【シロクマ帝国物語・外伝】これは、幸せの魔法使いポワン、最初の旅の物語
シロクマ帝国は中央大陸の四割を占める世界最大の国家だ。国民の半数はクマ族で、残りは人間などの多種族が暮らす。
国名は初代皇帝がシロクマ族だったことに由来するが、世襲制ではなく議会が認めれば人間であっても即位はできる。ただし議会に対しては武力を示さなければならず、結果として歴代すべての皇帝はクマ族が名を連ねている。
さて、これはそんなシロクマ帝国の、とある森に住む一人のクマの話。
これは、幸せの魔法使いポワン、最初の旅の物語。
帝国の西の外れには『幸せの魔法使い』と呼ばれるシロクマが住んでいた。小さな小屋で一人、のんびりと毎日を過ごす。
名前はポワン。
見た目は子グマ。真っ白な毛並みはふわふわと柔らかく、ところどころ癖毛。瞳はとろんとしていて、いつも眠そうにしているので寝癖のようにも見える。
ある日のこと、ポワンのもとに旅人がやってきた。
ホワンと同じくらいのシロクマの子グマ。果物みたいな桃色の帽子をかぶり、リボンが似合う素敵なクマだった。
「あなたが幸せの魔法使い?」
可愛らしい声で子グマが尋ねた。
「ぽわ? 御用ですか?」
「ぽわ」はポワンの口癖だった。ポワンの名前は、育ての親で大魔導師のセンセイが口癖からつけた。
旅人はぺこりと頭を下げる。丁寧なヒトだなとポワンは感心した。
「私、モモ。旅する子グマのモモ」
「ポワンです。魔法使いやってます。ぽわ」
ポワンはモモをウチの中に招待した。旅人には優しくしなさいというのがセンセイの教えだった。
ポワンがお茶を用意すると、モモはお礼にコーヒーの入った小袋をポワンに渡した。ポワンはお茶をしながら、モモの話を聞いた。モモはシロクマ帝国の神官を副業でやっていて、旅のついでに巡礼をしているのだという。海の国、ネコの国、ヤギの国と、モモはこれまで訪れた国の話を楽しそうに聞かせた。
美味しそうな食べ物の話もたくさん聞いた。お饅頭にポテトチップスにプリン。ポワンはどんな味だろうと思いながら目をキラキラさせて話を聞いた。ポワンはずっとこの森で暮らしていたから、モモの話はぜんぶピカピカの水晶玉みたいに思えた。
話はいつまでも終わらず、夕日が沈んで夜になった。ポワンはモモに泊まってもらうことにした。
ポワンはもっとたくさんモモの話を聞きたかったけれど、夜になると眠たくなって、ご飯を食べたらすぐに寝てしまった。ポワンはいつでも眠たいクマだった。
翌朝、ポワンはモモがくれたコーヒーを朝食に出した。ポワンにはコーヒーが苦くて、ミルクとハチミツをたくさんいれた。そしたら美味しく飲めておかわりもした。
「相談があるんだけど」とモモが話を切り出したのは朝食が終わってすぐのことだった。
「ポワンちゃんに会ってほしいヒトがいるんだ。少し遠いところにいるんだけど。一緒にきてくれないかな」
モモはすごく真剣で、ポワンは少し迷ってから首を縦に振った。モモがすごく嬉しそうにしてくれたから、ポワンもなんだかいいことをした気分になった。
それに、モモの話を聞いて、ポワンも旅をしてみたいと思っていたところだった。
ポワンの旅支度は魔法使いの帽子と、少し大きめのスプーンがひとつだけ。どちらもセンセイがくれたもので、特にスプーンはポワンが魔法を使うのに必要なとても大事なスプーンだ。
「旅に出ます」とドアに書き置きを貼って、旅の準備は整った。
初めての旅は歩きだった。
旅する子グマのモモはてくてく、てくてく進んでいく。ポワンはモモに合わせて、頑張ってたくさん歩いた。
すごく疲れたけれど、初めてみる森の外の世界が楽しくて、いっぱい歩いて、いっぱい寝た。
何日かすると、モモは会ってほしいヒトの話をするようになった。ポワンはずっとクマかと思っていたのだけれど、話を聞いてみるとそのヒトは人間みたいだった。
「私と一緒にずっと旅をしてたヒトなんだ」
そのヒトはシロクマ帝国にやってきた旅人で、オジサンと名乗った。そのころのモモは神官の仕事をしているだけで、まだ旅する子グマではなかった。
オジサンは旅の話をたくさん聞かせてくれた。話を聞いているうちに、モモはなんとなく旅に出たくなって、オジサンについていくことにした。
シロクマ帝国皇帝に聞いたら「よきにはからえ」と言ってくれたので、神官のお仕事も副業で続けることにした。お給料も毎月ちゃんともらっている。
「オジサンはモモに帽子をプレゼントしてくれたんだ」
オジサンはいいヒトなんだなと、ポワンは思った。モモの帽子はよく似合っていたし、ポワンもセンセイから帽子とスプーンをもらったから、モモの気持ちがすごくよくわかった。
「オジサンはいまどうしてるぽわ?」
ポワンがそう聞くと、モモは少し悲しそうな顔をした。
「オジサンは外に出られなくなっちゃったんだ……」
ポワンはいけないことを聞いてしまったのかもと思ったけれど、一晩寝たらモモもポワンも悲しい気持ちはすっかり忘れてしまっていた。
それからまた何日かして小さな村に着いた。村の真ん中あたりに、たくさんのヒトが集まっているのが見えた。
「どうしたのかな?」
モモが首をかしげた。
「いってみるぽわ?」
ポワンが言うと、モモは迷いながらも頷いた。
近寄ってみると、小さなシロクマとツキノワグマがケンカをしているみたいだった。
「どうしたの?」
モモが聞くと、大きくて精悍なヒグマが答えてくれた。
「シロクマのマルちゃんが少しお買い物に出ていたら、ツキノワグマのパナちゃんがマルちゃんの家に住んでいたらしいんだよ」
「それはひどい」
モモは怒った声で言った。ポワンもひどいと思ったけれど、ヒトがたくさん住んでるところなら、そういうこともあるのかなと思った。
「パナちゃんはどうなるぽわ?」
ポワンが尋ねると、ヒグマは悲しそうな顔をした。
「そうだなぁ。この村ではそういうことをするとみんなからデキンちゃんて呼ばれて、お家に入れてもらえなくなるんだ」
「しかたないね」
モモはため息をついた。
「デキンちゃん、かわいそうぽわ」
ポワンが言うと、ヒグマは残念そうな顔をした。
「マルちゃんが許してくれたら、パナちゃんのままでいられるけど、難しいと思うな」
ポワンはモモをじっと見つめた。
「ポワンちゃんは、パナちゃんを助けてあげたいの?」
「そうでもないぽわ」
「そうだよね」
モモは神官だから、悪いことは嫌いだった。
「でも助けられるぽわ」
「そうなの?」
ポワンはこくりと頷いてスプーンを手に取った。
「ぽわぽわのまほー」
ポワンが呪文を唱えると、スプーンがきらりと輝いて、マルちゃんからシャボン玉みたいな光が飛び出した。
続けてポワンがスプーンを振ると、光がスプーンに吸い込まれた。
するとどうだろう。「しゃー!」って怒っていたマルちゃんが、怒るのをやめてしまった。パナちゃんを許してあげたみたいだった。
「いまのが幸せの魔法?」
モモは目を丸くして、ポワンに聞いた。
「ぽわ」
ポワンは眠そうに頷いた。たくさん歩いて疲れていたのだ。ふたりはその日、村に泊めてもらうことにした。その夜のうちに事件があって、翌朝、パナちゃんはデキンちゃんと呼ばれていたけれど、モモとポワンは気にせず旅を再開した。
それからまた何日か歩いて、大きな街に着いた。
モモは街の入り口でポワンに言った。
「オジサンはこの街にいるんだ」
モモはポワンを連れて、中央通りに面した宿屋に向かった。宿屋は木造三階建ての大きな建物で、ポワンは住んでいた森にあった一番大きな木と、どっちが大きいかなって考えていた。
モモは宿屋の三階の奥の部屋までてくてく歩いていった。
「オジサン、モモだよ」
部屋の前でモモが言うけれど、返事はない。
「はいるね」
鍵は開いていた。部屋の中は昼間なのに暗かった。窓は木戸が閉まっているのだ。
暗い部屋の中にはオジサンが一人、毛布をかぶってベッドに座っていた。
「オジサン、ポワンちゃんにきてもらったよ」
「ポワンですぽわ」
挨拶をしたけれど、オジサンは何も言わなかった。腐ったリンゴみたいな目をしているなとポワンは思った。
「オジサン、どうしたぽわ?」
ポワンは心配になって尋ねた。病気とかだとポワンの魔法でも治せないかもしれない。ポワンは幸せの魔法使いだけれど、お医者さんじゃないのだ。モモは辛そうな顔で話出した。
「オジサン、この間一人で森を歩いていたら、急に山賊のクマに囲まれてね……」
モモは近づいて、オジサンの毛布を引っ張った。オジサンは抵抗していたみたいだけど、モモはクマだから人間のオジサンの抵抗は無駄だった。
「ぽわ……」
ポワンは言葉を失った。
「オジサンの髪の毛、毟られちゃったんだ……」
オジサンは髪の毛が中途半端にハゲていた。ハゲ散らかしていた。
「それ以来、オジサンは外に出られないの」
モモはポワンを真剣に見つめた。
「なんとかできる?」
ポワンはモモの期待に応えてあげられると思った。
「ぽわっ!」
魔法のスプーンを握って、ポワンは力強く頷いた。
「ぽわぽわのまほー」
ポワンはオジサンに近寄って、ハゲた頭をスプーンでぺちぺち叩いた。するとオジサンから虹色のシャボン玉みたいな光がたくさん飛び出した。
マルちゃんのときはひとつだったけれど、オジサンからはたくさん出た。
ポワンがスプーンを振ると、光はスプーンに吸い込まれていく。光はたくさんあったから、ポワンは一生懸命スプーンを振った。
光がなくなると、ポワンは一息ついた。
「終わったの?」
モモが恐る恐る聞いた。
「ぽわっ」
ポワンはやり切った顔で頷いた。モモはオジサンに近寄って、小さな手で頭をぺちぺち叩いた。
「オジサン」
呼びかけるとオジサンはゆっくり顔を上げた。オジサンは髪の代わりに髭が伸びていた。
「モモちゃん」
オジサンがモモの名前を呼んだ。オジサンはとても穏やかな目をしていた。腐ったリンゴじゃなくなっていた。
幸せの魔法は、魔法のスプーンで嫌な気持ちを掬い取って、みんなを幸せにする魔法だった。センセイは、嫌なことはぜんぶ忘れたらスッキリするんだって、お酒をたくさん飲みながらよくポワンに聞かせてくれた。
ポワンは寝たらいつでもスッキリだったからよくわからなかったけれど、幸せの魔法を使うとみんなスッキリした顔になってくれるので、ポワンもいい気持ちになれた。
ハゲ散らかしたオジサンはスッキリした顔で立ち上がると、木戸を開けた。
新鮮な風と光が部屋に入ってきて、ポワンはいっそういい気分になった。
オジサンの頭はところどころピカピカしてて、水晶玉みたいだなとポワンは思った。
「ありがとう。モモちゃん、ポワンちゃん。おかげで外に出られるよ」
オジサンは頭を下げてお礼をしてくれた。ちょっと眩しいってポワンは思った。
「そうだ。お礼をしないと。何がいいかな?」
ポワンは聞かれて、旅の途中ずっと考えていたことを思い出した。
「ぷりん、食べたいぽわ!」
「いいとも。この街にはプリン監督っていうすごいクマさんが作る美味しいお店があるんだ。これからいってみようか」
こうしてポワンのはじめての旅は終わりを告げた。旅の終わりに食べたプリンはとても美味しくて、ポワンはプリン監督に弟子入りすることになるのだけれど、それはまた別のお話。
これは、幸せの魔法使いポワン、最初の旅の物語。
連載している「ぐうたら喫茶店オーナーの異世界のんびり日記」こと「異世界喫茶よしの」に出てくるシロクマ帝国のスピンオフです。騎士団長も皇子も出てきませんが「よしの」を読んでいただいている方は、こんな世界からやってきたんだなと楽しんでいただけたらと思います。