METにようこそ、復讐もビジネスのうち
三人はこの茶番を見て、なんとも言えない表情を浮かべた。
順平は目を丸くする。
「え、なにこれ……めっちゃカッコつけてるんだけど!」
アリサは眉をひそめた。
「でも、ちょっと乗せられそうになるのが悔しい……」
順平は、ふと思い出したようにアリサの肩を叩く。
「『別れても一緒に働けるなんて、集中力が違う』……なあ、俺たちもお前にもうちょっと敬意払ったほうがいい?」
アリサは冷ややかな目を向ける。
「まず、私はアイツと付き合ってないから!」
圭介は何も言わず、涼真の姿が完全に見えなくなるまでじっと見届けていた。そして静かに口を開く。
「清奈、結構彼に気を使ってたな。アイツ、ただの軽い男じゃないぞ。今のやり取りを見た感じ……もう真理奈がどんな人間か気付いてるな。」
アリサは舌打ちし、腕を組みながらテーブルに寄りかかる。
「うん、単なるナンパじゃなさそう。」
順平はテーブルをコツコツ叩きながら言った。
「なんか思い出したぞ……圭介が前に引いたタロットカード。」
三人は目を見合わせ、頭の中に同じカードの絵柄が浮かぶ。
『塔』――突発的な衝突と根本的な変化を象徴するカードだった。
死神、女教皇、そして投資家がオフィスのテーブルを囲み、三角形を作っていた。
蓮はちょうどいい塩梅の微笑みを浮かべながら、軽く身を乗り出して手を差し出す。
「涼真さんですね。初めまして。METへようこそ。」
「お名前はかねがね。」涼真はしっかりと蓮の手を握り、小さな腕の力を伝える。「倉田さん、血圧上がったって聞いてますよ。」
蓮は落ち着いたまま、軽くユーモアを交えて返す。
「そのうち、うちのAI診断システムの第一号患者になるかもしれませんね。」
涼真は微笑みながら椅子を引いて座ると、単刀直入に切り出した。
「正直、医療業界にはあまり詳しくありません。」
肩をすくめながら続ける。
「でも、私が興味あるのは、御社がどこまで行けるかです。」
蓮は穏やかに微笑む。
「詳しく聞かせてください。」
「AIの医療分野での活用は、診断の補助にとどまるべきではない。未来の医療システムにおいて、AIは単なるツールではなく、主導権を握る存在になるべきです。METはその変革を牽引し、業界を塗り替えるチャンスを持っています。ただし——」
蓮は微動だにせず、促す。
「その前提とは?」
涼真の目が一瞬だけ輝く。
「貴社がコンフォートゾーンを飛び出し、不可能に挑戦する覚悟があるかどうか、です。」
蓮は少し前傾し、わずかに野心を滲ませた口調で答えた。
「それこそ、METが目指している未来です。」
涼真は満足そうに微笑み、蓮の目をじっと見つめる。それは、まるで鏡に映る自分を確かめるような視線だった。
彼は立ち上がり、スーツの袖を軽く整える。
「では、次回のディスカッションを楽しみにしています。お見送りは不要ですので。」
そう言い残し、颯爽と部屋を後にした。
会議室には、蓮と清奈だけが残った。
清奈は愛想よく微笑みながら、投資家の背中を目で追い続ける。そして、ドアが完全に閉まるのを確認すると、ゆっくりと蓮に向き直り、興味深そうに問いかけた。
「それで、蓮。あなた、本気で彼と組んで医療業界をひっくり返すつもり?」
蓮は軽く首を振る。
「医療業界はそんなに単純じゃない。規制、倫理、業界の慣習……資本と技術だけでどうにかなるものじゃない。」
一拍置いて、清奈を見つめる。
「君が一番よく分かっているはずだ。」
「もちろん。だからこそ気になるのよ。あなた、涼真の力を借りて何を動かそうとしているの?」
彼女は片手を頬に添え、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「彼がMETに持ち込むリソースは強力。でもね、彼自身……決して普通の投資家じゃないわよ?」
彼女は横目で蓮を見やる。その視線には、探るような色が混じっていた。
「まさか彼を好き勝手させるつもりじゃないでしょうね?」
蓮はすぐに答えず、逆に問い返す。
「君は彼を以前から知ってるようだが、どう評価している?」
清奈は無造作に髪をかき上げ、気怠げに言った。
「涼真ね……一見すると典型的なお坊ちゃん。洗練されていて、礼儀正しくて、教養もある。いかにも一流の後継者って感じ。」
そこで言葉を切り、少し含みのある笑みを浮かべる。
「でもね、彼の本質はまるで違うわ。エクストリームスポーツ、高リスク投資、さらにはグレーゾーンの領域にまで手を出してる。彼はそういうのを楽しんでるのよ。」
彼女はテーブルを指で軽く叩きながら、核心を突いた。
「彼のあの落ち着いた態度に騙されちゃダメ。彼はルールを守るタイプじゃない。挑戦を好み、リスクに快感を覚える人間よ。氷の上でダンスするようなスリルを求めてるの。」
清奈は蓮をじっと見つめ、含みを持たせる。
「もし単なるお金持ちのパトロンが欲しいなら、彼は向いてないわ。でも……もし嵐を巻き起こすつもりなら——彼ほど頼れる存在はいないわよ。」
蓮は何も意見を述べず、ただ静かに言った。
「聞き取れたか?彼が求めているのは、イーロン・マスクだ」
「つまり……医療テクノロジーを現象級のビジネス成功に導く、狂気の起業家が欲しいってこと?」
清奈は腕を組み、探るように聞いた。
「でも問題は、蓮。君は“日本のアイアンマン”になりたいの?」
蓮は首を横に振る。
「俺の考えでは、マスクはまだ奇跡には程遠い。ただの成功した商人だよ。火星移住という壮大な夢を語り、ユーザーや投資家に幻想を抱かせ、彼の製品を信奉する信者を作ったに過ぎない」
清奈は考え込むように頷いた。
「つまり、涼真の狙いは……METを単なる医療テクノロジー企業に留めるのではなく、人々に“これは世界を変える”と信じさせること?」
彼女はくすりと笑い、少しからかうように言う。
「それは単なる技術革新よりずっと難しいわね。だってマスクが売っているのは“夢”よ。人は遠い未来にはお金を出すけど、医療業界は……正直な話、いまだに自動運転すら受け入れられていないのよ。誰も自分の命を使って試行錯誤なんてしたくないわ」
蓮は彼女の意見に同意しなかった。
「いや、健康こそが人類が最も投資する未来だ。もしかしたら、あの伝説的なシリコンバレーの起業家と彼女の“一滴の血で数十種類の病気を診断できる”というコンセプトを覚えているかもしれない」
「もちろん、エリザベス・ホームズでしょ?」
清奈は肩をすくめ、皮肉げに言う。
「彼女は詐欺で刑務所行きになったけど、それまでは本当に成功していたわ。まるで医療業界の救世主、女神みたいにね」
彼女は身を乗り出し、蓮をじっと見つめた。
「涼真が求めているのは、ただの医療版テスラじゃない。彼が望んでいるのは、新しい“神”よ。……で、蓮、あなたの野心はどれくらい大きいの?」
蓮は気まずそうに笑った。
「信じられるか?俺にはもう野心なんてないんだ。君の言うとおり、俺はつまらない人間さ」
「つまらない?」
清奈は鼻で笑い、椅子の背にもたれる。
「蓮、それ、他の人ならともかく、私には通用しないわよ」
彼女の口元には、からかうような笑みが浮かんでいた。
「野心のない人間が、大企業の安定したポジションを捨てて、METを創業する?野心のない人間が、涼真みたいな冒険家とつるむ?それとも……」
彼女は意味深な笑みを浮かべる。
「単に、まだ本当に面白い“ゲーム”を見つけていないだけ?」
彼女は指先でテーブルを軽く叩き、まるで蓮を目覚めさせるかのように言った。
「涼真が君を見込んだのには理由がある。だからこそ、彼はこんなに堂々と“奇跡”を語るんじゃない?」
蓮はただ、深くため息をついた。
「どう言えばいいかな……。昔、本社の管理職研修を受けていた頃、決められた役割をこなすだけの仕事に心がついていかなかった。今のMETは、その頃よりずっとマシさ。正直、このプロジェクトが成功するだけで、俺は十分満足できる。幸運な会社ってのは、たった一つか二つの製品だけで十年以上も安定して経営できるんだ」
清奈は黙って彼の話を聞き、最後まで待ってから、ゆっくりと口を開いた。
「随分と現実的な考え方ね」
彼女は微笑んだが、そのトーンは決して称賛のものではなかった。
「でも蓮……あなたって、本当に“十数年安定していれば満足”できる人なの?」
彼女は少し間を置き、蓮にその言葉を飲み込ませるようにしてから、さらに一言、鋭く突き刺した。
「それにね、たった一つの製品で十年以上生き残れる会社なんて、ほんの一握りよ。あなたにはその運があるのに、ただ座って、他の人が波を起こすのを見ているだけ?」
蓮は再び、苦笑した。
「……そうか、君の言いたいことは“俺が偽善者”だってことか?」
「別に偽善者とは言ってないわ」
清奈の目には、少しだけ理解の色が滲んでいた。
「ただ……あなた自身、まだ自分の本心を理解しきれていないんじゃないかと思っただけ」
彼女は何かを思い出したように、クスクスと笑った。
「だってね、もし本当に諦めているなら、涼真が何を言っても、あなたはブレないはずでしょ?」
彼女は唇を尖らせた。
「まあ、もし本当に“平凡に生きていく”と決めたなら、それも一つの選択よ。ただし、その結果、METが“幸運な会社”の一つになったとき……」
彼女はにやりと笑う。
「そのとき、退屈しないといいわね?」
蓮は、彼女を優しく見つめながら、ふと疑問に思った。
「……清奈は?君は退屈することってある?」
清奈は一瞬、意外そうな顔をした。
だが、すぐに椅子の背にもたれ、指先を見つめる。
数秒後、彼女は顔を上げ、まるで他人の話をするような軽い口調で言った。
「私の人生?……楽しいわよ」
蓮の目をまっすぐ見つめる。
「たくさんの人に会って、たくさんの話を聞く。時には少し手を貸して、彼らがどこまで行けるか見てみる」
彼女の瞳は、どこまでも生き生きとしていた。
「ビジネスだったり、娯楽だったり……どっちにせよ、私は退屈なんてしないわ」
彼女は視線を外し、何か面白いことを思い出したように微笑んだ。
「それより蓮……本当に“退屈”に耐えられるの?」
蓮は苦笑するしかなかった。
「……たぶん、無理かもな」
清奈は、ここが勝負どころだと感じていた。
目の前の起業家に、強烈な刺激を与える必要がある。
「でしょ?私がMETに来たのは、ただの小さなビジネスごっこに付き合うためじゃないのよ。正直になりなさい、蓮。あなたは野心家よ。ただ、今は倉田に勝てると思い込んで、退屈してるだけ。」
蓮は図星を突かれたように、静かにため息をついた。
どこか自嘲めいたトーンで呟く。
「……みんな、俺より俺のこと分かってるみたいだな。」
清奈は大きく伸びをしながら、さらに挑発を続けた。
「でもさ、本当に倉田に勝ったって思ってる?」
蓮の目に、一瞬だけ警戒の色がよぎる。
彼はすぐには答えず、沈黙したまま。
それを見て、清奈は満足げに微笑んだ。
「倉田は、退屈を嫌う人間よ。」
軽い口調だったが、その言葉には鋭さがあった。
「忘れないで。彼の手にはまだ真理奈がいるのよ。」
そう言いながら、清奈はカーテンを引き、外の真理奈を蓮に見せた。
そして、無慈悲にその可能性を口にする。
「信じる? 倉田が本気で仕掛けてきたら、あなたと真理奈の関係が修復不可能になるように動くかもね。」
蓮の視線は、外で電話を取りながら歩く真理奈に向けられた。
ふと、記憶がよみがえる。
あの頃——
何気ない瞬間の積み重ねが、いつの間にか取り返しのつかないものになった。
あの日も、彼女はこんなふうに電話に出ていた。
そして、気づけば二人の距離は開いていた。
胸が締めつけられる。
後悔と、言いようのない悔しさ。
ガラス越しに、真理奈の姿を目で追う。
彼女は庭の端に立ち、電話越しの相手に静かに頷いていた。
陽の光を浴びたシルエットが、柔らかく輪郭を描く。
——まるで、もう手の届かない夢のように。
清奈の声が、不遜な響きを帯びる。
「倉田が復讐するとしたら、正面から戦うことはしないでしょうね。」
彼女は一拍置き、言葉を継ぐ。
「彼は、あなたが一番大切にしているものが、少しずつ、少しずつ手の届かない存在になっていくのを見せつけるわ。」
蓮はようやく視線を戻し、深く息を吸い込んだ。
「……確かに、倉田ならそうするな。」
清奈は肩をすくめ、軽やかに言った。
「じゃあ、まだ自分には何も望みがないなんて嘘、つき続けるつもり?」
その言葉に、蓮の目の奥で何かが灯る。
彼は、苦笑しながら言った。
「QV出身者は、揃いも揃って人の心を弄ぶのが得意だな。」
清奈はいたずらっぽく笑う。
「当然でしょ? そうしなきゃ、あんな環境で生き残れなかったもの。」
そして、もう一度カーテンを引き、真理奈の姿を視界から遮る。
「それで、涼真にはなんて返事する?」
蓮の瞳には、もうさっきまでの無気力な色はなかった。
そこには、もともと彼が持っていたはずの鋭さが戻っていた。
「……退屈って言われたしな。」
彼は静かに言い、口元にうっすらと笑みを浮かべる。
「だったら、少しは面白いことをしてみるか。」
清奈は、その答えに満足した。
まるで羽を整える鳥のように、髪をかき上げながら、上機嫌に部屋を出ていった。
◆ MET社 オフィス ◆
順平は、その様子を遠くから見ていて、感心したように呟く。
「何だ、蓮の秘密の部屋か? 出てきたやつ、みんな妙に楽しそうなんだけど。」
アリサは不機嫌そうに言う。
「人事から正式通達が出たわよ。清奈、METに転職したって。」
「……それ、蓮の『美男計』なのか、清奈の『美人計』なのか、どっち?」
圭介が冷静に分析する。
「感情論は置いておいて、清奈はMETにとって間違いなく必要な人材だ。」
順平はすぐに反論した。
「感情論抜きって言ってもさぁ、蓮って職場恋愛多すぎなんだよなぁ。これはもう、ビジネスエリート特有の趣味だろ?」
アリサは呆れ顔で、手に持っていたコピー用紙を落としてしまった。
「……なんか今、遠回しにディスられた気がするんだけど?」
そこへ、すらりとした長身の社員が通りかかり、無言でアリサの書類を拾い上げる。
そして、透明なフレームの眼鏡を押し上げるしぐさをしながら、淡々と一言だけ残して去っていった。
「蓮は、同僚に恋愛錯覚を起こさせる人なんだよ。」
アリサはポカンとする。
「……今の誰?」
順平は、去っていく背中を見ながら言う。
「えーっと……技術部の人だった気がするな。」
圭介は静かに頷く。
「でも、あの人の言ってること、間違ってない。」
順平は、やたら楽しそうに持論を展開する。
「そうそう! 蓮って、生まれつき惹きつけるオーラがあるんだよな。圧倒的なカリスマに加えて、時折見せる脆さが、つい守りたくなる感じ? ずっと一緒にいると、恋に落ちたような錯覚するの分かるわ。」
アリサはうんざりした顔で、彼を睨む。
「じゃあ、あんたは蓮のこと好きなの?」
順平は、即答した。
「俺は男だぞ? さすがにそれはないわ。」
圭介は、清奈と蓮のいるオフィスの方を一瞥し、まとめるように言った。
「……まあ、どっちにしろ、清奈は本当に転職してきたってことだな。」
その瞬間、場の空気が一瞬だけ静まる。
そして、最初に沈黙を破ったのは順平だった。
「でさ、倉田はこのこと知ってるの?」
全員が目を合わせ、一気に盛り上がる。
「おぉ~これは……!」
「面白くなってきたな!」




