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倉田に捨てられたんだろ?だったら、今ここで俺に泣きついてみれば?

いよいよMETとQVの共同プロジェクトの利益分配交渉の日がやってきた。

デジャヴかと思うほど、蓮の気持ちは最悪だった。


まるで時間のループに囚われたように、同じ場面を繰り返している気がする。

近づいてくる足音、心臓の鼓動が早くなり、やがて——


あの真理奈が入ってくる。


蓮の呼吸が乱れた。

これまでは倉田と対峙することが多かった。だが今回は違う。

直接、真理奈と対決するのだ。


彼女の切り札は何なのか?


形勢は逆転している。

QVが最初に主張していた「利益の80%」など到底ありえないし、当初の取り決めである「55%」すら厳しい状況だ。


だが、蓮が最も気にしているのは利益配分ではなく——

彼女がどんな態度で自分に向かってくるのか、だった。


そして、真理奈が部屋に入ってきたその瞬間——

蓮は確信した。


——すべてが、仕切り直される。


今振り返っても、あの瞬間から何かがおかしくなった。

自分の行動を説明することは難しい。まるで別の誰かに体を乗っ取られたような感覚だった。


蓮は、無表情のまま、冷酷な声で口を開いた。


「METは、80%の利益を主張する。」


——完全なる挑発だった。

まさか、自分が倉田のやり口を真理奈にぶつけるとは?


真理奈の足が一瞬止まり、眉を上げる。


「……は?」


ゆっくりと椅子に腰掛け、疑わしげに蓮を見つめる。


「蓮、アンタ、その要求……正気?それとも交渉する気がないってこと?」


蓮は椅子の背もたれに寄りかかり、淡々と答えた。


「正気だ。今のMETなら、それが当然の条件だ。」


真理奈は、呆れたように小さく笑う。


「当然?清奈をQVから引き抜いただけで?」


彼女の声が微妙に引き延ばされる。


「……そうね、確かにアンタと清奈、似た者同士かも。どっちも汚い手を使ってのし上がるタイプだし。」


蓮は鼻で笑った。


「へぇ、人身攻撃?真理奈、倉田の操り人形のくせに、随分と偉そうだな。」


真理奈は小さく手を叩く。


「まだ倉田の影に怯えてるの?あの人の存在が、そんなにトラウマだった?」


冷たい哂いを浮かべると、彼女は少しだけ気の毒そうな目で蓮を見た。


「CEOになったってのに、未だに過去の亡霊に囚われてるなんてね。」


蓮の表情が一変する。

その瞳には、まるで毒を含んだような鋭い光が宿った。


「お前こそ、QVの飼い犬じゃないか。もう沈みかけの船だろ。何を勘違いしてる?」


真理奈の視線が鋭くなる。


「少なくとも、アンタみたいに裏切ることはしないわ。」


蓮は、彼女の方へ一歩踏み出す。


「裏切り?ハッ、お前、本当にQVを支えられるとでも思ってるのか?どうせ尻拭いさせられてるだけだろ?」


真理奈の手が、持っていた資料をぎゅっと握る。


「……アンタの妄想、付き合ってられない。」


彼女は資料を机に叩きつけた。


「METがQVを買収?笑わせないで。100人足らずの会社で何を寝言言ってるの?」


蓮は机に腰掛け、真理奈の顔を覗き込むようにして言った。


「SSIの投資を取り付けたからな。」


真理奈の表情が一瞬にして険しくなった。


「——何ですって?」


彼女は立ち上がり、蓮を睨みつける。


「まさか、清奈が?」


蓮は黙ったまま彼女を見下ろす。


「……アンタ、本気であの女を信用してるの?」


真理奈はふっと笑った。


「まさか、本気で清奈に惚れてるとか?」


蓮は表情を変えずに彼女を見つめる。


「お前に関係ない。」


真理奈は静かに机に手をつき、ゆっくりと顔を近づける。


「じゃあ教えてあげる。」


耳元で囁くように言った。


「清奈は、アンタを利用してるだけよ。」


蓮の指がピクリと動いた。


「……何?」


真理奈は、わざとらしく机の上の資料を整えながら、気だるそうに言う。


「清奈がどんな人間か、一番よく知ってるのはアンタじゃないの?」


蓮の呼吸が荒くなる。


真理奈は、彼の反応を楽しむように微笑んだ。


「さぁ、交渉、続ける?」


蓮の目がギラリと光る。


次の瞬間——


机の上に置かれていたグラスが宙を舞った。


ガシャァァァンッ!!


壁に激突し、粉々に砕け散る。


場の空気が、一気に凍りついた。

真理奈は一歩も引かず、むしろ冷笑した。

「どうしたの?悔しくて怒り狂ってるの?」


蓮は真理奈をじっと見据え、一言一言、噛みしめるように言った。

「倉田に捨てられたんだろ?だったら、今ここで俺に泣きついてみれば?」


真理奈はカッと頭に血が上り、手元のファイルを思い切り蓮に向かって投げつけた。

「ふざけんな!」


バンッ!——ドアが勢いよく閉まる音が響く。

真理奈の姿が消えた後、蓮の顔から冷淡な表情が消え、代わりに意味深な笑みが浮かんだ。


彼はゆっくりと顔に手を当て、つい先ほどの光景を思い出す。

真理奈は怒りに頬を紅潮させ、呼吸も乱れていた。……惜しいな。

ファイルが胸に当たっただけじゃなく、もう少しずれて頬を打っていたら完璧だったのに。


その考えが頭をよぎると、蓮はふっと小さく笑い、首を振った。

「力強いな……」


まるで強い酒を味わうように、彼は呟く。

彼女の一つ一つの反撃、燃えるような怒りの目。

ああ、やっと"生きてる"って感じだ——。


蓮は指先で机をなぞりながら、ぽつりとつぶやいた。

「……また怒らせたいな。」


そんな思考を振り払うように、彼は素早く机の上を整理すると、清奈と誠司にメッセージを送った。

「今すぐ来てくれ。」


三分もしないうちに、オフィスの扉が開いた。

清奈が優雅な足取りで入ってくる。その後ろには誠司が続いた。


蓮はデスクに軽く寄りかかり、何事もなかったような表情を浮かべている。

清奈は部屋に入るなり、まだ残る張り詰めた空気を察し、視線を走らせた。

端の方に散らばるガラスの破片を見つけると、唇の端を少し上げる。


「へえ、話が決裂したわけね?」彼女は楽しげに眉を上げた。

「蓮、ちょっと強引すぎたんじゃない?」


誠司は何も言わず、静かに立っている。

蓮は清奈の茶化しに反応せず、手で椅子を指し示した。

「そんな細かいことはどうでもいい。」


そして、衝撃的な言葉を口にする。


「清奈、俺はQVを買収する。」


沈黙が落ちる。


一瞬、それが冗談に聞こえた。

なにせ、真理奈が言ったようにMETはまだ社員100人にも満たない小さなベンチャー企業。

対してQVは1万人規模の大企業だ。買収なんて、夢物語にもほどがある。


だが、清奈は彼が冗談を言っていないことを理解し、すぐに思考を巡らせた。

「つまり……涼真の投資を受けて、QVを買収する?」


蓮は指先でデスクを軽く叩きながら、確信に満ちた声で言う。

「そうだ。SSIの資金さえ入れば、METはQVを飲み込める。」


彼の目は鋭く、絶対的な自信が滲んでいた。


「QVはもう下降線をたどってる。倉田は逃げた。真理奈一人じゃ支えきれない。

今こそ買い叩くチャンスだ。」


清奈は小さく頷き、一部は認めた。

「確かに……QVの次の決算報告はまだ出ていないけど、社内ではリストラや給与カットの噂があるわね。」


しかし、彼女は慎重に尋ねた。

「でも、本当に涼真の投資が決まったの?それに……本気で革命的な医療テクノロジーを作る気?」


蓮の目が、強烈な熱を帯びる。

「当然だ。METはこのチャンスを掴んで、時代を変える。」


清奈はさらに核心を突く。

「まだ私たちが知らない情報があるんじゃない?」


蓮は頷いた。

「涼真は了承した。初回の投資額は約100億。」


その言葉を聞いた瞬間、清奈の瞳孔がかすかに揺れる。


——100億。それなら、確かにQVは買える。


誠司も驚きを隠さず、わずかに眉を上げた。

だが、清奈はすぐに表情を引き締め、ため息をついた。


「……涼真からこれだけの資金を引き出すなんて、代償は?」


蓮は、あの時と同じ、どこか虚無的な笑みを浮かべた。

"開発の完全開示を迫られた時"の顔だ。


「対価は、対数契約だ。」


清奈は息をのむ。


——対数契約。

それは、決められた期間内に異常なレベルの業績目標を達成しなければならない契約だ。

もし達成できなければ、資金を全額返還、最悪の場合、会社そのものを失うリスクもある。


誠司が静かに口を開いた。

「……条件は?」


蓮はまるで軽い雑談でもするかのように答えた。


「二年以内に、METが革命的な医療テクノロジーを市場に投入し、15%以上のシェアを獲得すること。」


清奈は渋い顔をした。

「……新興の医療企業が、たった二年で15%の市場を奪う?涼真らしい無茶苦茶な賭けね。」


彼女はこめかみを押さえながら、言葉を続ける。

「市場シェアは、QVの買収でカバーできるかもしれない。でも、その革新的な医療テクノロジーは?」


蓮は即答した。

「今の技術をもう一歩進めれば、究極の形になる。

それは——『デジタルドクター』。誰もが24時間、専属の医療アドバイザーを持つ時代だ。」


誠司が慎重に頷きつつ、一つの懸念を口にする。

「……理論上は可能だが、必要な計算能力が膨大すぎる。SSIの資金だけじゃ足りないぞ。」


蓮は迷いなく答えた。

「涼真が先陣を切れば、投資家は後からついてくる。俺たちがすべきことは、常に結果を出すことだ。」


清奈は呆れたように笑い、ぽつりと言った。


「……本当に、狂ってるわね。」


蓮は満足げに椅子にもたれ、狩り場を見つけた獣のように笑った。


「狂ったやつだけが、世界を変えられるんだよ。」

清奈がオフィスを出る際、床に散らばったガラスの破片に目をとめ、眉をひそめた。

「…どうしてまだ片付けられてないの?危ないじゃない」

蓮は彼女の視線を追いながら、何か含みのある笑みを浮かべる。

「いいんだ、そのままで」

清奈は彼の意図が読めず、首を傾げた。最近の蓮は、ますます理解しがたい存在になっていた。


清奈がオフィスから出ると、三人組の視線が即座に彼女に集中した。

アリサが気づき、すぐにそちらへ向かいながら、ゆったりとした口調で尋ねる。

「何か聞きたいの?」

順平は待ちきれずに前のめりになる。

「なあ、もったいぶらないでくれよ。蓮と真理奈、どっちが勝ったんだ?」

清奈は呆れたようにため息をつく。

「勝ち負けしか気にならないの?」

アリサが申し訳なさそうに笑う。

「だって、午後のお茶代の賭けになってるんだもん、えへへ」

清奈はMET社員の思考回路にまたも呆れ返り、ちょっとした意趣返しのつもりで告げた。

「蓮が——QVを買収するつもりよ」


順平は一瞬、聞き間違いかと思った。

「ちょっと待て、それは……METがQVを買収するってことか?QVに買収されるんじゃなくて?」

アリサの手にしていたコーヒーが危うく噴き出しそうになり、慌てて口を押さえた。

「うちみたいな小さい会社が……蓮、またとんでもないこと言ってるわね!」彼女は合点がいったように目を見開く。「だから真理奈に殴られたんだ!」

「ヤバいな…」順平は圭介の方を向き、困惑気味に尋ねた。「お前の『父性コンプレックス説』でこれ説明できる?」

圭介は少し考え込む。

「ある意味では……もしQVが倉田の意志の延長と考えるなら、蓮がQVを買収するのは『父殺し』に近いかもしれないな」

順平は納得したように膝を叩く。

「で、真理奈は倉田の正統な後継者だから、この『父殺しの戦い』の最後の砦ってことか!経営戦争——嫡庶の戦!」

アリサは目を丸くする。

「ねえ……男の人の思考回路って、なんでそんなに飛躍するの?」


夕暮れ時、涼真は会員制クラブのテラス席に座り、琥珀色のウイスキーを傾けていた。手削りの氷球が月の表面のようにざらつきながら、グラスの中でゆっくりと揺れる。

彼は遠くの街の灯を眺めながら、気ままな時間を楽しんでいた。

突然、スマホの画面が光り、見知らぬA市の番号が表示される。

涼真の口元に淡い笑みが浮かんだ。電話を取る。

「もしもし」

受話器の向こうから、冷静で澄んだ声が響いた。

「こんばんは、真理奈です」

涼真の笑みが深まる。彼はグラスをそっと置いた。

「おや?」軽く驚いたように、そしてどこか愉快そうに続ける。「ちょうど君のことを考えていたところだったよ」

真理奈の声は、前回の冷たい態度とは打って変わっていた。

「前にあなたが話していた、あの『偉大なアイデア』……続きを聞かせてもらえる?」

涼真は軽く首を傾け、遠くにかすかに見える山のシルエットに目をやる。

「もちろん。でも、どうして急に続きを聞きたくなったのかな?」

「前回は色々と雑務が多くて……それに、METでは話しづらかった。だから、二人でじっくり話せる機会を作りたい」

涼真はくすっと笑い、低く含みのある声で言った。彼はいつでもスリルを歓迎する人間だった。

「なんだか秘密のデートみたいだね」

彼はグラスを軽く回し、氷がカラリと音を立てる。

「で、真理奈——君は蓮に隠れて、僕とどこでこっそり会いたい?」

真理奈は彼のからかうような口調を聞き流し、クールに応じた。

「あなたが決めて。ただし、蓮の目の前は勘弁してほしいわ」

涼真は目を細め、すでに非日常的なプランを思い描いていた。

「心拍数が上がって、アドレナリンが湧き出るような場所でもいいかい?」

真理奈は眉をわずかに上げる。

「聞き覚えがあるわね。それ、QVでの私の日常そのものだけど?」

涼真は彼女の即答に満足げな表情を浮かべた。

「いいね。じゃあ、明日の午後、Ledge Towerの最上階で」

一拍の間を置き、微笑を深める。

「遅れないでくれよ、真理奈——これは普通の会合じゃない」

「大丈夫、私は時間には正確よ」

涼真はグラスを軽く揺らし、氷が柔らかくぶつかる音が静かに響いた。

「それじゃあ、今夜はいい夢を」

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