第四話 三つ目の願い、四つ目の頭・3
翌々日、軍事施設の街「トッカーテルン」を出発する日がやってきた。
オレはリオから頼まれて、ひと足先に、待ち合わせ場所へ送り出された。
待ち合わせは、本日の正午、B棟の馬小屋で、という話だった。
吹雪をかき分けて馬小屋に着くと、入り口はすでに開いていた。
かなり広い小屋だ。ざっと中を見ただけでも、十数頭の馬がいる。
ただ、馬小屋の奥からは、ブラシをかける音が聞こえてくる。
「……おじゃまします……」
獣の匂いが密集している小屋の奥へと踏み進むと、黒馬のうしろに、真っ白なひげをたくわえた老人を見つけた。ちょうど馬の毛並みをブラシで整えているようだ。
「どうも、おじゃましております……あの、マルコフさんでしょうか?」
オレはなるべく、にこやかに話しかけた。
ただ……長い長い、沈黙が流れた。
「あの、自分は……リオの代わりに、先に待ち合わせに行くよう頼まれまして……先日、リオがマルコフさんに、消息をお届けしましたよね。その報酬に、馬に乗せてもらえるとお聞きして……」
「……」
「あ、あの……」
ブラシをかける音だけが、オレを無視して、ひたすらリズミカルに聞こえてくる。
参ったな。あれだけ無視されるからには、人違いか?
そのマルコフさんの顔を知っているのは、リオだけだ。ところが今は別行動だ。
この街には、今どき珍しい、映像活劇が上映できる施設がある。今日は偶然、無料上映会が開催されるそうだ。昨晩ラジオから、その告知が流れていた。
オレはチケットの通常価格を聞いたとき――絶句した。
なぜそんなものを無料にするんだとリオに訊くと、街おこしの一環らしい。
ただ、発電機を何時間も回すはずだ。相当油を食う。それを無料にするなんて、街の財政は大丈夫なのか?
ところがリオの話だと、無料上映だからこそ、逆に財政が潤うんだと力説された。
このイベントは、年に一度だけ開催されるそうだ。ただしその日がいつ来るのか、誰にも予測がつかない。
しかもラジオで告知を聞きつけたとき、トッカーテルンの外にいたなら、時すでに遅し。イベント当日は特別な理由がない限り、入街審査は完全に受付を停止している。
予測不能のゲリラ開催だ。日頃からトッカーテルンに用事を作っておくほど、遭遇するチャンスが高まる。このイベントは、街に人を呼び込み、経済を活発化させる、起爆剤になっているんだろう。
当然、リオは昨晩、ゲリラ上映の告知をラジオで聴いた瞬間、有頂天になった。
――米沢ニイサン、この映画、知らないの!?
――CIA史上、最もあり得ない救出作戦……それは「ニセ映画」作戦だった!
――衝撃の実話に基づく人質奪還ミッションを描いた、ハリウッドの傑作だよ!
リオはいつも、寝る前の楽しみにラジオドラマを聴いている。そのドラマでは、しばしば映画の脚本が朗読されるもんだ。だからかリオは、ハリウッド映画の熱狂的ファンだ。
ただ、リオには悪いが……オレはハリウッド映画に、あまりいい印象を持っていない。ラジオでは、ゾンビ映画と呼ばれるジャンルばかりが流れるせいかもしれない。
リオの話だと、ゾンビ映画はリスナーからのリクエストが多いそうだ。「人類がリビングデッドに勝利する」という脚本に、スカッと爽快感を覚える人が多いんだろう。
そうは言っても……あんな残虐な内容を、娯楽として楽しんでいいのか?
ゾンビ映画って、聴いていてギョッとするほど、平気でリビングデッドを殺して回るシーンばかりだ。オレたちの『おともだち』を大量虐殺する主人公を、ヒーローとして称賛するのは、さすがにどうかと思う。
ーーチャリっ……。
そのとき、そばで聞き慣れた金属音が聞こえた。
老人の胸元を見ると、三枚のドッグタグが下がっていることに気づいた。
「あの、そのドッグタグ……ご家族のですか?」
オレが何気なく尋ねると、白ひげの老人は、馬にブラシをかける手を止めた。
「……七年、待った」
低く、重みのある声だ。
「……リオという少女は、ワシの息子を、三人連れ戻してくれた。この三頭は、息子も同然に思い、長年ワシが世話をしてきた……老い先短い老馬じゃが、まだ仕事はできる」
白ひげの老人は、オレに目を向けると、厳しく告げてきた。
「これは断じて、君らの報酬ではない。ワシからの依頼である。リオという子もまた故郷へ帰り着けるよう、微力ながら、この馬たちを使ってくれ。……頼めるな?」
その言葉に、オレは黙ってうなずいた。
「ときに……」
白ひげの老人は、次は栗毛の馬にブラシをかけながら、何気なく尋ねてきた。
「あの子はどこの街の出身じゃ? ずいぶん遠いようじゃが……」
オレは淡々と、リオから聞いている話を伝えた。
「あの子の出身は、東京都、祐天寺です」
「旧国名は?」
「日本」
「……」
マルコフさんは、急に手を止めた。
長い沈黙の末、オレをよそよそしく睨んだ。
「……ワシはそういう冗談は好かん」
***
オレはしばらく、馬小屋の前で待機しながら、外の吹雪を眺めていた。
するとリオとベッケンバウアーが、ようやく映像活劇の上映会から戻ってきた。
「米沢ニイサン、聞いて聞いて! 今日観たのって、本当にさいっっっっっっっっこうの映画だったんだ!」
リオがとびっきりの笑顔で駆け寄ってきた。オレに飛びつくと、興奮冷めやらぬ様子で、矢継ぎ早に映画の感想をまくしたててくる。
「奇想天外な脱出計画」
「絶望的な状況を打破する、一か八かの大博打」
「ところが予想外のハプニングが起きて、大ピンチに」
「それでも全員が機転をきかせて、誰ひとり欠けることなく、脱出計画は大成功」
……なるほど、いかにもリオが好きそうな、ハッピーエンドの映画だな。
ただ、そろそろこの子にはゲンジツに戻ってもらわないと。
ふわふわと甘くとろける空想も、天まで突き抜ける爽快な脱出劇も、楽しんでいいのは夜になってからだ。
「リオ、その話はあとにしないか?」
「えー? だーってニイサン!」
「ははっ、平気だ、あとでいくらでも時間はあるじゃないか。街を出たあとで、歩きながら聞かせてもらうよ」
するとリオはオレの上着に顔をうずめ、離すまいとしがみついてきた。
「あとで、あとでって……大人の『あとで』なんか信用なんない!」
「そんなこと言うな。オレは一度も、君の話を無視したことなんてないだろう」
「それでねっ、それでねニイサンっ!」
「リオ、ストップ……君がオレの話を無視してどうするんだ」
「いいのっ! 大胆な無視は、子どもの特権だもん!」
「駄目だ、映画の話は後回し。それに……君はまだ、仕事が残ってるじゃないか」
そう暗に示すと、リオはポカンとした顔を見せてきた。
「仕事……? 僕もう、やらなきゃ駄目なこと、なんもないよ?」
「……しっかりしてくれ。街を出る前に、改めてお礼を言いたいって――」
「あっ! しまった!」
リオは急にオレを突き飛ばすと、青天の霹靂とばかりに驚き顔に変わった。
「ゾーヤさんとオーウェンさんにお礼言ってくんの、すっかり忘れてた!」
「だったら――」
そのとき背後から、松葉杖をつく音が聞こえてきた。
振り向くと、吹雪の向こうから、迷彩服を着た男性の姿が見えてきた。先日会った入街審査官の、オーウェンさんだ。
「マルコフッ! い、急いで来とくれ……ゾーヤが、ゾーヤが見つかったんじゃアッ!」
松葉杖の教官は、息も絶え絶えにそう叫んでいる。
マルコフさんは小屋から出てくると、慎重な声で、問いかけている。
「……何があった、オーウェン……」