第七話 寄生虫の特効薬・4
本当に、めちゃくちゃな即興劇だ。
台詞はすべて本音。
小道具はすべて本物。
役者はすべて本人。
ストーリーもフィクションを騙った現実そのもの。
それでもオレは、この即興劇の舞台を降りるまでは、これまでの筋書きに従って、芝居を続けるしかない。
「ベッケンバウアー博士……本当に、ラウルはこれで治るんですか?」
オレは、自分の役に相応しい台詞だけを、淡々と口にした。
「ええ、治るともお。彼の悲願は、必ず遂げられる……もし彼の願いが、神に届くほど、強い、強い、願いであればねえ……」
「そうですか……本当に、ありがとうございます……」
オレは、心にもないことを言った。
先ほどラウルの口に垂らされたのは、明らかに、ナンシー型リビングデッドの体液だった。
床に寝そべっていたラウルは、それを素直に飲み込むと、数分と経たず、眠りに落ちるように、目を閉ざした。静かに、長く息を吐き、それっきり動かなくなった。
ラウルは別型の寄生虫に感染し、仮死状態に陥ったんだ。
ナタリアは急にラウルから興味を失ったのか、さっさと荷室の片隅に座り込んでしまった。彼女はポケットから聖書を取り出すと、上の空で解説を口にしている。
「通常、別型のジェミニに感染すればあ……感染力の強い方が、弱い方を押し退ける。そのためラウルくんは、本来、これからナンシー型に変わるはずである。ただし、ごく稀に、ナンシー型とヘレン型は、脳内で共生関係を作る。……それは君の方がご専門だろう?」
それはオレ自身、よくよく理解している。
何せオレも同じような経緯で、両方に感染したリビングデッドになったんだから。
本来、ナンシー型は三つの型がある中でも、『魂の上書き』が最も強烈だ。感染すれば、脳みそは徹底的に分解・再構築され、ナンシーにとって都合のいい形に上書きされる。そうなると、元々あった人格は、ほとんど残らない。
しかもナンシーにとって都合のいい形は、人間にとって不都合が多い。何せナンシーの正体は、研究所で飼育されていた、賢いチンパンジーだ。世界中のゾンビが、ほとんど言葉をしゃべれないのは、ナンシーの『仲間』になったとき、チンパンジーの脳みそで上書きされたからだ。
つまり普通ならば、ラウルが再び目を醒ましても、もはやラウルと呼べる人格は消えてしまうはずだ。
――俺はまだ……死にたくねえ。
だがラウルは「まだ死にたくない」と寄生虫に願った。
彼は相当曖昧なことを願った。だから「自己同一性を失いたくない」という願いも、寄生虫は叶えてくれるはずだ。
そうなると、仮死状態の間、脳内で寄生虫と寄生虫のせめぎ合いが始まる。
もしもラウルの願いが強ければ、脳みそがバラバラにされないよう、先にいる寄生虫が、寄生虫の横暴から守り抜いてくれるはずだ。
ただし寄生虫が守ってくれるのは、ラウルの脳みそだけだ。肉体の方は寄生虫の手で、大々的に作り変えられる。すると寿命は、ナンシー型に引っ張られ、少し延命される。
それはオレの実体験で証明済みだ。
オレはヘレン型のリビングデッドに生まれてきたが、半年しかないはずの寿命を大きく無視して、一年近く稼働を続けている。それは途中で、稼働時間がはるかに長いナンシー型にも感染して、身体の構造が大きく変わったからだ。
この治療は、失敗すれば、ラウルは人間性を失い、ただのゾンビになりさがる。
それでも成功すれば、ラウルは自分を失うことなく、もう少しこの世にとどまることができる。
ラウルの平凡な願いは、寄生虫と寄生虫の手によって――叶えられる。
「ら、ラウル……? ラウルッ!」
運転席から事態を見ていたエイダンが、急に血相を変えて叫びだした。ラウルの様子がおかしいことに、ようやく気づいたようだ。
「ラウル? ねえ、嘘だよね、お願いだ、目を開けてくれよ……ラウルッ!」
エイダンは慌てて荷室に乗り込んで、必死にラウルをゆすり起こそうとしている。
だが、ラウルの身体は――なすがままに、揺すぶられている。
「は、はは……嘘だ、嘘、だ、よね? 君も、たまには、こ、こんな、ジョーク……言うん、だね……」
エイダンは恐る恐る、親友の息を確かめている。当然、息はすでに、止まっている。
彼は胸に耳を当て、脈を確かめている。当然、心臓はとっくに、止まっている。
その事実を認めた瞬間、青髪の青年が――。
「……はっ……あ、はは、あはっ……」
壊れた。
「あっははははははははははははははははははははははははは!」
彼は爆笑した。号泣した。絶叫した。
天を見上げ、頭を揺らし、ゲラゲラと笑いながら、「ラウルが死んじゃった! ラウルが死んじゃった!」と、手を叩いて大喜びしている。
「さあて誰かな! 勝手にラウルを壊したのは!?」
ひどい錯乱状態で大笑いしているエイダンは、あたりに置かれた工具箱を乱暴に蹴り散らかし、車内をグルリと見回してーーナタリアを見つけた。
エイダンは、何のためらいもなく、宣戦布告もなくーーナタリアの顔面に、全力で蹴りを入れーーズドンッ、と重い音が響いた。
「あははっ、君ってさあ、自分が何壊したか、わかってる? ぼくにとってどれだけ大事か、はははっ、どれだけ、かけがえのない存在か……ほんっっっっとうに、わかってて、壊したの!?」
ただしーーナタリアは涼しい顔して、分厚い聖書で、靴のつま先を、受け切った。
「おや……暴力とは、いただけないねえ」
「暴力? 違うね! これは! お勉強さ!」
エイダンは、何度も、執拗に、ナタリアの顔に、力任せな蹴りを入れている。
「だって! 君に! 分からせなきゃ! ダメなんだ! 本当! こんな! しょうもないこと! わからない! なんて! ぼくには! 信じらんない!」
だがナタリアは、ポケットサイズの聖書で、何度となく蹴りを受け止めるとーー。
「……あえて言おう、私は狂人の戯言には、付き合わない主義である……」
ため息混じりにーー言い放った。
「退屈でねえ」
するとエイダンはーー少し後ずさりーーみるみる顔が赤くなりーー身体がブルブルと、震えだした。
「退屈? 退屈!? あはっ、あははっ、あっはははははははははは、は、はっ!」
瞬間ーー拳銃が、ナタリアに向いた。
オレはとっさにエイダンの腕を掴み、ねじり上げるとーー
――ダァンッ!
弾丸は、車の天井に穴を空け、どこへともなく消え失せた。
「エイダン、落ち着いてくれ。まだラウルは死んでない」
「そうだね! ラウルは死んでないよ! まだまだ間に合うはずさあっ!」
虚無より空虚な満面の笑顔が、ボロボロと涙をこぼし、オレの目を覗き込んでくる。
「ぼくたちが諦めない限り! きっと! 何か! 手があるはずさ! だからラウルが死ぬ代わりに、そいつが死ねばいいんだよ! あはははっ、だってそいつが死ねば、ラウルは死ななくていいじゃないか! だから! そいつを殺そう! ラウルの代わりに! 殺さなきゃ!」
エイダンは過呼吸の発作のようにゲラゲラと笑いながら、病的に涙をこぼして力説してくる。
小柄なくせに、とんでもない馬鹿力だ。じりじりと、オレが押し負けている。
このままだと、銃口がナタリアに吸い寄せられる。
オレはとっさに、間に入った。
銃との間に自分を置かなければ、あいつは――。
(いや、このままエイダンに、あいつを駆除させればいいんじゃないか?)
オレの頭に、一瞬、魔が差した。
(あれは危険人物だ。好都合だ。ここで見殺しにしてしまえ。)
いや――それは、できない。
それだけは、絶対に、やってはならない。
あいつは確かに、ナタリアでもあるが、
あの中には、まだ、リオのネエサンが――。
だとしたら、
この場では、誰も見殺しにできないとしたらーー。
そのとき、背後から――リオの絶叫が聞こえてきた。
「リオ」
オレは、安全装備のない拳銃を――グッと、抱え込んだ。
「下がってろ」
銃声が、三発、鳴った。




