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「ほな、後は俺たちで要るものはこっちで用意して持っていくから、心配せんとバイト頑張ってな。とにかくこれだけは言うとくわ。一番大事なことは心の中で入ってくんなって思っとくことやで?そしたら入ってこようとはせェへん。……いつ店に入り込もうとするか分からんけど、その盛り塩を置いたら結界が発動するから力のない弱い霊くらいなら大体は消える」
≪うん≫
「この世で一番力があるのは今を生きてるモンや。意思が実体のない幽霊に負けたら絶対にアカンねん。お前らの世界はここやないって強く強く思ってたら悪さは出来へん。安心して俺が行くまで待っててくれるか?」
≪うん。分かった。……待ってる!≫
「よし、じゃあ、切るで?」
≪うん≫
落ち着いた、いつもの神田の声に戻ったのを聞いてホッとした匠は電話を切ると立ち上がり和人にちょっと待っているように言って部屋を出て行った。
すぐに戻ってきた匠の手には半紙と筆ペンが握られている。
「それ、何するんや?」
和人のもっともな質問である。
しかし、たくみは既に自分の世界に飛んでいた。
「街全体に結界って……。俺にもできるんかな?」
机の上のペン立てから鋏を取り出して半紙を小さく切り始める匠を、和人は興味津々で眺めていた。
そんな和人には構わず、匠は小さく切った半紙に今度は筆ペンで星の形を真ん中に書き込んでいき、書き終えたものから綺麗に並べて、最後の一枚を置くとその瞳に光が灯った。
「ヲン アロキリ ヤソワカ……」
和人が聞き取った匠の不思議な言葉。
「何の呪文?」
「聖観音の力を宿らせて、空気の浄化を促す為の言葉や」
瞳の中の光が消えたのを見て尋ねた和人に匠はしっかりとした声で答えた。
「それってホンマに効くんか?」
「どうやろ……?やってみな分らんな。でも、俺が時間稼ぎしてる間に政信さんが何とかしてくれると思うし。大丈夫やろ」
「……そんな大雑把でええんか?」
「じゃ、行ってくるわ」
立ち上がって部屋を出て行く匠に「お、おい」と慌てて和人も一緒についていく。
「お前は家に帰っててくれ。それに昼からバスケもあるんや。昨日も一昨日もサボってることになるんやで?レギュラーやからって舐めてたら降ろされるし、後輩にも示しがつかへんって怒られるって」
「う、……そうやった。とにかく、お前も気ィつけてな」
「大丈夫やって。ひとっ走りで行ってくるから。終わったら連絡するし」
家の外に出ると匠は立ち止まり、息を整えるとカッと目を見開いたその瞳に映ったのは風の姿。
その風に意識を集中させると、今度は目を閉じて耳を澄ませた。
匠と和人の間をするりと空気が動き、風が通り過ぎる。
和人にも微かに四条通の光景が見えた。
「なっ、何や!?」
「四条通や」
どす黒く流れている負の感情と、垂れ込める闇の霞を纏った人の形をした、この世でない者が漂っていた。
「和人にも見えたってことは、やっぱりまだ力が残ってるってことやなぁ」
「みたいやな……。っでも、今はそんなん気にせんと四条通のことを考えとけ?」
「おう」
閉じていた目を開けた匠の瞳。
激しい感情を現して、銀色に輝く光を更に濃くしている。
「お前……、夏休みの間にめっちゃ変わったなぁ……。何か人間やないみたいな?」
どこか他人事のように四条通の景色と、匠の様子が、ゲームの世界のワンシーンでも見た感想を和人は零した。
匠の耳には入っていないらしい。
「行ってくる……」
そう短く小さく呟くと匠は笑んだ。
二、三歩小走りしてから軽やかに跳んだ。
「うわ、アイツ人間やない!オリンピック出たら高跳びの金メダル確実やっ!」
軽やかに跳んだのだが、他人の家の屋根まで飛んだのだ。
そして次の家の屋根へと飛び移っていく。
あっという間もない速さでもうゴマ粒よりも小さく見えて、……消えた?
「バスや電車を使うのがアホらしくなるくらいのスピードて……」
和人は匠が自分の友人であるのか分からなくなった。




