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マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐  作者: 嵯峨良蒼樹
11/35

マロの止まらない京都観光(八)

氏真さんの京都観光十八日目。

奇首百出!

信長と駿河へ!

翌日二月十二日は氏真も昨日までの嵯峨野巡りで疲れたらしく珍しく昼まで何も言わず自室で過ごし、いくつか手紙を書いて使いの者に持たせただけだった。


 しかし昼を過ぎると突然、


「よし、今日は鞍馬へ参るぞ」


 と言い出した。


「鞍馬山でござりまするか!?」


 弥三郎は思わず声を上げた。ここから鞍馬山までの距離は二里ほどだが、山道を行かねばならない事を考えるとこれから出掛けるのであれば日帰りは無理だ。


「そうじゃ。鞍馬山じゃ」


「御意」


 弥三郎より先に弥太郎が答え、弥三郎を咎めるような目つきで見てから供の者たちに声をかけた。弥三郎もしぶしぶ腰を上げた。


 皆慌てて支度して出立したが、例によって氏真は行き先までまっすぐに進んでくれない。途中上鴨神社に立ち寄ったり、松ヶ崎を散策したりしている内に時が過ぎて行く。


 おまけに折悪しく弥三郎が腹を壊してしまった。氏真が方々をうろつくのが面白くなくて腹立ち紛れに道端になっていたへびいちごの実を摘まんで食べてしまったのが悪かったのかもしれない。弥三郎は便意を催して、


「申し訳ござりませぬが、それがしに構わず先に行って下さりませ」


 と頼んだが、氏真は


「大切な家来のそなたを置いて行くわけにはいかぬ」


 とこういう時だけ仏心を起こして放っておいてくれない。


 そうこうしている内に、日は傾いて、とうとう市原のあたりで日が沈んでしまった。


「このあたりが市原と申すか。市とは名ばかり、人影もないのう。うむ、梅の香りがする。匂い立つ梅が人里であるしるしになるばかりか……。うむっ、一首浮かんだ。なのみしてえ、いちはらのべはひともなしい、さとのしるべにい、におううめがかあ……」


「お見事にござりまする! 梅の香りだけから歌を詠まれるお手並みは正に奇手百出!」


 青い顔をしていた弥三郎だが弥太郎の今の言葉にはついぷっと吹き出した。氏真は京に着いてからこの調子でもう百首以上歌を詠んでいるはずだから、確かに奇首百出だ。


 弥三郎はうなぎの蒲焼きのにおいを嗅いで飯を食うケチの話を思い出して腹の痛みを忘れてしばらくニヤついていた。


 もうしばらく川沿いの道を歩いたが、いよいよ夜の闇が濃くなった。鞍馬山を照らす月が道を照らしてくれるかと期待したが、霞んでぼんやりしている。



 鞍馬参詣路次遅らする事有て市原の辺 

 日入ぬ梅幽にみえて里遠し 


 名のみして市原のへは人もなし里のしるへに匂う梅かゝ(1‐106)


 河そひの道はくらまの山端にしるへかほなる月も霞める(1‐107)



「近くに帰源院なる寺の里坊がございましたので、そこに宿を貸してくれるよう話を着けて参りました」


 弥太郎が駆け回って今夜の宿を取ってくれたので一行は休む事ができた。氏真も弥三郎の具合が多少は良くなっている事を確認してから眠りに就いた。



 氏真は信長と対面した。


「駿河回復にお力添えのほど、伏してお願い申し上げます」


 信長は力強く頷いた。


「天下静謐のため今こそ武田と雌雄を決する時。共に手を携えて参りましょうぞ」


「はっ!」


「馬引け! これより武田を討つ!」


 信長は叫ぶように命を下すと、たちまちのうちに大軍を率いて出陣した。氏真は鎧兜に身を包んだ信長の横に並んで共に馬を歩ませる。


 やがて武田菱の旗印を立てた軍勢が現れ、指呼の間に迫った。


「かかれーっ!」


 信長が絶叫すると、織田の大軍は打ち物取って武田勢に襲いかかり、激戦が繰り広げられたが、見る見るうちに織田勢が武田勢を圧倒し、蹴散らした。


 勝ち閧を上げた織田勢は駿府まで遮るもののない快進撃を続け、とうとう駿府に着いた。今川館が昔と変わらぬ姿で建っているのが見える。


「さあ、参られよ」


 微笑みを浮かべる信長に促されて、懐かしい四脚門をくぐり館の奥の間に入ると、家康が下座に平伏して待っていた。氏真は当たり前の事のように上座に座った。


「御屋形様、とうとう本懐を遂げられましたな……」


 家康の眼から涙があふれ出した。


「家康はこの日をお待ちしており申した……」


「おお!」


 そうであったのか、家康は桶狭間以来この日のために戦い続けてくれたのか……。氏真の目からも涙が流れ、家康の手を取った……、


 その瞬間に氏真ははっとして起き上った。


 目を覚まして見れば、そこは市原のあたりの里坊だった。夜明けが近いらしく、鶏が鳴き出している。


 何と都合のよい夢想か、と氏真は苦笑いした。生まれて初めての上洛である故、物見遊山に明け暮れて気にしない振りをしていたが、心の奥底では信長の上洛を待ちかねるほど焦っているのだ、忙しくしていないと耐えられないのだ。自分にさえも隠していたそんな本心をこの夢で思い知らされた。


 人は誰しも我知らず自分の夢の実現を急ぐようだ。特に明日をも知れぬこの戦国の世ではそうなのだ。信長も、家康も、老いも若きも、男も女も、皆生き急ぎ、死に急ぐ。しかし、マロは流されまいぞ。


 そう念じて氏真はまた眼をつぶった。



 其夜は里坊に一宿暁方夢想


 人ことにしらてや夢をいそくらむ(1‐108)



『マロの戦国 ‐今川氏真上洛記‐』第11話、いかがでしたか?


本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

本作の中心部分となる、

氏真さんの京都観光十八日目です。


氏真さんの天正三年詠草の歌が既に百首を越えています。正月十三日から三十日にして、百八首。一日平均三~四首詠んでます。

「路次遅らする事」は何だったのか?

氏真さん、明け方の夢想から目を覚まして「人は皆知らずに夢を急ぐものか」という感慨に浸ったようです

おそらく駿河回復の事だったと思われます。……というお話だったのさ。

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