狼煙
「おい、こっちだ!」「はい!」廃墟の闇に、五人の特殊部隊が静かに足を踏み入れた。任務は機密。周囲には埃と蜘蛛の巣だけが薄く層を成し、かつて人がいた痕跡をかすかに残している。噂では、ここに“謎の生物”が棲みつき、先に入った隊員たちは全員行方不明になっているという。「総員、待機! これより、例のエリアに突入する! 目標を発見次第、即座に発砲せよ。どのような姿形だろうと、迷わず撃て!」「はっ!」「突入!」五人は息を合わせ、一歩一歩を慎重に進める。銃火器の先端にわずかな光が反射するたび、床に散る埃が舞った。中は何もない。壁の剥がれ、崩れた天井、干からびた家具の残骸。だが空気が異様に重い。何かが、こちらを見ているような気配がする。「何もない・・・のか」「隊長、これ」一人が指差した先。古い制服が床に広がっていた。裂け、血痕はない。ただ、ズタズタに切り刻まれている。「やはりここで!」言いかけて、全員の視線は天井へ向かった。瞬間、冷たい視線が全員を貫いたように感じられ、五つの瞳が一斉に上を向く。天井は闇に包まれている。だが何も見えない「はぁはぁ・・・・何なんだよこれ」「気を抜くな。奴らはどこからでも現れる」「・・・・・隊長?」「どうした」「どうして、奴らが複数だって分かるんですか・・・・?」隊長は答えなかった。代わりに、何か得体の知れない厳粛さが表情を支配したその瞬間、彼は銃を構えたまま味方たちに向けて発砲した「なっ!」弾丸が仲間を貫き、逃げ遅れた一人が床に倒れる。残る四人は本能的に散開し、蜘蛛の子を散らすように退避した。隊長は追いかけたが、廃墟にこだまするのは自分の胸音と遠ざかる足音だけ。仲間の姿は消えていた。「にげ・・・・た」隊長は膝をつき、その口元から大量の蜘蛛が蠢くように這い出した。唇から、喉から、無数の小さな肢があふれ出す。彼の身体はみるみるうちに空気を抜かれた風船のように萎み、最後には体液を床に撒き散らして動かなくなった。出てきた蜘蛛は一ヶ所に集まり、たちまちまとまりを成す。ついには人の形を取り、古びた着物をまとった女へと姿を変えた。「ふひひ・・・やっぱり銃は、人を殺すには楽な道具・・・・」女はぽいと銃を投げ捨てると、また蜘蛛へと分解して周囲に散らばっていった。廃墟の暗闇は、まるで次の獲物を待つための静謐な舞台のように戻った。「いまご覧いただいたのが、廃墟で起こった事の顛末です。監視カメラに映っていた女が、隊員たちを次々と殺害しました」会議室のモニターに流れる映像を見つめながら、報告担当が淡々と説明を終えた。出席者の顔は硬い。「しかし、こんな相手にどうやって勝てばいいんだ?」質問したのは、局内でも年季のいった老刑事風の幹部だった。周囲の空気は重く、沈黙が一瞬支配する。「方法は三つです。第一は完全密閉した閉所に閉じ込める。第二は逃げられないように廃墟を炎上させる。第三は殺虫スプレーです」「殺虫スプレーってねぇ(嘲笑)」報告者は冷たい視線を浴びせられても平然としている。彼の顔には、どこか諦観にも似た冷静さがあった。「正直に申しまして、これ以上の方法は特にありませんね」「もっと考えたのか!」「考えましたとも。貴方達が無駄に殺した隊員三十五人の命を元に──ね」その言葉に部屋がざわつく。スーツを着た男はノートパソコンを閉じ、会議室を出て行った。「なんだあの男は!」「彼は国家安全保障係、特殊事象対策部隊の若きエース、中目フートです」説明したのは、隣に座る若い係長。だが声には抗いがたい重さがある。中目フート、二十五歳。彼の過去は痛みで満ちていた。十二歳の頃、家族を謎の能力者に目の前で皆殺しにされ、その復讐心が彼を特殊事象部隊へと駆り立てた。高校卒業後、国家安全保障係に入隊。才覚を発揮しわずか半年で副隊長に、二十四歳で隊長に任ぜられた。だが彼は、自分の能力を誇りにはしていなかった。彼の能力は、指先から噴き出す濃い煙。煙幕を作り、相手の呼吸を奪う。ただそれだけだ。中目はその力を「道具」として厭い、滅多に使おうとはしない。「どうすればあの蜘蛛女を倒せるか・・・」中目は誰にも聞かれないように呟きながら歩いていた。胸の奥がざわつく。会議で示された三案はどれも犠牲前提で、彼の性分に合わない。そんな時、目の前に一人の人物が現れた。驚くほど清潔なスーツを着た紳士で、所作は静かだが確かな圧がある。「中目フート様ですね?」「はい・・・・・」「私は暁の尊様の側近でございます」「暁の尊……あぁ、昔この国のトップだった方か」「はい。今回、貴方様にお力をお借りしたく参りました」中目は即座に首を振る。断る理由は一つだ。「そんなの断るよ。俺はこの力を名誉とは思ってない」側近はわずかに頷き、しかし口元に薄い笑みを浮かべた。「尊様は先日、とある凶悪な特殊能力者と対峙され、限界を超える力を出されました。現在は回復傾向にありますが、まだ完全ではありません。その者が生きている可能性が高く、いつまた暁を襲うか分からないのです。共に戦っていただけませんか」「盾になれってことか?」「盾というより、共に戦っていただきたいのです」「無理だ」側近は淡々と名刺を差し出す。「もし気が変わりましたら、こちらにお電話ください」中目は名刺を財布に入れ、職場へと戻った。普段は身分を偽り、一般企業のサラリーマンとして生活している。部隊は常に潜伏し、緊急時にだけ動く。彼は自分の能力を“煙”としか理解していない。だが、夜道を歩く彼の胸には、いつの間にか小さな決意が灯っていた。誰かがまた、あの女のように人を喰らう前に。自宅へ着くと妻が出迎えてくれた。自宅の玄関を開けると、すぐに明るい声が飛んできた。「おかえりなさぁい!!!!」妻が勢いよく飛びついてくる。「ごめん……今日ちょっと残業で」「んもー! 待ってたんだから早くご飯食べよ!」中目は苦笑しながら、部屋に上がった。ジャケットを脱いでソファに鞄を投げる。「こらっ! 鞄投げない!」「すんません」「そろそろ出来るから、席についてくださーい!」テーブルには、湯気を立てるサバの味噌煮と白米。味噌の香りが部屋に満ち、胃袋を刺激する。一口食べると、舌の上に濃厚な旨味が広がった。白米はほどよく柔らかく、味噌に染みたサバの脂と絡み合う。「今日も最高だね」「でしょー? もっと食べていいよ」箸が止まらない。結局、サバを二枚、白米を五杯たいらげた。「たくさん食べたねぇ!」「うん、すごく美味しかった」食後、風呂に入り、一日の疲れを湯に溶かす。すると湯気の向こうから妻の笑顔が浮かんで見える気がした。寝支度を始めると、妻がふいに抱きしめてきた。「どうしたの?」「んー? お仕事疲れちゃったぁー」「お疲れ様です」「ありがとーごぜーやす!」二人で笑い合い、そのまま寄り添って眠りに落ちた。翌朝。雨音で目が覚めた。窓の外は灰色の空、細かな雨が止む気配もない。「けっこう降ってるねぇ」「そうだね・・・休みでよかったよ」「んねー!」妻がカーテンを開け、ベランダの外を覗く。中目もつられて視線をやると、手すりに一匹の蜘蛛がじっと座っていた。どこか見覚えがある。「こいつ・・・・・!」中目の指先から、淡い煙が立ち上がった。煙は生き物のように伸び、蜘蛛を包み込む。小さな影はもがく間もなく動かなくなった。無言のまま中目はその死骸を特殊なケースに収め、本部へ通信を入れる。「どうした?」「いや・・・今日はずっと家だね」短く答えると、ケースをさらに厳重な容器に収め、自室の奥へとしまい込んだ。「最近お仕事どう?」「まぁまぁかな」「そっかぁ~まぁまぁかぁ~」コーヒーを淹れながら、他愛のない会話を交わす。いつも通りの穏やかな朝。そう思ったのも束の間だった。ふと、視界の端に動く黒い影。床、壁、天井――いつの間にか部屋のあちこちに同じ蜘蛛が一匹、二匹と現れ始めた。「ねぇ・・・自分の部屋に入っててくれないかな?」「どーして?」「ほら蜘蛛」「きゃあああ! 早くやって!」「わかった。いいよって言うまで開けないで」妻を自室に避難させ、扉を閉める。その瞬間、蜘蛛たちが一斉に群がり、人型を形成し始めた。黒い塊がうねりながら、やがて“女”の姿になる。「お前・・・・」「あらぁ~、ばれちゃった」その声に、ぞわりと肌が粟立った。「何の用だ」「あなたを殺しに来たのよ~」「奇遇だな。俺もお前を殺したくてたまらなかった」「あら、両想いね」「ぶっ殺す」中目の全指先から煙が一斉に噴き出した。女は嘲笑いながら蜘蛛へと姿を変え、部屋中を這い回る。「その戦法はもう対策済みだ」煙を壁に向けて放つと、蜘蛛たちは次々とポロポロと落ちていく。「ゲホゲホッ!煙たいわねぇ」女は蜘蛛の群れで鞭を形作り、しなやかに振るった。鞭が床を裂き、中目は床を転がって避ける。(どうする・・・・煙だけじゃ押し切れない)「あなたばかぁ?」「馬鹿ねぇ」「そうよ、ばかぁ」正直、勝ち目がないと思った。力でも技でも勝てない。だがもしあれが効くなら、これをやって大正解だった。中目は床の近くに転がっていたビール瓶を掴んだ。その中にはぎっしりと蜘蛛が詰まっていた。「なっ・・・それ!」「あんたが鞭で攻撃してきた時、地面に落ちてた蜘蛛を集めてたんだよ」「ぐぬぬ! 返しなさい私のベビー!」女が突っ込んでくる。中目は瓶の蓋の小さな穴から煙を流し込んだ。「ぐっ・・・・おえ・・・・」「体が蜘蛛でできてんなら、この数に煙を流し込んだらそりゃ効くだろうな」女は苦しみながら膝をつく。喉を押さえ、息を求めて痙攣していた。「あなた・・・絶対に殺すわ!」「やってみろ」中目は女の伸ばした手を踏みつけ、全身に煙を叩き込む。「おおおおおおお!!!!」「近距離なら一瞬だ」女は絶叫し、崩れ落ちた。「答えろお前は何者だ」「ふふもう今さら聞いたって遅いわ」女は笑みを残したまま意識を失い、体が細かく崩れ、無数の蜘蛛へと戻っていった。「女が本体じゃなかったのか。こいつが“女王蜘蛛”」中目は全ての蜘蛛をケースに入れ、本部へ連絡を入れる。「蜘蛛の女、倒しました」「本当か!?」「はい、正体は女王蜘蛛でした。あれが数多の個体を操って、女の姿を形成していました」「なるほど・・・ではその標本を至急こちらへ」「了解」任務が終わり、静まり返った部屋に戻る。中目は妻を自室から出そうとした。ベッドの上、妻はぐったりと座り込んでいた。「ねぇ?」呼びかけても返事がない。肩を揺する。「ねぇ、起きて・・・・ねぇ!」息をしていなかった。「嘘だろ」中目はすぐに救急車を呼んだ。サイレンが鳴り響く中、妻の冷たい手を握りしめる。「お願いだ頼むから、息をしてくれ」救急車内でも、妻は動かない。集中治療室に運び込まれ、扉が閉まる。中目はただ立ち尽くすしかなかった。数時間後、医師が現れた。「ご家族の方ですね」白衣の男は淡々と告げる。「奥さまは酸欠状態でした。口の中に何かを詰められた形跡があります。心当たりはありますか?」中目は何も言えなかった。あの煙か、それとも蜘蛛か。雨はまだ、止む気配がなかった。1時間後、中目は女王蜘蛛の標本を手渡すとポケットから携帯を取り出し、あの番号へと電話をかけた。受話器の向こうからは落ち着いた声がした。「はい、こちら暁の・・・」「中目です。尊様と共に戦わせてください」沈んだ声だが真っ直ぐな意志が伝わる。「これはこれは・・・誠にありがとうございます。」相手は感謝の意を伝え、手短に面談の約束を取り付けた。「詳しいことは口頭でご説明したしましょう。三日後、暁の館へお越しください」中目は了解の言葉を残し電話を切った。次にかけた電話は別の人物へだ。「おぉ、中目くん、どうした?女王蜘蛛の件でまだ何か?」中目は間髪入れずに答えた。「よく聞いてください。私たちは、尊様と共にこの国を守ります。」相手は驚き、戸惑い、やがて理由を確かめる言葉を探すが中目はもう決めていた。電話を切ると、家へ戻り、静かに荷物の整理を始めた。遺品整理のように、ひとつひとつを丁寧に詰める。これは旅立ちの準備でもあり、覚悟の表れでもあった。妻を傷つけた存在、恐らく暁全体を脅かす恐ろしい相手だと中目は直感していた。もうこれ以上、大切な人が泣くのを見たくない。耳に入る悲鳴を二度と聞きたくない。自分が動くしかない。煙のように相手を覆い尽くし、全ての外敵を絶つ。胸に燃える決意は冷めることがなかった。準備を終えると、中目は約束の日に暁の館へ向かった。館の門前にはあの側近が出迎えていた。「これはこれは中目様、わざわざご足労いただきありがとうございます」「先日はありがとうございました」「ではお部屋へご案内いたします」形式的なやり取りの後、側近は重厚な門を開け、中目を邸内へと案内する。絵に描いたような豪華絢爛な廊道を進み、最後に重い扉の前で一礼して去っていった。中目は深呼吸を一つしてから扉を押し開けた。そこにいたのは車椅子に座った青年だった。端正で、しかしどこか静かな威厳をたたえた顔。青年は口を開く。「貴方が中目さんですね。私は暁の尊と申します」中目は身を乗り出して応じた。「中目フートと申します。よろしくお願いいたします」案内されるままにソファに腰を下ろすと、部屋には不思議な緊張感と温かさが同居していた。「外は寒かったでしょう?何か飲まれますか?ハーブティーからフォークコークというナウいものまでありますよ」尊が微笑む。中目はハーブティーを頼んだ。すると、メイドが間髪入れずに二杯のハーブティーを運んできた。茶はほのかに花の香りを含み、飲むと不思議と心がほぐれる。「これは私の敷地内で育てたハーブでしてね。母の趣味なんですよ」尊はふっと笑った。「昔は私もあまり興味がなかったのですが、年を取ると味わいがわかってきます」やがて、話は本題へ移った。中目は妻の昏睡、襲撃の疑い、そして自分が見過ごしていた無力感について簡潔に打ち明けた。尊は真剣に耳を傾け、やがて静かに頷く。「素晴らしい心意気です。私もこの国を愛している故、気持ちは痛いほど分かります。ただ、二つだけお願いしたいことがあります」尊の声には揺るがぬ優しさがある。「諦めることと、命を投げ出すこと、この二つをしてほしくはありません」中目はその言葉を胸に刻み、誓った。尊はその誓いを受け入れ、歓迎の意を示した。話の終わりに、尊は唐突に笑顔になり、「お菓子でも如何ですか?最近お菓子作りに凝っていまして」と言う。中目は半ば呆れつつも承諾し、出されたクッキーを頬張った。ハーブが混ざったそのクッキーは想像以上に美味で、二時間ほど和やかな時間が流れた。思いのほか“今っぽい”尊の一面に、中目は軽く驚いた。館を出る頃、携帯が震えた。病院からの連絡だ。妻が目を覚しました。中目は走るように病院へ向かった。病室の扉を押すと、そこにはベッド脇で本を手にする妻の姿があった。目が合うと中目は言葉にならないほど安堵し、抱きしめた。「ごめん」「なんで謝るの?」妻は襲撃の記憶を持っていなかったが、命が無事であることが何よりだった。医師の診断では、状態は安定しており、一週間ほど入院して経過を見れば退院できるだろうという。中目は胸の中の安堵と怒りが混ざるのを感じながら、病院を出るとネクタイを整え、本部へ向かった。館での出会い、尊の言葉、そして妻の回復、すべてを上司に報告し、自分の決意と今後の行動を説明するためだった。中目の中で、もう迷いはなかった。彼はこれから先、守るべきもののために動き続けることを決めていた。「尊様、中目様の奥様の回復が確認されました」「ありがとう・・・彼には付き合ってくれたお礼をしなくてはね」「尊様・・・次に力になりそうな人物をリストアップ致しました」「うーん・・・ではこの方にしましょうかね」「承知いたしました、至急手配いたします」「よろしくね」尊様は窓から外を見上げて少し見える月を睨んだ。「アルケミカル・・・貴様を必ず・・・・」そういうと尊は残りのハーブティーを飲み干した。本部で説明を終えた中目は自分の指を見ながら考えていた。中目は今まで自分の能力は大嫌いだった。そもそも能力者自体大嫌いだった。しかし今はそんなことを考えている暇などない。自らができることをやるだけである。そう思いながらメガネを直し手袋を付け直すと自宅へと帰っていった。




