第1話 魔王城門前の出来事
陸を離れ、全力とはいかないがそれなりの速度で飛び続けてもう何時間経過するだろう。そろそろ疲れてきた。早く着陸したい。
魔王城のある小さな陸地はもう目の前だ。凶悪な魔力が放たれて紫色になった雲はあの悲劇の日に見たものよりも色が濃い。
後ろから誰かが高速で近づいてくる。一切敵意を感じない何者かが、並行になって速度を落とした。箒に乗る、可愛らしい黒と白のドレスを着飾って深紅のローブを羽織った灰色にも水色にも見える長髪の少女だった。
「あなた、見たところ精霊ね?魔王様たちに手を出そうとするならこの場で首を落としちゃうけど、その覚悟ある?」
「魔王軍の人?なら、魔王様のところまで連れてってくれない?ボクは魔王軍に入る為に対蹠点あたりから来てるんだ」
「え?奇遇ね。私も魔王軍に加入しようと思ってたところなの」
「え?じゃあ、さっきのあたかも魔王軍かのような発言は?」
「魔王様にお土産を…と思ったけど、仲間になる人に対してはそんなことしないわ」
悪戯っぽく微笑む少女。その表情にすらどこか翳りがあった。彼女も何かしらの事情を抱えて来ているようだ。
「ねぇ、これからボクとキミは同期になるんでしょ?なら、自己紹介しておこうよ。ボクはネイ=ケイオ。まだ生まれて十年経つか経たないかくらいの男の精霊だよ」
「へぇ。どうりでちょっと幼い感じだと思った。私はシクラ・シアヌス。人間で、まだ十九歳の天才魔法少女だよ」
「キミもボクからすれば年齢より若く見えるよ」
少女——シクラと話しているうちに魔王城のある陸に到着していた。理由は違えど、志を同じくする者がいるのはここまでいいものなのだ。
「で、門番の人がいたり罠があったりするだろうけど、どう突破する?」
「きっと魔法はボクよりキミのほうが使えるでしょ?<罠感知>とか使ってよ」
「いいよ、早速天才だってところ見せつけてあげる!」
シクラはベルトで腰に携えていたステッキを右手で引き抜いて降った。数秒して、彼女は「あれ?」と間の抜けた声を出した。
「おっかしーなー、設置魔法はおろかショボい罠の一つも設置されてないよ。<罠感知>を極めてきた私が見抜けない、なんてことは考えられないし…」
相当自信があったみたいで、シクラは肩を落としていた。まあ、ここは一つ信じてみようか。
「シクラ、絶対に罠の類いは一切無いって言いきれるんだよね?」
「当ったり前よ!何、私を疑ってるの?」
「そうじゃなくて、シクラを信じてみたいんだ。ここでシクラが信用に値する仲間だって確かめておきたいんだよ」
「ふーん、ならすぐに証明するまでだね」
シクラは僕の腕を強引に掴んで歩き始めた。浮いている僕にはあまり関係ないけど、シクラは歩く速度が速い。
少しして、大きな門の前に出た。白く、細かな彫刻の施されたその巨大な石の門は、世界最大級の芸術ともよべるほどに違いない。
ただ、今はゆっくり門を眺めていられる場合じゃない。門番の二人組は、目の前にいる。
「あれ、侵略者?こんなところまではるばるご苦労様。残念だけど、私たち幹部はこの星に存在してるどんな有象無象よりも長い年月生きて戦闘経験積んでるから応戦できても生きては帰れないよ?」
「優秀な番犬の私たちがいることも分からなかったんだね。殺される覚悟はちゃんとできてる?」
<神速>のミドリ、<狂犬>のベル。この二人の噂も聞いたことはある。一切の侵入を許さない二人を殺すことは魔族でないことで神聖器を以ってしても難しいらしい。
「ボクたちは魔王軍に入る為にここまで来たんだよ」
「そんなハッタリが通用すると……。え?本当に魔王軍に入りたくて来たの?」
「ミドリちゃんの目が云うんだったら間違いないよ。私たちの仲間になりたいんだ。でも、久しぶりに骨のある相手と本気で殺り合えると思って少し期待しちゃったから残念かも」
「まあ、魔王軍に入るって言うからにはそれなりの実力があるんだろうし、ちょっと腕試ししても問題ないでしょ」
そう呟いたミドリが目と鼻の先に現れるのは一瞬もないことで、危うくみぞおちに拳を決められるところだった。
紺色のチェックのワンピースを着た華奢な体形のミドリは傍から見れば普通の少女で、魔王軍の幹部であることすら忘れそうになる。
聞いていた通り、ミドリは物理的な戦闘において魔王軍最強らしい。
「へぇ、君、精霊だよね?私のパンチを魔法で止めたのは君が初めてだよ」
「ボクはそこらの真精霊や邪精霊と違って両方の性質の魔力が使えるから、それが原因かもね」
「強いショタも私は好きだよ?」
「ショタ言うなー。確かに、齢は十年とちょっとだけど」
ミドリが曲芸的な動きで隙あらばこちらを攻撃しようとするのに対し、こちらも魔力による純魔法で対抗する。
純魔法は氷や炎を出さず純粋な魔力のエネルギーだけの魔法なおかげで、連射も簡単にできて有難い。
俺がミドリと攻防を続ける最中、横目でシクラの方を見た。対峙したベルは獣化して犬とも何ともつかぬ毛深く爪と牙の鋭い化け物になっていて、シクラは自身の魔法だけでなく使い魔らしき巨大な黒猫で対抗していた。
黒猫の月のように煌々と煌めく黄金の目がボクの目と合う。正直恐ろしい。
「ほらほら、よそ見してると負けちゃうぞ!」
ミドリの発言をボクは聞き流す。目の前に張った魔力の膜がパンチに反応して大爆発を起こす。
ミドリ自身にそこまでのダメージを入れることはできなかったけど、多少距離を離すことはできた。
「へぇ、ラタス以外にその攻撃の防ぎ方してる人初めて見た。君、本当に魔王軍幹部になれるかもね、最年少で」
「ラタス……。まだ居るんだね、ソイツ」
「ん?あの娘と何かあったの?まあ、世界各地で色々やってるから無きにしも非ずか」
「アイツがいなければ、ボクはここにいないかもしれない。けど、アイツがいたおかげでボクは苦しいことから逃げる言い訳を作れた。アイツがいなかったらボクはもっと惨めなやり方で人間に歯向かって、もう消滅してただろうね」
「命の恩人、ってヤツ?」
「それもそうだけど、アイツがいなければボクが幸せになれてたかもしれないことを考えると、許すワケにはいかないかな」
「そっか」
お互い攻撃し合いつつソレを防ぎ合ってるあたり、ミドリとボクは同じくらいの実力なんだろうか?
ボクとしては、敵意なしにこんなことをし合う茶番は早く終わらせてほしい。
「ミドちゃん、ベル。お前らが手こずってるってことは相当な実力者が来てしまったってことだな?自分にも戦わせてくれよ」
突然の声に、門の方を向く。銀髪のツインテールに、純粋な魔力と同じ色の両の側頭部から生えた四本の角、同じ色の瞳を持つ第三の眼。
間違いない。ボクがここにいる元凶を作り出した魔王軍最強の一人、邪神ラタス。味方になるとはいえ、心の底で許してならないと思い続けることになるであろう相手。
圧縮に圧縮を重ねた魔力の弾を人差し指から放つ。ラタスに直撃して爆発音と大きな砂煙が起きた後、姿を現したラタスは大量の擦り傷を負っていた。
「お、お前、強いな。ただ、それだけの実力があればミドちゃんはもう死んでる筈。手抜きで我々を侮るとはな……」
「違うんだよラーちゃん。この子とあの娘は魔王軍に入りたくて来たんだよ。それで、私たちの我が儘を聞いてもらってるの」
「何?じゃあ、今自分に攻撃してきたのは?」
「ボクがお前のことを嫌いだからだ」
十年前は生まれたばかりだったけど、今となっては敵じゃない。コイツには罪を償ってもらう必要がある。さて、どうしてやろうか。