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そのサラリーマンの男は、体調が悪いだとか会社で何か失敗したとかの顔色ではない。
以前なら全く気にも留めなかった匠だったが、この男は様子が怪しいと瞬時に感じた。
足取りも力なく、いつ倒れても不思議ではない、まるで精気を感じないのだ。
男はゆっくりと匠に振り返った。
カッと目を見開いて、唇を不気味な笑みに引き上げた。
「っ!」
息を吞んだ匠に、笑んだ男は唇を動かさずに告げた。
『多魂。鬼羅がマッテいる。疾く参れ。参らぬならば鬼羅は殺されるぞ……』
聞こえた声は和人のものだ。
男は東に向かって進みだした。
(多魂って言われるんは別に構わんけど、鬼羅って……和人?アイツが鬼羅?ちょおっと待てくれ?……え、鬼羅まで蘇ってんの⁉)
匠は慌てて男の襟首を後ろから掴み乱暴に引き留めた。
「どうゆうことや!鬼羅がおるんか!アイツまで巻き込むつもりか!」
『……』
男は無言のままピクリとも動かない。
匠は舌打ちして男を突き放す。
すると、また再びふらりと円山公園を目指して進んでいく……。
「……ついていくしかないんか。政信さんどうしよ……。信二にスマホ貸すんやなかったな。待っとかなあかんかな。でも鬼羅のこと早う知りたいし……。あ、悠裔!」
匠の足元で男に向かって唸り声を発していた猫は主人に呼ばれて仰ぎ見る。
「ここで政信さん来るの待っててくれ。俺は先に行ってるから、後から来てくれ。分かったか?」
『……ナーう……』
匠の言うことをききたくないらしい。
「早う行かな……。分かったな、ここにいろっ」
悠裔にきつく言うと匠は男を追って駆け出した。
少し心配になって振り向くと猫は主人の命令に従って、おとなしくお座りして待ってくれている。
何とも言えない心配そうな瞳を向けている悠裔を見て、匠は酷な事を強いている気分にさせられた。
しかし、先を進む男に追いつき四条通を東に歩いて行く。
円山公園に和人はいる。
気になっていた東の空を見上げると、朝だというのに徐々に闇色に溶けていくのが分かる。
普通の人間ならばまず気付かないのだろうが、今の匠にはそれが何故闇色に染まっているのかが分かっている。
和人が【あちら側】の人質になってしまって、どうやって救うのか、その手段はまだ考えていない。
考えたいのだが、東の空の色に驚いてしまっていて頭が働かない。
どんどん公園に近づいている。
何時しか匠の身体は蒼白く光り始めていた。
興奮しているからなのか、和人を巻き込んだ怒りからなのか、得体の知れない力を前にした恐怖からなのか……。
輝きは増していく。
少しずつ。
少しずつ……。
八坂神社の鳥居を男は潜り抜けてゆく。
匠は不思議に思った。
普通の鳥居は魔除けの働きがあるのだが、今は何の反応もないのだ。
匠は大鳥居をちらりと観察する。
笠木と貫に罅が入り、柱は雷に撃たれたように裂けている。
それでも境内を守り続けていた。
その鳥居を潜り、匠は男の後を追う。
いよいよ闇が深くなる。
円山公園の名物の枝垂桜へ続いている道は、次第に墨で塗りつぶされたようにきな臭い妖気が匠に纏わりついて襲う。
「う……」
気分が悪い。
しかし、遠い昔の夢の中みたいに感じる。
鬼になった時の雰囲気。
目に見えない何かが殺気立っている。
多魂であった頃の鬼の気をもっていなければ、きっと匠はこの空気の中で立つこともできなかっただろう。
それほど、公園内は重苦しい空気を漂わせていた。
男はずっと同じスピードで道なりに進んでいくと枝垂桜の木の前でばったりと倒れて動かなくなった。
「ようこそ」
匠の耳に聞き覚えのあり過ぎる、上田和人の声が届いた。
だが、その声は悪意の強い別人の意識が混じっている。
声がしたのは桜の近くの売店の方からだ。
視線を移すと、和人が立っていた。
その後ろには闇に蠢いて、悪霊が漂っている。




