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幻影・欺瞞・隠された真実

蓮は真理奈を一通り案内した後、とあるオフィスの前で足を止めた。


「ここが俺のオフィスだ。じゃあ、ここで。あとは自分で戻れるだろ?」


清奈は首をかしげながら、ふっと笑みを浮かべた。その瞳には、わずかな企みの色が宿っている。


「え〜?もう終わり?蓮、もしかして私のこと、面倒に思ってる?」


その声は甘さを含み、どこかじゃれつくような響きがあった。


一歩近づき、蓮との距離を詰める。


「どう?私を中に入れてくれない?倉田さんがどうして私をここに送ったのか、あなたも気になってるんじゃない?」


蓮はドア枠に手をかけ、相変わらず丁寧だが、どこか突き放すような口調で言った。


「別に、興味はない。」


軽い調子だが、隙はない。


「ここはただのオフィスだよ。特に見る価値はない。」


彼女の顔を一瞬見つめた後、蓮はわずかに身を引き、距離を取った。


「それに、倉田さんの意図は——」

一拍置いて、ゆっくりと言葉を継ぐ。


「ご本人が話すだろう。」


清奈はわずかに落胆したようだったが、それでも優雅な笑みを崩さない。


「そっか。じゃあ、私は仕事に戻るね。後で会議で。」


蓮は軽く頷く。


「うん、会議で。」


彼は清奈の姿が廊下の奥に消えていくのを見送ると、静かにドアを開け、中へと入っていった。


清奈がすぐに戻ってきたのを見て、真理奈は見逃さず、皮肉っぽく口を開いた。


「へえ、ずいぶん長かったね。まさか蓮のオフィスでゆっくりしてたんじゃない?」


清奈は悪びれる様子もなく、袖口を軽く整える。


「あら、バレちゃった?」

彼女はわざとらしく嘆息し、冗談めかした調子で続ける。


「残念ながら、蓮は警備が厳しくてね。ドアノブにすら触れさせてもらえなかったわ。」


肩をすくめながら、戯れに言う。


それから、にっこりと微笑んで真理奈を見た。


「でもね……開かない扉なんてないのよ。そう思わない?」


真理奈はもう感情を整理し終えていた。まるで他人事のように問い返す。


「あなたと一緒に働くのは初めてだけど、普段からそういうやり方なの?」


彼女は清奈を頭の先からつま先までじっくりと見つめた。


「……ずいぶん古典的ね。」


清奈は全く気にする素振りもなく、むしろ楽しげに微笑む。


「あら?」

彼女はゆっくりと髪を弄びながら、同じように真理奈を観察し返した。


「古典的かどうかは、使う人次第じゃない?」


そして、いつもの癖で軽く首を傾げる。


「時には、古典こそが最も効果的なのよ?」


そう言うと、髪をひとつかみ後ろへ払う。自信に満ちた表情で、真理奈の皮肉などまるで意に介していない。


真理奈は軽く眉を上げた。あまり深入りするつもりはなさそうだった。


——明らかに、自分と清奈は相容れない。


そして、真理奈は知っている。清奈は、自分の代わりとして送られてきたのだ。


倉田の“競争ゲーム”は、いつもこういう形で始まる。


もしかすると、METとの交渉時、真理奈がわずかに情を見せたせいかもしれない。

あるいは、蓮が自分にだけ僅かに甘かったことが、倉田の気に障ったのかもしれない。


——どちらにせよ、倉田はもう真理奈に興味を失いかけている。


倉田の恐ろしいところは、失望しても決して口に出さないことだった。

彼は常に人を試し、不安を煽るのが好きなのだ。


だから、なぜ清奈がここにいるのかなんて、真理奈は問う必要すらない。


彼女に与えられた選択肢は、ただ一つ。


——清奈を打ち負かし、自分こそが最も優れた“道具”であると証明すること。


清奈も、それを理解していた。


まるで優雅で危険な猫のように、彼女は新しい“おもちゃ”を観察するかのような眼差しを向ける。


彼女はQVに長くいるのだ。倉田のやり方など、知り尽くしている。


言葉にしなくとも、お互いに敵であることは分かっていた。


「何?」


清奈はくすっと笑い、どこか挑発するような声で言う。


「私ともっと話さない?これからは‘仲間’なんだから。」


——その最後の単語を、わざと強調する。


瞳に宿るのは、純粋な“狩り”への渇望。


しかし、真理奈はまるでノイズを遮断するように、彼女の言葉をスルーした。


彼女は、感情に振り回されるタイプではない。


むしろ、相手の視点で考え始めるくらいには冷静だった。


清奈は言った——「仕事のために来たのよ。恋愛をしに来たわけじゃない。」


では、清奈はこの状況をどこまで把握しているのか?

彼女は、蓮との過去まで知っているのだろうか?


もし、清奈の態度が倉田の意向を反映しているとしたら——


いや、考えても意味がない。


重要なのは、倉田が清奈に何を約束したのか。


QVではすでに清奈は“総監督”の立場にいた。


それなのに、どうして“わざわざ”METのサポートプロジェクトに?

倉田が与えられる“さらなる昇進”なんて、本当にあるのか?


役職?


——それはない。QVの上層部は限られている。誰かを蹴落としてまでポジションを作るとは考えにくい。


では、資源?権力?


——かもしれない。しかし、清奈はすでに相当の力を持っている。わざわざMETのような“下位拠点”に乗り込むほどの価値はあるのか?


それなら、残る可能性は一つだけ。


——清奈が望んでいるものと、倉田が望んでいるものは、完全には一致していない。


真理奈の目がわずかに細められる。


もしそうなら、もし倉田が清奈を完全に掌握できていないのだとしたら——


自分にも突破口を見つけるチャンスがあるかもしれない。


そう考えた瞬間、真理奈は自分の大胆さに思わず身震いした。


気づかぬうちに、倉田に対抗しようとしている?


その考えにわずかな戦慄を覚えつつも、彼女は静かに息を整え、冷静な表情を取り戻す。


馬鹿げた発想だ。

倉田に真正面から対抗できる人間などいない。少なくとも、彼が作り上げたルールの中では、彼が敗北したことは一度もない。


かつて解雇された時でさえ、彼は莫大な退職金を手にし、間を置くことなくQVに転職している。


それでも——


真理奈の中に生まれたこの大胆な考えは、風船のように膨れ上がるばかりだった。


もし清奈が倉田の完全な支配下にないのなら、それは敵にもなり得るし、逆にチャンスにもなり得る。


そして、倉田のルールにおいて最も効果的な戦い方は——そのルール自体に挑むことだ。


この闘技場のゲームはすでに始まっている。

ならば、彼女が目指すべきはただ一つ——撕り裂かれる側ではなく、生き残る側であること。


心を固めると、表情の緊張が自然と解けていく。


すると、すぐに清奈の視線が再び挑戦的に向けられていることに気づいた。


真理奈は顔を上げ、冷静に尋ねる。


「……今度は何?」


「別に。」

猫が獲物を弄ぶように、清奈はゆっくりと首を振った。


「ただね、あなたの元カレ——蓮が、ちょっとオフィスまで来てほしいって。」


真理奈はため息をつき、視線をそらした。


「それなら、なんでまだここにいるの?」


もはや、清奈の言葉に心は微塵も揺れなかった。

彼女に対する感情が、すっかり変わってしまったから。


清奈は一瞬まばたきをし、まるでその変化を感じ取ったようだった。


「じゃあ、行ってくるわ。」


オフィスの外を歩く足音が聞こえた。


蓮はデスクに座ったまま、その姿を視界の端で捉える。


なぜか、彼はふと奇妙な感覚に襲われた。


まるで——彼女の歩き方が、真理奈に似ているような気がした。


その軽やかで自信に満ちた歩調。

その奔放な空気。


この雰囲気を、彼はよく知っている。


あの女の性格も、どこか真理奈と似ている。

そういう女性を、彼はいつも好きになった。


例えば——アリサ。

彼女の強い意志や積極的な姿勢に、かつて心を動かされたこともあった。


……これは、何を意味するのだろう?


だが、彼には一つだけ確信していることがあった。


倉田が理由もなく清奈をここに送るわけがない。


清奈は、蓮の前にゆっくりと腰を下ろした。


脚を組み、肘を椅子の肘掛けに乗せる。

指先でテーブルをなぞる仕草は、まるで遊び心があるようでいて、どこか挑発的だった。


「私を呼んだのよね?」


彼女は柔らかく囁くように言う。


まるで甘えるような、けれどどこか妖しい響きを持った声で。


蓮はじっと彼女を見つめる。


「時間を無駄にするつもりはない。」

彼は静かに口を開いた。


「倉田の狙いは?」


「ずいぶんと急ぐのね?」


清奈はくすっと笑い、椅子の背にもたれた。


指先がテーブルの表面をなぞる。

まるで何かを弄ぶように——あるいは、撫でるように。


「倉田が何を望んでいるか、私よりあなたのほうが分かってるんじゃない?」


言葉を一拍置いてから、唇にさらに深い笑みを浮かべた。


その声は相変わらず穏やかで甘いのに、不思議と危険な香りを孕んでいる。


「でも——もしあなたが知りたいのが」


彼女はゆっくりと身を乗り出し、蓮の視線に絡みつくように囁いた。


「私がここに来た理由が、ただ真理奈を弄ぶためかどうか、ってことなら——」


言葉を最後まで言わずに、彼女は蓮をじっと見つめる。


蓮はその挑発に乗らず、淡々と答えた。


「METは実直な会社だ。我々はただ、良い製品を作りたいだけだ。」


清奈は、まるで滑稽な冗談を聞いたかのように眉を上げる。


ゆっくりと立ち上がり、蓮のデスクに歩み寄る。


指先で机の表面を撫でるように動かしながら——


「実直?」


彼女は小さく笑う。


「小さな会社って、理想を語るのが好きよね。」


彼女は目を細め、容赦なく言い放つ。


「それとも、自分に嘘をつき続けた結果、本当にMETが資本の波に飲み込まれずに済むと思ってる?」


彼女は少し身をかがめ、彼の目を覗き込む。


「倉田の目的、まだ分からないの?」


彼女の声は柔らかく、まるで本当に蓮を気遣うかのようだった。


「彼が一番好きなのはね——」


「理想主義者が、現実に打ちのめされるのを見届けることよ。」


清奈は蓮の背後へと回り、そっと肩に手を置いた。


馥郁とした花の香りが、彼を包み込む。


蓮の肩がわずかに強張る。


だが、逃げはしない。


指先が軽く肩に触れたまま、まるで獲物を弄ぶように。


真理奈がそうしていたかのように——


「そんなに緊張しないで。」


清奈はささやいた。


それは催眠のような、魔女の呪文のような囁きだった。


「私、まだあなたを傷つけるつもりはないわ。真理奈も、ね?」


彼女は指先を蓮のスーツの肩線に沿わせる。


「METは良い製品を作りたい? でも、倉田は製品に興味なんてないの。」


「彼が興味があるのは——人よ。」


「彼の盤上で、ただ駒として動かされる人間たちだけ。」


蓮は、ふっとかすかな疲労を滲ませる。


「……俺はもう、倉田のゲームにうんざりなんだ。」

清奈は、その一瞬の隙を貪るように楽しんでいた。

彼女の指先がそっと撫でる。まるで慰めるようでありながら、さらに深い支配を刻み込むかのようだった。


「もう、あなたはこの局の中にいるのよ、蓮。」


彼女は彼の反対側へと回り込み、細い指を蛇のように彼の胸元へ這わせると、ネクタイの端を軽く引いた。


「もしかして……自分でこのゲームを掌握できないことに、苛立っているだけなんじゃない?」


彼女はゆっくり瞬きをしながら、囁くような優しい声で誘う。


「でもね……あなたはもっと高い場所に立って、全てを操ることだってできるのよ。ただ、操られる側ではなく。」


蓮は、溺れる者が藁を掴むような表情を浮かべた。まるで迷子の子供のように、清奈を見つめる。


「清奈……俺はどうすればいい?」


毒蛇のような眼差しが彼を見据え、満足げな光がちらりと宿る。獲物が自ら罠に足を踏み入れた瞬間だった。


清奈は微笑むと、彼のネクタイをそっと解いた。


「そう、そういうことよ……」

その目には、どこか計り知れない哀れみが浮かんでいた。

「蓮、あなたは聡い人間よ。ただ、少し優しすぎるだけ。」


彼女は静かに身を寄せ、囁くように誘う。


「でもね……私が教えてあげる。」


蓮は静かに目を閉じ、彼女の指が自分の肌を這うのを許した。


抵抗しないのを感じると、清奈の唇は自然と綻ぶ。


「お利口さんね、蓮。」

その声は、まるで甘い毒。

「従うことが、必ずしも悪いことだとは限らないわ。」


彼女の指先が、蓮の手のひらをゆっくりと撫でる。まるで、うごめく千足虫のように。


「ただし……」

彼女の唇が、蓮の耳元にかすかに触れる。

「立つべき場所を間違えず、選ぶべき側を見誤らなければ。」


蓮の意識が、ゆっくりと夢に溶けていく。


魅惑的な香りが彼を包み込み、彼は微かに身を傾けながら、清奈の耳元に囁いた。


「教えてくれ……どうすれば、君を手に入れられる?」


清奈は、狩りを終えた獣のように微笑んだ。


彼の頬をなぞる指先が、滑るように顎のラインを撫でる。

力を入れずとも、蓮の顔は自然と彼女へ向いた。


「私を手に入れたい?」


彼女の言葉は、まるで電流のように蓮の神経を駆け抜ける。


「私が望むのは、そんな単純なものじゃないの。」


彼女は一歩だけ距離を取り、その瞳に深い影を落とす。


「あなたは、何を差し出せるのかしら?」


蓮は苦笑する。

その表情には、なぜか自分自身への哀れみが滲んでいた。


「なら、もっと君のことを知る必要があるな。」


表向きは、倫理を欠いた男女の曖昧な駆け引き。

だが実際には、無言の交渉が交わされていた。


——どうすれば、君を引き込める?

——それは、どれだけの価値を差し出せるかによるわ。


清奈の指先が再び蓮の胸元をなぞる。


彼のわずかに速くなった鼓動を感じながら、微笑む。


「私を求める人は、他にもたくさんいるのよ。急がないと。」


ここまでの探りで十分。

清奈は、寝返る可能性があることを明確に示した。

あとは、蓮が彼女を買うための「対価」を用意するだけだ。


* * *


交渉を終えた清奈は、上機嫌でデスクに戻る。

そのせいか、真理奈に対しても少し穏やかな口調になっていた。


「あなたの元カレ、気に入ったわ。」


真理奈は顔を上げ、淡々と清奈を見つめる。


「そうですか。」


清奈は、その無反応さが気に入らず、さらに揺さぶりをかける。


「随分と寛大なのね。」


真理奈は、ゆっくりと視線を手元の資料へ戻し、淡々とした口調で答えた。


「清奈さんがご機嫌なら、それでいいですよ。」


清奈はじっと彼女を見つめる。

その静かな表情の奥に何かを探ろうとするが——


……何もない。


まるで、本当に気にしていないかのように、真理奈の目には揺るぎがなかった。


清奈はふと、真理奈にも「何かしらの才能」があるのだと悟った。

清奈のことはさておき、真理奈はむしろMETのテスト結果に関心があった。

彼らも外注と同じような問題に直面するのだろうか?


就業時間になった。清奈は颯爽と自分のデスクを後にしたが、真理奈が周囲を見渡すと、METの社員たちは誰も席を立つ気配がなかった。

彼女はアリサを引き止めて尋ねた。


「皆さん、今夜は残業されるんですか?」


「うーん、そういうわけじゃないんだけど……これは自主的なものよ。みんな、今のテストにかなり関心を持ってるから」


真理奈は、なおもデスクに残るMETの社員たちに視線を移した。

誰もが落ち着いた表情をしており、むしろどこかリラックスした雰囲気すらある。夕食をとる者、アイスを食べる者、ジム帰りの服装で戻ってきた者、目を閉じて休憩する者、さらには数人でオンラインゲームをしている者までいた。


彼らは「頑張って仕事してます」とアピールするために残っているわけではない。ただ、必要な時にすぐ対応できるようにという責任感と帰属意識から残っているだけだった。


真理奈はアリサの袖をそっと離した。


「……つまり、誰にも強制されてないってこと?」


アリサは肩をすくめ、笑みを浮かべた。


「蓮が自分を追い込んで残業することはあるけどね。でも知ってるでしょ? METはフラットな組織だから、みんな主体的に関わってるの。だから残るのも自分たちの判断よ」


真理奈は何も言わなかったが、複雑な気持ちだった。

これは決してパフォーマンスではないと理解している。かつての自分もそうだった——プロジェクトのためなら最後の一秒まで全力を尽くし、時間や労力を惜しまなかった。

しかし、彼女は身をもって知っている。

その先にあるのは、利用され、裏切られる痛みかもしれないということを。


彼女はふと我に返り、時計を確認する。もう遅い時間だった。


「そう……じゃあ、無理しないでね」


アリサの肩を軽く叩き、真理奈は蓮のオフィスの明かりを一瞥してから、静かにその場を後にした。


その後の一週間、真理奈はMETのテストデータを細かくチェックし続けた。

彼女の目的は明確だった——METと外注会社のテストプロセスに、どんな違いがあるのかを見極めること。


そして、蓮は最近、彼女にコーヒーを持ってこなくなった。

だが、真理奈は別にそれを寂しいとは思わなかった。

そもそも、そんなものは安っぽい好意の表れに過ぎず、最初から必要なかったのだ。


彼女は分析に没頭した。

そして、意外なことに気がついた。


METは、テストの中で一度も中〜高レベルのミスを出していなかった。

見つかったのは、些細なバグばかり。


真理奈は眉をひそめる。

……順調すぎる。まるで、作られたかのように。


「心に男はいない、そうするとIQが神レベルになる」


彼女は即座に二つの可能性を思いついた。


外注会社には、やはり内部に妨害工作をする者がいる。

METが出しているテスト結果は、フェイクであり、QVチームを欺くためのもの。

どちらの仮説も、彼女には検証する手段があった。


リスクを取らなければ、大きな報酬は得られない。

真理奈はもともと“情報を探る”のが仕事。今こそ、本分を果たす時だ。


彼女は目を細め、詳細なログや提出履歴を引き出し、データをダウンロードし保存した。

外注会社と照合すれば、何かが見えてくるはず——


その時、ふと気配を感じた。


誰かが近づいてくる。


真理奈は即座にウィンドウを切り替え、画面を誤魔化す。

その瞬間——


華やかなフローラルの香りが鼻をついた。そして、コーヒーの香ばしい香りも混じる。


清奈が、カップを彼女のデスクに置いた。


「蓮が最近、持ってこなくなったでしょ? かわいそうなのは見てられないから、仕方なくね」


そう言って、くすりと笑う。


挑発するような態度を取りながら、手土産を差し出す。


真理奈は無言でコーヒーを受け取り、そのまま一口飲んだ。


毒が入っていようが、どうでもいい。彼女はそんな顔をしていた。


清奈の視線が、一瞬、彼女のPC画面を横切った。


「へえ、タロットカードのページ?」


真理奈は肩をすくめ、あっさりと言う。


「人間ってね、どうにもならないことに直面すると、占いに頼るものなのよ……それより、このコーヒー、ちょっと変わった味がする」


清奈は少し得意げに笑った。


「特別にブレンドしてもらったのよ」


彼女は意味ありげに真理奈の表情を眺めながら言う。


「頭が冴える効果があるわ。……で? そんなに解決できないことでもあるの?」


真理奈は軽くコーヒーの香りを嗅いだ。

……なるほど、バンダンリーフが入っている。変わった組み合わせだが、意外と悪くない。


「いや、ちょっとした気晴らし。……あなたも占ってみる?」


清奈は目を細め、少し考え込む。


「……面白そうね。やってみようか」


彼女が引いたのは——【吊るされた男】(The Hanged Man)。


真理奈は画面を清奈に向けた。


「このカードは、『停滞・待機・視点を変えること』を意味するのよ。……時には『犠牲』もね」


真理奈は、ほんのわずかに眉を寄せた。


「どうやら、あなたの今後数ヶ月は楽じゃなさそう」


しかし、清奈は自分のネイルを眺めながら、まるで気にも留めない様子だった。


「ふーん。じゃあ、あなたの番」


真理奈はクリックして、一枚のカードを引いた。


【月】(The Moon)。


彼女の表情が一瞬だけ硬くなる。


「このカードは——『幻影・欺瞞・隠された真実』を意味する」


清奈は興味深そうに彼女を見つめた。


「……なんか、やけに現実味あるじゃない?」


真理奈はPCを閉じると、淡々と言った。


「占いなんて、結局は解釈次第よ」


清奈はクスッと笑い、真理奈のデスクを離れた。

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