15
正信のマンションから帰って、もう二日になる。
前世の記憶が全て蘇った。
多魂という名の鬼としてこの世に舞い戻った日下部彬は、南都・平城京跡の片隅で静かに暮らしていた。
あの日に出会った鬼羅と共に。
しかし、それも長くは続かなかった。
鬼羅が京の都に行きたいと言い出したのが始まりだった。
十年も経っているが都は変わっていなかった。
住んでいる者たちが少しずつ変わってしまう程度だ。
そして多魂が人間であった時を知る者は少なくなっていたのだが。
角を隠し、着ている衣も殿上人であった時とは全く違う庶民的な身なりにしていたのだが、彬の顔を覚えていた内大臣家の、当時は小姓だった男に見られたらしい。
男は青ざめた顔で逃げ去り、多魂は茫然とその場に立ち尽くして、鬼羅はまるで気付かずに市を楽しんでいた。
南都の小屋に戻った二人だったが、その夜、大納言藤原成信の率いる陰陽師たちが大勢現れ、多魂と鬼羅は呪殺される。
多魂は怨霊となり成信を呪うが、その親族の娘である菜津が必死に救いの真言で呪いを解く。
菜津の暖かい心を感じた多魂の霊は癒されて成仏した。
――これが彬…多魂の記憶の全てだった。
匠は政信に全部の記憶が戻ったことをスマホで伝えた。
≪だったら明日、ウチに来てくれるか?これから術の練習しとかないと≫
「でも、だいぶ気の使い方分かってきたから大丈夫やと思う。運動神経もええ方やし、それに感覚も凄い鋭くなってきてるし」
≪馬鹿。だからといって殴られて痛くないなんてことはないんだよ。いくら運動神経が良くてもスポーツが出来ても、戦う時の筋肉は使うトコ違うんだ。君は今は鬼じゃなく人間なんだよ。ちょっと能力が普通の人たちよりも強くなってしまっているだけの、ただのヒトなんだから≫
「ああ……そうか。じゃあ明日から特訓するん?」
≪そういうこと。っと、そうだ。まだ何か怪しいものから襲われたり変なもの見たとかはない?≫
「大丈夫や。……それってお守りのおかげなんかな」
≪あれは魔除けの念を籠めてるものなんだ。下等なヤツだったら近づけないから≫
「って言われても、ずっと家で学校の宿題やってたから出かけてないし」
≪そうだろうな。……よく集中してみて。君の家の外。妖の気配を感じ取れるか?≫
政信に言われて窓の外を見てみると、向かいの家の屋根の上に半透明でおどろおどろしい獣かこちらを見ているのが分かった。
「あ、……おる。うぇっ、…気色わるー。あれが敵なん?」
≪そう。「消えろ」って強く念じてみて。消滅するから。昔の感覚を思い出しながら試して≫
「うん、やってみるわ……」
匠は呼吸を整えて目を閉じた。
前世でも小屋に異形たちが襲ってきたことがあったのを思い出す。
どうやって戦っていた?
鬼羅はまるでスポーツでもするかのように楽しく異形どもを蹴散らしていた。
そして多魂は相手を見据えて、全身を蒼白く光らせ、念で相手を捻り潰していた……。
思い出すと、匠は無意識に念じていた。
(異形なる者たちよ、ここはお前たちがいて良い場所ではない。失せろ!)
匠は目を見開いて異形を睨み付けた。
その瞳は蒼白く輝いている。
「ガガガガー……」
「ググ…ぐぐぐぐぐっ、……ぐぐ…」
屋根の上のこの世のものでない獣は、圧縮され、蒼白い焔に包まれて、…消えた。
≪うまくいったな≫
「ああ。消えた…な……。って、また俺ン家に意識飛ばして見てんの?」
≪くくっ、まあね。便利なんだよ?この力≫
クスクスと笑って政信は話す。
≪たぶん明日からは昼間でも君に近寄ろうとすると思うんだ。出来れば早くこちらに来てほしい。いくら明るくても君の発光現象は霊感が強い人が見ると変に思うだろうし、面倒も起きやすい。朝そっちに迎えに行くから予定は全部キャンセルしておいて≫
急に真面目な声で匠に言う。
「んー。わかった」
≪じゃ、明日。出来れば数日間の着替えを準備しておいて≫
「え、泊まり?」
≪君が家にいると家族が巻き込まれる。結界術を構築するためには、君には別の場所にいてもらったほうが都合がいいんだ≫
「結界張るのに俺が邪魔になるかもって?」
≪邪魔じゃない。けど君には術の練習が必要だ≫
「……家族には友達の家に泊まりに行くって言っておけばええかな?無断外泊はこないだ怒られたばっかりやし」
≪それなら外泊先は言っても良いよ。神社の掃除と泊まり込みの神事に参加するってことにしておけば怪しまれないかな。晴明神社の名前を出してくれて構わないよ。神社の者に話は通しておく≫
「お、そのアリバイ工作凄い!」
≪アリバイじゃないんだけど……信用してもらえないならこちらからご両親に連絡してもいいよ?≫
「大丈夫やって。そこまで信用落ちてないし。何処にいてるのかちゃんと分かってたらそれでオッケーやねん。じゃ、荷造りして待ってる」
実在する場所や施設がたくさん出てきますが、完全なるフィクションなのです。




