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強大な負の力が彼方から動き出したのを政信は感じ取った。
帝が動いた。
「匠。動き始めたぞ」
「え?」
神田が客に呼ばれてテーブルを離れた直後に政信は声を潜めて匠に告げた。
一瞬、何が?と、そう思ったが直ぐに理解した。
和人には聞こえない程の小さな声だったが、恐らくは彼の中に宿っている鬼羅の力のせいで分かってしまっているだろう。
短かった、そして聞き取りにくかった会話。
己の能力が足りない悔しさを呪う政信に対して、これから始まるだろう闇の帝との戦いに興奮した匠の、というよりも多魂のほうだろうか、二人の雰囲気は正反対な心の内は、まだ居心地の悪い顔をしている和人には気づかれていない。
二人は目を合わせると神妙な面持ちで和人に聞いた。
「和人くん」
「はい?」
政信は和人と視線を合わせると、その瞳の力だけで鬼羅の精神を引きずり出した。
その衝撃で和人は一度かっくりと頭を垂れたが直ぐに瞳の色が変わり真っ直ぐに政信を見返した。
「何の用だ?」
和人は、いや、鬼羅はにっこり笑顔だ。
「何の用じゃないだろう。何故君がここにいるんだ?」
政信は腕を組んで無表情で鬼羅に聞く。
「んー。多魂がいるから?」
その能天気な答えに政信はため息をついた。
「え、鬼羅?和人は?政信さん?」
「ちょっと術で入れ替わらせた。今は鬼羅に聞きたいことがあって、出てきてもらっただけだ。大事ないから安心しろよ」
「うん。急やったから驚いただけや」
「だったらいいか?……それで、鬼羅。何で和人くんを連れて来た?」
「ん。多魂が心配だったから」
笑顔のまま答える鬼羅に
「噓はついたらアカンで?今までそんなこと、一回もなかったんやし」
今までとは昔の奈良にいたときの事だ。
匠にツッコミを入れられても悪びれた風でもない。
「……んー。ま、強いて言えば?面白そうだったから?だから和人には悪いけど、身体を借りた」
鬼羅は思っていることを素直に言った。
「アホ!和人が可哀想やないか!なに勝手な事言うてんねん!こいつはバスケの練習に行かなアカンかったんや!これで無断欠席三日目や!レギュラー外されたらお前のせいやからな!」
匠は店内であることに配慮して小声で怒鳴るという中途半端ではあるが、和人に代わって叱った。
「しかしだな、和人も多魂のことを心配していたんだぞ。だから儂と簡単に入れ替わったのだが?」
「お前と和人くんの動機は天と地ほどの違いがあるだろう……」
政信は項垂れて息が漏れた。
「ここに来たいと思ったのは同じであろう」
「意見が一致しても来たらアカンねん!」
和人の顔にずいっと身を乗り出して至近距離で目をむいて怒っている匠に、平然として表情でまた見返してくる。
三階の座敷席で男三人が隅にかたまって異様な雰囲気を醸し出しているのを見かけた神田がやってきた。
「何やってんの?他のお客さんが不審に思ってるで。話が続くんやったらもっと穏やかに、和やかに、静かにしてほしいのやけど……」
怪しい密談でもしているように彼女の目には映るようで、小声で話しかけてきた。
「せっかく都路里に来たんやし何かスイーツ食べてってほしいわ」
「そうやな。じゃあ俺は抹茶オレホイップ。政信さんは?」
匠はメニュー表を見ずに神田に頼んだ。
「何が旨いんだ?……ちょっと待て」
「女性客はスイーツが多いですけど男性客は抹茶やほうじ茶などのドリンクをよく頼まれますね」
神田が助言をくれた。
「笹原くんは何でメニュー見ないで言えたの?」
「妹が連れていけと煩いから調べたことがあって」
「舞ちゃん?」
「そ。夏休みに予定を勝手に入れられててなー……」
「宇治フロートにするよ」
「畏まりました。抹茶オレホイップと宇治フロートですね」
神田はオーダーの確認をして奥に引っ込んで行った。
「で、和人はもう学校!早う行け。バスケ部に行かなあかん。今から……は、もう間に合わんけどそれでも、監督に謝れ。和人に戻らんとそのまま鬼羅で頑張って走って行け?鬼羅やったらバスに乗るより速いんやから」
「ええー……そろそろ身体返してあげようと」
「そうだな。和人くんじゃなく鬼羅が全速力で行った方が確実に速く到着できるよ。じゃあ学校まで和人くんをよろしく」
政信も和人を追い出そうとする。
「ほら、早う行きや」
「う、……む?分かった。ではその代わりに先ほどの話は後で必ず聞きに行くぞ」
和人の向かわねばならない場所は和人の知識の中から探して鬼羅は席を立ち階段を下りて行った。




