中編
セミがカナカナと鳴いている。
帽子からはみ出た髪の毛から汗が流れ、顎を伝って地面に落ちた。地面では蟻達が列をなして歩いている。男の子はしゃがみ込んで、そのアリを眺めていた。
ランドセルは重く、バランスを崩すと後ろに転がりそうになる。
こんな邪魔な物など放り投げてしまいたかったが、おじいちゃんとおばあちゃんが買ってくれた大事なランドセルなのだから、大切にしなきゃいけない、そう男の子は思った。
喉が渇いた。
首から下げた水筒を開けて、麦茶を二口飲む。氷は溶け切って温くなっていたけど、喉を通り過ぎていったそれは体の中の熱を冷ましてくれる様な気がした。
下校途中の公園にはたくさんの木が生えている。
カナカナと鳴く蝉の声は、その木の中から聞こえてくる。
夏の西日の中にぽっかりと口を開けた洞窟のような薄闇。
そこにコータくんが立っていた。
葉を一杯に伸ばした木は、太陽の光を切り取って薄闇を作る。やがて来る夜の雫を流し込んだ様な、どこか不自然な日陰の中で、コータくんは笑いながら手招きをしている。
男の子は駆け寄り、頭をぺこりと下げた。
「昨日はごめんね。一緒にお家で遊べなくて」
首を振るコータくんの顔は優しかった。
昨日、怒った顔で握られた右腕は、まだちょっと痛む。でも男の子にとっては、もう二度とコータくんと遊べないことの方が嫌だった。
「今度、お父さんとお母さんが、コータくんのお家に挨拶に行くって!」男の子はとっておきの嬉しいニュースを伝える。昨日のコータくんの嫌な顔を忘れてしまいたかった「そしたら、コータくんのお家で一緒にゲーム出来るって! コータくんが良かったら、僕のお家に来てもいいよ!」
それは、駄目だよ。
風が吹いて、木の枝を揺らした。
コータくんの白い頬の上を、マダラ模様の黒い影が揺れた。
そう、コータくんの肌は真っ白だった。まるで暑さなど感じない、冬の世界の住人みたいに、真っ白だった。
「なんで?」口を尖らせて男の子は尋ねる。
僕は見えないんだよ。
君のお父さんやお母さんに、僕は見えないんだよ。
「うっそだー」コータくんらしくない冗談に、男の子はケラケラと笑う。
大人は、見たいものしか見てないんだよ。
見たくないものには目を伏せて、見ていないふりをするんだよ。
「ふーん」コータくんの言葉の意味を掴みきれず、男の子は渋々と頷いた。
君がやりたがってたゲーム、僕は持ってるよ。
コータくんは空を見上げた。そこに空はなく、黒い葉だけが散りばめられている。
僕の家においでよ。
「でも」
僕の家においでよ。
ゆっくりと、コータくんの白い手が伸びてきた。
その手の指は不思議なほどに長く、男の子は「あっ」と小さく叫んだ。
それはまるで、大きなクモのようだった。
後編に続きます。