第四話 三つ目の願い、四つ目の頭・2
オレと博士は、リオの夕食をーーじっと眺めている。
微動だにする理由もないから、微動だにせず食事を眺めている。
まばたきするのも億劫だから、まばたきせずに、口の動きを見つめている。
何度見ても、不思議だな。あんな小さい身体で、よくあれだけスープを食べれるもんだ。
「あっ、そうそう! 実はね――」
「リオ、食べながらしゃべらない。しゃべるなら、食べたものを飲みこんでから」
「……はーい」
オレがキッチンから指摘すると、ベッドに座っているリオはしゅんとした顔をした。
「実は二人にね、良いニュースと悪いニュースを持ってきたの! ねえ、ちなみに二人は、どっちから聞きたい?」
ニヤリと笑って、リオがリクエストを待っている。
なるほど。その手を使うということは、オレたちにとって、何か予想外のニュースでもあるらしい。
オレはマグカップに白湯を注いで、ベッドに腰かけている博士に手渡した。
リオのとなりに座っている博士は、気さくに話に乗っている。
「ではぁ、セオリー通り、良いニュースから先に聞こうではないかぁ?」
「いいよ! 良いニュースはね、僕が仕事をこなした報酬に、おじいちゃんから『何でも好きなこと言ってごらん』って言われたの。だから僕、この街を出たら、馬で送ってくれないかなって頼んだの。そしたら……なんと! 三頭も貸してくれるって!」
オレは思わず手を止めた。
「……リオ、本当か? オレたちが馬を、三頭も……」
「うん、本当に貸してくれるって! 実はね、ゾーヤさんとオーウェンさんが、前もって話をつけてくれたんだって。だからおじいちゃんも、僕のこと信じてくれたんだ!」
「そっか、あのときの入街審査官が……」
まるでわらしべ長者だな。
リオが真面目に仕事をこなした結果、巡り巡って、並のことでは手が届かない、破格の報酬に手が届いてしまった。
オレたちにとって最高の報酬、それは移動の足だ。
ところが多くの街人は、盗難のリスクを恐れて、よそ者に馬を貸すことは決してない。「馬を貸すくらいなら、家の鍵を貸す方がマシだ。馬を盗られたら何も残らないが、家を盗まれても、土地だけは残る」と言われるほどだ。
ただ、先日会った二人は、入街審査官だ。彼らの仕事は、旅人の本性を見破ることだ。そんな二人が「信頼に足る旅人だ」と証言してくれた。これ以上ない安心材料として、その「おじいちゃん」という方は、リオに馬を貸す決断をしてくれたんだろう。
リオのとなりに座っているベッケンバウアーは、大変感服したとばかりに、さっきから何度もわざとらしくうなずいている。
「さぁすがはリオちゃん! こちらとしてはぁ、実に助かるお話ではないかぁ」
あいつがリオに抱きつこうとしたのが見え、オレは隠しナイフに手をかけた。
すると博士は、オレの殺気に気づいたのか、苦々しく手を引いた。
「……で、リオちゃん。悪いニュースとはぁ?」
博士が先を促すと、リオは申し訳なさそうに、控えめな笑みを見せた。
「ごめんね、ネエサン。馬に乗せてもらえるのは、ちょっと短めの距離なんだー。馬ってリビングデッドに出くわすと、パニック起こしちゃうんだって。だからリビングデッドがいないエリアまで、送ってもらう話がついたの」
リオはそこまで言い終えると、金属皿に口をつけ、ボルシチを最後まで平らげた。
あの子は顔を上げると、幸せ満面な笑顔で「おかわり!」と宣言し、ベッケンバウアーのとなりから離れてくれた。
それを見て、オレは隠しナイフから手を離した。
だがベッケンバウアーはーーまだオレのことを睨んだままだ。
向こうは猫をかぶるのをやめたようだ。リオの前では絶対に見せないだろう、邪悪で邪険な目をしている。
「米沢くん……あまり調子に乗るのはやめたまえ」
「それはこっちのセリフだ。こちらが許可しない限り、勝手にリオに接触するな」
「フッ、笑わせるではないかぁ。むしろ、私は君に、リオちゃんへの接触を禁じたはずである。私の命令を無視し、いまだに我が子にベタベタと触れるとはぁ……いよいよこの危険物を処分すべきときが来たのだろうかぁ?」
「何を言ってるんだ。お前の方がずっと危険なくせに、偉そうなことを言うな」
「偉そうなのではなぁああああい! 私は、実際、偉いのだぁあああああっ!」
博士は歌劇のように自分自身を賛美すると、頭を抱えて嘆きだした。
「ハァアアアアっ……親としてはっ、実にっ、実にィッ! 深く、心を、痛めるよぉっ……あやつはリオちゃんに危害をもたらすリスクがあるというのにぃ、アァ、なぁぜリオちゃんは米沢くんから離れようとしないのだぁ……! オォっ、神よぉ! これもまた試練だとおっしゃるのですか? 我が子を遠くから見守り、痛みに耐え、忍びがたきを忍ぶ、これこそが親としての責務であるならばぁっ……私はっ、この試練っ、受け入れましょうっ!」
「お前は何を言ってるんだ」
「お黙りっ! 人の皮をかぶったサタンの使いめ!」
「いや……サタンが誰だか知らないけど、お前はリオの親じゃない。危険なのはオレじゃない。お前がリオにとっての危険物のくせに、よくもまあ、それだけ被害者ぶったことを言えるよな」
「被害者ぶっているのではなああああああいっ! 私はっ! 実際っ! 被害者であああああああああるっ!」
「……駄目か……やっぱり、さっさと駆除する方法を探さないと……」
一方、リオはオレのそばで、ご機嫌な鼻歌混じりにボルシチをおかわりしていたが、欲張りすぎてスープをこぼしたようだ。
「あっ、あちちっ!」
慌てて床を拭くものを探している。
するとベッケンバウアーは、リオが見ていないのをいいことに、ただただ敵意を剥き出しにしてオレを睨んでくる。
「……フゥ……米沢くん、君との議論には、もはや付き合いきれない。私がいくら建設的な話をしても、毎度毎度こう言われるとはねぇ……とても正気とは思えない」
「笑わせるな。オレはお前の正気を疑うよ」
リオはタオルを取って、こぼしたスープを拭き終えるとーーふと顔を上げた。
その瞬間ーーベッケンバウアーはまたたく間に猫をかぶって、弱々しい笑みを浮かべて、のたまいだした。
「アァ、リオちゃん、どうか助けておくれぇ……米沢くんときたらぁ、ありもしない疑いを私にかけてくるのだぁ。こればかりは私も、戸惑うより他なくてねぇ……」
「……」
「リオちゃあん?」
リオは何か、衝撃の事実に気づいたような驚き顔で、オレとベッケンバウアーを交互に見比べている。
「に、ニイサン、ネエサン……ひょ、ひょっとして二人ってーー」
ゴクリーーリオは生唾を飲むと、緊張した声で訊いてきた。
「もう……デキてるの!?」
オレもベッケンバウアーも「違う」と言って、同時に否定した。