ep 9
宿屋の一夜
夕食後、三人は宿屋の一室へと向かった。質素ながらも清潔な部屋は、冒険者たちが一晩の疲れを癒すには十分な広さだった。部屋は一つしか空いておらず、今夜は三人が同じ部屋で過ごすことになった。
「えっと…その…」
サリーは少し頬を赤らめ、落ち着かない様子で視線を彷徨わせている。ライザはそんなサリーを見て、優しく微笑んだ。太郎は少しばかりの気まずさを感じながらも、内心では少しだけ嬉しかった。異世界に来てから、こんな風に誰かと一緒に夜を過ごすのは初めてのことだったからだ。
「ふふ、少し狭いですが、三人なら賑やかで楽しいでしょう?」
ライザはそう言って、荷物を隅に置いた。太郎も自分の荷物を適当な場所に置き、ベッドに腰を下ろす。サリーは未だ少し照れくさそうにしながらも、太郎の向かいの椅子に座った。
「あ、あの…太郎さん、何か飲み物でも買ってきましょうか?」
サリーは気を紛らわせるように提案した。
「ありがとう、サリー。でも、大丈夫だよ。もう夜も遅いし、ゆっくり休もう」
太郎は優しく答えた。ライザも頷き、
「ええ、明日はギルドで依頼を探しましょう。早めに休んで、明日に備えましょう」
と続けた。
部屋には穏やかな時間が流れた。三人は今日の出来事を振り返ったり、他愛もない話に花を咲かせた。ライザは冒険者ギルドの裏話や街の情報を面白おかしく語り、サリーは村での思い出や魔法への憧憬を無邪気に話した。太郎は二人の話に耳を傾けながら、次第に緊張が解けていくのを感じた。異世界での初めての夜は、温かく、そして穏やかに過ぎていった。
ライザが就寝の準備を促し始めた頃、サリーが少し寂しそうな声で言った。
「明日、初めての依頼ですね…」
太郎はサリーの言葉に、改めて実感が湧いてきた。明日から、自分は冒険者としての一歩を踏み出すのだ。期待と不安が入り混じった感情が胸の中に広がっていく。
「大丈夫ですよ、太郎さん。きっと上手くいきます」
ライザは太郎の心の内を見透かしたように、優しく微笑みかけた。その言葉に、太郎は少しだけ心が軽くなった気がした。
「ありがとう、ライザ」
「どういたしまして。…明日は、私が必ず太郎さんをお守りします」
ライザの力強い言葉に、太郎は小さく頷いた。それでも、胸の奥には拭いきれない不安が残っていた。本当に自分に、魔物退治なんてできるのだろうか。
その夜、太郎は何度も寝返りを打ち、なかなか寝付けなかった。
朝の別れと決意
翌朝、朝日が窓から差し込み、部屋を明るく照らした。太郎は浅い眠りから目を覚まし、ゆっくりと体を起こす。隣のベッドでは、サリーがまだ気持ちよさそうに眠っていた。ライザは既に身支度を終え、窓の外を眺めていた。
「おはようございます、太郎さん。よく眠れましたか?」
ライザは優しい笑顔で声をかけた。
「おはようございます、ライザさ。まあ、なんとか…」
太郎は苦笑いを浮かべながら答えた。正直、昨夜はほとんど眠れなかった。
「無理もありません。初めての依頼を前に、不安なのは当然です」
ライザはまるで自分のことのように理解を示してくれた。その言葉に、太郎は少し救われた気がした。
身支度を終えた三人は、宿屋の食堂で朝食をとった。簡単なパンとスープだったが、温かい食事は冷えた体を温めてくれた。
食事が終わると、サリーが少し申し訳なさそうな顔で言った。
「あの…太郎さん、ライザ、私、今日少しだけ別行動しても良いでしょうか?」
「別行動? どうして?」
太郎が尋ねると、サリーは少し恥ずかしそうに答えた。
「実は、街に魔法屋さんがあると聞いたんです。私、少しでも早く火属性の魔法を覚えたいと思って…」
サリーの言葉に、太郎は納得した。サリーは以前から魔法に強い憧れを抱いていた。
「なるほど、魔法屋さんか。それは良いね。もちろん、構わないよ」
太郎は快諾した。ライザも笑顔で頷いた。
「ええ、サリーが強くなるのは大賛成よ。でも、くれぐれも無理はしないでね」
「はい! ありがとう!」
サリーは嬉しそうにした
別行動が決まり、サリーは魔法屋へ、太郎とライザは冒険者ギルドへ向かうことになった。宿屋の前でサリーと別れる際、太郎は改めて不安な気持ちを自覚した。サリーの明るさがなくなるだけで、こんなにも心細くなるものなのか。
「心配ありませんよ、太郎さん」
ライザはまたもや太郎の心を見透かしたように言った。
「不安なのは、太郎さんだけではありません。誰もが最初はそうです。大切なのは、その不安な心をどう乗り越えるか、です」
ライザは足を止め、太郎に向き直った。真剣な眼差しが、太郎の心を見透かすように見つめている。
「私も、いつも怖いんです。魔物と戦う時も、未知の場所へ行く時も。でも、私が戦わないと、他の人がもっと怖い思いをするかもしれない。そう思うと、不思議と力が湧いてくるんです」
ライザの言葉は、太郎の胸に深く響いた。自分だけが不安なのではない。強いライザだって、怖い気持ちを抱えているのだ。それでも、彼女は前を向いて戦っている。
「ありがとう、ライザ。少し、気が楽になったよ」
太郎は深呼吸をし、顔を上げた。ライザの言葉は、魔法のように太郎の心を解き放ってくれた。
「さあ、行きましょうか、太郎さん。ギルドで、初めての依頼を探しましょう」
ライザは微笑み、再び歩き始めた。太郎もライザの背中を追いかけ、力強く歩き出した。もう、不安に押しつぶされそうだった昨夜の自分とは違う。今は、胸の中に確かな決意が灯っていた。
初めての依頼、ゴブリン退治
冒険者ギルドの扉をくぐると、昨日よりもさらに活気に満ち溢れていた。朝から多くの冒険者たちが集まり、依頼を探したり、仲間と談笑したり、思い思いの時間を過ごしている。
ライザは慣れた足取りで依頼掲示板へと向かった。壁一面に貼り出された依頼書を、一つ一つ丁寧に確認していく。太郎はライザの横で、少し緊張しながら依頼書を眺めた。魔物討伐、素材採取、護衛依頼…様々な依頼が並んでいる。
「ありました、太郎さん。ゴブリン退治の依頼です」
ライザは一枚の依頼書を指さした。
【緊急依頼】
依頼主:エルデン村
内 容:エルデン村周辺に出没するゴブリンの討伐
報酬:金貨5枚
詳細:エルデン村周辺の森に、ゴブリンの群れが出没しています。畑を荒らし、家畜を襲うなど、被害が拡大しており、早急な討伐を求めます。
「ゴブリン退治…ですか」
太郎は依頼書を読みながら呟いた。ゴブリンという名前は、異世界に来てから何度も耳にしている。弱いが、集団で襲ってくる厄介な魔物だと聞く。
「ゴブリンは、初心者向けの依頼として定番です。丁度良いでしょう」
ライザは微笑んだ。確かに、いきなり強力な魔物に挑むのは無謀だ。まずは、ゴブリン退治から始めるのが妥当だろう。
「分かりました。この依頼を受けましょう」
太郎は意を決して言った。ライザは嬉しそうに頷き、受付へと向かった。
ギルドの前で、魔法屋から戻ってきたサリーと合流した。サリーは少し疲れた様子だったが、顔は明るい。
「ただいま戻りました! 太郎さん、ライザ、魔法、少しだけですけど、覚えてきましたよ!」
サリーは胸を張って言った。
「おお、すごいじゃないか、サリー! どんな魔法を覚えたんだ?」
太郎が尋ねると、サリーは得意げに手のひらを差し出した。小さな炎が、サリーの手のひらでゆらゆらと揺らめいている。
「これが、私が覚えた最初の魔法、ファイアボルトです!」
サリーは誇らしげに言った。ライザも感心したように目を細めた。
「素晴らしいね、サリー。初期魔法とはいえ、火属性魔法は強力よ」
「えへへ、ありがとう!ライザ!」
サリーは照れくさそうに笑った。
「サリー、丁度良かった。これから、ゴブリン退治に行くことになったんだ」
太郎が言うと、サリーは目を丸くした。
「ゴブリン退治!? 私も一緒に行きます!」
「ああ、もちろん、一緒に行こう」
太郎は笑顔で答えた。ライザも頷き、
「三人で力を合わせれば、きっと大丈夫です」
と力強く言った。
装備を整え、依頼書を受け取った三人は、エルデン村へと出発した。陽が昇り始めたばかりの街は、まだ静けさに包まれている。しかし、太郎の胸の中は、高鳴る鼓動と、抑えきれない期待で満ち溢れていた。
初めての依頼、初めての魔物退治。100円ショップのスキルを手に、太郎の異世界での冒険が、いよいよ始まる——。