第九話 致死毒の用法・用量・2
三日後、三時頃を過ぎたころ、オレは初めて宿を出た。
本日は快晴だ。青空から照りつける日差しは、春にしては眩しすぎるくらいだ。
街のメインストリートに出てみるとーーラジオ局のお膝元「シドロヴァ」は、本日も大盛況だった。街道には多くの人がつめかけ、季節外れの初夏の陽気に浮かれている。
誰もが薄着だ。誰もが楽しげだ。
そんな街中には、ラジオの娯楽番組が、にぎやかに拡散されている。
行き交う人々は、幸せそうに買い物を楽しんでは、街の外に蔓延るゾンビのことなど忘れて、欲しいものや、食べたいもので満載の店先を眺めている。
ただ、空の向こうからはーー黒い雲が、大群になって迫っている。
そろそろ天気は崩れるようだ。
オレは少しマフラーを下げた。
匂いを頼りに、追跡を開始しよう。
***
「やあ、米沢じゃないですか! ははっ、もう部屋を出ても平気なんですか?」
市場に着くと、人混みの向こうから、快活な声が聞こえてきた。
見ればエイダンは、両手に紙の買い物袋を抱えている。となりには、薄手のショールを羽織ったニーナも一緒だ。
「はい……急いでエイダンに、伝えたいことがありまして」
「はあ、何でしょうか?」
彼はキョトンとしている。
「先ほど……ラウルが目を醒ましましたよ」
害虫を誘い出す撒き餌をこぼした瞬間――エイダンは、目の色を変えた。
「……ニーナ、ちょっとこれ、預かってて!」
「へっ!? まっ、待って、そんなこと言われたって!」
「いいから、頼んだ!」
エイダンは、有無を言わさず荷物を押しつけ、猛然と人混みを押し退けていく。
ニーナといえば、押しつけられた紙袋を、うまく抱えようとして――。
「あっ、ああっ……きゃああああああああああああっ!」
バランスを崩し、ひっくり返ってしまった。
幸い、通りかかった親切な人々が、散らかった荷物を集めてくれている。
少し手を貸してあげたいところだが、オレも駆け足でエイダンのあとを追わなければ。
***
遅れて宿に駆けつけると、エイダンはドアを開けっ放しのまま、真っ白な部屋で立ちすくんでいた。
窓の外には、子供向けの楽しげなラジオ番組が、街中に拡散されている。
ただ、部屋の中は――みるみるうちに暗くなっていく。
空の雲行きは、怪しいようだ。
「……ははは! 米沢、いくら何でも、このジョークは最低ですよ!」
エイダンはグルリと首を回し――怒りで引きつった笑顔を見せた。
「米沢がそんなしょうもない人だなんて、思わなかったな! ぼく、君の言葉を信じて、ここまで大真面目に走ってきたのに……ラウルはまだ、心臓だって動いてないじゃないですか!」
それに対して――あくまで冷静に、首を横に振っておいた。
「いえ……心配いりません。そろそろ彼も、目を醒ましますよ。それに、このお話ができる機会も……最後かと」
「最後?」
パタン――オレは、後ろ手にドアを閉めた。
「ラウルから聞いて、驚きました。あなたは以前、彼の義理の両親を――山中で殺害した。……そうですよね?」
エイダンは微笑みを一切崩すことなく――力強く、うなずいた。
「……うん、そうだよ!」
それ以上、言うべきことはないらしい。
「あなたは……なぜそんなことをしたんですか?」
「どうしてって? あははっ、困ったね! ラウルの両親を殺したって、君にとって、すっごく大それた話に聞こえるのかな? でも、ぼくは当然のことをしたまでだよ!」
「当然のこと……?」
「そ! 死んで当然の人間なんか、世の中、いくらでもいるじゃないか!」
清く、正しく、美しく、汚れひとつない好青年そのものにしか見えない青髪の青年が、爽やかな笑顔で、真っ直ぐオレの目を見ている。
「ほら、米沢もよく考えてよ! もうさっさと殺した方がためになる人って、ゴマンといるよね? 例えば寿命代理店の連中とか、消息代理人なんて……あっ、ごめんごめん! そういえば君も、消息代理人だったね! あははっ! ぼく、本当にウソが苦手だからさ、正直なこと言っちゃったね!」
「……構いません。そういう扱いには、普段から慣れてます。それよりも――」
「ははっ! 悪いけど、消息代理人にプライベートな話するなんて……まさか! そんなことするくらいなら、死んだ方がマシだね!」
エイダンは気さくな苦笑いで、オレの肩を、馴れ馴れしく叩いてきた。
「じゃ! 時間の無駄だし、ぼくもまだ、買い出しの残りがあるから……」
彼はそのまま、この部屋を立ち去ろうとしている。
だが、このまま話を打ち切り、逃げ出そうとしている害虫を見逃してやるほど――オレは、お人好しではない。
「ああ……ひょっとして、今でも思い出すのが、つらいお話でしたか?」
害虫の逃げ道をふさぐにはーー毒を少々、こぼすだけでいい。
「そうとは知らず……失礼しました」
オレはあえて――声を落とした。
「でしたら、この件は、あとでニーナさんに――」
「あっははは! 違う違う! そういう意味で言ったんじゃないですよ!」
彼はドアノブから手を離すと、露骨に大きな声でさえぎってきた。
「ぼくも口下手だからさ、もし君に『しょうもない話だ』って思われたら、すごく傷つくんだ! だから、あんまり言いたくないだけさ!」
さっきの発言と、まるっきり矛盾している。
「あははっ、だから米沢、絶対、絶対! 笑わないで聞いてくださいよ?」
その言葉には――軽くうなずいておいた。
「……笑いませんよ。笑うわけないじゃないですか」
「ははっ、どうかな……米沢もどうせ、『しょうもない』って言って、信じてくれないんじゃないかって思うと……すごく……こわいな」
エイダンは、しばらく言葉を選んでいたが――ラウルが寝ているベッドのそばへ、とぼとぼと、歩み寄っていく。
「……ぼくたちが十六歳だったとき、ラウルに、こう言われたんです。『実は、両親のことで、すごく、悩んでる』って……」
彼はうつむいて拳を握ると――怒りを込めた声で、力強く訴えてきた。
「ラウルの新しい両親って、実は……すごくズルい人だったんです! 周りの目をうまく誤魔化して、ラウルに虐待同然の、あんなひどいことして……でも、証拠がなかったんです。だから、誰に言っても……誰も信じてくれなくて……」
エイダンはそんなことを、さも事実のように言い切った。
「エイダン、あなたは本当に……ラウルから、そのように聞いたんですか?」
「だって! ラウルが急に、『俺はこの街にいるべきじゃない』って言いだしたんですよ? そんなに追い詰めるなんて……絶対、許せないじゃないですか!」
悔しいとばかりに、大げさに頭を振っている。
「なのにラウルって……昔から、変に我慢する癖があって……『自分が黙ってればいいんだ』って……でも、あんなつらい顔してるラウルを見てると、ぼく、どうしても……」
オレは試しに、■■■■をほんの一滴、こぼしてみた。
「いえ……ラウルは決して、そんな意味で言っていない……そうですよね?」
ザリ、ザリリ……窓の外で、ラジオの音声が、少し、乱れた。
野外に設置されている、ラジオ・スピーカーの調子が悪いんだろう。
ラジオの音声が乱れた瞬間――エイダンの完璧な微笑みに、亀裂が走った。
「……はは、米沢。なーんでそんな変なこと、自信満々に言ってるんですか?」
彼は、彼らしからぬ、薄情な笑みを見せている。
その反応が出てくると、むしろ安心するな。
なら、ここから先は――オレの専門分野だ。
オレは、害虫駆除を専門とする、害虫そのもの。
同業者の殺し方は、
同業者のオレが、
一番よく、心得ている。
「エイダン、事実、そうなんですから、変なことを言っているのは――」
「あはは、そっか、そっか! 米沢、前にラウルから、そう言われたんですね?」
「はい、そうです」
「ふふっ、でもラウルって、本当に意地っ張りだからな! つい強がって『自分はそんなこと言ってない!』って、君が相手じゃ、素直に打ち明けられなかったんだね! あっははははは!」
彼は急に両腕を広げ――自信たっぷりな笑顔を見せつけてきた。
「でもぼくは、ラウルの親友だ! ぼくだけはあいつの本音を、ちゃんと知ってるんだ! ラウルの本当の気持ちを、ぼくだけは、ちゃんと聞かせてもらったことがあるんだ!」
本当に、見てくればかりが美しい外殻だ。
オレはその外殻を砕くため――強い言葉を、ど真ん中に、打ち込んだ。
「いいえ……あなたはそんなことを、打ち明けられたことは、一度もない」
ガリ、ガリガリ……またスピーカーの音声が、乱れる。
「それどころか、あなたはラウルの本心を、本音を、何ひとつ――そう、ひとつとして――聞かせてもらったことは、ない……」
するとエイダンの視線が――怯えたように――ブレた。
「あなたは正直、ラウルのことを、何もわかっていない……そうですよね?」
だが彼は――すぐさまオレを、厳しい目で見定めた。
「あの、米沢、何言って――」
コツリ――靴音が鳴り、オレは一歩、歩み寄った。
「あなたはもっと……ゲンジツを見た方がいい」




