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注:オレは人のココロを操るゾンビですが、人体に有害でも無害でもありません  作者: 私物
第一章 消息代理人という旅人は、真逆で矛盾にできている
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エピローグ「使い道のない兄弟」

「明日のことは心配するな。

 今日どんな災難が降りかかるか、わからないのだから。」

 ――ユダヤのことわざ

 オレたちは今日、ラジオ局のお膝元「シドロヴァ」という街を出発する。


 ただ、朝からあいにくの曇り空に見舞われた。

 オレは光に当たらないと体力を回復できない。この天気には、強い不安を感じる。

 それでも、次の街に消息を届けるため、長い長い徒歩旅へと出なければ。今日一日、体力が持ってくれることを祈るしかない。


「ねえネエサン、見て見て! 動く車に乗せてもらっちゃったから、旅路がどーんとショートカットできちゃったよ! 大躍進!」

 地図担当のリオは、オレの先を歩きながら上機嫌だった。

 オレたちの旅路は、しばらく旧時代の国道を道なりに進んだ。


 だが、先を歩いているリオが、急に振り返って訊いてきた。

「米沢ニイサン、市街地が見えてきたよ。あそこ、リビングデッドが大勢いそうかな?」

「……ん……?」

 無意識のうちに、オレは景色も見ずに、うつむいて歩いていた。


 顔を上げれば、確かにそろそろ市街地が近い。

 基本的に市街地は、リビングデッドが過密している危険なエリアだ。ただし、場合によっては数がまばらなこともある。

 鼻がいいオレなら、その密集具合を遠くから把握できる。なのにオレは、擬態を維持することに集中しすぎて、そこまで意識が回っていなかった。

「あ、ごめん、そうだな……リビングデッドの、数、は……」

 マフラーを下げ、顔を上げ、大気の匂いをよく確かめてみた。

 ただ、匂いと擬態、両方に集中すると、目眩を感じる。

 体力が、もう……。


 そのとき、春風がそよいだ。


「……あっ!」


 ささやかな微風に煽られて、背負っていた荷物のバランスが狂った。

 体勢を立て直そうにも、ザックを背負い切れない。オレの首が、落ち――。

「に、ニイサン!?」


 バシャッ――水風船が割れるような音が鳴り、アスファルトに黒い血がブチ撒かれた。


 オレはすぐさま擬態に集中した。流出した黒い血を集め直し、頭を持ち上げ、また人間らしく見える色と形を形成させた。

「米沢ニイサン! ちょっと、平気?」

 オレの背後に、リオが心配そうな声を上げて駆け寄ってくる。

「……平気、だ……オレは、まだ……うご、ける……」

 今はとにかく「普段通り」の擬態に集中しなければ。

 ひどい目眩がする。体力が底を尽きかけている。太陽が出ていないだけで、こんなに厳しくなるとは思わなかった。


 だが、顔を上げたとき、恐ろしいものが見えた。

 オレが借りた大事なドッグタグが、アスファルトに転がっている。

 早くあれに、手を伸ばさないと。

「……っ……!」

 それでも、手を伸ばすと、血の重さに耐えきれない。指先からドロドロと形が崩れていく。

 背後にリオが立っている。オレがリオを待たせている。早く、立ち上がらないと。


「ニイサンって、本当……僕を頼るのが■■■■だよねっ!」


「……え?」


 ろくに聞き返す暇もなかった。

 気づけばオレは――リオに抱き上げられていた。


「り、リオ!?」

「あははっ! お姫様抱っこって奴!」

 リオは、一八〇センチ近いオレを抱き上げたまま、颯爽(さっそう)と旅路を進もうとしている。

 今のオレの身体は、頭と二リットル程度の血液しかないから、全体重を合わせても数キロほどだ。とはいえ、リオの荷物になるなんて、死んでも御免だ!

「や、本当にオレは平気だ! まだ自分で……」

「駄目だよ」


 見上げると、リオはか弱い女の子の擬態を、少しだけ脱いでいた。

 彼は春風を心地よく浴びている。進むべき道を見定め、清々(すがすが)しく笑っていた。


「駄目だよ! ね? ネエサン!」

 リオは気前よくそう言っては、背後にいるベッケンバウアーに、ウインクを投げた。

 オレはリオの肩越しに振り向いた。

 驚いたことに、ベッケンバウアーが率先(そっせん)して、オレが転がしたザックやショルダーホルスターを引き受けている。

「……ベッケンバウアー、お前がオレに手を貸すなんて、明日は世界でも滅びるのか?」

「なぁに、私は君に感謝しているよ、米沢くん。君が君自身を殺害する動機を得るためには、どのようなファクターを必要とするか……それが是非とも知りたくなった。私が全身全霊で取り組む価値のある、崇高な研究テーマだとは思わないかねぇ?」

 棒付きキャンディを口にしているベッケンバウアーは、コクリと、小首をかしげて笑った。

 彼女の顔の右側が見えたとき、火傷の痕はなかった。今は間違いなく、「ナンシー・ベッケンバウアー」の人格だ。


 ただ、彼女はふと口からキャンディを外した。

 オレを真っ直ぐ見つめ、厳しく語った。


「……いいですか、いいですか? あなたはまったく自覚してくれませんけれども、あなたはこの子にとって、極めて危険な存在です。この子に危害を加える前に、あなたの危険性を証明し、あなたを必ずや、排除します。それが私の、責任でもあります……」


 オレはリオに抱えられたまま、彼女の研究熱心なところを、初めて恐ろしく感じた。

「参ったな……リオのネエサンの研究テーマって、そういう意味だったのか……」


 オレは力なく曇天を見上げて、ため息をついた。

 そのゲンジツは、当然、自分が一番よくわかっている。だがオレは、リオを危険から護る役目を、米沢から預かっている。

 オレがこの役目を果たせるうちは、必ず遂行しなければならない。途中で放棄することは、甚大(じんだい)な命令違反にあたる。


 ただ、いつまでもゲンジツから目を背けてばかりもいられない。

 オレはいつか、リオにとって危険な存在になる。

 そう言うネエサンの裏にも、ナタリアの人格が潜んでいる。


 早くリオのためにも、オレとネエサンを、駆除しなければ――。


***


 その日、旅路はゆっくりと進んだ。

 予定の半分も歩いていないが、もう夕暮れだ。今日も日没がこようとしている。

 さて、旅人のオレたちが夜を越すためには、これから安全地帯を用意しなければならない。


 オレはマフラーを下げて、周囲の匂いをよく確かめた。

 間違いない。この近くには、ナンシー型の通常種しかいない。つまり、ありふれたゾンビしか出現しない地域だ。


 夜になれば人の気配を察知して、ゾロゾロと通常種が押し寄せてくるかもしれない。ただしこのエリアは、そもそも個体数がまばらだ。()う・歩く程度のことしかできないゾンビが、数十体ほど集まってくるだけだろう。事前に丈夫なバリケードを用意して、安全地帯に引きこもっていれば、夜をしのぐのは難しいことじゃない。


 その日はリオの一存で、小ぶりな民家の廃墟を寝床にすることが決まった。

 幽霊屋敷のように、埃と蜘蛛の巣だらけの民家だ。この家は放棄されてから、十年以上は経っているんだろう。


「よーし、完璧! ニイサン、ネエサン、バリケードの設置、終わったよ!」

 階段下から、皿が次々と割れる音と共に、自慢げな声が聞こえてきた。

 恐らくリオは、何も考えずに食器棚を倒して、階段前を封鎖したようだ。貴重な骨董品を数多く犠牲にすることで、今晩の安全地帯は完成した。


 その一方、ベッケンバウアーは、珍しく二階でリオの役に立つことをしていた。廃墟に残されているものを物色して、有用なものを見つけ出す、廃墟探索(スカベンジ)を続けている。

 あいつ、普段はあんなことをしないくせに、オレへの当てつけかと邪推したくなる。


「フフ……そういえば米沢くん、あのとき君は、リオちゃんに何と言っていたかなぁ……アァ、そうだ! 『リオ、君もリビングデッドになった方がいい! 人間の身体って、本当に居心地が悪いし、使いにくいじゃないか!』」

「やめろ、やめてくれ……それ以上ゲンジツを見せつけられると、死にたくなる……」

 オレは二階で、埃だらけの廊下に座り込んだまま、苦虫を噛み潰す気分で顔を伏せた。

「いやはや、よかったねぇ、米沢くん。君は太陽が沈まぬ限りは、大変おめでたい気分でいられる肉体を得たのだぁ。夜の間、君が使い物にならないなどと、実にささいな問題さぁ、アッハハハハ!」

 ベッケンバウアーはそう言って、好きなだけ高笑いしている。その片手間に、リオが喜びそうな品をせっせと発掘し続けている。


 護身用の拳銃と弾丸。キッチンに眠っていた食用油。防水機能を備えた災害用ラジオ。その上、質のいい腕時計まで見つけてきた。

 驚いたことに、腕時計は光にあてたとたん、針が動きだした。太陽光で充電できるタイプだから、今でも時計として使える。

 あいつ、ビギナーズラックとは言っても、とんでもない豪運だ。初めての廃墟探索(スカベンジ)でこうもアッサリ見つけてくるなんて、ズルすぎないか?


 ただ、悔しいが、あいつの言う通りだ。オレが清々(すがすが)しい気分で活動できるのは、あくまで太陽が出ているときだけだ。

 何せオレの身体は、エネルギーを体内に蓄えることがほとんどできなくなった。光に当たっていないと、爆速で息切れが起きる。昼に体力をフル充電しても、太陽が沈めば、活動限界は十五分といったところかもしれない。


 ――チャリっ……。


 オレは廊下の隅に座り込んで、ドッグタグを握り締めていた。

 油断すると身体が崩れて、チェーンが首をすり抜けそうだ。何かの拍子にこれを失くしそうな気がして、恐ろしかった。


「ニイサン、焚き火ができたよ! ここじゃ寒いし、向こうで火に当たろっか!」

 リオが得意げに声をあげ、廊下を駆け寄ってくる。床に積もった埃が、真っ白に舞い上がっていく。

 オレの身体は、また軽々と、リオの手に抱き上げられた。


「ごめ、リオ……使い道のないニイサンで、本当、ごめん……」

 何かリオの役に立ちたい。何をすべきかわかっている。だが、今のオレには、何ひとつ使い道がなかった。人間に擬態しているだけの、ただの邪魔者だ。


 だが、リオの反応は、オレが恐れていたものとは――真逆(アベコベ)だった。


「平気、平気! 米沢ニイサン、少し僕の腕の中で、休んでなって!」

 彼はオレに、好き勝手に頬ずりしてきた。その瞬間、リオからは、嬉しそうな匂いを感じた。

「……ねえ、ニイサン。僕、ちょっとは、えらくなったかな? ニイサンに頼ってばっかりじゃなくて、ニイサンに頼られても平気なくらい、成長してきたかな?」


 彼はそう言って、顔を上げた。

 なぜか心細げに、オレの目を見ている。


「まだまだ頼りないかもしれないけど、もうちょい僕のこと頼ってよ、米沢ニイサン!」


 オレは、なぜか涙が出そうになりながら、リオの言葉にうなずいた。

「……わかった……君の命令に、従う……」


 こんな調子じゃ、明日も旅路は遅々として進まないだろう。ラジオの天気予報では、明日もスッキリしない天気が続くそうだ。

 これには頭を抱えたくなる。今日も明日も、オレがリオの足を引っ張るとの予報がでてしまった。


 ただ、オレの頭の中にいる米沢牛は――珍しい反応を示していた。


 オレの頭の中には、いつだって、リオの本当のニイサンがいる。オレに背を向けている彼は、肩を震わせて笑っていた。「お前、ニイサンのくせに、オトウトにおんぶに抱っこかよ」とでも言いたげだ。


 ただ、オレは米沢牛に言ってやりたいことがある。オトウトの足を引っ張るのも、出来の悪いニイサンの仕事だ。それは君が一番よく知っているくせに。


 何せオレたちは、消息代理人だ。旅路が停滞するなら、それはそれで商売になる。脇道に目をやる余裕ができて、ひょんなことから、長年見過ごされてきた消息を見つけるものだ。


 車や列車持ちの連中は、オレたちが苦労して歩く横を、いとも簡単に追い越していく。ただ、彼らは足が速いだけに、大事なものを見落としていく。彼らが見落としたものを拾って歩き、義理堅く自分の手で届けに行くのが、のろまなオレたちにできる仕事。依頼人を代理して、故郷に消息を届けることから、オレたちは消息代理人と呼ばれている。


 だから消息代理人という旅人は――真逆(アベコベ)矛盾(チグハグ)にできている。


 窓の外には、無数のうめき声が集まってきた。オレたちがいる廃墟の二階では、キッチンのシンクでパチパチと焚き火が燃え盛り、明るくあたりを照らしている。

 オレはふと、となりを見た。焚き火のそばには、世間知らずな女の子にしか見えない、小さな大先輩が座っている。リオは欲張って、干し肉を大きめに切っていた。案の定、なかなか肉が噛み切れず、悪戦苦闘の真っ最中だ。

 振り向けば、窓辺にはネエサンが座っている。今日は珍しく聖書を手にしていない。彼女は遠巻きにリオの背中を見守っては、嬉しそうに目を細めていた。


 この消息代理人の群れには、今はもう、リオしか人間は残されていない。

 リオひとりだけとなった人間社会に、正体がバレた擬態種(ミミック)が二匹、

 今もなお、寄生している。


「ニイサン、やだやだ! 今、ラジオのトークが、ちょうどいいところなの!」


 その日の夜、リオは無事に、十五歳の誕生日を迎えた。



 ―第一章・完―

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