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絶妙な角度、絶妙なタイトル、そして人々のストーリーを求める本能

花壇は荒れ果て、落ち葉や花びら、雨水が入り混じり、まるで混沌としたロックミュージックのようだった。


真理奈と蓮は厚手の毛布に包まり、床に座ってソファに寄りかかっていた。部屋の中には淡い暖色の壁灯が一つだけ灯っており、外の嵐を遠ざけるかのように、静寂な空間を作り出していた。


蓮は揺れる窓の影を見つめ、しばらく黙っていたが、ふと口を開いた。

「子どもの頃、親友がいたんだ。すごく頭が良くて、いつも面白いことを考えていた。俺たちは、大人になったら一緒に世界を変えようって約束してた」


真理奈は少し驚き、彼を見た。

「なんだか、あなたらしい話ね」


蓮は首を振った。

「いや、あの頃の俺は今とは全然違った。あいつの方がリーダータイプで、自信家で、社交的で、いつも先頭に立ってた。俺は……どちらかと言えば、後ろから見てる方が好きだったんだ」

懐かしむような口調で蓮は続けた。

「あいつはいろんな計画を立てては俺を巻き込んだ。例えば、家の扇風機を改造して人を自動で追いかけるようにしようとしたり、庭に池を掘って魚を飼おうとしたり……結局、途中で親に見つかって怒られたけどな」


真理奈は自然と口元が緩んだ。

今の彼とはまるで違う、少年時代の蓮を思い浮かべる。

果敢で冷静な経営者の彼とは、まるで別人のようだ。


「それで、その友達は?」


蓮の微笑みが少しだけ陰る。

「……消えた」


「消えた?」


「家に問題が起きて、引っ越したんだ」

蓮の指が毛布の端を無意識に撫でる。

「それが、台風の夜だった。もともと、その日も一緒にバスケをする約束をしてたんだけど、雨がひどくて中止になった。次の日、連絡を取ろうとしたら……もう繋がらなかった。家族ごと引っ越して、連絡先も何も残されてなかった。別れの言葉すらなくてさ」


真理奈は黙って蓮を見つめた。

だから、今夜の嵐を見て、彼は昔を思い出しているのか。

彼は生まれつきリーダー気質の人間なのだと思っていた。

けれど、そうではなかったのかもしれない。


「それが……あなたが変わるきっかけになった?」


蓮は少し間を置いて、静かに頷いた。

「俺はあいつを尊敬してたし、ずっと忘れられなかった。約束も叶えたかった。だから、努力して優秀な人間になろうと決めたんだ。そうすれば、いつかまた再会したときに、あいつが俺を見ても失望しないようにって」


真理奈は何も言わず、ただ彼を見つめていた。

壁灯の淡い光の下、蓮の表情ははっきりとは見えない。


「……まぁ、昔話だよ」

蓮は軽く笑い、真理奈を見た。

「こういう嵐の夜には、昔の話をしたくなるもんだ」


彼の言葉が終わるか終わらないかのうちに――


「ドォン!」


轟音が夜空を引き裂き、閃光が花壇の中央に立つ木に直撃した。


「……!」


真理奈は反射的に蓮にしがみつき、蓮も同時に彼女を抱き寄せた。

お互いの心臓の鼓動が、驚くほど速く伝わってくる。


風が叫び、雨が叩きつける。

けれど、この瞬間、世界には彼らの鼓動と体温だけが残されていた。


近すぎる。

互いの心が、どこか触れ合ってしまいそうなほどに。


静寂が広がる中――


真理奈がふっと笑った。

「……まるで無人島に流れ着いたみたい」


蓮も少し息を整え、彼女を見つめる。


「もし本当にここに閉じ込められたら……十年後、私たちの子どもは海で魚を捕るようになってるかもね?」


蓮の喉が小さく動いた。

「……十年後じゃなくても」


そう呟くと、彼は真理奈の手を取り、もう一度自分の方へと引き寄せた。


彼女は抵抗しなかった。


唇が、触れそうな距離まで近づいた瞬間――


蓮は急に顔を背けた。


次の瞬間、彼の肩が小刻みに震えた。


「……っ」


涙がこぼれ、彼は真理奈の肩に顔を埋める。

それは、まるで失恋した少年のようだった。

「おい、お前泣いてんのか?」


部屋の中に響いた、ためらいがちな男の声。雷鳴と比べたら蚊の鳴き声みたいなものだったが、それでも二人は驚いて顔を上げた。


——涼真が、手に二杯の生姜湯を持って、ニヤニヤと立っていた。


「ほら、生姜湯持ってきたぞ。身体、温めとけよ」


そう言いながら、彼は遠慮もなく胡座をかき、真理奈と蓮の間に座り込んだ。しかも、さりげなく蓮を押しのけるという図々しさまで見せる。


二人は驚きつつ、若干の気まずさも感じていた。


「いつからそこにいたの?」


真理奈が問いかけると、涼真はソファにもたれ、余裕の笑みを浮かべた。


「ちょっと前から。聞くなよ、どのくらいいたかなんて知りたくないだろ?」


彼はイタズラ好きだが、容赦なく人を晒し上げる趣味はない。だからこそ、話題をサッと変えた。


「せっかく夜は長いんだ、賭けでもして暇を潰さねぇか? ただし、賭けるものはちゃんと価値のあるものにしようぜ——それぞれ、相手が欲しいものを出すってルールでな」


そう言って、彼は真理奈と蓮を見回し、意味深な笑みを浮かべる。


「俺の賭け金はもちろん増資だ。金額は……まぁ、満足できる額にしとくよ」


彼は得意げに言い放ち、二人に視線を向けた。


「蓮、お前はあの貴重なCTO、誠司を賭けろ。真理奈、お前は会社の経営権だ——将来どっちがどっちを買収しようと、お前がCEOにはならないって条件で」


蓮は少し驚いた様子で眉をひそめた。


「……お前、いつから誠司に興味を?」


真理奈も僅かに眉を寄せ、小さく息をつく。


「まず、私は賭け事はしない。それに、CEOにならないなら清掃員にでもなれって?」


涼真はますます楽しそうに笑い、酒を軽く揺らした。


「真理奈、お前の実力なら、清掃員になったとしても業界最強の清掃員だろ? 掃除しながら不動産会社でも買収するんじゃねぇの?」


彼は少し身を乗り出し、悪戯っぽく囁いた。


「それに俺、聞いてたからな。お前ら二人とも、本音ではこの買収戦を避けたいんだろ? だったら、この勝負で白黒つけようぜ。そうすれば、蓮の泣き言も聞かずに済む」


「俺は泣いてない、感情が豊かなだけだ」


蓮が眉をひそめて訂正する。


だが、真理奈は首を横に振った。


「私は運に人生を委ねない。それに——」


彼女は涼真をじっと見つめ、疑いの色を滲ませた。


「お前には金がある。この賭けはお前にとって痛くも痒くもない。お前にとって致命的な賭け金がない限り、この勝負は公平とは言えない」


涼真は大袈裟に肩をすくめた。


「やれやれ……強すぎるのも罪ってやつか」


彼は大げさにため息をつき、両手を挙げて降参のポーズを取る。


「しょうがねぇな、今日は諦めるか。他の部屋に行って、誰か対戦相手を探してくるわ」


そう言うと、彼はテーブルの上のオリーブをつまみ、口に放り込んで咀嚼しながら部屋を出ていった。


翌朝、嵐が過ぎ去った船は静かに航行を再開していた。昨夜の台風が、まるで夢だったかのように。


海の上では、電波はほとんど入らなかった。


しかし、港に着いた途端——蓮は異変に気づく。


周囲の企業家たちが、彼を見ながらヒソヒソ話をしているのだ。


「……なんだ?」


そんな彼の前に、気まずそうな顔をした涼真が駆け寄ってくる。


「ええっと……俺、確かにその場にはいたけど、マジで俺が流したわけじゃねぇからな!」


彼はそう前置きすると、蓮に記事のリンクを転送した。


添えられた写真には、まるで恋人同士のように見つめ合う男女の姿。今にもキスしそうな距離感だ。


タイトルは——


『ライバルじゃなくて恋人? 有名AI医療企業の創業者と製薬企業の女幹部が密会24時間!』


蓮は目を見開いた。


この写真、どう考えても高画質すぎる。……いや、これ、絶対涼真が撮っただろ。


彼は必死に冷静さを保ち、震える指でコメント欄を開いた。


——「表向きは買収戦争、実は裏で手を組んで株価操作?」

——「資本家のイチャイチャなんか見たくねぇ……服着ろ」

——「つーか、前に出たQVのスキャンダルも、まさか台本だった?」

——「いやこれ、雰囲気ありすぎだろ……二人で短編ドラマ作ってくれたら見るわ」


蓮は信じられない思いで、涼真を睨んだ。


涼真は苦笑いしながら、わざとらしく頭をかく。


「いやぁ……これ、プライバシー侵害で訴えたほうがいいんじゃね?」


その時、真理奈がスマホを片手にこちらへやってきた。


「涼真がやったんじゃないわね。この撮影角度、正面からでしょ? 涼真は背後から来たんだから」


蓮が何か言いかけたその瞬間——


真理奈のスマホに新しい通知が届いた。


「真理奈さん、至急、会社に戻ってください」


取締役会の秘書からのメッセージだった。


QV本社。


今日も高層ビルの半分は雲に隠れている。


秘書室長は小太りの中年男性で、焦った様子でエントランスの前に立っていた。


「真理奈さん、取締役会があなたの説明を待っています。しっかり準備してくださいね」


真理奈はスマホを閉じ、冷静に彼を見た。


「説明?何について?」


秘書室長は額の汗を拭いながら、しどろもどろに言った。


「そ、それはもちろん……報道にあった……あなたと蓮さんの関係についてです」


真理奈は微笑み、淡々と答えた。


「競争相手よ、それだけ」


「ですが……写真が……」


「絶妙な角度、絶妙なタイトル、そして人々のストーリーを求める本能。」


エレベーターに乗りながら、真理奈は気にも留めずに言った。


「この記事を書いた記者はボーナスをもらうべきね」


秘書室長は半信半疑の表情を浮かべた。


「つまり……これは意図的に作られた虚偽の記事だと? でも……目的は?」


真理奈は薄く微笑みながら会議室へ向かう。


「目的?それは警察の調査結果を待ちましょう。私たちが焦る必要はないわ」


会議室の扉を押し開けると、重苦しい雰囲気が漂っていた。


テーブルを囲む取締役たちの表情はそれぞれ異なる。だが、どこか探るような視線を感じる。


真理奈は平然と口を開いた。


「たかが一枚の写真で私を、ましてやQVを揺るがそうとするなんて……笑わせるわ」


冷たい白色灯が会議室を照らし、鏡のように滑らかなテーブルにそれぞれの表情が映し出される。


取締役会の主席が重々しく真理奈を見つめ、無言でプロジェクターのスイッチを入れた。


映し出されたのは——


昨夜の映像。


真理奈と蓮が抱き合い、互いを見つめる姿。そして、蓮が崩れ落ちるように涙を流す瞬間——


頭の中で何かが炸裂するような感覚。だが、彼女の表情は一切揺るがない。


主席が静かに口を開いた。


「この映像は昨夜、私のメールに送られてきた」


真理奈は数秒黙り、ゆっくりと目線を上げる。


「……それで?」


主席の目が鋭くなる。


「説明してもらおうか」


真理奈は冷静な声で答える。


「昨夜は台風が直撃し、極限状態の中で生き延びようとした。それだけのことです。涼真もその場にいたので、彼に確認してみては?」


主席は首を横に振った。


「仮に君の説明が正しいとしても、世間はそう理解しないだろう」


その時、銀髪の取締役が口を開く。


「ところで、以前の利益配分交渉で50%の条件を引き出せたのも、蓮との個人的な関係があったからでは?」


真理奈の目が一瞬、冷たく光る。


彼女はゆっくりと銀髪の取締役を見つめ、意味深な微笑を浮かべた。


「もしそうだと言ったら?」


室内の空気が凍りつく。


銀髪の取締役は眉をひそめ、他の取締役たちも複雑な表情を浮かべる。


その沈黙を破るように、女性の取締役がため息混じりに言った。


「そもそも倉田があなたを後継に指名した時、私は反対したのよ。若すぎるし、勝負に出すぎる傾向がある……。ほら、案の定こんなスキャンダルを起こして」


真理奈はその言葉にも動じない。


「皆さん、もう演技はやめましょうか」


静かな声だったが、その場の誰もが息をのむ。


「投資を引っ張ってきたのは私。利益配分を交渉したのも私。ビジネスでも、個人的な関係でも、これが私の実力です。他の誰にも真似できません」


年長の取締役が低い声で言う。


「実力は確かに重要だ。しかし、企業のトップに求められるのは、それだけではない」


銀髪の取締役もゆっくりと頷く。


「真理奈、今後このような報道は二度と出ないと約束できますか?」


真理奈は小さく笑い、肩をすくめる。


「もちろん」


彼女の軽やかな態度に、取締役たちはざわめく。


この若き女幹部は、まるで感情さえも計算の内にあるかのようだった。


真理奈は淡々と続ける。


「ですが、私もお願いがあります」


彼女の声は静かだったが、そこには鋭い刃のような力が宿っていた。


「今後、誰かがこんな低俗な手段で会社の意思決定を揺るがそうとすることがないよう、皆さんも保証していただけますね?」


その一言に、会議室は再び沈黙に包まれる。


秘書室長は内心、真理奈の弁舌に舌を巻いた。


彼女は自らを弁護せず、問題の焦点を巧みにすり替え、さらに主席に責任を背負わせたのだ。


主席は指でテーブルをゆっくりと叩きながら、考え込むような仕草を見せる。


そして、静かに口を開いた。


「メールは匿名だったが、すでに発信元を追跡中だ」


真理奈は小さく頷く。


「それなら、問題ないわ」


彼女は立ち上がり、スーツの裾を軽く整えると、柔らかく微笑んだ。


「それでは、私は仕事に戻ります」


***


オフィスに戻った真理奈は、ようやく仮面を外し、ソファへ倒れ込む。


「はぁぁぁ……怖すぎる……。おじさんたちに囲まれて詰められるとか、本当に寿命が縮まる……」


そして、デスク越しに、彼女は馬と目を合わせる。


「お前……すごい価値のある名馬なんだろうけど……もし誰もお前を手懐けられなかったら? それでも、お前は捨てられたりしないの?」


馬は当然、何も答えない。


だが、その凛々しい姿を見て、真理奈はふっと笑った。


「……そうか。お前にとって、それは『捨てられる』ことじゃないのね。だって、お前が求めているのは自由。ただそれだけなんだから」

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