マロの止まらない京都観光(九)
氏真さんの京都観光十九日目。
鞍馬の花は雲珠桜というけれど……。
心を散らす波も凍る……。
神の裁きを望む。
二月十三日、里坊で目を覚ました氏真は、なぜか弥三郎に促されて早朝に鞍馬寺に参詣する事になった。一晩休んで弥三郎の体調は回復していた。
「ささ参りましょう」
「うむ……弥三郎、随分急ぐではないか」
「早い方がゆっくり見て回る事ができまする故」
弥三郎は朝早く出立しなければ今日中に都に帰り着けないと分かっているからせかすのだが、氏真は思い及ばないらしい。どうせ御屋形様はあちこち見て回りたがるのでしょう、という言葉が出かかったが、それを呑み込んで作り笑いで答えた。
「まあ、そうだな」
余り細かい事を気にしない性格なので氏真はやりやすい。
氏真は既に見たいものがあるらしく、木々を見回しながら鞍馬山へと入って行く。
「鞍馬山は雲珠桜がよいと聞いておる。雲珠とは昔の馬の鞍の飾りでな、桜の花が松や杉の間に混じって咲く風情からその名がついたと聞いた。山の名が鞍馬である事も由来であろうな……」
鞍馬山のあちこちに見られるという雲珠桜だが、まだ開花していなかった。
「ううむ……。雲珠桜を慕うて来たが、まだ心を開いてはくれぬという訳か。もう春の最中じゃがのう……。また来る故、その時には心を開いて花をつけてくれよ。うむっ、一首浮かんだ」
さらに山を登って行くと、谷が狭まり滝音が響いてくる。
「滝の音が勢いよく鳴り響いておる。どうやら春の温もりで氷が解けたようだの。うむっ!」
何のゆへとも知らす朝早く参下向す
又もこむ心ひらけようす桜春にも春そしたに待るる(1‐109)
谷せはみ奥は鞍馬の山おろしの滝の響は氷とくらし(1‐110)
鞍馬寺本堂まで登って本尊の毘沙門天を参拝した後、本堂脇の道をさらに奥に進むと僧正ヶ谷があり、一行は杉の木の下の岩を伝うようにして歩いた。
「この谷には鑑真和尚が大蛇を念力で滅ぼしたという言い伝えがあるそうな。牛若丸がここに住んでいた大天狗から武術を学んだという言い伝えもあるな。うむっ!」
苦労して険しい山道を下りると貴船川にでた。一行は川を渡って貴船神社に参拝した。
「この貴船神社は縁結びのご利益があってな、あの和泉式部もつれなくなった夫との縁を戻したいとここに来て歌を詠んだという。『ものおもえば、沢の蛍もわが身より、あくがれいずる魂かとぞみる』であったな。貴船川の蛍火が恋焦がれる自分の魂があくがれいでたようだ、という訳じゃ」
「なるほど」
いつもは歌に感動しない弥三郎だが、今日はつい感心してしまった。
「その歌に貴船の神が返し歌をされた。おく山にたぎりて落つる滝つ瀬の、玉ちるばかり ものな思いそ。魂が飛び散るほどに思い悩まないでくだされ、とな」
「ほうほう」
今日は珍しく弥三郎も歌も面白いものだな、と思えた。
その後氏真は歌を考えているようで、来るかな、と弥三郎は思ったが何事もなく神社の境内から外に出た。
貴船川に沿う道を南に下り始めた時、一陣の風が吹いた。
「昼なお暗い貴船山から吹き下ろす春の風は冷たく冴えておるのう。風に玉と散る川波も凍っていそうではないか。うむっ! 一首浮かんだ。きふねがわあ、おくやまかぜのお、はるさえてえ、たまちるなみもお、こおりなるらんん……」
「和泉式部の古歌を引きながら春なお冴える貴船川を詠まれるあたり、さすがは御屋形様にござりまする」
弥太郎がキリリと引き締まった顔をほころばせて言う。
「うむうむ」
この歌は弥三郎も悪くないと思った。
巌をつたひ僧正の谷より木ふねへ出
分入れは杉の下行岩伝ひ心くたくる山の陰かな(1‐111)
木ふね川奥山風の春さえて玉散波も氷なるらん(1‐112)
京への帰り路を南へと歩いて一行は昨日の宿を借りた市原までやってきた。
「昨日は夜で見えなかったが、この市原は都びとの狩り場であったというぞ」
「このあたりは小野の山道と申しまして、近くの小町寺には小野小町の墓があるとのことでござりまする」
弥三郎は気を聞かせて言ったつもりだったが、氏真は
「ううむ、小町が老いさらばえた挙句そのしゃれこうべから生えたススキがまだ生い茂っていると言うのであろう……。マロはそのような醜い物は好かぬ。どうせ作り話であろうし」
とだけ答えて通り過ぎた。行く前に仕入れておいた小町寺の話を昨日腹痛のせいで言いそびれたので、今日こそは言おうと思って教えたのだが。苦労が無駄になって弥三郎はがっかりした。
「市原といえば市原王の古歌を思い出すのう。『梅の花、香をかぐわしみ遠けども、心もしのに君をしぞ思う』というのじゃ。梅の香りを貴ぶように貴いと思って近寄れぬが、心は君を思っておりまする、というのじゃ。昔の歌を懐かしむように市原の梅も盛りではないか。うむっ!」
「今日は風が吹いておるが、競うように炭を焼く窯の煙が上がっておるな。しかし、煙が上がっても暖かくはならぬ。なお春寒し……うむっ!」
かへりには市原たしかに見て過をはら
のみち又一筋をのゝ山々といへり
物いはぬ心も下に市原や哀むかしと梅さかりなる(1‐113)
炭かまの煙は風にきほへとも猶春寒しをのの山道(1‐114)
「おお、このあたりに地蔵で有名なみぞろ池があるであろう。みぞろ池に参ろう」
一行は氏真によると京の六地蔵の一つだという近くの小さな地蔵堂を参拝した。
「みぞろ池といってもこれだけの池か、小さなものだのう。鳰(カイツブリ)がおらねば溜め池くらいにしか思わぬであろうな……。うむっ!」
その後は松ヶ崎に寄った。
「昔から氷室があったというが松ヶ崎は世々代々を経ても変わらぬようだな、二月になっても水が凍っておるわ……。うむっ!」
氏真は松ヶ崎から比叡山を遠望してまたはしゃいだ。
「おお、雲と霞が群がり起こってひえの山に大寺の八重垣が立っているようではないか。素戔男尊は『八雲立つ、出雲八重垣妻ごみに、八重垣作るその八重垣を』と詠まれたというな……。うむっ!」
「わが国最初の和歌を思い起こさせるよいお歌にござりまする!」
「うむうむ」
上機嫌な氏真はこのまま宿に帰ってくれるのかな、と弥三郎は淡い期待を抱いたが、その期待は打ち砕かれて、松ヶ崎からさらに下鴨神社まで連れて行かれた。
氏真は境内の糺の森をかなり気に入っているようだ。応仁の乱の際大部分が焼けてしまったというが、それでもなお古木生い茂る広大な森だ。叔父の信玄や祖父の信虎を始め多くの人に裏切られたという思いを抱いているので、糺の神の裁きを願っているらしい。
霞立つ糺の森の中は春でも寒かったが氏真は気にならない様子で半刻余り散策した。弥三郎にはつらいばかりだったが、氏真は
「糺の森におると心が清々(すがすが)しい想いに満たされるのう……。うむっ!」
という事だった。
一行はようやくの事で宿に戻り、疲れ切って棒のようになった足を洗い、伸ばして休んだ。
夕餉の後弥三郎は弥太郎と共に氏真に呼ばれた。
「明日はゆっくりするとしよう」
「御意」
願ってもない事だった。
「あさっては石清水に行くからそのつもりでな」
「はっ!?」
弥三郎は返事をしてからはっとした。石清水はここから五里もあるではないか。絶対日帰りできないが、氏真はどう思っているのか。思わず横にいる弥太郎と顔を見合わせた。弥太郎も探るような目付きで弥三郎を見ている。
「石清水は遠い故前日近くで一宿して参詣しよう。そのように手配を頼む」
「はっ」
氏真も考えていたのだと安心して弥三郎と弥太郎は返事をして引き下がった。
「今日も難儀でござったなあ」
二人の部屋で自分の足をもみながら弥三郎は弥太郎に話しかけた。
「そうですな」
と答えつつもキリリと引き締まった表情の弥太郎はきちんと座ってあまり気にしていない様子であった。まだ若くて元気があるのがうらやましい。
「石清水八幡宮といえば源氏の氏神で戦神。参詣が楽しみでござりまする」
「うむ、まあそうですな」
あまりかみ合わず盛り上がらない話をもうしばらくした後、二人は眠りに就いた。
みそろ池道の辺也山の末松か崎 藪里
是よりひえの山さし向き森みかけて過
あら小田につつむ水とやみそろ池菱のかれはに鳰のすますは(1‐115)
枩か崎代々の様也二月のけふさへ水の氷ゐるらん(1‐116)
住人はありやなしやの藪里も春にはもれす立霞かな(1‐117)
ひえの山雲も霞も八重立てなきを有かの嶺の大寺(1‐118)
行水の跡をたゝすの神社森さへうすく立霞かな(1‐119)
『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第12話、いかがでしたか?
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
本作の中心部分となる、
氏真さんの京都観光十九日目です。
今日は結構真面目な内容の歌が多かったですね。
和泉式部と貴船の神のやり取りをベースにして歌を詠む氏真さんはロマンチストです。
氏真は糺の森を気に入ったらしく、この後も足を運びます。偽りを正す糺の神の森ですから、自分は正義の側に立っていると言う自信がないと出来ない事です。
氏真さんはやはり「悪い奴らにだまされた!」という思いを強く持っているようです。
こんなブログもやってますので見てくださいね!
大河ドラマ「おんな城主直虎」を生温かく見守るブログ
http://ameblo.jp/sagarasouju/
本作は観泉寺史編纂刊行委員会編『今川氏と観泉寺』(吉川弘文館、1974年)所収の天正三年詠草の和歌と詞書に依拠しながら氏真の上洛行の全行程に迫ります。