第七話 寄生虫の特効薬・2
オレたちを乗せた車は、旧時代の国道に沿って、霧雨の中を静かに走っている。
霧の向こうに見えてきたのは、最初、巨大な吊橋かと思った。
だが、あれこそが世界最大規模の検問所――人類最後の砦と呼ばれる、「ニューケンブリッジ」の正面玄関だ。
近くまでくると、よくよくわかる。世界最大級の研究都市は、壁の造りさえも、さすがと言わざるを得ない一級品だ。
ニューケンブリッジという街は、コンクリートでできた近代的な壁に囲まれていた。高さ二十メートル以上ある堅牢な壁は、真っ白な塗料で、清潔に塗り固められている。
垂直に切り立った壁には、多少の凹凸さえも見当たらない。たとえ数万体、数十万体のリビングデッドが押し寄せてきても、まさに取り付く島もない相手だ。
ただ、あの壁の中身に――用はない。
門だ。門こそが、問題だ。
あの検問所の門だけが、オレたちの最大の敵であり、最後の難関であり、最終問題だ。
いよいよこの依頼の、正念場が始まる。
旧時代の国道は二車線しかなかったが、一気に、十二車線へと拡大した。車は係員の誘導を受け、真ん中の車線に導かれ、検問所の屋根の下で停止した。
ニーナが助手席の窓ガラスを手動で下げた。外にはえらく背の高い女性が、手をヒラヒラとあおいで歓迎している。
「どうも〜♥ それではあ〜、今日も検問の尋問にい〜、ご協力お願いしま〜す♥ 本日のお相手はあ〜、あたし、レイラ・ヴォルコヴァで〜す。よろしくね〜♥」
黒髪をボブカットに切りそろえた女性だ。分厚い前髪で、すっかり目元を隠している。
だが、驚くほど背が高い。一九〇センチ以上ある。驚異的に足が長く、カーキ色の制服の上からでも、グラマラスで抜群のスタイルを備えているんだと、はっきりわかる。
一方、オレとラウルは、すでに後ろの荷室でリハーサルの擬態を始めていた。
先ほどと同じ脚本を使えば、しばらく時間は持つはずだ。
するとレイラという超長身の検問官が「あれえ〜?」と甘ったるい声を投げこんできた。
「ところでえ〜、後ろのお二人……一体、なあにしてるのかしらあ〜?」
すると運転席にいるエイダンが、すかさず笑い声で切り返した。
「ははっ、見ての通りですよ! ぼくたち、ちょっとした劇団をやってまして。これから声優の新人賞に挑戦するんですよ! 実は本番まで、ちょっと時間がないんで、まあ、このままリハーサルを続けたいんですが……」
さて、今回もこの偽装身分で、うまく乗り切れそうだろうか?
オレはつい反応が気になった。窓の外にいる検問官を、チラと見てしまった。
その瞬間ーー鳥肌が立った。
レイラの分厚い前髪の隙間から、一瞬、目がのぞいた。
目が合った。オレがレイラの目を見ていたように、レイラもまた、深淵のように光のない瞳で、オレの目を見ていた。
その瞬間、直感した。寒気を感じた。後悔した。どうしてオレは、向こうの様子を伺ったりしたんだ。
オレは今、本番さながらの本格的なリハーサルに打ち込んでいる設定じゃないか。脇目を振らず、よそ見をせず、ラウルと揉み合う方に集中すべきだった。
そのとき、窓から流れ込む空気に乗って、レイラという検問官から、疑いを抱く感情の匂いを感じた。
「……すご〜い♥ 君たち、ナチュラルテイストな演技を目指してるんですね〜? これがお芝居だ〜って、ち〜っとも気づきませんでしたあ〜♥」
レイラは毒気を含んだ声でコメントすると、ゆっくりと拍手を始めた。
パチ……パチ……馬鹿にするような遅い拍手が、いつまでも鳴り止まない。
じわじわといたぶられる心地だ。彼女はオレたちの嘘を、どこか見破ったのか?
「ふふっ、面白い子たちね〜♥ 君たち『声優志望さんだ〜』って言ってるけどお〜……あれれえ〜? こ〜んなご時世にい〜、声優の新人賞ってえ〜、何があるのお〜?」
しまった、急に痛いところを突かれた。
そこは何も、事前の打ち合わせで決めていない。ここはニーナとエイダンに、どうにか誤魔化してほしいところだがーー二人は、すっかり言いよどんでしまった。
そのとき、後部座席に座っていたリオが、意気揚々と身を乗り出してくれた。
「そんなの……当然! FTL放送局で開催予定の、『発掘☆最強新人ドラマアクター決定戦』に決まってるでしょ? しかも僕たち、新人シナリオライター枠での、ダブル受賞だって狙ってるんですよ? もし番組で採用されたら、絶対聴いてね!」
「うふふっ♥ やだあ、す〜っかり忘れてたあ〜♥ でもすごぉい偶然ねえ〜? 実はあたしい〜、『ハッシンセン』の、だあいファンなの〜♥」
レイラは甘い声で、のほほんと笑っている。
「だ・か・ら、あたしい、君たちのリハーサル〜、すごぉ〜く気になっちゃ〜う♥ ねえ、見せて♥ 見せて♥」
それを聞きつけ、助手席のニーナが、すかさず厳しく反発した。
「ちょっと、それって職権乱用にあたるんじゃないですか? 私たち、リハーサルに集中できなくて、迷惑よ。早く尋問終わらせて、さっさと検問――」
「ギタイシュ」
レイラのつぶやきが聞こえた瞬間ーーオレと、ラウルの動きが、凍りついた。
「あはっ♥ ギタイシュ……みぃつけた♥」
聞き違いを願いたかった。だが、聞き違いじゃない。
あの人間は、ハッキリと、オレたちを見て……「擬態種」と呼んだ。
オレは、どうにか口を動かし、自分が組み敷いているラウルに苦笑いを見せた。
「お、おい! 台詞、また、す、すっぽ抜けたのか? はは、勘弁してくれ。本番まで、もう、時間、が……」
だが、ラウルの様子が変だ。顔はみるみる青ざめ、身体は震え、呼吸が浅くなり、パニックを起こしかけている。
「あたしい〜、同期の子から、聞いたことあるんですう〜♥ すご〜く■■いリビングデッドが出た〜ってお話〜。その子って〜『自分も同じ人間だよ〜?』って、必〜死にアピールしてきてえ〜、も〜お見てらんな〜いって、ウ・ワ・サ……ふふっ♥」
オレは、振り向くのが、怖かった。
人間が、オレたちの擬態を見て、クスクス笑っている。
「あれって、『と〜っくに絶滅した〜』って、お偉いさん言ってるけどお〜……たま〜に『それって変よね〜?』って、思っちゃうの〜♥」
レイラは、急にうんざりした調子でため息をついた。
糖度ゼロの問いかけが、重くのしかかってくる。
「もうさあ……正直、ひとつ訊いていい?」
いい加減、小芝居には付き合いきれない。茶番にはうんざり。猫かぶるのはもうよしなよと言いたげに――低く、冷たく、突きつけてくる。
「その子……本当に役者さん? っていうか、人間のお芝居が■■■■な、リビングデッドでしょ?」
オレも、擬態が、破綻した。硬直した。動けなくなった。ラウルの胸ぐらを掴んだまま、頭が真っ白になって、動けない。
背中に視線を、ひしひしと感じる。人間がオレたちの擬態を、見破った。
動けば、また失敗する気がする。動けば、はっきりとバレる気がする。少しでも動けば、オレが人間じゃないと、あの人間は確信してしまう。
そのとき、エイダンがいつものように笑い声を立てて、軽い調子でその話に乗った。
「あははっ! いいですね、そういうしょうもない発想! それ、次の舞台でネタにしていいですか? なあニーナ、これって上手く膨らませば、君が書く脚本に使えるよ!」
その気さくな発案に対して、ニーナは焦り気味に同調しだした。
「そ、そうね! ちょっとホラーチックで、けっこう、いい感じかも?」
「じゃあ、検問の方もこう言ってくれたし、ぼくたちも、お言葉に甘えよう! こないだの読み合わせ通り、リハーサルの続き、やってみよっか!」
パタンッ――そのとき、荷室の片隅で、聖書を閉じる音が、力強く鳴った。
「シーン七は、いよいよ後半パートのクライマックス。リオという旅人の少女が、とある研究者を連れて来るが、その者は、リビングデッドの治療薬を開発中であった。ラウルくんは被験体の第一号に選ばれ、治療薬を受け入れる……そこから入ろうではないか」




