第四話 三つ目の願い、四つ目の頭・1
ひとつ目の願いで、あのおぞましい肉体に改造された。
ふたつ目の願いで、故郷に帰り着くなり、殺された。
それでも三つ目の願いでーーロジオンはゾーヤに、不変の愛を貫いた。
オレたちは、この街でお世話になる宿を決めた。
だが、宿でいくら待っていてもーーなかなかリオが帰ってこない。
オレは苛立ちをこらえ、窓の外に目をやった。
外はもう真っ暗だ。しかもひどい吹雪になっている。何かあったんだろうか。
「な、ベッケンバウアー……そろそろ、リオを探しに行ってくる」
「ハァ……米沢くん、待っていればぁ、そのうち帰ってくるさぁ」
「それにしても遅すぎないか?」
「いいえ? 寄り道しているのだとしたらぁ、まだ帰ってくるには早すぎるねぇ」
あいつは相変わらず、ベッドに寝そべったまま、暇つぶしに読んでいる聖書から顔を上げようともしない。いつまでもいつまでも、ああして平気な顔を続けられるだなんて、オレには、とても信じられない。
「あのな……リオは昨日、一睡もしてないんだぞ! 一晩中、入街審査に時間を取られたから、あの子は仮眠も取れずに仕事に行ったじゃないか」
「そうだねぇ」
「人間はオレたちと違って、睡眠不足に陥ると、判断力が低下するんだ。そんな状態で行ったから、何かトラブルが起きたんじゃ――」
「だぁから、闇雲に探しに行くと言うのかいぃ? フゥ、困ったものだぁ……またトラブルの火種を蒔きたいのだねぇ」
「は!?」
「それで以前、君がリオちゃんと行き違いになり、なぁにが起きたかーーもうお忘れかねぇ?」
窓の外では、春の湿った吹雪が、ガタガタと窓枠を揺らしている。
それを小馬鹿にするように、博士が聖書をめくる音が、部屋に響いた。
「君の八つ当たりならばぁ、私がいくらでも付き合おう。好きにしたまえ。退屈は毒だろう? どうぞお気に召すまま、暴言の限りを尽くすがいい。ただし、この部屋を出ると言いだすならばぁ……フッ……あえて言わせてもらおう、君も少しは過去から学びたまえ。見苦しい」
ズケズケと痛いところを突かれ、オレは口をつぐむしかなかった。
悔しいが、彼女の説教には……返す言葉もない。
オレは苛立ち紛れに、部屋の中を見回した。
オレたちが借りた部屋はーーずいぶん長細くて、妙に窮屈だ。しかも、無骨なデザインの三段ベッドが、壁際に十二人分、みっちり敷き詰められている。
どう見ても、最初からホテルとして使われることを目的に作られた部屋じゃない。過去に別の用途で使われていた部屋を、今は無理矢理、ホテルとして再利用しているだけなんだろう。
恐らくこの安宿は、過去に兵士の仮眠室か何かだったのかもしれない。
オレと博士はリビングデッドだから、これだけベッドがあったところで、無用の長物だ。そもそも睡眠が必要ないんだから。
それでもリオにとってはーー必要の十二倍もベッドがあるこの部屋が、逆に大当たりだったらしい。
――やったー! ベッドから毛布をぜーんぶ強奪して、ここに合体させたら、
――超高級なフカフカのベッドが完成するじゃん!
ところが、「今日は早めに帰ってくる!」と宣言していたリオが、いつまでも帰ってこない。オレが準備しておいたスープも、すっかり冷め切ってしまった。
出来たての料理で迎えようと思っていたが、こんなに遅くなるなんて――。
「ニイサン! ネエサン! ただいまーっ!」
オレはハッとして立ち上がった。
ようやく部屋に、元気な声での「ただいま」が飛び込んできた。
「リオ……遅かったじゃないか。何かあったのか?」
「ううん、別に? 消息を届けたついでに、薪割りを手伝ってただけだよー」
玄関にいるリオは、ノーテンキに笑いながら駆け寄ってきた。
「はーっ寒すぎて耳がジンジンする! ねえニイサン、暖をとらせてー!」
「暖を取るって……またオレの身体を使って暖を取るのか?」
「えーっ、駄目?」
普通に考えれば、そもそも有り得ないだろう。
人間にとっては禁忌に近いんじゃないのか?
もし人間同士なら、互いに抱き合って暖を取るのはごく自然な交流だ。
だがオレは、リビングデッドだ。
「や、駄目というか……よくそんな度胸があるな」
「やったー! 命の恩人、感謝永遠にーっ!」
リオは、オレの黒いウインドブレーカーのチャックを勝手に開くと、素早く懐に潜り込んできた。
「ふあぁ、助かったよニイサン……ぬくいぬくい……」
懐の中から、もごもごと声が聞こえる。この子はオレの白シャツに顔を擦りつけては、すっかり安心しきっているようだ。
リオが無事でよかった。それはよかったんだが、オレはため息をついた。
「まったく……こんなに遅くなるなら、せめて前もって、ここに知らせてくれよ」
「あっ、忘れてた! ごめんごめん!」
あきれた子だ。
「頼むから、次からこういうときは――」
「ねえニイサン、さっさと晩ごはんにしようよ! もうひもじくてひもじくて、目眩がするのっ! なんでもいいから食べさせて? 『この欲しがりさんめ』って笑われたって構わないのっ」
急にリオは、上着の中でぴょんぴょん跳ねてせがみだした。
忙しい子だな。こうなると、この子は話を聞き入れてくれない。お説教は後回しだ。
「ま、しばらくそこの干し肉でもかじってくれ。すぐにスープを温めて――」
「わーっ! 虐待だーっ! 干し肉虐待だーっ! 干し肉もう飽きたーっ!」
リオはオレのシャツに顔をうずめると、さめざめと嘘泣きを始めた。
「もう僕やだよっ……腹ペコでひもじいのに、干し肉かじって飢えをしのぐの……皆んな皆んなそう言うんだ、『どうせリオは味オンチなんだから、腹が膨れれば何だっていいんだろ』って……そうやって米沢ニイサンも、僕のことあしらう気なんだっ!」
オレは話半分に聞き流しながら、リオの髪から雪を払っていた。
「リオ……わかってるだろう。君をおざなりにする気は、一ミリもない」
「そんなのわかってるよ! わかってるけど、言いがかりをつけたいのっ!」
「わかったわかった。それがわかってて言いがかりをつけたいならーー」
そのとき外から、銃声が何十発も、立て続けに聞こえてきた。
オレとリオは、ギョッとして窓を見た。
そう遠くない距離から聞こえた、銃声だった。
リオが心細げに、ぎゅうとオレにしがみついてくる。
「ねえ、米沢ニイサン、あの音……アサルト・ライフル、かな?」
「そう聞こえたな」
「外、大丈夫かな……だって、全自動連射にしてたよね……弾倉が空っぽになるまで、一気に全弾、叩き込まなきゃいけない相手って……」
「……」
もし通常種のリビングデッドが相手なら、そんな過剰なことはしないはずだ。拳銃を一発、頭に当てるだけで倒せるんだから。
「……リオ、悪いけど、少し窓を開ける」
「うん、いいよ。外の寒さには、もう慣れっこだし」
急いで窓を開けると、部屋に吹雪がなだれ込んできた。
銃声が聞こえたのは風上だった。もうすぐ、ここまで匂いが流れてくるはずだ。
すると背後に、ベッケンバウアーがヒールを鳴らして歩き寄ってきた。
「フム、米沢くん……君の見立てを聞かせてもらおうかぁ」
オレはマフラーを下げた。吹雪の中に、匂いの痕跡をかすかに感じる。
硝煙の匂いと、リビングデッド特有の刺激臭。
ただ、この匂いは……。
「あの匂い……本当に、嬉しそうだな」
「ホゥ、どの程度ぉ?」
「異様なほどだ。尋常じゃないレベルで、多幸感の匂いがする。あのリビングデッド、なんでか知らないけど……幸せの絶頂にいる状態だ」
「型はぁ?」
「ナンシー型……ま、少し変異が始まっているかもしれないけど……」
「アァ、なぁんだ……」
博士はそれを聞いただけで、外の状況を知るには十分だったようだ。
とたんに興味を失ったのか、きびすを返してさっさと窓を離れている。
「ねえ、ネエサン……外で何があったの? ネエサンなら、何かわかる?」
リオが不安げな面持ちで、ベッケンバウアーの行く手をさえぎった。
「フフ、安心したまえリオちゃん。街にリビングデッドが来たようだがぁ、大したことはない。……サァ、晩餐を始めよう! リオちゃんも、もうお腹はペコペコなのだろう?」
ベッケンバウアーは大げさに左腕を広げると、歌うような口ぶりで夕食へと誘った。
だがリオは、堅い表情のまま、じっと博士を見上げている。
「……」
博士は少し困った顔を見せた。
「……いいかいリオちゃん。あのリビングデッドは、生前、ここが生まれ故郷だったと推測される。帰巣本能が強い個体だったのだろう。懐かしの故郷を目にすればぁ、天に昇るほど舞い上がるのも無理はない……」
ベッケンバウアーはリオの肩に手を置くと、やけにニコヤカに囁いた。
「なぁに、安心したまえ。外に来たのは、あくまでゾンビと呼ばれる種類である。多少風変わりかもしれないがぁ……ノロマで、無能で、馬鹿のように、同じ愚行を繰り返すのみ。この世で最もありふれて、最も対処しやすい、最も低レベルな脅威である」
リオはそれを聞いて、少しホッとした笑顔に変わった。
「それって……ネエサンがよく言ってる『ナンシー型の通常種』ってこと?」
「エェ、その通り」
「じゃ、街の人が襲われる心配は、絶対、ないんだよね?」
そう問われてベッケンバウアーは、すかさず断言した。
「いかにも」
「よかったー!」
オレはそれを聞いて、チラと博士を見た。
やっぱり博士とは、相容れない。リオの目を見て、平気で嘘をつきやがった。
ただ、あの子はすっかり安心して、無邪気にはしゃぎ始めてしまった。
「なーんか、ホッとしたらお腹空いちゃった! ニイサン、ネエサン、早く晩ごはんにしようよ!」
まあ……わざわざ水を差すほどのことでもないか。
ナンシー型の通常種は、絶対、安全だとは言い切れない。
それでも、ほぼ確実に、安全に倒せるーーそれは事実だ。