水は花ならて梢に余る滝の白波(1‐196)


 なかめ置名残や伊勢の八重桜奈良の都の同しねさしか(1‐197)



 二月二十七日、清水寺近くの宿を出た氏真一行は付近の名所を散策しながら京へと戻る事になった。


「清水寺の裏山は東亀山というそうです」


 間近に見える山を指差しながら弥太郎が宿の者から聞いた話を氏真に聞かせた。


「ほう。その由来は?」


「かつて東亀山には清閑寺という古刹があり、高倉帝の(みささぎ)があるとのこと。帝の寵愛を受けながら清盛に出家させられた小督局が帝亡き後清閑寺で生涯陵を守り続けたので、嵯峨野亀山に住んだ小督局にちなんで東亀山という名が付いたとのことにござりまする。清閑寺は応仁の乱で焼けて、今では帝の陵と小督の供養塔が残るばかりと聞いておりまする」


「なるほど、小督局が隠れ住んだ嵯峨の亀山が西の亀山だとすると、こちらは東の亀山だという訳か……。うまいものよ。亀山は蓬莱山の異名でもあると思うとまた一段とうまいものよなあ。小督局はここで亀山から連れ戻された時の事を思い出しつつ高倉帝の短命を嘆いたであろう。亀山に伝説の蓬莱山のように不死をもたらす生薬(いくくすり)があったなら、と想いを巡らせた事もあるかもしれぬなあ……」


 氏真は東亀山に上って高倉帝の陵と小督局の供養塔を参拝した。


「おお、あの清少納言の兄弟だという戒秀法師の歌を思い出したぞ。『亀山にいく薬のみ有りければ、留むる方もなき別れかな』というのじゃ。亀山に生く薬、行く薬はあっても留める薬はない、というわけじゃ……。この山もここかしこ桜が咲いておるのう。こうして花の間に混じっておると、萌え盛る花の生気を浴びて己が命も育まれるような気がせぬか? これぞまことの生薬やもしれぬ。うむっ! 一首浮かんだ。なにききしい、いくくすりともかめやまやあ、はなにまじわるう、こころなるらんん……」


「花に交わる心が生く薬とは、誠に風流なよいお歌にござりまする」


「うむうむ……。しかし昔は清水寺に劣らぬほど栄えたという清閑寺も跡ばかり、春の花の間を飛び移りながら無心にさえずるウグイスがおるばかりか、諸行無常よのう……。うむっ、また一首浮かんだ」

 


 清水の上を東亀山といふ霊山花遅し


 名に聞しいく薬とも亀山や花に交る心なるらん(1‐198)


 説法の昔もけふの鷲の山花にうつろふ鶯の声(1‐199)



 やがて一行は清閑寺跡を下りて北へと向かった。半里ほど歩くとそこかしこで桜が盛りを迎えていて、氏真は大喜びである。最澄が開いたという雙林寺(そうりんじ)の桜が満開である。


「おお、藪林寺の桜は花盛りではないか。西行法師も、清盛の怒りを買って鬼界ヶ島へ流された平康頼も、歌人の頓阿(とんあ)法師もここに住んでこの花を愛でたのであろうなあ……。しかし先ほどこの咲き誇る桜の花を遠目に見た時は、白雲が風に乗って空に上らず木の枝に留まっているように見えたぞ。うむっ!」



 藪林寺花盛也


 匂ひても花とはいさやしら雲の風にのほらぬ木陰成けり(1‐200)



「さて、祇園の桜はどうであろうか。祇園の杉の林の間から見えるあの白木綿(しらゆう)のような色は何か、行って見てみよう……。おお、宮の桜も漸く咲き始めたか、(しず)かなる風情がよいのう……。うむっ、一首浮かんだ」


「知恩院はいかがであろう。黒谷の花は今が盛りか。法然上人ゆかりの知恩院で桜を見ると、心の花も開く心地がするのう。もろともにあはれと思え山桜、花よりほかに知る人もなし。これは修験の行者行尊僧正の歌じゃ……。うむっ! 一首浮かんだ。……咲く花の光が仏法のともし火の如く曇りなきものに思えるぞ。うむっ! また一首浮かんだ」


 知恩院の桜を愛でているうちに夕暮れが訪れた。沈み行く夕陽が桜の花を山吹色から紅、藍色から紫色へと染め変えてゆく様を楽しんでから一行は帰途に着いた。



 祇園も花漸開 智恩院黒谷盛也


 杉間もるしらゆふみえて分いれは宮ゐ閑けき花のうち哉(1‐201)


 名をとめて尋る法の山桜心の花もけふや開けむ(1‐202)


 咲花の光や法の灯の影くもり無き谷のうち哉(1‐203)


『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第19話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光三十日目~三十一日目です。


とうとう一月立ちました!


読者のあなたも、作者のわたしも称賛に値します。


「あんたも好きねえ~」


いつかのマラソンのメダリストのように、


「自分で自分をほめてあげたい」


しかし、まだ三十日目。あと七十日あります。(^^;)


さて今回は清水寺に再び参詣。今回は何か願掛け。やはり駿河回復でしょうね。

気分がよくなった氏真さんは「終日遊興」とのことですが、何をしたか分からないのが残念。


翌日の東亀山。またやってくれました。


「動いたっきり風流人」のくせに自己主張しない、おくゆかしい氏真さん。


深い知識と想いを短い歌と詞書に書く所、相変わらず厄介です。


「名に聞しいく薬とも亀山や」

「説法の昔もけふの鷲の山」


書いているこっちはこの二首の歌とグーグルマップだけから清閑寺付近を散策したと目星をつけ、高倉天皇と小督局のことを想起しつつ歌を詠んでいるのだな、と探り当てなければなりません。


さらにそれを小説で読み易く書かねばならないのです。


饒舌な氏真と解説役の弥太郎のコンビ、二人から話を聞き出す「和歌が分からないばか」役の弥三郎を加えたトリオは苦心の結果生まれました。


ほんと、


「勘弁してくりゃれ」


と何度思った事か……。


弥三郎の内心の突っ込みは、氏真詠草徹底解読に心血を注いでいるぼくの分身でもあります。


しかし、こうやって読解して見ると、何とも言えない感動が押し寄せてきます。


氏真さんは、天正三年二月末の頃、ここでこんな事を思いながら歌を詠んでいたのだなあ。こんな感性を抱きながら戦国時代を生き抜いたのか、と。


この氏真詠草は戦国時代の人物の日常を一日単位で追いかける事ができる貴重な史料です。


歴史研究は現在まで残された史料を基に行うものですから、自己主張や宣伝、当時評判になった人物や出来事が注目され実際以上に重要視され、残らないもの、目立たないものはなかった事にされがちです。(実証主義の限界)


前回も書いたように、溢れんばかりのバイタリティがありながら、自己主張はせず記録を残さない氏真さんへの評価は低くなり、氏真さんの周辺の史実が見落とされます。


大事件という点を線でつなぐ事が多い歴史叙述の隙間をこうした日常の探究によって是正することの重要性を歴史研究者や歴史小説家、読者のみなさんに感じてもらえることを期待しております。


歴史的人物に関する想像ではなく、本人が綴ったナマの生活と感情を理解するまたとない経験を今川氏真詠草は与えてくれます。


四百四十一年前の出来事を一日単位で味わうこのライブ感がたまりません。


『マロの戦国』後篇では、七夕や月見での氏真の一晩の詠歌を通じて、もっと細密な描写を行います。今川氏真のお月見を、数分単位で再現する、生々しい(と言っても何も大事や、グロテスクな事があったわけではない)歴史ライブ小説です。


こんな『マロの戦国』を日本全国の歴史教育の副読本として採用していただきたい!




……それはともかく、今回の東亀山での氏真さんの感性も繊細ですね。


平清盛に引き裂かれた高倉天皇が亡くなり、そのお墓を守る小督局。蓬莱山にあるという不死の薬があったらなあ、と思った事だろう。……あ、この山に来て分かった。不死の薬とは、咲く花を求めて高揚する心であろう。


という訳です。


氏真さん、ここでも高倉天皇と小督局の悲恋に瀬名との叶わぬ恋を重ねたと思われます。


もう一つ気付いたのですが、高倉天皇と小督局の恋を引き裂くのが平清盛。そして信長も平氏で権勢をふるう人物。


……氏真の心の中には無意識に信長への反発があるのかな?



さて、雙林寺で詠んだ和歌が天正三年詠草の記念すべき二百首目です。


いやあ、歌人ってこんなに歌を詠むものなんでしょうか?


他にこの勢いで歌を詠む人がいたら教えてください。


その後に行った知恩院は法然上人のいた所。氏真さんは何故か法然上人が好きなようです。


何故かご存知の方おられたらご教示ください。


ちなみに知恩院は徳川家康が熱心に進行した浄土宗の総本山。本能寺の変を知った家康がここで腹を切ろうと言ったのは有名な話ですね。


何故か氏真さんと家康の好みは合うようです。




今日も色々書きました。まだ三十日目か……先は長いですね。


わたしがもしここで隕石に当たったり、車にひかれたりしたら、この試みは中断してしまうんでしょうね。


しかし、今川氏真詠草の小説化と言う地球史上初の試み、成し遂げねば!


この詠草を書写したと言う従兄弟で義兄弟の北条氏政(!)他若干名を除けば、ここまで天正三年氏真詠草にがっぷりと取り組んだ者はおりますまい!


そうだ、おれこそが今川氏真詠草(詠草に限っては)研究の宇宙最高権威だ!(多分、笑)


おれがやらねば誰がやる!?


感謝してくださいよ、氏真さん!


……などと誇大妄想で自分を盛り上げつつ、最後まで頑張りますので、応援よろしくお願いいたします!!!


いや、一緒に完走しましょう!!!



もう一つお知らせ。(再掲)


大河ドラマ「おんな城主直虎」追加キャストについて、NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書いていきます。


こちらも是非ご覧ください!


大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。



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