二日酔いの告白は無効です!
蓮は苦笑しながら、肩をすくめた。
「うーん、それは難しい質問だな。」
彼は軽く背もたれに寄りかかり、どこか意味ありげな笑みを浮かべる。
「もしかすると、ピンとくる相手にまだ出会っていないだけかもしれないし、単純に急ぐ理由がないのかもしれない。それに、独り身も悪くはない。でもね、もしずっと真理奈みたいな人がそばにいたら……さすがに俺も、すぐに卒業するかも。」
彼はふと真剣な表情になり、まるで答え合わせを求める学生のように言った。
「これで、納得してもらえた?」
だが、真理奈はそのまま流されることなく、新たな話題を持ち出した。
「会社の規則、知ってるよね? 社内恋愛禁止ってやつ。」
蓮の目がわずかに細まり、わかっているというように笑った。
酔っているのかいないのか、どこか掴みどころのない彼女の話は、なぜかまた仕事へと戻る。
「もちろん知ってる。まあ、あれはちょっと厳しすぎると思うけどね。」
彼の口調は穏やかだった。
「規則は規則だけど……人の気持ちまで縛れるわけじゃない。とはいえ、真理奈が気にするのもわかるよ。」
蓮はそう言うと、グラスを軽く傾け、口をつける。
そんな彼を見ながら、真理奈は夜の空気を吸い込んで、静かに言った。
「私ね、あの規則、すっごくバカらしいと思うの。反人間的っていうか、意味わかんない。」
蓮は彼女の言葉に思わず吹き出した。
「反人間的、か。ずいぶん思い切った表現するね。でも……そういうとこ、嫌いじゃない。」
彼はグラスを軽く揺らし、氷がカランと音を立てる。
「確かに、恋愛にルールを決めるのは変だよな。他人にどうこう言われる筋合いはない。」
彼は一度視線を周囲に向けた。
店内には楽しそうに寄り添うカップルが何組もいる。
そしてまた、視線を真理奈に戻し、柔らかく微笑んだ。
「じゃあ……俺たちも何かするべきかな?」
また、蓮は決定権を彼女に委ねた。
彼のそんな態度に、真理奈は少し苛立ちを覚えながらも、さらりと危険な言葉を放った。
「……団結して、反対運動でもする?」
蓮は思わず笑い、身を乗り出した。
「おお、いいね。団結か。じゃあ、計画を立てよう。」
彼は冗談めかして言いながら、眉を上げる。
「まず、第一歩は?」
真理奈はわざとそっけなく返す。
「まずは、ルール違反したら即解雇っていうのを再確認しとこうか。」
蓮はその言葉を受けて、真剣な表情で考え込むフリをした。
「なるほど、それは確かに厳しいな。でもさ、こういうのって、リスクを冒す価値があることもあるだろ?」
彼はふと、周囲のカップルたちを再び見渡し、そしてまた、真理奈に視線を戻した。
「仕事ばかりの人生なんてつまらないだろ?」
彼の目は柔らかく、けれどどこか挑むようでもあった。
「それに、俺たちって別に何も悪いことしてないよな。ただ飲んで、話してるだけだ。」
そして、一瞬の間をおいて――
「……まあ、もし本当にルールが怖いなら、こっそり付き合う方法を考えるのもアリだけど?」
その言葉に、真理奈は一瞬虚を突かれた。
思ったよりも話が飛躍したことに驚き、冗談めかして笑い飛ばす。
「え、なにその速さ? もうプレゼン資料作る勢いじゃん。」
「仕事は効率的に進めるタイプだからね。」
蓮は肩をすくめながら、すっと微笑んだ。
しかし、彼女の言葉の裏にある"まだ本気じゃない" というニュアンスを察したのか、彼は軽く話を逸らすように続ける。
「ていうか、真理奈……最近、俺のコーヒー豆減るの異様に早いんだけど?」
「あ、それ私。こっそりもらってた。」
「お前か!! おかしいと思ったんだよ!」
蓮は大袈裟に天を仰ぐ。
空には星がなく、都市の光が広がるばかりだった。
「まあ……お前のカフェイン補給のためなら、俺も協力するか。」
彼は、どこか安心したような声でそう言った。
その瞬間、真理奈はふと考える。
彼と話していると、いつの間にか肩の力が抜けてしまう。
でも――それと同時に、彼は決して決定的な一歩を踏み出さない。
「……なんかさ、蓮って優柔不断だよね?」
「え、俺?」
「そう。仕事では決断力あるのに、恋愛ではすごい慎重っていうか、迷いすぎ。」
彼は目を丸くして、そして少し照れくさそうに笑った。
「そうかもな。でも、慎重に進めるのも大事だろ?」
真理奈はその言葉に、わざとらしくため息をつく。
「はぁ……まあ、いいや。じゃあ、もっと単純な勝負しよ。」
「勝負?」
「睨めっこ。先に笑ったほうが負け。」
「それなら、俺は絶対負けないぞ。」
「奇遇ね、私もよ。」
二人はじっと見つめ合う。
沈黙。
互いに微動だにせず、表情を崩さない。
そして、真理奈がふっと顔を近づけた。
蓮は一瞬、動揺したようにまばたきをする。
「なに……?」
「私、こういう時の必勝法知ってるんだよね。」
「ほう?」
真理奈は、さらに彼に顔を寄せた。
彼の目がわずかに見開かれる。
「……ちょっと待って、それは――」
「はい、笑った! 私の勝ち!」
「ずるい……!」
蓮は観念したように笑い、頭を抱えた。
「お前って、本当に油断ならないな。」
「ふふ、知ってる。」
蓮はふと、ため息混じりに呟く。
「……これから先、どうなるんだろうな、俺たち。」
「さあね。でも――」
真理奈は、悪戯っぽく微笑んだ。
「あなたが決めていいよ?」
蓮は笑った。
「それ、褒め言葉として受け取っていいのかな?まあ、真理奈が面白すぎるせいだよ。でも、本当に俺のことがうっとうしくなったなら、ここでやめよう。……ただし、もし続けたいなら、別だけど?」
「もう本当に酔っちゃって、頭がついていかない。少し手加減してよ。」
彼の声色が、どこか優しく甘やかすようなものに変わる。
「心配しないで。酔った相手に無茶なんてしないよ。じゃあ、もう何もしない。ただ、ここで風に当たっていよう。」
そう言って、彼は少し横にずれて、真理奈がテーブルに寄りかかりやすいようにした。蓮は彼女を見つめる。まるで芸術作品を鑑賞するかのように、抑えきれない感嘆と愛しさが滲む。
「今夜はもう十分、真理奈の勝ちだ。そろそろ俺にも休憩させてくれ。」
真理奈はゆっくりと手を前に伸ばす。夜の闇の中、彼女の白い指先はぼんやりと光って見えた。それはまるで、深海に揺らめく触手のようだった。
「でも、まだ頭はちゃんと働いてるから、これから言うことは、酔っ払いの戯言じゃないよ。」
蓮は、その指に絡め取られるまま、静かに微笑んだ。目の奥が、さらに優しくなる。
「ちゃんと聞くよ。一言も聞き逃さない。」
「……あのね、アリサが、蓮のこと好きみたい。私に、協力してほしいって頼まれた。」
蓮の表情が、一瞬固まった。驚きが、そのまま顔に出る。
「アリサが?」
すぐに状況を理解すると、彼は小さく笑い、しかし手の力は少し強まった。
「なるほどね……俺も、なかなかモテるってことか。でも、真理奈は本当に俺たちをくっつけるつもりだった?それとも、遠回しに俺を断ってる?」
「もう、断ったよ。」
彼女の言葉は少なく、飾り気もない。それなのに、彼の心はぐるぐると振り回される。まるで羅針盤が壊れた船のように、彼女の言葉の行き先を探し続けるしかない。
「……そっか。それ、アリサにとっては、ちょっと気まずいよな。俺からもちゃんと話したほうがいいか……でも、どうして断ったの?」
「だって、あの子、いつも私のお菓子を勝手に食べるんだよ。」
蓮は、彼女が酔っ払っていることを確信した。
「それだけの理由で、縁談をぶち壊したの?」
「うん。でも、もし彼女がたくさんお菓子を買ってくれたら、協力するかもね。そしたら、私も蓮とお菓子を分け合えるし。」
「それは魅力的な提案だな。俺も考えてみよう……でも、まずはそのお菓子をゲットしてからだな。そしたらデートしてやるよ。」
二人は、ふざけた言葉を投げ合いながら、まるで子どものようにくだらない話を続けた。
「それより、蓮は何のお菓子が好き?」
「しょっぱい系かな。ポテチとか。甘いのなら……チョコかな。真理奈は?」
「私はね……」
彼女は、ふっと笑って、蓮の目を見た。
「……蓮。」
彼は、その言葉を受け止めながら、少しも動じることなく、さらりと切り返す。
「俺をアリサとくっつけようとしてたんじゃないの?お菓子の取引が成立するまでは、しっかり仲を取り持ってもらわないと。」
真理奈は、小さく息を吐くように笑った。そして、ふと真剣な表情に戻り、少し間を置いて、静かに言葉を続けた。
「……これ、一度しか言わないからね。だって、本当に酔っちゃったから。」
彼女の声は、夜の静寂に溶けていくように響いた。
「蓮と知り合って、一年ちょっと。なんだかんだ、すごく大事な人になっちゃった。毎日、少しでも話せると嬉しい。蓮の青いシャツも、香水の匂いも……すごく好き。だから……私、蓮のこと……」
言いかけたところで、真理奈は力尽きるように、そのまま眠りに落ちた。
「……真理奈?」
蓮は、驚きと困惑の入り混じった表情で、彼女の穏やかな寝息を聞いた。
「……肝心なところで、これかよ。」
彼は苦笑しながら、そっと彼女の頭を支え、少しでも楽な体勢にしてやる。
店を出るとき、彼女の最後の言葉が、まだ心の中で静かに反響していた。
金色の朝日がカーテンの向こうでゆっくりと広がり、室温がじわじわと上がっていく。
真理奈はまどろみの中で目を覚ました。
見慣れない部屋だった。ほとんど何もないシンプルな空間。グレーのベッドシーツ、白い壁、淡い色のフローリング。
枕元の小さなサイドテーブルにスマホが置かれていて、それがこの部屋で唯一の彩りのように見えた。
「……え、ここどこ?」
寝ぼけた声でスマホの画面を確認する。
「えっ!? もうすぐ10時!?」
「おはよう。」
蓮がコップを持って部屋に入ってきた。すっかり目が覚めた様子で、どこか楽しそうに微笑んでいる。
「よく寝てたね。普段からこんなに寝るほう?」
彼の声には、昨夜の余韻がまだ少し残っているようだった。
「体調はどう?」
「おはよう…… えっと、もしかして私、蓮が看病してくれたの?」
「まあね。っていうか、ここ俺の家だから。」
蓮は苦笑する。彼の部屋は、以前から何度も「まるでホテルみたい」と言われていた。
もともとは流行りのミニマルな“侘び寂び”スタイルを目指したのだが、途中で面倒になり、結局シンプルなまま放置していたのだった。
「何度呼んでも起きなかったから、連れて帰るしかなかったんだよ。焦らなくていいから、ゆっくりして。昨日、飲みすぎたの?」
「えっ、私記憶飛んでる!? …やば、めっちゃ恥ずかしい。てか、そもそもお酒なんて2年ぶりだったのに……。」
「気にしなくていいよ。」
蓮は優しく微笑んだ。
「昨日は楽しかったし。」
ベッドのそばに腰を下ろし、コップを差し出す。シンプルなデザインのグラス——これも昔、侘び寂びを意識して買ったものだった。
「ほら、水飲んで。俺も少し酔ってたし、そんなに気にしなくて大丈夫。」
蓮は軽く肩をすくめて、彼なりの励ましを込めた。
「プレッシャー感じなくていいから。」
だが、真理奈はすでにプレッシャーを感じまくっていた。
普段、彼女は気を張って生きている。何をするにも慎重で、理性的で、冷静沈着。
けれど、一度その緊張が解けると、変な補正がかかるのか、普段では考えられない言動をしてしまうことがある。
「……ありがとう。でも私、何か変なこと言ったり、やらかしたりしてない?」
「全然。むしろ完璧だったよ。」
蓮はまた少し笑う。
「楽しく話せたし、酔っててもすごく可愛かったし。それに、俺は何もしてないから安心して。ベッドまで運んで、俺はリビングで寝てたから。」
彼は誠実な声で言った。
「ならよかった…… でも、蓮、さっきからずっと笑ってない? もしかして、私、めっちゃ変なこと言った?」
「いや、そんなことないって。」
蓮の笑いが深まる。
「ただ、普段はクールな真理奈が、昨日はすごくリラックスしててさ——ちょっと意外だった。」
そう言うと、彼の目がほんの少し、いたずらっぽく光った。
「それに、めっちゃおしゃべりだったし。」
「……えっ!? ちょっと待って、私、何言ったの!?」
「ふふ。」
蓮は背もたれに軽く寄りかかり、まるで爆弾を落とすように告げた。
「『蓮の青いシャツ、好き』とか、『香水の匂いも好き』とか…… それから——」
彼はわざと間を置き、真理奈の表情をじっくり観察してから、ゆっくり続けた。
「『蓮には、ちょっと特別な感情がある』って。」
「…………。」
沈黙。
「………………。」
さらに沈黙。
「…………………は?」
「大丈夫、俺は気にしてないから。」
蓮は茶化すように笑った。
「酔った勢いでつい本音が出ること、あるよね?」
「いや、いやいやいや、ちょっと待って!? 絶対そんなこと言ってない!!」
「いや、言ったよ。」
「言ってない!!!」
「言ったって。」
「……やだ……記憶ない……いや、絶対何かの間違い……。」
真理奈は頭を抱えた。
「まあまあ、そんなに動揺しなくてもいいじゃん。」
蓮は面白がるように言った。
「誰にも言わないよ。誰だって、酔ったらうっかり本音が出ること、あるからね。」
「…………。」
「で、今は何考えてる?」
「……とりあえず、遅刻する。」
「はい、仕事優先ね。」
蓮は苦笑した。
「大丈夫、ちゃんと間に合うように送ってくから。準備できたら教えて。」
「……うん。」
それ以上の話は、今はしない。
仕事が終わったら、改めて考えればいい。
朝日が照らす中、二人の間にあった微妙な空気は、出勤準備のバタバタに紛れて消えていった。
緊張と戸惑いの代わりに、残ったのは——軽やかな、そしてどこか心地よい余韻だった。
給湯室で、真理奈はカウンターに寄りかかりながらコーヒーが淹れ終わるのを待っていた。
ここ12時間の出来事を思い返し、若干の気まずさと、禁忌を破ったような妙な高揚感を感じていた。
そのとき、アリサがカップを片手に近づいてきた。
「おはよう、真理奈。」
「おはよう。」
アリサは目ざとい。細かい変化も見逃さない。
「ねえ、そのスカートすっごく可愛い!もしかして……今夜、デート?」
違うよ、アリサ。
まさか昨夜すでにデート済みだなんて、君には想像もつかないだろう。
心の中で小さく笑いながらも、表情はいたって平静に保つ。
「ううん、別に。」
真理奈は決して余計なことは言わない。
説明すればするほど、かえって不自然になってしまうことを、よく理解していた。
アリサは大きな目をぱちくりさせながら、何か考えている様子だった。
そして、ちょうどそのタイミングで、蓮がコーヒーを注ぎにやってきた。
二人の会話を、彼はしっかり耳にしていたらしい。
「おはよう、美人たち。」
蓮は気さくに微笑むと、真理奈に視線を向けた。
「真理奈、そのスカート、すごく似合ってるね。目が離せなくなるくらい。」
アリサは興味津々といった様子で蓮を見つめた。
彼女は蓮の言動を、それはもうよく観察している。
「ねえ蓮、もしかして真理奈に口説いてる?」
「口説いてる……?まさか。ただの褒め言葉だよ。職場で同僚を褒めちゃいけない決まりなんてないだろ?」
そして、彼はさらっと続けた。
「それに、仮に真理奈が今夜誰かとデートするんだとしても、それは俺じゃないしね。」
蓮の戦法は真理奈とは真逆だった。
彼は言葉を尽くして、むしろ情報量を増やすことで自然に見せようとするタイプだ。
アリサが混乱するほどの情報の波に飲み込ませるのが得意なのだ。
真理奈は心の中で大きくため息をつきながら、表情には出さずにその場を去ることにした。
「朝からそんなに詮索しないの。私は行くね。二人でゆっくり話してて。」
「へぇ、本当に何かあるの?」
真理奈の背中を見送りながら、蓮はふっと笑い、こう言った。
「とりあえず、今夜のデート、楽しんでね。」
その日、真理奈にとって職場はまさに戦場だった。
チーム全体が重苦しい雰囲気に包まれている。
上司の倉田はすでに活火山と化し、会議のたびに怒りを噴火させていた。
ひとつの会議が終わり、自分のデスクに戻る。
精神的にはギリギリだが、表情は崩さない。
こういうときこそ、冷静でいることが何よりも大事だ。
感情に流されても、何も解決しないことを、真理奈はよく知っていた。




