人買い
七橋公社とひと口に言ってもその業務は非常に多岐にわたり、一般に生活しているものにとって、どこまでが公社より提供されているサービスで、どこまでがそうでないかを見分けるのは難しい。それは実際に公社の中で働いている社員にとっても同様で、サユカもたまに何気なくかった化粧品のメーカーが、同じ公社の一員が作ったものであることをあとで発見することもある。
人々が公社と聞いてまっ先にイメージするものは二つ。一つは鉄道や国家間ハイウェイ、あるいは船や航空といった、移動手段としての公社の存在である。かつて100億に届くかという人口も今は10分の1程度となり、国家は都市国家として世界に点在している。特に多国籍企業としての公社は、国家間の人と物の流通を一手に握っているといっても過言ではない。企業にあるまじき強大な軍隊も、名目としてはその航路の安全を確保するために存在している。
そしてもう一つが「端末」サービスの提供である。この端末はもともと暴君が、統一政府を樹立した際、国民全てを一括管理するために、所持を義務づけたものである。目的は国民の一元管理という、帝国らしい目的で作られたものだが、公社が帝国打倒後、そのシステムを流用し、通信、身分証明、情報検索など様々な機能を持つ、統合情報端末として定着させたものである。当初は批判も多かったこの端末の流用は、公社による徹底した情報開示によって、市民のなくてはならない必需品となっている。特にこの端末の管理という業務が、公社をして通常の企業と一線を画している部分でもある。
サユカが所属するのは、この端末サービスのお客様相談窓口業務の特殊案件2課という部署に当たる。
「通称よろず引き受け課」
「ん、サユカ。何か言った?」
「何でもないよ」
サユカは同僚のタミと、決して治安が良いとは言い難い、しかし賑わいと活気にあふれた通りの屋台で遅めの昼食をとっていた。不揃いのイスはパイプ製や木製やらでばらばら。テーブルはないよりましという程度のもの。一応その上に雨よけの傘もあるが、これはないほうがマシの代物だ。褐色の肌を持つタミと違って、この国では上流階級の証となる金髪碧眼のサユカは、そのままでは目立ってしまうので、ニット帽をかぶり薄めのサングラスをつけ、目立たなくしている。若い女性の二人連れが来るような店ではないが、二人の慣れた様子に怪しむものはいない。
「んー、おいしい」
薄く焼いた米粉の皮を手のひらに乗せると、それに甘辛く焼いたネギと豚肉を乗せて半分食べ、タミがうれしそうにほほに手を当てる。伝統的なクーベイ庶民料理だ。幼めの外見と、こういう同性から見ればなんだかなぁという仕草とで、社の内外を問わず浮いた話は事欠かない。
「あんたのおごりだからね」
具を乗せた米粉皮をタミに突きつけてサユカは宣言すると、上品な外見に似合わず、一口でかぶりついた。
「えー、なんでよぉ」
「わんうぇうぇわわいわお」
「口に物入れながらしゃべらないで」
サユカはタミをひとにらみすると、大米茶で口の中のものを流し込む。
「なんでじゃないわよ。あれだけ秘密だっていったでしょ!」
「ああ、そのこと。だってやっぱ部長には報告しとかないとさぁ」
「あんたはただ単に部長と盛り上がりたかっただけでしょ」
「そーなのよ。部長も食い付きがよくって、すごく話が弾んじゃった」
酒の席とはいえ、あのことをタミに話すなんて。自分の不注意さにサユカは泣きたくなった。
「サユカはいいよね。護衛官としてしょっちゅう部長と一緒でさ。あたしなんて普段はしゃべる機会なんてないんだから」
「別にほかの話題見つければいいじゃない」
「えー、でも受けたし」
「受けたし、じゃない!」
タミはチャン部長にぞっこんである。大戦を経験し、上層部の信頼も厚い有能な現場指揮官。そういえば聞こえがいいし、確かに事実ではあるが、直属のサユカにとっては、いまいち何を考えているかわからない、油断の出来ない上司である。大体妻子持ちだ。
「しかも、ヒモってなによ」
「だってヒモじゃん。年下の男の子だったらツバメでもいいけど。でもなんでツバメっていうんだろうね。ヒモは何となくわかるけどさ」
「いや、私はヒモってのもいまいち意味がわからないけどって、そうじゃなくて、私はひもに捕まったこともツバメをかこったこともない!」
「でもさぁ、サユカ」
「なに」
「いま、男の人と一緒に住んでるんだよね」
「そうよ。別にいいでしょ。」
「で、その人はいま何をやってるの」
「・・・家にいる、かな」
「昨日は?」
「家にいた」
「明日は?」
「家にいると思う」
「つまり無職だってことだよねぇ」
「そりゃそうだけど、別にだからと言って・・・」
「どんな出会いなんだっけ」
「・・・」
「バーで酔いつぶれたところを介抱して、家に連れて帰って、そのまま朝を迎えちゃったんだよね」
サユカは無言で三つ目をほほばった。
「それから一か月、サユカが仕事してる間は、彼は部屋の掃除をしたり洗濯したりご飯の準備をしたりしてるんだよね」
四つ目の作成に入る。
「それってヒモっていうんじゃないの?」
サユカは四つ目を手にしたまま、必死に反論を試みた。大体ヒモっていうからには、金銭的にたかられて初めてそう呼ぶものであるはずだ。借金を返すためとか、ギャンブルのためとか、はたまた将来の夢のためとかで、お金を要求されて初めてヒモに捕まったと言えるのではないか。したがってクロックは、同棲相手ではあってもヒモではない。以上証明終了。
「だいたいさぁ」
「しっ」
と、サユカの表情が不意に真剣なものに変わった。
「あたり?」
タミもそれまでのゆるんだ雰囲気を引き締める。楽しいとはお世辞にも言えない任務の気を紛らわすための、軽愚痴の時間もここまでのようだ。
「うん」サユカは意識を集中するように眼を閉じる「間違いない。現行犯よ」
「どこ?」
「タミから見て3時の方向に15メートル。果物屋の2階の一番奥の部屋。中年のコウ族風の女性と、30歳ぐらいのスーツの男。銃を持ってるわ。でもって4歳ぐらいの女の子」
「了解。建物確認した。いこか」
二人が席を立つ
「大将、勘定ここに置いとくね」
タミはコインをテーブルに置いて、すでに対象に向かって歩いてるサユカの後を追った。
かつてこの国は300年にも及ぶ階級社会を形成していた。最下層に位置する人々は、人として扱われることはなく公然と売買の対象になり、そのための専門のバイヤーや市場が公然とまかり通ってきた歴史がある。大戦以後、公には階級制度は撤廃されたが、その忌まわしい文化は地下に潜った分より悪質となり、社会に暗い影を落としている。
二人はその人身売買のバイヤーがこのあたりを縄張りにしているという情報を得て、張り込んでいたのである。
サユカは昼間でも薄暗い階段を駆け上がると、3つあるうちの一つの扉を、迷わず蹴り上げた。木製のドアが部屋の内側へふっとぶ。先ほどのセリフどおり、中年の女性とスーツの男。そして小さな女の子が、広さは十分だが、調度品のほとんどない部屋にいた。
女性がおびえたように眼を丸くする。少女の表情は変わらない。スーツの男が舌打ちをすると右手を懐に入れ、銃を抜こうとする。扉が蹴破られて物の一秒も立っていない素早い反応ではあったが、サユカはその時点で男を間合いの中に入れていた。
懐に入れた右手ごと強烈な前蹴りをくらい、男は壁まで吹っ飛んで気を失った。右手があり得ない角度で垂れ下がる。
扉の外で銃を構えて援護の体制に入っていたタミは、一瞬の決着に肩をすくめると、札束を握りしめたまま固まっている女性の腕をとり手錠をかけた。札束が床に散らばる。反射的に拾い集めようとか噛みこんだ女性は、そこで我に返ったように、この騒ぎの中全く表情の変わらない自分の娘に目をやり、そしてそのまま泣き崩れた。
「第17協定に基づく公社治安維持権限を持って、貴女を拘束いたします」
タミが事務的に宣告する。
少女はすべてのことに関心を持つことをあきらめたように、ただ窓の外を眺めている。自分の母親に目もくれない。
サユカはその様子を見つめ、そして気絶している男の顔面に蹴りを入れた。