マーケット
「結局、その先のルートはつかめずか・・・」
公社の事務室。サユカから報告を受けたチャンは、溜息混じりに呟いた。
「はい、ここ数件の例と同じで、連絡は向こうからの接触のみで、いつも違う人間。お金や身柄の引き渡しも、完全に向こう主導で、新しい手掛かりとなるような情報は持っていないようです」
「こればっかりは、売人を泳がせる、というわけにもいかないしねぇ」
違法薬剤の取り締まりなどでは末端の売人を泳がせ製造元を手繰り寄せる、というやり方も可能であるが、ことが人身売買の場合その方法をとることはできない。バイヤーを泳がせ販売先にたどり着くまでに万が一見失ってしまったら、人一人の人生が大きく狂ってしまうからだ。取引を発見し次第取り押さえること。上のほうでは抜本的な解決の手法として、バイヤーが元締めに接触するまで泳がせる手法も考えるべきでは、という声も上がっているようだが、現場レベルの人間としては、目の前で無力な人間が売られているのを見て、その場で対処しないということは考えられない。
「甘いといえば甘いんだけど」
「いやですからね、絶対」
「私だっていやだよ、失敗したら目も当てられない。どう考えても公社としての理念に反するしね」
公社の理念。すなわち、利益は幸せな人がもたらす、である。
サユカにしてみれば、別に素直に人道とか社会正義を掲げればいいと思うのだが、公社の特に幹部クラスの人間は、かたくなに正しさを語るのを嫌う傾向がある。社会に奉仕するのはあくまで利益追求のためだ、という独特の理論武装は、公社に入社する際叩き込まれるのだが、サユカのような大戦後世代にとっては、いまいちピンとこないこだわりである。
「警察への連絡は?」
「タミが済ませました。いつもの身柄引き渡し要求がきてますけどね。一応通商保安案件として突っぱねてます」
「やっぱり要求がきてるか」
「ええ、彼らも面子だけは大事にしますからね。実際にきちんと取り締まってくれれば、こっちが出張ることもないんですが。まず間違いなく上層部ルートからの圧力もかかると思います」
「ま、それはこっちで処理するよ」
「助かります」
サユカの所属する公社の保安部は、あくまで国際間の通商に関する案件を取り扱うことしかできない。国内の犯罪行為は本来その国の警察が処理することになっている。というよりも、企業体である公社が、捜査、逮捕、勾留といった治安維持権限を保有していることが異常なのだ。そこが大戦を制した公社の特殊性であるのだが、やはり国家固有の組織との軋轢は避けられないのが現状である。
「それに気になるんですが」
「うん?」
「今回の一連の売買は、何かいつもと違うような気がするんです」
「ルートがつかめないってことかい?」
「それもそうですが、何ていいますか、こう」サユカは顔の前で見えないボールを持つような仕草をする「コンセプトが見えないっていうか・・・」
「ふむ」
「今まで取り扱った案件って、基本的に買い手がいたわけじゃないですか。で、そのニーズに合わせて子供やら女性やらを探す。尚且つバイヤーによって得手不得手がある、みたいな感じですよね」
「それは当然だ。昔とは違う。基本的にバイヤーたちは売り先がないと動かない。おおっぴらにできない以上、どこかにストックしてから顧客を探すのは、コストがかかりすぎるからね」
「そうです。それが大原則で、だからこそ買い手サイドへのアプローチで話を未然に防ぐという手段も取ることが出来ました」
チャンの眼光が鋭さを増してくる。普段は飄々とした上司が放つ圧迫感を感じながらも、サユカはそれに物怖じするようなタマではない。
「今日の案件を含め、この一ヶ月で抑えることができた4件ともすべて、買い手の顔が一切見えてきません」
チャンは相槌は打たずに、目線で先を促す。
「5人のバイヤーを捕まえてもルートが把握できません。更に買い手ラインからも全く浮かび上がるものもありません。市場として第三フェーズに入ってしまっていると推測します」
産業というものは、供給者がダイレクトにエンドユーザーに商品を提供する第一段階。その2者の間に単純仲介が入る第二段階。そして仲介が一旦在庫を請負いその上で顧客を開拓する第三段階という形で、段階的に発展する。これは市場規模の拡大に連動する段階変化のため、第三段階に入ったということが事実なら、市場規模は一定のラインを超える所まで達していることを意味する。
通常の産業の場合であれば、経済発展の観点からすると、この流れは歓迎すべきものだが、アンダーグラウンドの最たる人身売買においては、暗澹たる3つの事実を表していることになる。人身売買市場が発展に続けているということ。売買が個人ではなく組織によって運営されていること。そしてその組織が一定の秩序を形成しているということである。
「それともう一つ、これも印象に過ぎませんが」
サヤカの瞳が深く沈む。
「"魔王の残党"のにおいも感じるんです」