第九話 致死毒の用法・用量・3
エイダンは懸命にオレの目を見返して、強気な笑顔を作っている。
自分は正しいと言いたげな。君は間違っていると言いたげな。極めて自信過剰な作り笑いだ。
さて、次の毒を使う番だ。
これ単独では何も毒性はない、ただの無色透明な言葉だ。
「あなたは、ただ死ぬほど寂しかったから、彼の両親を殺した……そうですよね?」
それに対して、エイダンは困惑してくれたのか、眉をひそめて笑ってくれた。
「あっははは! あの、何言ってるんですか? 意味がわからないんですけど!」
それに構わず、ただただ淡々と、無毒無害な準備毒を塗り込んでいく。
「あなたはラウルから、本当はこう言われたはずだ……『俺はこの街にいるべきじゃない。俺がいると、両親は俺のことを、手塩にかけて育てようとする。俺にはもったいない両親だ。俺のことばかりに、かまけさせちゃいけない。だから俺は、ペドロフに出稼ぎに出て、しばらく両親の元を離れるよ』と……」
「ははははっ! そんなこと、ラウルが言うはずないじゃないですか!」
「ま、あなたが寂しく感じるのも、無理はありませんよね。何せあなたは、街で唯一の『自動車調律師』の家系。しかも、あのときすでに、あなたの両親は、自力では動けない身体になっていた。仕事と両親を放棄して、ラウルと共に故郷を離れることは、あなたにはできなかった」
準備毒をたっぷり浴びせると、害虫はこらえ切れず、腹を抱えて爆笑した。
「あっははははは! もう止めてください、お腹が痛くなってきましたよ! 確かにぼくには、そういう家庭事情はありますけど……ふふっ、君は自分が変なこと言ってるって、気づきませんか? ねえ、まだ気づかないんですか? ふふっ、あっははははははは!」
彼は手を叩いてひとしきり笑うと、笑い涙を拭って、オレを指さした。
「だって! ただの出稼ぎですよ? 親友としばらく離れるなんて、誰だって経験することじゃないですか。なのにそれが原因で、ぼくがラウルの両親を、殺したって言うんですか? ふふっ、ふふふふふ……あっはははははははは!」
害虫は肩をすくめ、額を押さえ、天を見上げ、清々しいほど大笑いしている。
美しく艶のある外殻は、まだどこも傷ついていないと信じ切っているのかーー
「しょうもない!」
と、勝ち誇った笑顔で叫んだ。
さて、そろそろ次の毒を使う番だ。
これもまた、毒性はない、ただの無色透明な言葉だ。
ただし、先ほどの毒と混ぜ合わせれば、化学反応が起き、■■■■に変化するものだ。
「何がそんなにおかしいんですか? 何せあなたは、親友がいても……友達がいないじゃないですか」
そのとき、エイダンの笑顔が――ヒクリと、引きつった。
ザリリッ、屋外のラジオの音割れが、耳につく。
「……はは……米沢……何、言って……」
「あなたを見ていれば、誰だって気づきますよ。あなたは一番の親友さえも……せいぜい、友達未満の関係だ」
彼は懸命に口を動かし、何か言い返そうとしている。
ただ、何も言葉は出てこなかった。
「誰もあなたの寂しさに、気づかないじゃないですか。誰もあなたの苦しみに、興味ないじゃないですか。あなたの周りには、いるんですか? あなたの苦労を、葛藤を、信念、努力、善意、殺意を、ほんの少しでも気にかけてくれる友達が……いるんですか?」
コツリ――害虫に一歩近づき、距離を詰める。
「ラウルがあなたに『出稼ぎに出る』と告げたとき……あなたは、親友と離れる寂しさを、死ぬほど恐れた。だからこそ、ラウルが街を離れる理由を殺すため、彼の両親を殺害した……」
コツリ――後ずさる害虫を追い、また一歩、追い詰める。
「あなたがラウルを監禁したのも、同じことだ。あなたがナタリアを殺そうとしたのも、同じことだ。あなたはいつも、親友を失う寂しさを、死ぬほど恐れている。何せあなたは、友達さえもいないのに、唯一の親友さえも失ったら……」
だが、害虫を壁際に追い詰めたとたん、急にオレの身体を突き飛ばしてきた。
「ち……違う! 何でそんな、ひどい勘違いしてるんですか!」
オレは多少よろけつつも、それに構わず、今一度、彼の外殻を打ち砕いた。
「少なくとも……オレはラウルから、そう聞きましたよ」
そう告げるなり、エイダンは険しい顔を見せ――おもむろに拳銃を抜いた。
「……あっ!」
だが彼の手は、極度の緊張からか、手汗にまみれていた。
手汗で滑った拳銃が、コロコロと手の中を、すり抜け、跳ね回り、逃げていく。
逃げ回る拳銃は――喜劇のようにあざやかに――悲劇のようにあっけなく――オレの足元へ、転がり落ちた。
オレはその拳銃を――害虫の右手ごと、靴裏で――踏み躙った。
美しい外殻が破れた害虫が、恐る恐る、オレの目を見上げている。
害虫がオレの目を見ているように、オレもまた、害虫の目を見ている。
さて、最後の毒を使うときだ。
害虫駆除には欠かせない、一番大事な仕事道具。
手にした致死毒の液体を、破綻した外殻に垂らし込もう。
「エイダン、あなたもそろそろ……自覚すべきじゃないですか?」
ザリ、ザリザリ、ザザーッ、ラジオの音声が、さらに乱れる。
「誰もあなたのことを分かりたいなんて、望むわけないじゃないですか」
ガガッ……ガッ……ガリリリッ。
「誰もあなたの考えなんて、知りたいとは思いませんよ」
ガリリ、ガッ……ザザーッ。
「誰もあなたとは、友達には……なれないんですから」
ガガガリリリリ……キイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイッ!
高周波の音割れが、いよいよボルテージを上げ、頭痛のように、頭に響く。
「なのにあなたは、ずーっとゲンジツから目を背けてきた。あなたがどれだけ足掻こうと、そんなことは関係ない。何せ誰ひとり、あなたと友達になりたいなんて、望んでいない。だからあなたは、友達がいない。それがあなたのゲンジツなのに、あなたはいっこうに自覚しない。自覚しないまま平気でいる……」
だが、害虫はその毒を振り払おうと、必死に頭を振り、叫びだした。
「違う! 違う違う違う! そんなはずない、そんなのラウルが思うはずない!」
床に這いつくばった害虫は、オレの靴を振り払い、壁に行き当たるまで後ずさった。
「確かにぼくは……と、友達が、いない……ひとりだっていないさ! だって、誰もぼくのこと、ちっとも分かってくれないじゃないか! でも、あはは……ぼくには、親友がいる! だからラウルとなら、きっと、友達になれるはずだ!」
害虫はボロボロと涙を流し、壊れた笑顔を貼り付かせ、必死に解毒薬を口にしている。
「だって! 人間、諦めなければ、努力は全部、報われるはずさ! だってぼくは、ラウルの両親を殺してあげたんだ! ラウルをセーフ・ルームに閉じ込めて、毎日毎日、説得を続けてるんだ! これだけ毎日、色々、惜しまず努力してるんだ! だったらきっと、きっとラウルなら、ぼくのこと、いつか必ず、分かってくれる日が――」
ラジオの音声は、音割れのノイズが、いよいよ激しさを増していく。
砂嵐の雑音に紛れ、男性の怒声のような、女性の嬌声のような、支離滅裂な不協和音の笑い声が、助けを求めるように、絶叫している。
「あははっ、その日は来るさ! 必ず来るさ! 信じていれば、必ず夢は叶うんだ! だってぼくは……ぼくはラウルと……いつか友達になれるって、信じてるんだからッ!」
だが、彼の解毒薬を破綻させるには――たった一言で、十分だ。
「そんなこと……よく本人に言えますね……」
「……え……?」
その瞬間、聞くに堪えない砂嵐の笑い声が――プツン――と途絶えた。




