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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
18/35

マロの止まらない京都観光(十五)

氏真さんの京都観光二十八日目~。


「面影ぞ立つ」って難しい……。

人多すぎ……。

在原業平の古歌にあの人を思う。

午後から二十キロ強行軍!

京都を見渡す。

桜見比べ。

入相の鐘まで桜を眺める。

一所懸命な侍の歌ではないような……

 二月二十三日、快く目覚めた氏真は早朝宿の庭に出て見た。まだ夜の間に霜ができそうなほどの寒さだったが、それでも庭の下草は春の到来を知って萌え始めている。


「さあ、今日こそ千部経の聴聞に参ろうぞ」


 弥三郎は氏真が元気よく皆をせき立てるのを見て、殿は元に戻ったか、と内心ほっとした。松尾神社で再会した奥山左近将監も今まで遠慮していたようだが、昨日氏真の言葉を伝えると喜び、今日は早朝から宿に来て一行に加わっている。


 清凉寺まで二里ほどの道であるが、今日もすんなりと歩いてくれる氏真ではない。四半刻も歩くと不意に馬の歩みを止めていつものように詠じ出した。


「うむっ!一首浮かんだ。のべのかすみい、やまのかすみもおのずからあ、ころとてはなのお、おもかげぞたつう……」


「いやあ、霞からありもしない桜の花を想像するとはなかなか想像力たくましいものですなあ」


 弥三郎は元気を取り戻した氏真を元気付けようとほめたつもりだったが、氏真は「想像力たくましい」という言葉がかちんときたようでまくしたてた。


「違うぞ弥三郎、これは俊成卿の歌の本歌取りでな、『冬の夜の、雪と月とを見るほどに、花のときさへ面影ぞ立つ』という名歌があってな、『面影ぞ立つ』というのは想像力たくましいのではないのだ、分かるか? 弥三郎」


「はあ…」


 弥三郎はまた始まったという顔をしたが、弥太郎は


「なるほど! 春を待つ心に自然と花の面影が浮かんでくるというわけですな」


 とはっと気づいたように言った。


「うーむ。なかなかよいところまで来ておるが少し違う」


 と氏真は応じたが機嫌よさそうである。


「詠み人が勝手に春の花を想像するのではなくてな。もののあわれを知り春を待つ心に春の桜の花が感じて自ら面影を表すといった想いを『面影ぞ立つ』という句に詠み込んだつもりなのじゃ」


「なるほど……」


 と弥太郎は感じ入ったように何度もうなずいている。


 弥三郎も同じようにうなずいて見せてたが、面白くないので口をへの字に結んでいた。


「では行こうか。ほどなく千部経も始まろうゆえ」


 氏真が再び馬を歩ませ、弥太郎と小者の一人が再び一行の先を進む。


 相変わらず面倒な殿様だなあ、と思いながら弥三郎は渋い顔を作っていたが、その下にはかすかに笑みを隠していた。どうやらまた元気になったようだし、まあ、いいか。



 花は処処咲はしめて余寒ふかし


 朝な朝な薄雪計置霜にさすか春知庭の下草(1‐170)


 のへの霞山の霞もをのつから比とて花の面影そたつ(1‐171)


 清凉寺に近づき高雄山が遠くに見える様になると、氏真はまたあれこれ言い出した。


「おお、川の流れも勢いを増しておるな。昨日までの高雄山の雨に雪解け水も加わったのであろう。鳴る滝の水が音高く流れていようぞ。うむっ! 一首浮かんだ」


「春らしくなってきたな、冴えわたっていた氷もみな解けて、朝の陽ざしに木の新芽が鮮やかではないか。うむっ!」


 

 嵯峨千部聴聞雨の後道青みたり


 高雄山雨に雪けやそひぬらむ波もみかさのなる滝の音(1‐172)


 春幾日さえし氷もみな解て木のめ色つく朝日影かな(1‐173)



 一行が着いた時には清凉寺には既に人だかりができていて、山門に入るのも大変だった。


 光秀が狼藉を働かぬよう禁制を出したと言っていたが、確かにスリや人さらいなどもできそうであった。


 殿がぐずぐずしているから、と弥三郎はいまいましく思った。氏真があたりを見回したり、馬をとめて和歌を詠んだりしなければこんなに人だかりができる前に付いたかも知れないのだ。しかし、それを計算に入れずに出立の時刻を決めた自分にも見通しの甘さがあったと弥三郎は思い直した。


 今川領ではこれほどの人だかりはなかなかないし、あっても国主の勢威をかざして道を開けさせる事ができたが、ここ京では氏真を気に留める者など誰もいない。


「よいよい。しばらく待とう」


 と氏真も何故かいつもとは違って静かに人だかりを見ながら何かを考えている風であった。一行は為すすべもなくただ目の前の人だかりが消えて行くをの待つばかりだった。


 氏真は人だかりを見ながらぶつぶつとつぶやく。


「この混み具合はどうじゃ。男も女も華やかな衣装をまとって我先にと集まっておって御堂に近づけぬわ……。み仏の教えを聞こうと思ってきておるはずが、かえって煩悩に染まっておるのじゃ。かくのごとく

難しき世の中では我が衣も煩悩に染めるべきなのかと悩んでしまうのう……。うむっ! 一首浮かんだ」


 いや、我らが人混みをかき分ける事ができない田舎者なだけではござりませぬか。弥三郎はそう言ってみたくなったがこらえた。


 しかし、人だかりの中には奇麗な着物を着たなかなかよさげな娘が混じっている。この千部経のために美人も四方から集まってくるのだろうか、なかなかな見ものだと思って弥三郎が見ていると、


「うむ……」


 氏真がもう一首浮かんだようだがこそこそと懐紙に書き付けている。


 弥三郎は氏真の背後から帳面に書き付けてある一首を見てくすりと笑った。なあんだ、殿も女子を見ていたのか……。確かにここには着飾ったいい女が沢山いる。



 道すから男女さりあへす御堂によりかたし


 見聞ても法にはかたき世中の色に衣のそみぬへき哉(1‐174)


 咲みてる庭の桜も匂ひそふ花の都の袖のかすかす(1‐175)



 氏真一行もしばらくすると千部経の読誦が聞こえるあたりまで御堂に近づき、経を聞く事ができた。


 経を聞く人々の多くが合掌して何事かを祈っている。弥三郎も手を合わせ、殿が駿河を取り返して自分も所領をもらえるように、と仏に向かって願をかけた。


 氏真はどうしているか、と見てみると、願い事をしている様子はなく、ただ経を聞き人々を眺めているだけだった。


 弥三郎や供の者たちは千部経をありがたいものと思っても一字一句聞こうと思っているわけでもない。聞いても分からないので読誦の声を聞きながら信じている仏に願かけすればもう用はないのだが、氏真は内容を理解しながら思いを巡らしていたらしい。自然一行は氏真が動き出すのを待つ格好になったが、随分待たされた。


 その後氏真は供の者たちに各々境内の見世物や出店を好きに見るように言って、自分も興味の赴くままに見物して回った。弥三郎は氏真を放っておくわけにはいかないので弥太郎と共に氏真に付き従ったが、それでも楽しめた。


 そうこうしている内に日が傾いて聴聞の人々も帰り始め、人影もまばらになり始めた。


「朝には人でにぎわっていた御堂の庭も夕べには人影がまばらになる。今日正に聞いた盛者必衰の仏の教えを目の前に見ているようだのう。うむっ、一首浮かんだ。」


 それでも氏真はなお留まって、清凉寺の庭の夕桜を眺める。薄霞たなびく桜の花を包む夕暮れが深くなるにつれて、花の色は様々に変化していく美しさは弥三郎にも分かった。


「夕暮れの中散る桜を見ながら入相の鐘を聞いておると、諸行無常の想いに我が心まで散り果てるようであるよ……。うむっ!」



 とかくして人かへりはてゝ入相聞ゆ


 今朝さかへ夕にかはる教をもめの前に見る法の庭かな(1‐176)


 うす霞暮深くなる花の上に心ちるなり入相の鐘(1‐177)"



「今宵はどこぞに泊まろう。大覚寺の近くの、何といったかな、あの寺はどうじゃ?」


「称念寺でござりまするな。それがしが掛けあって参りまする」


「頼む。では我らは広沢の池で待っておるぞ」


 弥太郎に先を越された弥三郎はしまったと思ったが、弥太郎は手早く氏真の許可を得て駆けて行く。弥太郎も氏真の「うむっ!」に飽きて来たのだろうか。


 清凉寺から広沢の池まで(うしとら)(北東)に四半里足らず歩くと、もう月夜になった。一行は月の光の下で弥太郎を待つ。


「春の夜は霞むばかり、月の光でも池の景色もおぼろげに見えるばかりだのう。うむっ!」


 などと氏真がやっていると、弥太郎がやってきた。一行は再び称念寺に宿を借りる事が出来た。夜は雨が降ったが氏真はぐっすり眠る事ができた。



 其夜は嵯峨の里にとまる


 春の夜は霞計そひろ沢の池の景色もわかぬ月影(1‐178)



 二月二十四日、氏真は早朝に寺の庭に降り立った。夜明けの空が広がる中梢に咲く桜が薄霞に包まれて美しい。嵯峨野といえば秋というが誰が言ったのだろう。秋のさびしい風情もよいが、春の嵯峨野の明るい美しさも魅力的だ。


 春も深まりそこかしこで桜を見る事が出来るようになった事を氏真はうれしく思ったが、桜は散るものという事に思い至ると、氏真の心は追慕する歌人たちが地上を去って久しく、彼らが生きていたという跡さえも失われようとしている事に思い及んで寂しさを感じた。様々な人のゆかりの土地に行くが、名を聞くばかりでそこにはもはやいない。どこに行っても自分が主であるかのように桜の花が咲き誇っているのだ。


 目を遠く南の山々に向けると、大原の山が見える。昨夜の雨のせい霞んでいたが晴れ間から雲のように見えるものは桜なのだろうか。


 あの山は小塩山だろうか。松も桜もあろうが、霞の中で山の姿ばかりが見えるように思った。小塩山といえば、伊勢物語に出てくる歌枕だ。大原の神社に詣でた二条の后に在原業平が昔の密愛を思い起こす歌を献じたという。


 

 大原やをしほの山もけふこそは神世のことも思ひいつらめ

 


 歌の後に続く「心にもかなしとや思ひけむ、いかが思ひけむ、知らずかし」という言葉に氏真はもはや口にする事のできない瀬名との思い出を重ね合わせた。


 様々に思いを巡らせながら氏真は朝から四首の歌を思いついた。


「うむうむうむうむっ!」


 今日の予定を訪ねようと氏真を探していた弥三郎は、その声で宿の庭に立っていた氏真を見つけて声をかけた。


「御屋形様、こちらにおわしましたか」


「うむ」


「何か考えておいででしたか」


「うむ……朝から歌が次々に思い浮かんでのう」


 氏真はそれらの歌を詠じて聞かせた。


「さすがは御屋形様。遠くの山を見ただけでそこまでいろいろ考え付くとは」


「もうよい、下がってよいぞ」


 氏真は苦笑いしてそう命じた。


「ははっ」


 弥太郎の真似をしたつもりだったがご機嫌を損じたか、またやってしまったな。弥三郎は、内心舌を出しながらその場を去った。



 明わたる梢の花のうす霞秋のさか野と誰かいひけん(1‐179)


 さまさまの名のみ昔の人もなしなへて桜そあるし成ける(1‐180)


 早朝に出てみれは夜降つる雨に遠山霞深し



 雨霞む大原山の晴間より今朝立雲や桜なるらん(1‐181)


 神代をは何にとはまし小塩山桜も枩もわかす霞める(1‐182)

 


「今日は足の向くままに歩く事にする」


「御意」


 部屋に戻った氏真にそう告げられた弥三郎は、今日も、だろうと思いながら返事をした。


 氏真はまずは天竜寺へと向かった。天竜寺は足利尊氏が夢想疎石の勧めで後醍醐天皇の菩提を弔うために離宮亀山殿を改めて開山された。京都五山第一の禅寺として栄える広壮な寺域内にある建物は百を超えるようだ。


「御屋形様、あれなるは涙川というとかの者が申しております」


 弥三郎はあてもなく全ての建物を見て回られたら一日でも足りないと思ったので、氏真を天竜寺から連れ出すため氏真に注進した。


「ほう、涙川とな……。川というより溝の様であるな。それでいかなる由緒があるのじゃ?」


「それが、昔々の事故分かりませぬ……。申し訳ござりませぬ」


 涙川の事を弥三郎に教えた寺男は要領を得ない返事をするばかりである。


「ううむ、涙川の涙の主は誰かと聞いても分からぬとはマロの方が泣けてくるわ。堤中納言物語には『涙川、そことも知らずつらき瀬を、行き返りつつながれ来にけり』とあるがな。うむっ、一首浮かんだ。なみだがわあ、ぬしはととうも、ふるきよのお、しらぬにつきてえ、ぬるるそでかなあ……」


 氏真は天竜寺に戻って桜を見る事にした。後醍醐天皇とゆかりのある吉野の山から移した桜だという。小倉山の松を背景にして咲き誇る桜の花を見て、来るな、と弥三郎も分かる。


 「小倉山の閑静な峯では松の木が悠久の歴史を刻んでおる、その前では桜があまりにも潔くはかない花の命を散らしておる……。我らはそんな中はかない花の陰にいて、はかない一生を過ごしているのだな。うむっ! 一首浮かんだ」


 天竜寺の桜を一通り眺めた氏真は今度は大沢池に向かうと言い出した。最初から宣言していた事だが、やはり一度歩いた所をあちこちと行き来させられるのは面白くない。


 大沢池に着いてみると氏真も含め一行はさらにがっかりした。


「うむう、大沢池の水は随分枯れておるではないか。しかも枯草が流れ込んでおるわ。うむう……。しかし浮き草の花だけは清らかだのう。俗世で仏法は衰えてもなおその清さが心ある者の心を捉えて離さないようなものか。うむっ、一首浮かんだ」



 天竜寺の辺溝のやうなる流涙川と云


 泪川ぬしはと問も古き世のしらぬにつきてぬるる袖哉(1‐183)


 長閑なる峯に枩たつ嵐山心もをかぬ花の陰かな(1‐184)


 大沢や水も枯葉のうき草の花のみ清き池の面影(1‐185)



 大沢池の周りを巡り歩いて昼近くなった。弥三郎がもうそろそろ中食の時間かな、と思っていると、


「これから三鈷寺(さんこじ)に参ろう」


 と氏真が言い出した。


「ええっ!? 三鈷寺でござりまするか!?」


 三鈷寺はここから二里半も巽(南東)にある。今からでは往復するだけでも夕方になってしまうのではないか。


「そうじゃ。三鈷寺じゃ。少し急げば十分日帰りできる。これも身体をなまらせぬための修行と考えればたやすい事であろう。なあ、弥太郎」


「御意!」


 この二人にこう言われては抵抗できない。戦ならともかく、また物見遊山のために五里も歩くと思うと気が重い。


 道を急いで一行は一刻程で三鈷寺に着いた。桜や紅葉の名所だという。境内各所から京の都や比叡山までの景色を一望できるのはなかなかよい。氏真は三鈷寺の桜を殊の外気に入ったようだ。


「見よ、夕陽に照らされて咲き誇るこの花盛りの桜を。最高の楽しみを求めるとしても他にはあるまい。うむっ、一首浮かんだ」


 弥三郎も夕陽に向かう桜の美しさは分かるが、それよりも帰り道の方が気になってしまった。


「御屋形様、もうそろそろ引き上げ時かと。ここから宿までですと今出ても夜になってしまいましょう程に」


「む? うむ、そうだな」


 しかし例によってまっすぐ帰ってくれる氏真ではない。小倉山付近を通り過ぎる時、


「亀尾山の桜の花の下に春草が萌え始めておるではないか。亀は万年、春の訪れも万代(よろずよ)にわたって繰り返されてきたのであろうな……。うむっ!」


 とやったのはまだよいが、ようやく京の都に入ろうという所で


「おお、あれなるは仁和寺ではないか。仁和寺の桜を見て行くぞ」


 と言い出して道草が始まった。


「仁和寺は宇多の帝が建立されて出家なされた後、御室(おむろ)御所を建てて住みたもうたのじゃ。おお、あれが遅咲きで名高い御室桜か、美しいのう。桜の花を折り取る風流な歌人ならずとも、皆がこの桜の花に誘われてそぞろ歩きしておる。誠に花の都よなあ……。うむっ、一首浮かんだ」


「おお、そうじゃ。早咲きの桜がある平野神社はこの辺りにあるのを思い出したぞ。平野神社の桜も見比べてみるとしよう」


「御意……」


 弥三郎は渋い顔をしたが、帰りの道筋なのでまあよかろうと思った。


「平野神社は『八姓の祖神』といって皇室にゆかりのある家々の氏神とされていてな、我ら源氏にとっても氏神なのじゃ。平野神社の桜は色々あるのう。おお、これが早咲きの魁桜(さきがけざくら)であろうか。これが開花すると京都の花見が始まると聞いておるぞ。神々しい宮ではないか、あや杉の森にも昔の名残があるような……うむっ!」


「おお、そういえばならびの岡もこの近くではないか。行ってみよう」


「……御意」


 仁和寺から半里ほど東へ歩いて平野神社まで来て、今度は(ひつじさる)(南西)に半里以上歩かねばならない。弥三郎はとほほ、と思った。


「おお、ならびの岡には山桜が咲いておる。松との取り合わせがまたよいのう……。うむっ、一首浮かんだ」


 もう勘弁してくれ、と弥三郎は思ったが、氏真の徘徊はとどまる所を知らない。


「おお、近くに妙心寺があるな! 行くぞ」


「ぎ、御意……」


 雨が降り出した。弥三郎も泣き出しそうな思いではしゃぐ氏真に続いた。


「皆も知っておろう、妙心寺は父上と雪斎様が修業された場所じゃ。旧知の高僧もおるであろう。光秀殿の叔父御もおられると聞いておる。宗顕というお名であったかな。しかしこの時分故昔の事を聞き回るわけにもゆかぬ。おお、ここの桜も早咲き、遅咲きと色々あるようじゃな。先に咲いた花は散り始めておるわ。うむっ、一首浮かんだ」


 その時妙心寺の入相の鐘が鳴り始めたので、弥三郎はほっとした。


「御屋形様、もうお寺の門が閉まりまする故、行きませぬと……」


「うむ、そうだな」


 氏真は来たばかりで名残惜しそうだが、さすがに寺に迷惑をかける事はせずおとなしく寺を出た。しかし氏真は何か考えながら数町ばかり馬を歩ませた後急に手綱を引いた。


「うむっ、一首浮かんだ。ふるでらのお、かどさすかねのお、こえせずばあ、くらしはつべきい、はなのかげかなあ……」


「桜を愛でる御屋形様のお心が伝わるよいお歌でござりまする」


「うむうむ。まこと、花というのは見飽きる事のないものよのう。入相の鐘の音が聞こえなければ、一生が終わるまで時を忘れて花の陰で時を過ごしたかも知れぬ」


「まこと、花はよいものにござりまする」


 弥三郎もはあ、とため息をついたが花を愛でる思いからではないのは言うまでもない。


 春雨の中一行は夜に宿に戻り、夕餉を取って休んだ。弥三郎は弥太郎と相部屋に戻ってから思いきって聞いて見た。


「弥太郎殿、御屋形様の風流もよいが、このように物見遊山ばかりでよいのかのう」


「信長公に会われるまではよいのではござりませぬか」


「とはいえ駿河回復のための方々に談合に回るなどやる事はありそうなものじゃが……」


「それはいかがなものでござろうか。御屋形様は会うべき人にはお会いになられたかと存ずる。余り立ち回りが過ぎては信長公に心根を疑われるやもしれませぬ」


「なるほど、そういう見方もあるか……」


 納得できたのは半分くらいだったが弥三郎はそれ以上語るのは控えた。明りを消して床に入った後、隣の弥太郎が静かな寝息を立て始めてからも、弥太郎は気になって眠れなかった。妙心寺を出た後の氏真の歌にふと違和感を感じたのだ。


「一所懸命な侍の歌ではないような……」


 弥三郎はうまく言葉にできなかったが、あの歌に表れている耽美的傾向と仏教への傾倒の中に厭世観が忍び寄っているのを感じ取ったのだった。



 かへりさまに其辺見物三怙寺西山也


 たのしみをきはむるとても外ならし入日に向ふ花の盛は(1‐186)


 おもほえす幾万代の春もへん亀のを山の花のもとには(1‐187)


 

 日も傾く程に帰路仁和寺一見名所多し


 夕日影長閑に映る岡のへや流も煙る春の川かせ(1‐188)


 折もたぬ袖も桜に移ろひてつづくそ花の都成ける(1‐189)


 千はやふる平野の宮ゐ神さひて残る昔や森のあや杉(1‐190)


 あふきみる跡は昔の室の戸の名のみならては残るともなし(1‐191)


 山桜咲きてならひの岡の枩もをのか匂ひと春風そ吹(1‐192)

 


 妙心寺一見雨ふり出入相なる早々に過


 山桜先咲花は散初てつほみもよほす庭の春雨(1‐193)


 古寺の門さす鐘の声せすはくらしはつへき花の陰哉(1‐194)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第18話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光二十八日目~二十九日目です。


「面影ぞ立つ」の解釈、難しいです。

どうやら昔の人は強い想いがあればそれが通じて相手が夢に訪れてくれる、という感覚を持っていたようです。

どの歌か思い出せないのですが、女流歌人が


「あたしはこんなにあなたを想っているのに、どうして夢で逢いに来てくれないの?」


という歌を詠んでいました。


清凉寺の千部経聴聞では、着飾った美人を眺めたりして、煩悩も出たようですが、夕方に人がまばらになると「今朝さかへ夕にかはる教」と氏真さんらしく無常を感じたようです。


「花の上に心ちるなり入相の鐘」というのも、散る花と日没に無常の美しさをしみじみと感じているようですね。


在原業平の歌を念頭に詠んだ一首では、やはり瀬名の事を思った事でしょう。


天竜寺では嵐山の松を背景に散る「心もをかぬ花」を詠んで、悠久なるものと無常なるものの対比がなかなかです。


氏真さん、どうやら午後から三鈷寺まで往復二十キロの強行軍をやってのけたようです。


天正三年氏真詠草読解の最大の成果は、


氏真さんが「風流仕様」のタフガイだと分かった事です。


一般に流布している怠惰で、享楽的で、臆病で、間抜けで卑怯な氏真像は最近の研究を読んだり、蹴鞠と剣の達人という事実を知れば払しょくできましたが、もう少し、憂いに満ちた、悩みがちで動きの鈍いプリンスと言うイメージを持っていました。


そういう性質も氏真には確かにあるのですが、氏真上洛の行程をこうして検証していくと、ヒャッハ―感がはんぱないです。


ヒャッハ―する「風流仕様」のタフガイ、みぞれの中歌を読んだり、春雨に濡れても袖の色を染めると詠んだり、全天候型風流人です。


ご記憶の通り、航海中の嵐で舟が損傷し、志摩半島南端まで流された後もそのまま航海を続けようとして周囲の人に留められる。


上洛してからも次々と名所を見つけて動き回る。一日十里くらいの行軍はへっちゃら。


明石家さんまは歳をとったら寝たきり老人ではなく、「動いたっきり老人」になると言っていますが、氏真さんはさしずめ


「動いたっきり風流人」


というところでしょう。


氏真さんは馬で移動しているはずですが、徒歩でついて行く人たちはたまったもんじゃなかったでしょうね。


しかもそれを「かへりさま」としれっと書く所、さらに厄介です。


溢れんばかりのバイタリティがありながら、自己主張はしない氏真さんへの周囲の評価は低くなるでしょうね。


そして、氏真さんはある事情からそうした韜晦の傾向を強めて行きます。


人並みすぐれた体力の持ち主であったはずの氏真さんですが、軍事指揮官としてのスキルは高くなかったのではないかと思われます。


というのも、氏真さんは「兵の将」ではなく、「将の将」として育てられたはずだからです。


今川家当主はよく急死して、家中が混乱しました。氏真の曽祖父義忠や、伯父氏輝のことです。


そこで、今川家当主は何よりも死なない事が重要であったと思われます。


「動いたっきり風流人」の氏真さんの性質を考えると、義元が氏真を桶狭間の戦いに出陣させたり、他の機会に戦に行かせようとしなかったのは、氏真が臆病だからではなく、


むしろ動き回り過ぎて危険に身をさらすリスクを心配したからではないか、と思えてきます。


我々は不活発な氏真と言う無意識の偏見によって歴史認識や研究に目隠しされているように思います。


氏真研究の場合、その偏見が懸川城開城で戦国大名としての今川家は滅亡した、という記述になりますが、実際にはもっと紆余曲折があったようです。


この事は今執筆中のノンフィクションと『マロの戦国』後篇で明らかにしていきたいです。



さて、そういう「動いたっきり風流人」の氏真さんなので、ゆったりと京都見物ではなくて、


「やめられない止まらない」


状態で動きまくり、桜を見出すと止まらない。


妙心寺でも、桜の花に見入って入相の鐘まで動けないわけです。


小野小町がぼんやりと花を眺めてため息をついている風情とは違うものですね。


バイタリティと、耽美的傾向と無常観の珍しい融合が大変興味深いです。



もう一つおまけ。


大河ドラマ「おんな城主直虎」で氏真さんを含む追加キャストが発表されました!NHKのHPの「役柄」や出演者コメントに色々面白い突込みどころがありますので、「直虎」ブログに書きます。


こちらも是非ご覧ください!


こんなブログもやってますので見てくださいね!

大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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