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交渉決裂したら、とりあえず腹筋を見せて相手を落ち着かせるっていう作戦?

蓮は魂が抜けたような顔でテントから出てきた。髪はボサボサ、明らかに寝不足。

ぼんやりと周囲を見回し、最後にアリサに視線を固定する。


「……まだ危機管理の余地はある?」


清奈は慰めるどころか、さらに追い打ちをかけるように肩をすくめた。

「そんなに深刻にならなくても大丈夫でしょ?今のネット民、想像以上にクリエイティブだから。」


蓮はこめかみを押さえた。

「清奈、俺は真剣に製品を作ってるんだ。こういう……変な注目は苦手なんだよ。」


清奈はクスッと笑いながら肩をすくめる。

「で?どうするつもり?声明でも出す?広報チーム、今頃まだ夢の中でしょ。」


蓮はジト目で清奈を見つめた。これは揶揄なのか、それともマジなのか——

判断しかねていると、遠くから涼真が悠々と歩いてくるのが見えた。


手には淹れたてのコーヒー、顔には満面の笑み。

「おはよう、蓮。さすが俺が見込んだ男だよ。ちょっと仕掛けるだけで、あっという間にネットの中心人物になれるなんてな。」


蓮の表情が一瞬で曇る。

「……それを“良いこと”だと思ってるならな。」


涼真はコーヒーを軽く吹いて冷まし、無邪気に微笑む。

「いやぁ、スリルがあって最高じゃない?」


——その時、真理奈がやって来た。


相変わらず落ち着いた佇まいで、まるでこの騒動が何の問題でもないかのような表情。

蓮を一瞥すると、淡々とした声で言った。


「朝から騒がしいですね。」


蓮は深く息を吸い、冷静さを保とうとする。

「……ニュース見たか?」


真理奈はスマホを取り出し、画面を数回スワイプした。そしてスクロールする手を止めると、ほんの一瞬、口角がピクリと動いた。


「ええ、見ました。」


蓮は彼女の表情をじっと見つめる。

何か言ってくれるのか——いや、せめて笑うなら笑ってくれ。


しかし、真理奈はそれ以上何も言わない。


蓮は視線を彷徨わせ、涼真と真理奈の間を行き来する。

すると、真理奈がふと口を開いた。


「蓮、私は関係ありませんよ。あなたが突然上着を脱ぐなんて、誰が予測できるんですか?」


——ブッ。


三人組が思わず吹き出した。


誰もが心の中でずっと疑問に思っていたが、あえて聞かなかったこと。

——なぜ、蓮は上半身をさらしたのか?


ついに、順平が耐えきれず、手を挙げながら笑う。

「なあ、頼むから説明してくれよ!どうして交渉の場面で、いきなり上着を脱ぐことになったんだよ?!」


アリサも全力で頷く。

「そう!私たちはあなたの人間性もビジネススキルも尊敬してるけど……今回ばかりは、戦略を知りたい!」


清奈が追い討ちをかける。

「交渉決裂したら、とりあえず腹筋を見せて相手を落ち着かせるっていう作戦?」


蓮の表情がますます微妙になっていく。

反論しようとしたが、視線の先で、真理奈がほんのり笑みを浮かべているのを見た瞬間——


——脳がフリーズした。


その隙を逃さず、涼真がコーヒーを飲みながら軽く肩をすくめる。

「でもさ、これはこれで悪くないんじゃない?今までお前の名前なんて、テック業界の中じゃ影薄かっただろ?これでインパクトあるキャラがついたわけだし。」


蓮はこめかみを押さえながら、長いため息をついた。

もう逃げられない。仕方ない、説明するしかない。


「……ただ、誠意を見せたかっただけだ。」


——シン……


一瞬の沈黙の後。


「HAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!」


順平が床を転がる勢いで爆笑した。

アリサはその場にしゃがみ込み、笑いすぎて涙を浮かべていた。

「蓮、本気で『率直に向き合う』って、文字通りの意味だと思ったの?」


清奈も思わず吹き出し、首を振る。

「正直に言ったほうがマシじゃない? 真理奈を誘惑したかったんでしょ?」


真理奈はしばらく蓮を見つめ、それから軽く眉を上げた。

「うん、確かに率直ですね。」


涼真が意味深な笑みを浮かべながら瞬きをする。

「蓮、本気でフィットネス講座でもやってみたら?『テックエリートの筋肉管理術』とかで。俺、シードラウンドで投資するよ。」


蓮は眉間を押さえ、ため息混じりに言った。

「涼真、頼むから勘弁してくれ……。」


冗談はさておき、涼真は真剣な表情で真理奈に向き直る。

「真理奈さん、覚悟はできてる?」


真理奈は静かにうなずいた――これから蓮と利益分配を交渉し、QVとMETの買収戦争が始まれば、彼女の存在は否応なしに表舞台へと引きずり出される。

そしてネットの好奇心旺盛な人々はすぐに気づくだろう――彼女こそ、あの森の中にいた女性なのだと。


涼真は軽く微笑みながら、軽快な口調で言う。

「それならいい。こんなの、まだ前菜にすぎないからな。」


アリサが小声でつぶやいた。

「前菜でこのレベルって……メインディッシュはどうなっちゃうのよ?」


順平は顎に手を当て、面白そうに言った。

「究極のオフィスラブってやつ? これ、映画よりヤバい展開だな。」


蓮はじっと真理奈を見つめていた。

その視線に気づいた真理奈は、軽く息を吐きながら言う。

「ビビらないで。あと、白々しい演技もいらない。」


蓮はゆっくり息を吸い込むと、静かに言った。

「勘違いするな。ただ、どうやって勝つかを考えていただけだ。」


圭介がいたずらっぽくコーヒーを掲げ、愉快そうに笑った。

「いいねぇ、お二人さん。存分にやり合ってくれよ。」


キャンプが終わった。

蓮はゆっくりと遠ざかる黒いマイバッハを見送った。朝日を反射する窓ガラス越しに、後部座席で涼真と談笑する真理奈の姿がぼんやりと映っていた。


そして、こういうタイミングで清奈は決まって余計な一言を放り込んでくる。

「ねえ、あの二人、結婚すると思う?」


蓮は頭を抱えた。

「清奈、お前、俺の感情を弄ぶのやめてくれない?」


清奈はいたずらっぽく笑ったが、すぐに真剣な表情になる。

「言っとくけど、涼真は投資家だけど、必ずしもお前の味方ってわけじゃないよ?」


蓮はこめかみを押さえながら、静かに言った。

「分かってる。彼は俺の敗北に賭けてるんだろ?」


清奈は意味深な視線を向けた。

「それだけじゃないよ。彼は、君が壮絶に負けることに賭けてる。」


蓮は淡々とした口調だったが、その声には確かに苛立ちがにじんでいた。

「次の手は決まった。QVをショートする。」


清奈の目が輝いた。

「手段は問わない?」


蓮は軽くうなずいた。

「ええ、シンプルにね。」


二人の間に、ある種の共犯意識が生まれた。

清奈は興奮のあまり、指先を微かに震わせる。


この光景を見ていた三人組――順平、圭介、誠司は、もう何のツッコミも入れなかった。ただ、目配せを交わすだけで、すべてを理解した。

『蓮がまた、何か仕掛けるつもりだ。』


ほどなくして、一つの匿名記事がメディアを騒がせることとなった。

記事には、QVが過去にMETの技術を極秘にコピーしようとした経緯が詳細に書かれていた。未完成のアルゴリズムによってシステムのテストが失敗を繰り返し、その結果、多くの被験者が重篤な副作用を引き起こしたという。

さらに、あるケースでは法的訴訟にまで発展したものの、QVの経営陣が巨額の示談金を支払い、もみ消したことも明らかにされていた。


コーヒーを片手に、蓮はスマホの記事をスクロールしながら清奈に感嘆の声を漏らした。

「お前、世論操作がマジで上手いな。」


清奈は何気ない口調で言う。

「なんで聞かないの? 当時、この火消しをしたのが誰かって。」


蓮は一瞬で悟った。そして、クスリと笑った。

「倉田が知っていたら、こう言うだろうな。『これも運命か』って。」


清奈もまた、意味深な笑みを浮かべた。

「だろうね。」

そしてもう一方。

百階建ての高層ビル、その頂上に広がる雲海の中にあるQV本社のオフィス。


広々とした窓の前で、真理奈まりなは眉をひそめながらPC画面を見つめていた。


批判の声が津波のように押し寄せている。世間はQVのやり方を卑劣だと非難し、患者の健康を危険にさらしていると騒ぎ立てていた。


彼女の視線は、画面に映る最新ニュースの見出しで止まる。

「被害者が語る奪われた33日間──QV社の技術的欠陥を隠蔽し、実験データを改ざんした結果、治療が遅れた」


真理奈は苛立ちを隠せなかった。

なぜなら、このニュースは決してデタラメではなかったからだ。


ちょうどその時、デスクの電話がけたたましく鳴り響いた。

彼女は面倒くさそうに目を閉じ、一瞬だけ深呼吸をしてから受話器を取った。


「真理奈さん、取締役会が至急、危機管理対応のプランを提出するよう指示しています。1時間後には公式発表を行い、メディア対応もお願いします。」


取締役会秘書の声は、機械的ながらもわずかに緊迫感が滲んでいた。


「でも私、これからMETとの利益配分の交渉に行かなきゃいけないんですけど?」


適当にそう言い訳をすると、秘書は淡々とした口調で、しかし有無を言わせぬ強い態度で返してきた。


「真理奈さん、今回の公衆の反応はすでに株価に影響を与えています。取締役会としては、市場の信頼を最優先に考えています。METとの交渉は後回しにできますが、この危機対応は今すぐ処理しなければなりません。」


真理奈はまだ穏やかに、説得を試みる。


「私の考えでは、事実を認め、謝罪する以外に適切な方法はありません。それに、利益配分の交渉はモデル発表を推進するための重要な要素で、長期的に見てもQVにとってプラスになります。危機対応より優先すべき案件だと思いますが?」


しかし秘書の態度は揺るがず、むしろわずかに苛立ちを含んだ声で返してきた。


「取締役会としては、事実がどうであれ、過ちを認めることは市場に“弱さ”として受け取られるリスクがあります。QVがこのタイミングで弱みを見せるわけにはいきません。」

少し間を置き、付け加えた。

「利益配分の交渉については、優先順位を見直していただきたいと考えています。」


真理奈は、思わず鼻で笑いそうになった。

窓の外へと視線を移し、そのまま壁に目をやる。


そこには、倉田がオークションで落札した一枚の馬の絵が飾られていた。

強風の中を駆け抜ける馬の姿──誇張された動き、鋭い目つき。


倉田のことを思い出した。

彼の気分屋な性格、嵐のような怒り。


そして、彼女は口調を変えた。

どこか冷笑的で、少しだけ悪女のような響きを帯びた声で言い放つ。


「優先順位の見直しはしません。それに、公関対応は私の仕事ではありません。」


秘書は二秒ほど沈黙し、少し低い声で言った。


「……その回答は、取締役会には受け入れられません。」


かつての真理奈は、倉田のやり方を真似て力でねじ伏せようとしていた。

でも今は、もう彼女自身のスタイルを確立している。


「じゃあ一つ聞くけど、取締役会はM&Aの失敗を許しますか?」


「……当然許されません。」


「じゃあもう一つ。今回の問題を引き起こしたのは私ですか?」


「……」


「ふーん。じゃあ最後に確認するけど、私の所属は広報部でしたっけ?」


「……いいえ、ですが──」


「じゃあ、プロの仕事はプロに任せるべきでしょ。尻拭いは広報部に。私の役割はQVを沈没させないこと。それが取締役会、あなた、私、みんながこの船に乗り続けるための方法でしょう?」


秘書の声がわずかに詰まる。


「……了解しました。取締役会に伝えます。」


真理奈は冷笑を漏らす。


「なんか、不服そうね?」


秘書は一秒の沈黙の後、答えた。


「いえ。ただ、取締役会がこのまま引き下がるとは思えません。」


真理奈は軽く笑いながら、堂々とした口調で言い放つ。


「簡単な話よ。もしQVが、私以外に利益配分を50%まで引き上げられる人間を見つけたら、喜んで広報やってあげるわ。」


「50%?!」

秘書の声が跳ね上がった。驚きが隠せないようだった。

「その数字がどれほどの意味を持つか、理解されていますか?」


「分かってるわよ。誰もが不可能だと思うことよ。でも私ならできる。取締役会は45%でも大喜びするでしょうね?」


秘書の態度が少し軟化した。

妥協の色が見え始める。


「……分かりました。取締役会にあなたの意見を伝えます。」


真理奈はさらに畳みかける。


「それと、これからは専門の仕事は専門の人間に振って。もう私にこんなことで時間を取らせないでくれる?」


「……承知しました。」


秘書は電話を切ると、彼女の異質な存在感に改めて気づいた。

取締役会に堂々と逆らい、そしてその論理が明快で、誰もが反論できないほど強い。


しかし、彼女はどうやって本当に50%を取るつもりなのか?


不安と期待が入り混じる中、彼はもう一つの電話を取り上げた。


「広報部か? すぐに危機管理対応を開始しろ。

──事実を認め、謝罪する。隠蔽は一切なしだ。」

真理奈は電話を切った後、もう一度壁にかかった馬の絵に目を向けた。

そして、ぽつりと呟く。


「倉田さん、本当に毎日優雅に暮らしてるのね。」


あのMETでの件以来、あのクソ男を徹底的に叩きのめしてから、真理奈の気分は大分晴れた。肩の荷もいくらか下りた気がする。

以前はこの馬の絵を見ても、ただ血走った目と飛び散る唾ばかりが気になって、ただの狂暴な馬だと思っていた。

しかし今は違う――この馬は気高く、自由奔放で、実に愛らしい。


そう思うと、真理奈はさっさと次の仕事に取り掛かる。

データベースの責任者に電話をかけ、簡潔に指示を出した。


「METとのデータ共有契約、最高レベルの制限をかけて。」


受話器の向こうから、機械のように淡々とした声が返ってくる。


「かしこまりました。ただし、それはMETとの共有契約に違反する行為となります。」


「そう?他には?」


「METのAIモデルの訓練に直接影響を与え、場合によっては製品のアップデートにも支障が出る可能性があります。」


「ふーん。」


相手が少し間を置き、さらに説明を続けた。


「はい。METのモデルは、当社のデータを活用して最適化されています。もし権限が制限されれば、訓練の進行が大幅に遅れ、場合によっては現在のバージョンが不安定になる恐れも……」


しかし、真理奈はそんなことに興味はない。右から左へ聞き流し、気怠そうに言い放った。


「知らない。いいから、今すぐ制限をかけて。」


「承知しました。制限は五分以内に適用されます。」


真理奈は満足げに受話器を置いた。

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