マロの止まらない京都観光(十一)
氏真さんの京都観光二十一日目。
男山の坂を越えてうまくいくといいなあ……。
塚づくし。
定住できない人生にため息。
道に迷って恋に迷う?
氏真一行は八幡宮のある男山を下りて、付近を散策する事になった。男山の坂はかなり急な勾配である。
「知っておるか、ここは古今集の仮名序にも出てくるのじゃ。『男山の昔を思い出でて、女郎花のひとときをくねる』といってな」
「へええ、あの古今集のでござりまするか……」
得意げに語る氏真と共に下りて行くと、下から杖をついて登ってくる老人をすれ違うが大変そうである。
「古今集の詠み人知らずの歌もあるぞ。『今こそあれ、我も昔は男山、さかゆく時もありこしものを』というのじゃ。男盛りの昔を懐かしむという訳じゃ」
「難儀にござりますなあ……」
氏真の無遠慮な言葉は老人に聞こえたのではないか。弥三郎が坂を上る老体のつらさを思いやってついそう漏らすと氏真が反応してきた。
「そんな事はあるまい。坂を上って栄え行く末を神に頼むのじゃからな」
「お見事!」
弥太郎がキリリと引き締まった顔でほめる。ああ言えばこう言う殿であるなあ、と弥三郎が内心思っていると、
「うむうむ……。我らもそうじゃ。駿河を離れてあちこち移り来る前は良かった。しかし、男山のような難儀な坂を越えて栄え行く末を頼んだのじゃ。うむっ、一首浮かんだ。うつりくるう、むかしはよしやあ、おとこやまあ、さかゆくすえをお、たのむなりけりい……」
「古今集を思いながら末の栄えを願うお気持ちをよく詠まれたよいお歌にござりまする」
「うむうむ」
神頼みや信長頼みでなく、自力で取り戻せないのか、と弥三郎は言ってみたくなったが、そんな事はもちろん言えない。
「お、そういえば近くに女塚があるはずじゃ」
古今集で思い出したらしく、氏真は女塚を探させた。弥太郎が土地の者から場所を聞き出して、一行は八幡宮から半里足らずの南にある女塚にたどり着いた。
「女塚は女郎花塚とも言うのじゃ。都の女が深く契った小野頼風を訪ねて見ると、頼風は他の女を妻として暮らしておってな、深く恨んだ女は放生川に身を投げた。その時女が脱ぎ捨てた山吹重ねの衣が朽ちてオミナエシが咲いたという話じゃ」
オミナエシは秋の七草、当然今花は咲いてないが、氏真はまた目の前にないものを思い浮かべるように話して満足げである。いや、殿の頭の中のお花畑にはオミナエシが咲き乱れておるのか。
弥三郎はついそんな空想をしてしまい、笑いをこらえるのに必死だったが唇をかんでしかめ面をして何とかごまかした。
「花のない春の野辺ではあるが、オミナエシを咲かせるようになった女の衣の上に今立っているのじゃなあ……。うむっ、一首浮かんだ」
土地の者は男塚もあると言っていたので、一行は元来た道を引き返して八幡宮のある男山の麓まで足を運んだ。男塚は頼風塚ともいう。小野頼風が女を身投げさせてしまった事を知って自分の不実を嘆き悲しみ後を追って入水したので、その場所を涙川という。
「ふむ、涙川というのか。哀れではあるが、涙したとて詮なき事よのう。女の命も、後を追った頼風の命も、捨てた命は戻っては来ぬのじゃ。あだなる名のみ残る涙川か……。うむっ、一首浮かんだ」
土地の者からは車塚という所も教えられたので、一行はそこへも行く事になったが、またまた同じ道を女塚のすぐ側まで戻る事になったので、弥三郎は辟易した。
「また同じ道を戻るのでござりまするか。先ほど見えた所でもありますし、帰り道も遠うござりまする故、できれば今日の物見はこれまでにしてはいかがかと……」
「いやいや、見えたかもしれぬが見てはおらぬ故見たいのじゃ」
「かしこまりましてござりまする……」
麓より岡を行て女塚男塚車塚なとゝ云
しるし有高みにしはし有て所の人に尋
うつりくるむかしはよしや男山さかゆく末を憑む也けり(1‐140)
女良花花なき春ののへたにももとの秋知袖の上かな(1‐141)
捨る身になかすもあたの涙河あたなる名のみ世に残哉(1‐142)
車塚は公家が乗る牛車のような形からその名が付いたらしい。氏真は高みに上って周囲を見回し土地の者に聞いて見るが要領を得ない。
「あの霞が立ち込める何という所かのう。なに、山城? 山城ではあろうが山城のどこじゃ?なに、分からぬ? ふむ……一首浮かんだ」
「あの道は随分人が行き来しておるが何というのじゃ。伊賀の道か、そうか……。こうして道を四方に人が行きかっているのを見ているとな、旅人ではなかったはずの我が身も一生同じ所に住み続ける事のできない世の中であるとしみじみ感じるのじゃ……。うむっ、一首浮かんだ。たびならぬう、みもすみはてぬう、よなりけりい、みちのちまたのお、よものいきかいい……」
「はあ……」
いつもはキリリと引き締まった顔で間髪容れず氏真の歌をほめ上げる弥太郎が、今日はため息をついたので、弥三郎は振り返った。弥太郎は氏真と自身の流浪の半生を回顧していたようで感慨深げだった。
煙立は山城の山人の行かふは伊賀の路と云
炭釜に霞こめぬる山城のいつくと問もそことしられず(1‐143)
旅ならぬ身も住はてぬ世成けり道の巷の四方の行かひ(1‐144)
車塚で日が傾くまで過ごして一行はようやく帰途に就いたが、先導した弥三郎が道を見失って迷ってしまった。氏真は昨日泊まった放生川の宿からどのあたりまで来たのだろうと南を振り返って見るが、日も暮れている上に霞が立ち込めていて見えない。道を聞こうにもあたりを行きかう人影もない。
「うむう、一首浮かんだ。やどりせしい、かわべのさとはくれはてて、かすみやぬしとお、とえどこたえぬう……」
こんな時にも歌を詠む氏真の脳天気ぶりに弥三郎はついイライラしてしまった。
「だから早目に引き揚げたかったのでござりまする」
「仕方がないではないか、古今集ゆかりの土地なのじゃぞ」
「はあ……」
弥三郎は必死に道を尋ねておおよその見当をつけたが、昨日来た道とは違う道を手探りで進んで行く格好になった。
「夕霞に袖がしおれるのう。秋の山辺のようなわびしさを感じるぞ。うむう、一首浮かんだ」
浮かない顔ながらも歌を詠んで気を紛らわそうとする氏真に弥三郎もさすがに申し訳ないと感じた。その埋め合わせに途中下鳥羽で恋塚寺という名所がすぐ近くにあると通りすがりの者に聞いて、氏真が喜ぶだろうと思って注進した。
「うむ、行ってみよう」
案の定氏真は立ち寄ると言い出した。
恋塚寺には袈裟御前の菩提を弔う恋塚がある。袈裟御前は北面の武士渡辺渡の妻であったが夫の同僚遠藤盛遠に横恋慕された。
袈裟御前は夫を殺してくれと盛遠にもちかけ、盛遠は夜中に屋敷に忍びこんで渡を闇討ちにして首を取るが、月の光の中でその首を確かめると、それは袈裟御前の首であった。袈裟御前は夫と操を守るためあえて自分を殺させたのだと知った盛遠は深く嘆き出家した。
この盛遠こそ後に源頼朝に平家打倒のため挙兵するよう勧める事になる文覚上人である。
恋塚寺の由来を知った氏真は上機嫌になった。
「はかない恋を葬った恋塚か、ああ、あわれよのう……。誰の恋の思い出が残るものか、昔の恋の墓標は心の中ではかなく消えてしまうものだと思っていたがのう……。我らもこうして恋に迷い、昔を忘れぬ恋塚の名に迷って、ここまで来てしまったようだのう……。うむっ! 一首浮かんだ。はかなくもお、たがこいづかのお、あととめてえ、むかしわすれぬう、なにまようらんん……」
「さすがは御屋形様、うまいものですな」
と弥三郎が珍しく心から感心した表情で言う。何か言おうとして息を吸い込んだ弥太郎は弥三郎に遮られてしまった。
「うむ? そうか?」
氏真は上機嫌に応じる。
「道に迷ったのをこうも見事にいいつくろうとは……」
「たわけ! 誰のせいでこうなったのじゃ! さっさと帰り路を聞いてこぬか!」
「はっ!」
うまく氏真の気を紛らわしたつもりが余計な事を言ってしまった弥三郎は慌てて駆け出していく。
「全く、主を何と思っておるのじゃ……」
恋塚寺で時を過ごした事もあって、まだ竹田にいるのに夜になってしまった。月が見えるのがせめてもの救いである。
「弥三郎、月夜になってしまったぞ」
「はあ……。面目ない事でござりまする……」
弥三郎は少し頬をふくらませてふてくされたように言う。
「まあよい、気にするな……。うむっ、一首浮かんだ。ひとむらのお、かすみにもるるう、ゆうづきよお、たけだのさとやあ、かぜわたるらんん……。立ち込める霞からこぼれる夕月夜、竹田の里に風が吹きわたる、といった趣向じゃ」
「霞に隠れた月が風が吹くと姿を現す様が美しいよいお歌でござりまする」
「うむうむ」
こういう時は氏真の歌の趣味は気休めになっていい、と弥三郎も思った。
しかし、都に着く前に日は暮れ果ててしまった。周囲を見回してもどことも分からないほどに月も霞みがちで夜道が暗い。さすがに氏真も不機嫌になった。
「もう夜になってしまったな」
「申し訳ござりませぬ……」
弥三郎はしょげてしまった。
「まあよい。……今宵の月も美しいではないか。のう、弥太郎」
氏真は気を取り直したように言う。
「はい」
弥太郎はキリリと引き締まった顔で答える。
「うむっ、一首浮かんだ。かえりみるう、そことしもなくくれはててえ、みやこはつきもお、かすみまさりけりい……」
「ありがたきお歌にござりまする」
弥太郎が口を開く前に弥三郎が言った。
風流心があり、仏の教えに傾倒している氏真は、俗事に腹を立てたり怒ったりする事を醜悪と思うから、優しくなれるのだ。そんな氏真への感謝の思いが弥三郎の口を衝いて出たのであった。
「うむ? うむうむ、そうか……」
氏真は唐突な弥三郎の言葉に少し驚いたようだったが、その心中を察したらしく微笑んだ。
「では参ろうか。風流な月に照らされてのんびりと」
「御意!」
さっきまで苛立っていた一行の気分が和らぎ、もう夜道は気にならなくなった。柔らかな月の光に包まれて宿に戻り、和やかに食事をして休む事ができた。
帰路には筋をかへて来る心す
やとりせし河辺の里は暮はてゝ霞や主と問へと答ぬ(1‐145)
夕霞哀しほるゝ衣手や秋の山へのこゝろ成らん(1‐146)
はかなくも誰か恋塚の跡とめて昔忘ぬ名に迷ふらん(1‐147)
一村の霞にもるゝ夕月夜竹田の里や風わたるらん(1‐148)
かへり見るそことしもなく暮はてゝ都は月も霞まさりけり(1‐149)
『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第14話、いかがでしたか?
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
氏真さんの京都観光二十一日目です。
今回はひたすら観光でした。
女塚男塚車塚、恋塚まで塚づくしですね。
車塚は古墳だそうです。
松尾芭蕉が『奥のほそ道』で「月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也」と書きましたが、氏真さんも同じような心境を詠みました。
いまはまだ若いですが、年齢を重ねた氏真さんにはこうした無常感のこもった歌が増えて行きます。
帰りは道に迷って都に入る前に月夜になってしまいましたが、氏真さんは気を取り直して月夜を愛でつつ帰ったようです。
氏真さんは風流人であろうと努めていたので、少々嫌な事があっても歌を詠んで気持ちを落ち着ける術を心得ていたようです。
小説などで、今川氏真は桶狭間の戦い以来ヒステリックにふるまう人物として描かれることも多いですが、こうやって本人が遺した詠草を読むと、まるで違いますね。
こんなブログもやってますので見てくださいね!
大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
http://ameblo.jp/sagarasouju/
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。