泥人形の嫁
夜19時。仕事が終わり真っすぐ家に帰る。玄関を開けて
「ただいまぁ」
「・・・お”・・・・えり”ぃ・・・なさぃ・・・」
泥人形の嫁が迎えてくれる。
3日前から嫁の様子が変わった。10m程離れて見てみると身長や体型、髪の長さなど雰囲気だけで言えば以前の嫁である。しかしある程度近づくと明らかに泥でできた人形。肌に毛穴的なものは無くのっぺりとしており、瞳は瞬きをしていない。顔の輪郭もところどころが歪み、ぼこぼこしているところすらある。泥を乾かしたような灰白色は人肌とは似ても似つかず違和感を持たせる。小学生ぐらいが作ったレベルの粘土細工の頭部といったところか。声に関しては以前の嫁とは大きく異なり、かろうじて女性の声と認識できる程度。意思疎通に関しては可能…ではあった。
1週間前に嫁が俺に内緒でそのような泥人形を作るキットを通販で購入していたことは、嫁のスマホの履歴から確認出来ていた。あまり詳しく商品の用途や仕様について確かめていなかったのだが、3日前に仕事から帰ると玄関に泥人形が立っていた。注文の事実を知っていなかったら腰を抜かしていたかもしれない。そのような異常事態の中であっても俺はどのような仕組みでその泥人形の嫁が活動しているのかの方がすぐに気になった。
はじめは顔を覆う特殊メイク…、、マスクのようなものをかぶっているのかと思った。だがそうではないらしい。服こそ嫁のものを着ていたが全身が泥であった。ではそのような全身のコスチュームかと思ったのだが、しばらく触っている内に泥の小指が根本からぽとりと落ちたので中に人が入っているという線も消えた。会話はたどたどしかったが可能であり、一緒に行った新婚旅行先の記憶や、夫婦で過去に入った生命保険の記憶も共有していたので嫁の記憶は有していると考えて良い。どこかから遠隔で操作しているのかと隠れているであろう嫁を家中調べてみたのだが、いるのは目の前にいる泥人形のみのようだった。泥人形の全身や部屋の中を隅なく調べてもカメラやスピーカーのようなものの存在は確認できなかった。
どのように自立歩行をしているのか、どのように嫁の記憶を持ち会話が成り立つのか、この3日間、買い物や洗濯、食事の用意といった家事はどのようにしているのか。人であれば苦も無くこなせることであるが、泥人形がそれらを成すならば明らかにオーバーテクノロジーであろう。見た目が適当であるのも一周回って機能美として感じられた。たった3日しか経っていないが今では俺はそれを嫁だと認識している。嫁が泥人形に変化してしまったとは思っていなかった。しかし本物の嫁の身体部分がどこにあるのかという事は何故だかもう興味が失せて思考の外に押し出されていた。
ここ数年、嫁は俺に隠れて浮気をしていた。俺が仕事をしている日中に専業主婦である嫁は大学時代の後輩、元彼なる人物と週2~3回程で会っていた。疑惑を持つきっかけは嫁の嘘から。嫁のスマホのGPS。その位置情報が昼にカフェ、そしてカラオケを指していたので、それとなくその日の夜に確かめてみたのだ。
「今日、家にプレゼン資料忘れちゃってさ。家に電話したんだけど出なかったよね?どっか行ってた?」
「ううん。今日は出掛けてないよ。ちょっとお腹壊してトイレこもってたからその時かなぁ。」
…嘘を吐いた。一人でカフェからカラオケに行くような事は無いとは言い切れないが疑惑を持つには十分であった。しかもそれを隠そうとしたってことは…
探偵に依頼して調査をしてもらったところ、、、出るわ出るわ。浮気の証拠が。相手の元彼だという男も結婚をしていたのでW不倫という事になる。「ご近所でも皆が知ってる程に噂になっていましたよ。ここまで簡単な浮気調査は初めてでした。」と探偵に言われ、ひどく恥ずかしさを憶えた。
嫁は俺を呪い殺すべくこの呪いの泥人形のキットを購入したのだろう。発送元は青森県の恐山。100万円を超す泥人形にどのような効果・効用があるのかは分からない。そして3日前に何がどうなったのか、元の嫁はいなくなり、今は泥人形の嫁が家の事を嫁以上にしっかりこなす従順な存在となっている。仔細が分かったのは翌日の深夜。人間の嫁が自宅に帰ってきたのである。
ピンポンピンポンピンポンピンポン!ドンドンドン!
「開けて~!開けてよ~!!」
ガチャ
騒がしく嫁が帰ってきて玄関先でまくし立てるように話し出した。
友人から泥人形のキットが面白いらしいと聞き通販で衝動買い。数日してから自宅に届き、さっそく開封をして水を加えてさぁこれから人形を作り始めるぞというタイミングで、意識が突然無くなったらしい。目が覚めると、どこか分からないお寺のお堂で横になっていたとのこと。どこかで気を失っていたところを助けてもらった可能性も考えたのだが、拉致された可能性もあったのでその寺からこっそり抜け出したのだと言う。スマホは持っていなかったが財布は持っていたので町に出て、バスに乗り、駅に向かう過程でようやくそこが青森県であるという事を知ったのだと言う。何故自宅に連絡をしなかったのか?もっと早く帰れたのでは?と問うと、言葉を濁し、スマホを持ってなかったしお金も途中で無くなって帰るのに精一杯で特に理由は無いと言う。きっと、浮気相手には連絡を入れ相談し、支援を受けていたのだろう。こちらも嫁を探そうという気持ちは無かったし、端的に言えば人間の嫁にはもう興味も関心も無かったのだ。
人形の購入目的は俺を呪い殺して保険金を受け取り浮気相手と幸せになる事か?
その部分を伏せての矛盾だらけの言い訳を並べる人間の嫁に怒りの感情が湧く。なぜか気が付くと青森にいたという現象の不思議さに関しては、この4日間の泥人形の嫁を見ていたのであまり驚きは無かった。
「さっさと捜索願も取り消しておいて。あ、お風呂と食事は用意できてる?気が利かないわねぇ。」
「………っ!」
俺は玄関にあった金属製の傘立てで人間の嫁の頭をしこたま殴った。リビングから泥人形の嫁がタオルを持ってこちらに近寄り渡してくれる。
「どぉ…ぞ」
「はぁ…。はぁ…。あぁ、、、ありがとう…。」
翌日の土曜日。泥人形の発送元である青森県の恐山へ。死後硬直が始まりそうな部分的にかっちかちの嫁を何とかスーツケースに入れて捨てに行く。何故だかそうする事が一番自然であるような気がしたからだ。昨夜の嫁の証言から駅、町、山、寺に当たりをつけて車で近辺まで行き、そこからはスーツケースをごろごろと転がしながら歩く。すると寺に続く参道の途中でイタコ(?)と思われる老婆とその後ろに修験者(?)と思われる4人の僧がこちらに歩み寄ってくる。あぁ。約束などは当然していないが俺、、いや嫁に用事があって待っていたのだなと分かった。そしてイタコの老婆が言う。
「そぢらのスーツケースん中身こごさ寄越すな。」
「あ。はい。えぇ。構いませんが、何に使うのでしょうか?」
「日本全国には呪いに頼らざる得ねふとたぢが相当数いるでな。その人達のだめにあらだな依り代が必要なんじゃ」
「そ、そうなのですね。ではどうぞ。」
俺はスーツケースを転がしイタコの老婆の前へ運ぶ。後ろの体格の良い修験者の1人がスーツケースを受け取り、中身を確かめる事無く、1人先に寺の方向へスーツケースを運んでいった。急ぎの作業でもあるのだろうか?俺は興味があったのでイタコの老婆に尋ねてみた。
「すでに亡くなっている状態であるのは良いのですよね?部分としてはどこを用いるのでしょう?心臓ですか?それともやっぱり脳ですか?頭を殴っちゃったので使えないかもしれませんが…」
「ふぉっふぉっふぉっ!そった所、何さ使うんじゃ?当然、肝臓ど腎臓じゃよ。依り代作るだめには肝腎じゃよ!」
何故笑われたのかはよく分からないがとりあえず肝臓と腎臓が呪いの泥人形には必要なようだった。イタコの老婆と修験者達はそれだけ答えてくれ、俺に口止めをするでもなく、踵を返して寺の方へ帰っていった。寺の中で今からどのような作業が行われるのかは俺の知るところではない。さて、この土日の間に続けてもう1つの作業も終えてしまおう。
7年後
俺には戸籍上×はついていないが嫁には×が下ったのだと思うようにした。失踪届を出していたならば死亡が認定される期間が経過し、生命保険を受け取れる程の年月が過ぎた。しかし俺は失踪届を出していない。今も俺の家には家事を完全にこなし色々な相談にのってくれる泥人形の嫁がいる。
実家へと共に里帰りをしているが、何故か俺の両親は嫁が泥人形になったことに一切気づいてはいない。むしろ以前と比べて気立てがよくなり、よく働く嫁だと褒めている。
会社のお昼休みに定食屋に入ると3つ離れたカウンターに泥人形の男がいる。あの件以来、色々なところで泥人形が人間社会の中で活動しているという事に気が付くことができた。それまで他人に興味が無かったからその存在に気付かなかったのか…、あの日に呪いが解けたのか…、それとも呪いにかかったのか…は分からない。毎日数体は泥人形が人間のフリをしている状況を見かける。それらを見かける度に人間の嫁の肝臓と腎臓が入っている個体かも…、それともその浮気相手の男のものかな?と頭をよぎる。
俺の横にいる泥人形の嫁に入っているどこぞの肝臓と腎臓は俺にとって肝腎な事柄ではない。青森の方向には足を向けて寝られないな。複数の懸念を同時に解決してくれた安い買い物であった。
世界の悪人が泥人形にすげ替えられるならば世界平和など容易だろう。1人で百万円少しは高額だと思っていたが案外、安いのではないか?ただそうすると青森のあの人達が過労死してしまうな、、
泥人形が増えた事実などうわさにもならず今の幸せな日常が続くことを祈っている。