第三話 ミミック退治・2
「初めまして、米沢といいます。……ルドルフ・カラシニコフさんですね?」
オレはなるべく丁寧に挨拶を告げたがーー返事はもらえなかった。
コンクリートの打ちっぱなしでできた、十畳ほどのセーフ・ルームだ。
オレの手にあるロウソクの火が、唯一の光源。
この地下室には、リビングデッドの青年ラウルが幽閉されていた。
彼は右手に手錠をかけられ、ベッドの柵に拘束されている。床に座り込み、ゼイゼイと荒く息を繰り返しては、オレのことを睨んだままだ。
ひとまず、彼から事情を聞き出す前に、先にオレの手の内を明かすのが、礼儀というものだろう。
「ま、あなたも気づいているでしょうけど……ええ、オレもヘレンの『おともだち』です。しかも、あなたと同じ、擬態種です」
少しわざとらしいかもしれないが、あえて雑談を持ちかけてみよう。
「いや……奇遇ですよね、はは……ミミックなんて、滅多なことじゃ選ばれないじゃないですか。オレも色々と旅してきましたけど、なかなか『おともだち』にも会えないのに、まさか同じミミックに会えるなんて――」
「あっそ。勝手に言ってろ」
ラウルはそう言って、短く、切り捨てた。
「あのよ……米沢って言ったか? お前、本当にヘレンの『おともだち』か? ずいぶんナンシーの『仲間』の匂いがするじゃねえか……ヘレンもすげえビビってるし……」
彼はオレと同じレベルの嗅覚を持っている。隠そうと思って隠せるものじゃない。ここは正直に打ち明けるしかない。
「……はい。オレは今、ナンシー型にも感染しています」
「はあ!? おいおい、マジかよ!」
「あの! 誤解しないでください! オレは今でもヘレンの『おともだち』です。そこは今も変わりません!」
「嘘つけッ! 俺はナンシーの『仲間』にされたら、もうヘレンの『おともだち』じゃなくなるって教わったぜ!? 両方に感染してるって……ったく、ナンシーも馬鹿にしたもんだな、ヘレン」
ラウルはそう言うと、素っ気なくそっぽを向いた。
ただ、先ほどの言動から察するに、彼は人を襲いたくないと願っているようだ。
――やめろッ! そいつに手え出しやがったらブッ殺すぞ!
だとすれば、まだ希望はあるはずだ。
「ラウル……不躾で悪いが、君の『カース・オブ・カイン』を明かしてくれないか」
「ハッ! ふざけたこと言ってんじゃねえよ。帰れ」
ラウルはそう言ったきり、すっかり会話を閉ざしてしまった。
それでもオレは、何度か別の切り口から、対話を試みてみた。
だがラウルは、何ひとつ返事をくれない。
参ったな……信頼を得るための糸口が、何も掴めない。
「……ラウル、頼むから耳を貸してくれ。まだヘレンに何も願ってないなら、君は人を襲わないミミックになれるはずだ。……オレは君の、力になりたいんだ」
「いらねーよ。何度も言わせんな、帰れ」
それでもめげずにラウルに歩み寄り、片膝をつき、同じ目線の高さに立った。
「ただ、君も実感してるはずだ……オレたちがどれだけ嫌がっても、結局、寄生虫の命令には従ってしまう。だから『おともだち』になったら、人を襲いたい欲求には絶対に抗えない。ただ……それこそが抜け道になるだろう?」
そのとき、オレの背後にいるリオが、ぽそっと素朴に問いかけてきた。
「抜け道? ねえニイサン、人を襲いたい気持ちに勝てないのが、なーんで人を襲わないミミックになる抜け道になんの?」
するとラウルは癖毛をかきながら、呆れた顔して口をはさんでくる。
「お前なあ……馬鹿か? ゾンビってのはなあ、命令に逆らえねえように、勝手に脳みそいじくられてんだ。だったら『人を襲うな』って命令しちまえばーー」
「あっ、そっか! 『人を襲うな』って命令に逆らえないミミックになるんだ!」
リオは大いにうなずくと、ポンと手を打った。
オレはそれを見てーー驚きよりも、むしろ寒気を感じた。
まさかリオは、そんな仕組みさえも知らずに、オレのことを信頼していたのか?
「……で、米沢ニイサン、そんな大事な命令、どうラウルに頼めば上手くいくの?」
「あ、まあ……そこが少し、難しくて……」
残念ながら、リオがラウルに命令したところで意味はない。
この方法を成功させるには、寄生虫をもしのぐ、より上位の優先順位をつけた、特別な命令が必要だ。
「リオ、実はリビングデッドになると、寄生虫にひとつだけ願いを叶えてもらえるんだ。……ま、実際は『願いを誰も殺せなくなる』っていう、かなり厄介なものだけど――」
この寄生虫に感染すると、必ず「最大願望への執着」という症状が発症する。
人間なら誰しも、自分の願いを、途中で諦めたくなるときもあるだろう。だがこの症状は、何があろうと願いを殺せなくなる、呪いのような代物だ。
もしも願いを諦めれば、より強い願いとなって、再び自分に感染する。諦めれば諦めるほど重症化が進み、むしろ願いを叶えることしか考えられなくなる。
腕がもげようと、脚が千切れようと、それでも願いを捨てきれず、この世を彷徨い歩くことになる。
自分の願いに執着し、自分の願いに操られる――それが最大願望への執着の正体だ。
だからリビングデッドは、同じ奇行を繰り返す。同じ愚行を繰り返す。
馬鹿のひとつ覚えのように不可解な行動を繰り返すのは、そのせいだ。
ふと振り向けば、背後には、真っ白な髪を流したあの子が見える。
「リオ……オレは君に出会ったとき、『自分にひとつだけ命令を下したい』とヘレンに願った。だからオレは、命令に従って、君たち人間を襲えないんだ」
この命令は、今のところ、オレのストッパーとして十分機能している。だからラウルも、条件さえ整えば、人を襲わないミミックになれるはずだ。
必要なのは二点。
ラウルの『最大願望への執着』がまだ決まっていないこと。
ラウルが「人間を襲いたくない」とヘレンに願うこと。
この二つが絶対条件だ。
ただ……残念ながら、このままでは手詰まりだ。
彼の『最大願望への執着』を聞きだすどころか、まともに会話できない有様だ。
オレはリオに苦笑いを見せ、少し肩をすくめた。
「リオ、すまないけど……ちょっと向こうを向いててくれないか?」
「へ?」
「少し荒事を起こす……あまり君に見られたくない」
「わっ、わかった!」
リオは地下室から一歩出ると、素直に後ろを向いてくれた。
「……おい……何する気だ……」
ラウルは少し緊張気味に訊いてきた。
「オレはさっき言ったはずだ。君の力になりたいと……」
ここには人間の目がなくなった。これで安心して仕事ができる。
「だからこそ……君の命令権限を手に入れるしかない」
その瞬間、ラウルは威勢よく怒鳴り散らしてきた。
「お前ッ……やっぱヘレンの『おともだち』じゃねえだろ! 黙って聞いてりゃ、ヘレンが何も言い返せねえからって、頭に乗りやがって!」
コツリ――靴音が反響し、ラウルに一歩、歩み寄った。
「ラウル、正直に話そう……君を助けることができないなら、君を駆除するしかなくなる。君がオレと同じように、人間と暮らせるミミックになれないなら……」
コツリ――オレは懐から、手鏡を取り出した。
手のひらサイズの、ありふれた折りたたみ式の手鏡だ。
人間であれば、武器のたぐいには見えないもの。致死性ゼロだとみなされるもの。どれだけ身体検査の厳しい場所へも、何の問題もなく持ち込める、ミミックにとっての致死毒そのもの。
だがラウルはーー露骨に目を逸らすと、馬鹿にするように笑い飛ばしてきた。
「ハ……ハハハハッ! なーに格好つけてんだか。だってお前、そうやって仰々しく取り出してんの、ただの鏡じゃねえか! おいおいピストル出すならまだしも、何のギャグだよ鏡って――」
「君は鏡を直視することができるのか?」
「……」
「今すぐ自分の後ろを振り向けるのか?」
「……」
「君は鏡を見るどころか、後ろを振り向く勇気もないくせに……ピストルやナイフの方が恐ろしい? それは何のギャグのつもりで言っているんだ」
コツリ――オレはラウルの前に立ちはだかり、手鏡を広げた。
「これは本当に、君に指摘するのも馬鹿らしい……君を見ていれば、誰でも気づく。当然、初対面のオレでも、すぐに気づいた……」
オレはラウルの目の前に、鏡を突きつけた。
彼は強がるのをやめた。虚勢をはるのをやめた。
そして――鏡に映し出されたゲンジツを、直視した。
「な……なんだ、これ!? ど、どこにッ!?」
ラウルは血相を変え、周りを見回している。
背後。ベッドの下。天井。隅から隅まで探している。
それでもコンクリートでできた地下室には、オレとラウル以外には、誰もいない。
「ラウル……ずっと君を見ていたけど、君の後ろには、最初から誰もいなかった。後ろどころか……君はこの部屋で、ひとりきりだったんだから」
「う、嘘だ! おい、返事しろッ! だって、さっきまで――」
オレはラウルの頭を掴み、振り向かせ、鏡の中のゲンジツを直視させた。
「君が今まで、ずっとヘレンだと思って話しかけていたのは……君の頭の中にいる、寄生虫だ」
そう告げた瞬間、ラウルの息が――止まった。
悲鳴もあげられず、後ずさりを始め、自分のゲンジツから逃げだした。
だが、彼の背後にはベッドがある。オレは肩を押さえつけ、その場に縛りつけた。
「ラウル……苦しそうな匂いがするね。普段はあまり意識しないようにしていたのか? それでも君以外の、誰もが気づいているさ。当然、初対面のオレも――」
「やめろ! 言うなッ、言うなアアアアアアアアアアッ!」
コンクリート製の地下室に、ラウルの絶叫が、反響している。それでもうまく息ができないのか、叫べば叫ぶほど、呼吸が浅くなり、息が止まりかかっている。
逃がすと面倒だ。ラウルの肩を押さえ込み、その場に座らせ、逃げ場を塞いだ。
鏡を直視させたまま、とあることを、淡々と告げた。
ありふれた事実。当たり前の現実。いまさら指摘するのも馬鹿らしくなるほど、彼を見ている誰もが気づいている、彼自身のゲンジツだ。
だが、ひとつひとつ自覚させるほど――苦しそうな匂いが濃くなっていく。
耐えられない、見たくない、聞きたくないと叫ぶような、悲痛な匂いを強く感じる。
オレはその苦しみから解放してやるため――彼の耳元で、優しく告げた。
「ラウル、オレに命令権限を渡せ」




