罠猟師のおっさん、魔王を罠に掛ける
第1章 ──魔王の罠──
翌朝、健一は夜明けと同時に目を覚ました。
身体に染み込んだ生活リズム。時計を見るまでもない。
雪がやんだ後の朝は冷え込むが、空気は澄んでいる。彼はストーブの上でお湯を沸かし、インスタントの味噌汁をすすりながら、防寒具を整えた。
「さて、行くか……。今日は、かかってるといいな」
山に入ると、雪は昨日よりもわずかに深くなっていた。
枝に積もった雪が風に舞い、森の中に白い霞を作っている。
健一は一本の獣道をたどり、昨日罠を仕掛けた場所へと向かった。
──だが、その場所に近づいた時、違和感があった。
「……おかしいな。音が、しない」
森は静かだ。
いつもなら鳥のさえずりや、小動物の気配が聞こえる時間帯だ。それが、まるで音が吸い取られたような静寂に包まれている。雪を踏む自分の足音だけが、妙に大きく感じられた。
不安を感じつつ、慎重に斜面を下る。
そして──それは、そこにいた。
「……なんだ、あれ」
罠にかかっていたのは、見たこともない巨大な鹿だった。
体高は二メートル近く、全身は黒に近い焦げ茶で覆われ、まるで鎧のような硬質な毛並み。
頭にはねじれるような異形の角が二本、禍々しく伸びている。
その目は真紅に光り、明らかにこの世界のものではなかった。
だが、罠は確かに作動していた。
右前脚がワイヤーに絡み、雪を蹴ってもがいた痕跡がはっきりと残っている。
「……え? いや、そんなはずは……」
健一が混乱しながら近づいた、その瞬間。
──《魔王の討伐に成功しました。経験値を獲得しました。》
頭の中に、直接響くような音声が流れた。
「……は? ま、おう……?」
音が消えると同時に、空中に突如、半透明のウィンドウが現れた。
まるでゲームのステータス画面のように、そこには健一の名前やスキル、レベルが記されている。
【名前】佐藤 健一
【職業】猟師(罠使い)
【レベル】1 → 7(UP)
【称号】魔王討伐者(初回ボーナス)
【スキル獲得】即席罠生成・野生の感覚・魔物識別
「な……にこれ……? 俺、ゲームなんてやったことないぞ……?」
呆然としていると、ふと風が吹いた。
空気が変わっていた。森の匂いが、微かに異なる。乾いた木の香りに、どこか甘ったるく、異様な匂いが混ざっていた。
健一が顔を上げると、太陽が──二つ、あった。
「……は? え?」
目の前の山はいつもと変わらない、はずだった。
だが遠くに見える木々の色が違う。空の色も、雪の反射すら、少しだけ"異様"に見えた。
「これ……どこだ?」
彼は気づいた。
自分はもう、あのいつもの山にはいない。
目の前の“鹿”──否、“魔王”を仕留めた瞬間、世界が変わってしまったのだ。