急転直下(2)
エドガーはシェリーを部屋まで運んでくれると、自室のほうへ退散した。五分待つので寝間着に着替えるよう指示されている。大人しく着替えたあと、シェリーはベッドに寝転んだ。午前の訓練後は皆、魔法やシャワー等で簡単に体を清めているので、衛生的には問題ない。
きっかり五分後、扉がノックされたあとにエドガーが部屋に入ってきた。ベッドで寝ているシェリーを見て頷く。ベッドの傍に跪いたエドガーが、「ちょっと失礼」とシェリーの額に手を置く。冷たかった。
「これは熱がありますね。体温計を渡しておきますのであとで計っておいてください」
「すみません……」
ベッドに寝転ぶと、気が抜けたのかドッと体が重くなった。体調がどんどん悪化していくのを嫌でも自覚する。
「今までずっと頑張ってきたので、疲れが出たんですよ。むしろこれまでよくもちました。しっかり眠ることです。飲み物、持ってきますね。夕食については体に負担がないものを用意します。食べれそうなら食べてください」
「はい……ありがとうございます」
「扉は開けておいてもいいですか? いつでも呼んでください。今日は部屋で仕事しますので」
「そんな、大丈夫です。エドガー様にそこまでご迷惑はかけられません」
シェリーは少しびっくりした。この程度でそこまで看病してもらうのは過剰である。ベッドに寝かせてくれるだけで十分すぎるのだ。
エドガーは「そう言うだろうと思った」みたいに微苦笑した。
「我が国に来て初めて、ようやく体調を崩したんですよ。心配なんです。直属の、大事な大事な部下ですからね」
シェリーの瞼の上に、エドガーの大きな手が覆い被さる。必然的に目を閉じると、体は眠りに誘われた。シェリーが自分で思っている以上に、体に負担をかけていたのかもしれない。
「こういうときくらい、甘えてください」
それともエドガーは魔法を使ったのだろうか。
シェリーはそこで意識が途切れた。
○
すぅっとシェリーが眠りに落ちたのを感じ、エドガーは手を離した。幼子にする『よく眠れるおまじない』がこんなに効くとは。シェリーの体は本人が知覚している以上に悲鳴を上げていたのだろう。おそらく、ずっと、この国に来る前からずっとだ。
あどけない寝顔を見つめ、エドガーの表情が緩む。純真で真っ直ぐで、馬鹿正直で誠実なこの娘に夢中なのだ。
並々ならぬ執着心をもって恋をしている。とっくに自覚している。
薄々気付いてはいたが、本格的にスイッチが入ったのは彼女がリトとダンスしている光景を見たあのときだ。凜々しい軍服姿も素敵だが、ドレスアップしたシェリーは可憐で美しく、『姫君』という言葉がまず浮かんだ。
シェリーの微笑みの先には自分ではなくリトであり、手を取り合って密着していた。それを視認した瞬間、腹の底から怒りや嫉妬がマグマのように湧き出てきた。ぐつぐつと煮えたぎるような嫉妬は醜く、二人にそういったつもりはないのも百も承知で、それでも悋気が引かない。
その瞳はエドガーを見ているべきだし、手を取り合うのは自分しか認めない。
格好悪くても、嫌みを言う口を閉ざせない。
自分にここまで爆発するような感情があるなんて初めて知った。
「ドキドキしている」というシェリーの一言に、コロリと機嫌がよくなる自分が可笑しくて滑稽で、でも気分が良かった。
思っていたとおり、シェリーは男女の恋愛ごとに非常に疎いようだった。揶揄うのが楽しくて仕方ない。いつも良い反応をしてくれるので、手応えは悪くないように思う。
いいように揶揄われているとシェリーは思っているだろうが、その実、手のひらで転がされているのはエドガーのほうだ。彼女の一言、ちょっとした反応、その一つ一つに舞い上がり、心臓をギュンと痛め、何度も頭の中でリフレインさせては悶えているのだから。
どうやったら俺のものになってくれるだろう。
いつ、俺のものになってくれるだろう。
そんなことばかり考えているのを、彼女は何も知らず、信頼してくれている。
「ほんとうに、可愛らしい」
シェリーに毛布をかけてやり、一度部屋を出た。シェリーの枕元に置く飲み物を用意して、夕食は消化に良いものを頼んでおき、仕事を部屋に持ち込む。入口のほうからそっとシェリーの様子を伺うと、健やかに眠れているようだ。安心し、仕事に戻る。
それから一時間ほど経ち、大丈夫だろうかとシェリーの部屋をそっと覗く。毛布は乱れており、耳を澄ますと息が少し荒くなっていた。
「失礼しますよ」と部屋の中に踏み入り、シェリーの状態を確認する。顔は赤く、熱が上がってきているようだ。そっと額を触ると、やはり先ほどよりも熱い。
事前に用意していた器に水を入れ、魔法で氷水を作る。タオルを浸して絞り、シェリーの額に乗せてやった。脇の下や脚の付け根も冷やすと効果的だが、流石にできない。
「……う、申し訳、ございません……」
冷たい感触に目を覚ましたのか、シェリーが目を閉じたまま喋った。
「大丈夫ですか、シェリーさん」
「……殿下を、お守りする者として、体調管理ができ……ず……」
悪夢にうなされているようだった。顔がどんどん険しくなっていく。おそらく母国にいたころの夢を見ている。
「シェリーさん、ここはユートリアですよ。あなたを脅かすものはありません」
自分が持ちうる優しさを全て込めたような声でエドガーは話しかけた。少しして、シェリーの目が薄ら開く。ぼんやりしていた瞳がエドガーを見つけ出し、焦点があった。
「体、無理していたんじゃないですか? もっと頼ってくれていいんですよ。俺だけじゃなく、周りにも。……俺は、もっと甘えてほしいですけどね」
「……。頼る」
「そうです。シェリーさんはいささか、何でも自分一人でこなして、自分一人で我慢しようとする癖がありますからね」
「……私は、周りがちゃんと見えていなかったのですね」
シェリーの瞳に、悲しみのような陰が翳る。
どうしたのだろうとエドガーの心が揺れた。まだ半分悪夢の中にいるのだろうか。
「病気のときは気弱になるものです。シェリーさんは十分すぎるほど周りを見ていますよ。訓練では見事な連携を取り、事務仕事だって先回りして色々してくれるじゃないですか」
シェリーはぼんやりとエドガーを見つめている。話した内容が届いているのか不安になるような目だ。
「……それとも、そういったことを言われたことがあるのですか?」
シェリーは頷いた。エドガーは続きを求めるように小首を傾げる。
「昔、元婚約者のアーサーに……。『お前は人の心がわからない。致命的な欠陥のある人間だ』と。アーサーには色々なことを言われてきましたが、この言葉だけは、ずっと、胸に刺さったまま忘れられない……。それはたぶん、真理だから……」
シェリーは自分に語るように言い、すぅっと目を閉じた。
エドガーは毛布の下にあるシェリーの手を探りあて、ぎゅっと握った。ぱちり、とシェリーが驚いたように目を開ける。
「そんな言葉忘れてしまえ」
「……エドガー、様?」
思わず低い声が出てしまったのを誤魔化すようにエドガーは咳をした。
「人の心なんてわかりません。わかるはずもないんです。でもシェリーさんは理解しようと話を聞ききますし、寄り添ってくれるでしょう。アーサーとかいう男は無い物ねだりで、自己愛が強いとしか思えません」
エドガーは断定した。幼少期から婚約していたようだし、シェリーとアーサーの間にも何かしらあったのかもしれないが、全て切り捨てた。もうそんな男の言葉で悩んでほしくないし、思い出してほしくない。そんな言いがかりみたいな言葉で憂いてほしくない。
予想外に強い言葉だったのか、シェリーがぽかんとした。「……自己愛」と小さく呟き、もう一度繰り返した。
「……ふふ。私にそんなことを言ってくれたのはエドガー様が初めてです。アーサーは王太子ですからね。彼の名誉のために言いますが、当たりが強かったのは私にだけです。ほかでは、ちゃんとした王子でしたよ」
元婚約者のことをかばわないでほしい、など、ひどく狭量な男であると自嘲してしまう。
そういったキレイじゃないどす黒い感情は腹の中にきちんと押し留め、エドガーは優しく微笑む。
「わかりました。一応心に留めておきますね」
「ふふ。エドガー様、ありがとうございます」
エドガーは重ねていたシェリーの手を解放し、毛布から手を抜いた。
「体調が回復したら、シェリーさんのこれまでの話を聞きたいです」
「はい。……あの、エドガー様にご相談したいことが、あります」
少し不安なのですが、とシェリーは耳元のピアスを触った。片耳にだけ着けているそれを、そうやってたまに触っているなとふと思う。心許ないときの癖なのだろうか。
「いくらでも聞きます。俺は、あなたがこの国に来てくれて良かったと、心から感謝しているんですよ。もう母国には帰しませんからね」
冗談交じりの励ましだと思ったのか、シェリーは可笑しそうにふわりと笑った。
(こういうところで暢気なんだよな……。俺に目をつけられて、もう国に帰りたくても帰れないのに)
シェリーが『アーサー』と気安く名前で呼ぶのにも腹が立った。
(嫉妬で狂う前にご褒美がほしいな。シェリーさんから)
思わずエドガーが微笑むと、シェリーの目がぱちぱちと瞬いた。己のうちに潜む悪辣さが滲み出てしまっていたのかもしれない。
「少々喋らせすぎてしまいましたね。おやすみなさいシェリーさん」
こくりと頷いたシェリーは大人しく目を瞑った。
従順とも言えるこの素直さが、いつもエドガーの心臓をゾワリと撫で上げる。
(そろそろもう少し警戒してもらうべきか……?)
距離を見誤って嫌われるのだけは避けたい。けれども近づきたいし、そろそろ自制がきかなくなる。
難しい問題だ。




