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職場の茶目っ気と、ありえない出張計画

デスクに戻ると、スマホの通知が光っていた。


蓮からだった。

開いてみると、倉田がウトウトしているスタンプが送られてきている。


……これがまた、微妙にムカつく。


「おい!」


「はいはい、ここにいますよ。」


「暇そうだな?」


「まあまあかな? 今日は忙しいの?」


「ちょっと忠告しとくけど、うちの共通のボス、倉田が今日は特にご機嫌ナナメだよ。」


「いつも不機嫌じゃない? 今日は何が原因?」


「報告書にミスがあったのに、誰も気づかずにそのままクライアントに送っちゃった。」


蓮は一瞬目を細めると、すぐに肩をすくめた。


「またか。で、結局尻拭いするのは俺たちってわけね。」


「そう! だからさ、一体誰がこんな大ポカをやらかしたのかって話!」


蓮は気だるげに頭を掻いた。


「まあ、ミスは誰でもするものだよ。犯人探しをしても意味ない。でも、当ててみる?」


「いやいや、チェックを何回もすれば防げたはずでしょ?」


「百回確認しても、一回のうっかりで台無しになることもあるしね。特に、焦ってるときはミスが出やすい。」


蓮はふと会話を止めると、意味ありげな視線を向けてきた。


「……俺たちだって、ついうっかりってこと、あるよな?」


「私はないね。」


そう言いながら、手に持っていたチョコレートを彼に差し出した。


「はい、これ。食べてる間は黙ってなさい。」


蓮はいたずらっぽく笑いながら、それを受け取る。


「お、口止め料として受領しました。でもこのチョコ、何かが足りないな……。」


彼はニヤッと笑う。


「そうだ、お前の笑顔が足りない。」


「……はぁ? 何なのマジで。私、何か弱み握られてる?」


蓮はわざとらしく考え込むフリをして、遠い目をした。


「もし君の弱みを握ってたら……こんなチョコ一粒で満足するわけないだろ?」


「……もう、いいから。」


適当にあしらおうとしたその時だった。


「そういえば、倉田に言われて、明日から一週間出張になったんだよね。」


「え、そんな長く? まるで一年くらいに感じるんだけど。」


「そんな大げさな。場所は……まあ、仕事だから、遊ぶ暇なんてないけどね。」


「いやいや、出張だって、ちょっとは息抜きできるでしょ? 君、最近ずっと張り詰めてるし。」


「は? じゃあ、蓮は毎日暇そうにしてるってこと?」


「まあ、最近ちょっと余裕があるね。その分、君のことを気にする時間はたっぷりある。」


蓮はふと悪戯っぽく笑うと、ふざけた調子で続けた。


「……じゃあさ、俺も一緒に行こうかな?」


「は?」


「手伝うよ。仕事もするし、ついでに食べ歩きでもしながら、楽しくやろうよ。」


「バカ言わないで。そもそも、君はうちのチームじゃないでしょ? 何の理由で出張に同行するつもり?」


しかし、蓮は真剣な表情のまま、どこか自信満々だった。


「理由ならいくらでもあるよ? 例えば——『特殊な案件のために、俺の専門スキルが必要だ』とか?」


彼はウィンクしながら続ける。


「ちゃんと説得すれば、倉田もOKしてくれるかもよ?」


……こんなふざけた話、相手にする価値もない。

そう思ったのに、不思議と真理奈の気持ちは少し揺らいでいた。


「意外ね、君って、そういうのに従順なタイプかと思ってた。ルール第一、みたいな。」


「人間は進化するんだよ。完璧さより、ちょっとした意外性が大事だろ?」


蓮は肩をすくめると、いたずらっぽく笑った。


「君が気に入ってくれるなら、俺の進化は正しい方向に向かってるってことだな。」


真理奈は、つい口を滑らせそうになった。


「……だったら、公費で旅行しつつ、倉田の神経を逆なでするのが一番楽しいかもね。」


「ははっ! まさかの動機。でも、いいね。仕事はサクッと終わらせて、残りの時間はフリーにしよう。」


「何、その海賊王みたいな発想。」


蓮はふっと身を乗り出し、小声で囁く。


「どうせ職場恋愛は禁止なんだから……どうせなら、大胆にやるしかない。」


彼はニヤリと笑う。


「この出張を、まるで恋愛リアリティショーみたいにしよう。」


「は?」


「君と俺、二人きり。会社も、仕事も、全部忘れてさ。」


その瞬間、思わず笑ってしまった。


「バカバカしいけど……いいわ、やってみなさいよ。」


「お、まさかのOK?」


蓮の目が輝く。


「じゃあ、もし本当に俺が手配できたら——」


真理奈は腕を組み、試すように微笑んだ。


「明日の朝8時、空港でね。」


蓮は不敵な笑みを浮かべ、力強く頷いた。


「了解。じゃ、今から倉田を説得してくるわ。」


空港のロビーにはそこそこの人がいた。平日の朝らしく、ビジネススーツ姿の出張者が足早に歩き、空港全体がビジネスライクな雰囲気に包まれている。


真理奈はなんとなく顔を上げた。ちょうどその瞬間、遠くから蓮がコーヒーを二つ持って歩いてくるのが見えた。


「……本当にやったの?」

彼が目の前に来るなり、真理奈は半ば呆れたように尋ねる。


蓮は笑って片方のコーヒーを手渡しながら、軽く肩をすくめた。


「俺には手があるんだよ。それより、準備はできた?」


「もちろん、チェックイン済み。」


「さすが行動派。もう後戻りはできないぞ。ここから先は規則違反の連続だからな。」


蓮は悪戯っぽく笑いながら、わざと真剣な顔を作る。


「さて、まず最初の一歩は?」


「まずはクライアントとの打ち合わせね。今回の案件、ミスがあったせいで向こうは怒ってるはず。」


「大丈夫。もしかしたら、逆に巻き返せるかもしれない。」


「まあ、最悪怒鳴られて終わりだしね。会議さえ終われば生きて帰れるわ。」


「そうそう。それに、昼間何があろうと、夜は俺が楽しくしてやるから。」


会議は予定通り終わった。ただし、蓮の"想定外の行動"を除けば。


クライアントの会社を出た瞬間、真理奈は彼に詰め寄った。


「ちょっと待って。あなた、さっきクライアントの提示した金額、断ったよね!?顔が引きつってたの、見た!もう、今から土下座しに戻れば間に合うかしら?」


「落ち着いて、落ち着いて。」


蓮は余裕たっぷりにコーヒーをすすりながら説明を始めた。


「彼らはただ俺たちの限界を探ってるだけ。こっちが簡単に折れたら、"この案件はそこまで価値がない"って思われるだけさ。」


「でも、そんな強気で大丈夫?」


「むしろNOと言える方が交渉の主導権を握れることもあるんだよ。まあ、どうしても納得いかないなら、今すぐ戻ってもいいけど?」


「……いや、やっぱりやめとく。」


蓮は大きく笑いながら、満足げに頷いた。


「その調子。その勢いで、あと十社くらい契約取れそうだな。」


「まあ、今日のところはひとまずご飯ね。夕飯は私のおごり。」


「それはありがたい。じゃあ、軽めにステーキとかどう?ついでにワインも?」


「イタリアンにしようかな?……そういえば、あなたイタリアの血が入ってるんでしょ?」


蓮は驚いたように片眉を上げた。


「おや、調べた?まあ、うちの祖母がイタリア人だからね。だからこそ、変なパスタ出されたら評価厳しいよ?」


「じゃあ、好きなイタリア料理は?」


「そうだな……パイナップルピザとか?」


「えっ……それ、イタリア人からしたら邪道じゃない?」


「ははは、俺は自由な男だからな!」


その時、真理奈のスマホが震えた。


「クライアントからメール。『明日の午後、もう一度打ち合わせができるか』ですって。どうする?」


すでにイタリアンレストランに到着していた二人は、テラス席で軽くグラスを合わせた。


「もし明日行ったら、契約する方向になっちゃうな。」


「うん。だから、私は断るつもり。それに、もう一社新規クライアントにアプローチしようかと。」


蓮の目が光る。


「いいね、攻めるねぇ。焦るのは相手のほうってわけか。」


「まあ、慎重にね。万が一、今のクライアントを失っても、次の案件の可能性を持って帰れば、倉田も血を吐かずに済むはず。」


蓮は感心したように頷いた。


「完璧なプラン。」


「じゃあ、乾杯。」


「乾杯。うまくいくといいな。」


蓮はワインを一口飲み、目を細める。


「……不思議だな。仕事がこんなに楽しいなんて思わなかった。」


真理奈もリラックスし、くつろいだ表情になる。


「うん、私も。出張ってこんなに面白いものだったんだ。」


「なあ、そもそも会社が"社内恋愛禁止"にした理由って何なんだろうな?」


「たぶん、誰かが恋愛にのめり込みすぎて仕事が疎かになったとか?」


「それって逆効果じゃない?むしろ楽しく働いた方が、生産性が上がると思うんだけどな。」


蓮は真理奈をじっと見つめながら、グラスを傾ける。


「……そろそろルールを書き換える時期かもな。」


真理奈はニヤリと笑う。


「私の予想では、倉田が過去に社内恋愛して、振られてトラウマになったんじゃない?」


「あり得るな。誰かが聞き出してくれないかな?」


「私?絶対無理。あの人、機嫌が読めないし、下手したらクビになるかも。」


蓮は納得したように頷く。


「確かに、お前はお前のタイミングで会社を辞めるべきだな。」


「でしょ?解雇されるより、自分で辞めるほうが気分いいから。」


「なるほどね。でももしお前が上司になったら、どんなルールを作る?」


「その質問には答えない。」


「はは、バレたか。でも、今日は真剣に考える時間はナシだ。今夜は仕事もルールも全部忘れて、ただ楽しもう。」


蓮はグラスを持ち上げ、笑顔を浮かべる。


「乾杯。俺たちの望みが叶うように。」


「乾杯。」


その夜、二人は美味しい料理とワインを楽しみながら、今までとは少し違う関係を築き始めていた。


冷たい飲み物をひと口飲んだ瞬間、真理奈は違和感を覚えた。


「……ちょっと酔った気がする。おかしいな、ノンアルコールを頼んだはずなのに。これ、店員が間違えた? ほんと、イタリア人って適当すぎる」


蓮は苦笑しながら額に手を当てた。


「もしかすると、俺たちにロマンチックな雰囲気を演出しようとしてくれたのかもね。悪気はないだろうけど。飲めないなら、俺が代わりに飲むよ?」


「いや、それより一口飲んでみて。これ、めちゃくちゃ紛らわしい味。最初は甘くて飲みやすいのに、後からじわじわ回ってくる。たぶん、度数の高いリキュールが入ってる」


真理奈がグラスを差し出すと、蓮は少し身を乗り出して、それを口に含んだ。


「……ほんとだ、イタリアのカクテルってずるいな。ちょっとメニュー見返してくるわ」


「もういいよ、せっかくだし、飲んじゃおう。こうなったら思い切り楽しむ!」


真理奈が笑いながらグラスを傾けると、蓮もつられて口角を上げた。


「じゃあ、リゾットを頼もう。それに合うワインも選ばないとな」


「白ワインがいいな」


「完璧なチョイス。軽くて飲みやすいし、ちょうどいい気分でいられる。今夜にはぴったりだな」


蓮はグラスを掲げ、真理奈に向かって微笑む。


「すべてが、ちょうどいい」


グラスが軽やかにぶつかり合い、澄んだ音が響いた。


真理奈はふと、蓮を見上げた。そして、ふわりと微笑む。


「ねえ、ハグしよう」


蓮は少し驚いたものの、すぐに穏やかに笑って立ち上がった。


「もちろん」


彼が両腕を広げると、真理奈は迷わず飛び込んだ。


「……恋人みたいなハグがいいな」


彼女は甘えるように蓮を見つめ、その声はどこか柔らかくなっていた。


蓮は一瞬、何かを迷うように息を飲んだ。


「真理奈……俺も、正直に言うよ。確かに、今までよりも君を近くに感じてる。でも……焦りたくないんだ。せっかくの関係を、急ぎすぎて壊したくない」


真理奈はそんな蓮の迷いを受け止めるように、彼をぎゅっと抱きしめた。


「私は、私のしたいようにする」


その言葉に、蓮は吹き出した。


「……強気だな、本当に。でも、そんなところが君らしい」


彼は優しく真理奈の肩を撫でながら、小さく笑う。


「でもね、力がある人には、それ相応の責任もついてくるんだよ」


「ん……もっと上手くコントロールしないとね……」


ワインの香りを帯びた真理奈の声は、だんだんとぼんやりしていく。


「俺をコントロールするの?」


「うん……そうする……」


「はは、それは大変だな。俺、簡単には手に入らないよ?」


「じゃあ……秘密を教えてあげる……」


真理奈はそっと蓮の耳元に口を寄せた。


「秘密?」


「うん……」


彼女はふわりと蓮の頬に口づける。


「……本当は秘密なんてないよ。ただ、近づけたかっただけ」


蓮はしばし呆気にとられたが、すぐに苦笑した。


「……ほんとに、油断ならないな」


彼は優しく彼女の髪を撫でながら、小さくため息をついた。


「……さて、この後は?」


「私は……」


不意に、真理奈の声が小さくなった。


次の瞬間――彼女はそのまま、すうすうと穏やかな寝息を立て始めた。


蓮は思わず吹き出しそうになるが、すぐにそっと支えてやる。


「……また俺が送っていくことになりそうだな」


彼はどこか安心したような、優しい眼差しで真理奈を見下ろした。


蓮も、彼女に対する気持ちを誤魔化すつもりはない。

ただ、もう少しだけ時間がほしかった。

彼女との未来をしっかり考えるために――。


「……さて、送って帰るか」


ワインの香りがほんのりと漂う夜風の中、蓮は静かに彼女を抱きしめたまま、歩き出した。

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