ep 8
ギルドを出た後
冒険者ギルドを後にした三人は、昼食をとるために街のレストランへと向かった。陽の光が差し込む明るい店内は、木製のテーブルと椅子が温かみのある雰囲気を醸し出している。三人は窓際の席に腰を下ろし、メニューを広げた。
「何にしましょうか、太郎さん?」
ライザが優雅な仕草でメニューを閉じ、太郎に問いかけた。サリーもメニューから顔を上げ、きらきらとした瞳で太郎を見つめる。
「うーん、そうだなぁ…」
太郎はメニューを眺めながら少し考えた。異世界に来てからというもの、村で簡単な食事ばかりだったため、レストランでの食事は初めてだ。メニューには見慣れない料理名が並んでおり、どれも美味しそうに見える。
「ここは、日替わりランチがお得ですよ」
サリーがメニューを指さしながら言った。
「今日は、きのこのクリーム煮込みとパンのセットみたいです」
「きのこのクリーム煮込みか、いいね。それにしようかな」
太郎はサリーの提案に同意し、ライザに視線を向けた。
「ライザさんは、何かお決まりですか?」
「そうですね、私はこの店の魚のグリルが好きなんです。それにしましょう」
それぞれ注文を終え、料理が運ばれてくるまでの間、三人は穏やかな会話を楽しんだ。ライザはギルドでの様子や街の情報を教えてくれ、サリーは村での出来事を楽しそうに語った。太郎は二人の話に耳を傾けながら、次第に緊張がほぐれていくのを感じた。異世界に来てから初めて、心から安らげる時間だった。
ふと、ライザが穏やかな口調で太郎に問いかけた。
「それで、太郎さんはこれから、どのように過ごしていきたいのですか?」
ライザの言葉に、太郎は少し考え込み、自分の考えていることを正直に話すことにした。
「うーん、やっぱり、せっかく100円ショップのスキルがあるんだから、何か活かしたいとは思ってるんだけど… スキルを使うには素材が必要なんだよね。だから、まずは魔物退治でもしてみようかな、と」
「魔物退治、ですか。なるほど、確かにそれが一番手っ取り早いかもしれませんね」
ライザは納得したように頷いた。サリーも目を輝かせて言った。
「魔物退治! 太郎さん、頑張ってください!」
「うん、頑張るよ。でも、その前に…」
太郎は自分の服装を見下ろした。異世界に来てからずっと着ているジャージ姿だ。これでは、魔物と戦うのは心もとない。
「ライザさんの言う通り、この格好では少し心もとないですよね。防具でも買いに行きましょうか」
ライザはにこやかに頷き、食事を終えた三人は、街の防具屋へと向かった。
防具屋に足を踏み入れると、革や金属の匂いが鼻をくすぐる。店内には様々な種類の鎧や盾、兜などが所狭しと並んでいた。太郎は少し圧倒されながら、店内を見回した。
「何かお探しですか?」
店主らしき恰幅の良い男が、にこやかに声をかけてきた。ライザが代わりに答える。
「冒険を始めたばかりの者が着る、軽くて動きやすい防具を探しています」
店主は頷き、奥からいくつかの防具を持ってきてくれた。太郎は言われるがままに、鎧や籠手などを試着していく。しかし、どれも重くて動きづらい。異世界に来るまで運動とは無縁だった太郎にとって、鎧は想像以上に重く感じられた。
「うーん、どれもちょっと重いなぁ…」
太郎が困ったように呟くと、ライザは真剣な表情でいくつかの防具を手に取り、太郎に当てて吟味し始めた。サリーも楽しそうに、太郎の周りをちょこちょこと動き回りながら、似合うかどうかをチェックしている。
「これはどうでしょう? 革製で軽くて動きやすいと思いますよ」
ライザが選んでくれたのは、茶色い革の胸当てと籠手、そして脛当てのセットだった。太郎が試着してみると、先程までの重苦しさが嘘のように、軽快に動ける。
「これなら、動きやすそうだ!」
太郎が嬉しそうに言うと、サリーはパッと顔を輝かせ、手を叩いて言った。
「わぁ、太郎さん、すごく似合いますよ! かっこいい!」
サリーの屈託のない笑顔と褒め言葉に、太郎は思わず頬を赤らめた。ライザも微笑みながら頷く。
「ええ、とても良く似合っていますよ。それに、防御力もそこそこありますし、初めての防具としては申し分ないでしょう」
防具が決まると、次は武器だ。ライザは太郎に、得意な武器はあるかと尋ねた。
「得意な武器、ですか? うーん…」
太郎は少し考え込み、遠慮がちに答えた。
「一応、村にいた時に、村の人から弓の基本を教えてもらったことはありますけど…」
「弓ですか、素晴らしいじゃないですか! 太郎さん、弓の練習頑張ってましたよね!」
サリーが目を輝かせて付け加える。村で弓の練習をしていたのは、暇つぶし程度だったのだが、サリーはそれを覚えていてくれたようだ。
「分かりました。では、武器屋で良い弓を揃えましょう」
ライザはそう言うと、迷わず武器屋へと向かった。武器屋は防具屋よりもさらに広く、店内には様々な種類の武器が陳列されていた。剣、槍、斧、槌、そして弓矢。煌びやかな装飾が施された武器から、実用性重視の武骨な武器まで、見ているだけでも飽きない。
太郎はライザに連れられ、弓が並んでいるコーナーへ向かった。ライザは弓を一本ずつ手に取り、材質や強度などを丁寧に説明してくれる。太郎はライザの言葉に耳を傾けながら、自分に合った弓を探した。
最終的に太郎が選んだのは、店内で一番軽い弓だった。重い弓は扱いこなせる自信がなかったし、まずは扱いやすい弓で練習するのが良いだろうと考えたからだ。
「一応、剣も買っておきましょうか。木剣ですが、練習用に」
ライザはそう言って、店の隅に置いてあった木剣を手に取った。
「剣ですか? 僕は剣なんてほとんど握ったことないですよ」
「大丈夫です。基礎から教えますから。それに、剣は接近戦になった時のために、持っておいて損はありません」
ライザはにこやかに微笑み、木剣を太郎に手渡した。その笑顔に、太郎はなんだか言い返せなくなってしまい、大人しく木剣を受け取った。
武器と防具を揃えた三人は、ギルドの訓練場へと移動した。ライザが太郎に剣の扱いを教えてくれるという。
「まずは、剣の持ち方からですね。力を入れすぎず、軽く握るのが基本です」
ライザは丁寧に剣の持ち方から、立ち方、構え方、そして剣の振り方まで、基礎的なことを一から教えてくれた。太郎は真剣な表情でライザの指導に耳を傾け、言われた通りに木剣を振るってみる。しかし、なかなか上手くいかない。
「もっと腰を落として、体全体を使うように。そう、いい感じです!」
ライザは根気強く、何度も太郎にアドバイスを送る。サリーも傍らで応援してくれている。二人の応援を受けながら、太郎はひたすら木剣を振り続けた。
剣の練習で汗だくになった太郎は、続いて弓の練習に取り掛かった。ライザに教えてもらいながら、的を射ようと弓を引くが、なかなか的に当たらない。
「焦らず、ゆっくりと。呼吸を整えて、的に集中するんです」
ライザは優しく励ましながら、弓の構え方や狙い方を丁寧に教えてくれる。サリーも的の外れた矢を拾ってきてくれたり、飲み物を差し入れてくれたりと、献身的にサポートしてくれる。
日が傾き始めた頃、太郎はようやく的に矢を当てることができるようになった。それでも、的に当たるのは稀で、ほとんどは大きく外れてしまうのだが、それでも少しずつ上達している実感はあった。
「はぁ、はぁ… もう、くたくた…」
練習を終えた太郎は、地面にへたり込んでしまった。全身から力が抜け、息切れが激しい。ライザもサリーも、そんな太郎を心配そうに見下ろしている。
「お疲れ様です、太郎さん。今日はもう十分でしょう」
ライザは優しい声で労いの言葉をかけた。サリーも心配そうに太郎の顔を覗き込む。
「太郎さん、大丈夫ですか? 顔が真っ赤ですよ」
「大丈夫、ちょっと疲れただけだよ」
太郎はそう答えると、スキルを発動させ、【100円ショップ】のウィンドウを開いた。そして、飲み物カテゴリの中からアップルジュースを選び、購入を確定する。手に現れた冷たいアップルジュースの缶をプルトップを開け、喉を潤した。
「ぷはぁー、生き返る…!」
太郎が至福の表情でジュースを飲む姿を見て、ライザは不思議そうに首を傾げた。
「な、なんですか? その美味しそうな飲み物は」
ライザの言葉に、太郎はジュースの缶をライザに差し出した。
「ん? ああ、これ? アップルジュースだよ。ライザも飲む?」
「え? 良いんですか?」
「もちろん、どうぞ」
ライザは遠慮がちにアップルジュースの缶を受け取り、一口飲んでみた。
「……!」
ライザの目が大きく見開かれた。信じられない、というような表情で、ジュースの缶を見つめている。
「こ、これは…! なんて美味しい飲み物なの!?」
ライザはまるで子供のように目を輝かせ、一気にアップルジュースを飲み干してしまった。そして、空になった缶を太郎に返し、興奮した様子で言った。
「太郎さん、この飲み物、一体どこで手に入れたんですか!? こんなに美味しい飲み物、今まで飲んだことないわ!」
「えへへ、それは秘密、かな」
太郎は少し得意げに笑いながら答えた。ライザはますます興味津々といった様子で、太郎に詰め寄ろうとした、その時だった。
ライザは突然、太郎に抱き着いたのだ。
「あ、ありがとう、太郎さん! こんな美味しい飲み物を飲ませてくれて!」
突然のことに、太郎は完全にフリーズしてしまった。ライザの柔らかい感触と、甘い香りが太郎を包み込む。心臓がドキドキと激しく鼓動し、顔が熱くなるのが自分でも分かった。
ライザもすぐに自分の行動に気が付いたのか、ハッとしたように顔を赤らめ、慌てて太郎から離れた。
「あ、あ… すみません、その、嬉しくて、つい…」
ライザは顔を真っ赤にしたまま、しどろもどろに謝罪する。太郎も顔を赤く染めながら、慌てて答えた。
「い、いや、大丈夫だよ。気にしないで」
二人の間に、気まずい沈黙が流れる。その沈黙を破ったのは、サリーの少し拗ねたような声だった。
「ずるーい、ライザだけずるいです!」
サリーは頬を膨らませ、むくれた表情で二人を見ている。その様子を見て、太郎は思わず笑ってしまった。ライザもつられて笑い出し、二人の間の気まずい空気は、どこかに吹き飛んでいった。
夕焼け空が茜色に染まる頃、三人は今日の練習を終え、それぞれの宿へと帰路についた。疲れ果てた体を引きずりながらも、太郎の胸の中には、充実感と、ほんの少しのドキドキと、そして、明日への期待が満ち溢れていた。異世界での一日が、また一つ過ぎていった。