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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
15/35

マロの止まらない京都観光(十二)泉涌寺

氏真さんの京都観光二十二日目。

叔父さんに再会。

かつての敵にすがる覚悟?


 二月十七日、朝から雨が降っていた。弥三郎と弥太郎は氏真から今日は泉涌寺(せんにゅうじ)を訪ねると前もって言い渡されていた。


泉涌寺は木下の宿からは一里半ほど大和大路を南に下った所にある。弘法大師の開基で、かつての寺号は仙遊寺といったが、月輪大師俊?(がちりんだいししゅんじょう)が宋から帰国してこの寺を中興した時霊泉が湧いたため、寺号を泉涌寺に改めたという。寺域内に帝の陵墓が多く、皇室との関係が深い。


「しかしその前に定家のご廟に行きたい」


 いつもの事だが氏真の希望で寄り道する事になった。藤原定家の墓は千本通りと今出川通りが交わる北西に位置する歓喜寺にある。


「ああっ、ちべたっ!」


 冷たい春雨に濡れて弥三郎は低くつぶやいたが、定家の別荘時雨亭もここにあったと聞いて氏真ははしゃいでいる。


「時雨亭跡で春雨に遭うか……。秋の時雨に紅葉が染められるように紅涙で袖を染めると詠まれたものじゃが、この春雨に濡れても我が袖はただ濡れるばかり、紅には染まらぬ。はあ、定家の昔の時雨に染められて見たかったものだのう……。うむっ! 一首浮かんだ」


 風流仕様の肉体は風雨をものともしないかもしれないが、生身の体で付き合わされる側はたまったものではない。弥三郎は密かに嘆息した。



 歓喜寺定家の御廟あり時雨の亭も爰と云


 染はやなもとの時雨に春雨はぬれても色のわかぬ袂を(1‐150)



 今日は出立が遅く、ゆっくりと歩いたので泉涌寺には昼過ぎに着いた。幸い雨も上がっていた。弥太郎が先駆けして泉涌寺に氏真来着を告げておいたので、一行が到着する頃には数人の僧侶が大門に出迎えていた。


 その中心にいるのは氏真の伯父にあたる泉涌寺長老象耳泉奘(しょうじせんじょう)である。


 今川氏親の四男として生まれた泉奘は氏真の父義元の一歳年上の腹違いの兄である。氏親は長男氏輝と次男彦五郎だけを手元に置き、末子の六男氏豊は那古野今川氏へと養子に出し、他の息子たちは仏門に入れた。


 泉奘も幼くして仏門に入り、唐招提寺で受戒して律宗の僧として修業を積んだ。その後駿河国藤枝の遍照光寺にいたが、今川義元死後泉涌寺に移って長老となった。今上正親町帝が深く帰依し、宮中に招いて教えを請うほどの高僧である。大和の筒井順慶も帰依しているという。


「久しぶりだな、氏真殿」


「ご挨拶が遅れて申し訳ござりませぬ。伯父上もご壮健で何よりです」


 氏真は泉奘に境内を案内されつつ、様々な話をした。


 泉涌寺は見所が多い。仏殿に安置されている釈迦、阿弥陀、弥勒の三尊の如来が運慶作であるという。釈迦の仏牙舎利が安置されている舎利殿は謡曲「舎利」の舞台である。観音堂にはその美しさから楊貴妃観音と呼ばれる秘仏が安置されている。別院である雲竜院も後光厳帝による建立以来皇室との関係が深い。その名の由来となった霊泉もある。


 しかし由緒ある寺ではあるが、泉涌寺では至る所で盛んに普請が行われていて、本堂を始め建物の大半が普請や改修を受けていた。


「やはり泉涌寺も戦乱で焼けてしまったのですな」


「左様、当寺も応仁の乱以来度々兵火に焼かれ衰亡したが、拙僧が帝にお願いして織田信長殿のはからいでこのように普請を進める事ができておる」


 信長の名を聞いた氏真は微かな電気が走ったようにびくっと体を動かしてしまい、泉奘に気付かれたかと気になった。


 それまで前を見つめていた泉奘は微笑んで氏真に顔を向けた。


「かつての敵にすがる覚悟はできましたかな?」


「…………」


「拙僧はみ仏にお仕えする身ゆえそのような執着(しゅうじゃく)は捨てておる」


「…………」


「み仏の前では人は皆仏弟子、そのこと御身もお分かりであろう」


「存じておりまする……」


 舎利殿で仏舎利を奉拝した後、東にある四条帝を始めとする歴代天皇の御廟に案内された。ここには皇室と仏法の和合がある。


 普請の槌音響く泉涌寺で御廟を一つ一つ参拝していると、巨費を投じて泉涌寺を再建している信長は皇室を尊崇し仏法を護持しつつ朝廷をいただいて天下に静謐をもたらそうとしている、正しい事をしている、そう思われてきた。それは父義元の志した事そのものではないのか……。


 父を討った旧敵にすがる事を無節操だと咎める気持ちは氏真の心のどこかにもわだかまっていたが、ここ泉涌寺の泉の水がぬるみ始めたように、そのわだかまりも解け始めたよう感じられた氏真であった。



 仙遊寺一見今は泉涌寺也内雲竜院天 

 子御廟あり御舎利奉拝


 あさ緑谷の氷も解て涌いつみやまたきぬるみ初らん(1‐151)


 そをたにとおほつかなくも残らむさして仏の世々のためしに(1‐152)



「今宵は語り合おう。来迎院に泊まっていかれるがよい」


 夕暮れが近づく中雨が再び降り出したので泉奘の勧めで氏真一行は寺内に一泊する事になった。来迎院は空海由来の荒神像を安置している泉涌寺の別院であるが、こちらも戦乱でいったん焼失したのを象耳泉奘の弟子舜甫明韶(しゅんぽみょうしょう)が信長の援助により昨年再建したという。


 見事な庭を鑑賞した後夕食を馳走になりつつ泉奘や明韶と語らってから一度眠りに就いたが、色々と思う事があって深く眠れず、雨音で夜半に目が覚めてしまった。


 戸を開けて外を見ると梅の香りがする。山の端に月が見える。中天にあって孤高の存在でありながら人々を照らす月に父義元を思い、仏法を思った。


 多感な時期に雪斎と共に京に上って仏法を学び、戦乱を目の当たりにした事が西進の強い動機となったのだ、と義元から聞いた事がある。ならば皮肉な運命の巡り会わせではあるが、皇室を護持し寺社を再建し秩序をもたらしつつある信長は義元を討ちその西進を阻止しながら義元の遺志を受け継いでいる事になる。


 信長を扶けて駿河国主に復権する事がやはり大道に就く事だと思わざるを得ない。自分と同じように風流踊を民衆と共に楽しみ、楽市令を城下に施行した信長に氏真は奇妙な近さを感じてもいる。


 では信長はなぜ天下の実権を握るに至り、自分は国を失ったのか。百姓の側に立って侍を敵に回したからか。信長のように敵を情け容赦なく殺さなかったからか……。


 まだ納得のできる答えを見つけられない問いに様々に思いを巡らしながら氏真は一人たたずみ夜が更けて行った。



 長老抑留にて一宿来迎院庭あり


 梅かほる岸の雫の雨の音に独更行山のはの月(1‐153)



 二月十八日の朝を迎えた氏真は泉奘に別れを告げて泉涌寺を出た。泉涌寺の森では椿の木々が樹齢を重ねる中に苔むした梅が咲き、それに寄り添うように桜の初花が一輪咲いている。


「ふむ……」


 氏真はそれを目ざとく見つけたがいつものように歌を声に出しては読まなかった。


「ふああ……」


 泉涌寺を出て数町歩くと氏真は馬上であくびをした後伸びをした。


「なあ、徳の高い坊様と話すのは気疲れするものだのう、弥三郎」


 笑顔に戻った氏真は弥三郎に語りかけた。


「まこと、気疲れするものでござりまする」


 弥三郎も珍しく笑顔で応じた。


 京に着いてから名所を歩き回ってはしゃぐ氏真には仕事しろ、と苦々しく思っていた弥三郎だが、昨日泉奘と真剣に語り合う氏真を見て、心境の変化が生じていた。御所でも泉涌寺でも巨費を投じて京の都の復興を進める信長の勢威を目の当たりにすると、もうしばらく陽気な氏真と京見物を続けていたい気がしてきた。信長は今川とかつて死闘を演じた相手だと思うと、氏真が信長に会ってもうまくいくという保証はないのではないか、と思えてきたのだ。


 勘癖が強いといわれる信長がやすやすと胸襟を開いて氏真を受け入れてくれるであろうか。むしろ敵の倅氏真に少しでも怪しいところを見つけたら、これ幸いと始末してしまうのではないか、と心配に思えてきた弥三郎だった。


「今日は特にどこかへ行きたいとも思わぬゆえ、ゆるりと帰るとしよう」


「御意」


 一行は深草から伏見稲荷を通り過ぎ、東福寺を少し見物して昼過ぎに宿に戻り、その後はゆっくり過ごした。



 茂き木の中に梅にそひて桜一りん咲


 玉椿世々ふる砌苔むして梅もさくらのまたき初花(1‐154)"


 深草稲荷見わたして東福寺しつかに見物 




『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第15話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光二十二日目~二十三日目です。


泉涌寺で叔父さんの象耳泉奘さんに会いました。

泉奘は氏真さんの父義元の腹違いの兄でした。

正親町天皇の帰依を受ける程の高僧泉奘は、その頃織田信長の支援を受けて泉涌寺再建に取り組んでいたようです。

かつての敵信長にすがる事には氏真も抵抗を感じていたと思われますが、仏教への帰依の深さから、恩讐を超えた境地に到達しようとしていたのではないかと思われます。

泉奘叔父さんに会う事で、氏真はそうした意識を強めたと思われます。



こんなブログもやってますので見てくださいね!

大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ

http://ameblo.jp/sagarasouju/


本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。


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