第2楽章 44節目
「千夏に早紀。ダンスの振付と衣装で、急でゴメンなんだけどちょっと昼で話せる?」
クラスメイトの堀北雅美がそう話しかけて来たのは、昼休みになったばかりの時だった。
千夏と早紀は、それに頷いてハジメと和樹に目を向ける。
「いってらっしゃい」「いてら」
二人がひらひらと手を振って弁当を席で広げるのを尻目に、早紀と千夏は雅美の座席の方に向かう。
そこには既に人がいた。
「その、急で悪いわね……ちょっと振り付けで二人にも聞いておきたくて」
千夏を見て、そしてその後に続いた早紀に視線を向けてそう言ったのは加納ヒカリ。
彼女とは春にちょっとした揉め事のあと、謝罪で和解して、二年生からはクラスメイトとなっていた。
一番最初の会話が会話であっただけに、少しどこか壁も感じられるが、お互い悪い感情を持っているわけではない。
「全然いいよ! それに、習ったままの振り付けじゃなくて結構うちらに合わせてちゃんと作れてるのは完全にヒカリのおかげだし」
早紀とヒカリの間に流れる、少しだけの探る空気を払拭するように、千夏がそう言って、ねぇ早紀、とタイミングを作ってくれる。
「ええ、私もそう思う。その辺任せきりだからさ、何でも言ってくれると嬉しい」
そして、早紀がそれに乗っかるようにして言うと、ヒカリはほっとしたように笑った。
「えっとね、二人と雅美は今回のテーマの華の中央というか、重心みたいな感じで踊ってもらうからさ――――」
そしてそこからは、昼食を食べながら雑談を交えての話になる。こういうところで、千夏はさり気なく会話を回すのが本当に上手いと早紀は思っていた。
ハジメも同じくなのだが、二人共それぞれ相手の空気とか間合いを測るのが上手で、早紀や和樹と会話する時は何というか話しやすくしてくれる。
そして、千夏とハジメが二人でいる時や、二人の世界に入り込んだ時などは、実は会話がいらないのに敢えて言葉にしているんじゃないかとすら感じることがあった。
まぁ、実際に千夏に問いかけたら、少し照れくさそうに笑って「嬉しいなぁ」と言ったものだから、その妙な色気というか、醸し出す空気に、早紀はからかうのをやめて早々に退散したのだったが。
◇◆
「そういえばさ」
一通りの打合せのようなものは終わって、お互いご飯も食べ終わったところで、雅美がそっと早紀の方を向いて切り出すように言った。
「ん? 何?」
「ヒカリがちょっとだけ気にしてて。いや、嘘、私も気になっちゃってるから聞くんだけど」
雅美の言葉に、ヒカリがうんうんと頷く。
そして早紀が何事かと首を傾げていると、雅美がずい、と迫ってきて、少し小声で囁くように言った。
「早紀ってさ、石澤と付き合ってんの?」
「……何よそんな小声で。付き合ってるように見える?」
随分と重々しく口を開くから何かと不安になったところに、そんな質問が飛んできて早紀は拍子抜けしてしまう。
いや、まぁ重たい話題じゃない方で少しドキッとはするが。
「うーん、それが微妙っていうかさ……まず石澤が変わった」
「やっぱりそうなんだよねぇ? 私、あまり石澤くんの事知らないんだけど、そう聞くから」
雅美の言葉に、ヒカリがそう尋ねる。
まぁ、そうだろうな、と早紀も思っていると。
「全然違うね。何ていうか今の方が断然マシ。あ、マシとか言うと悪いね。ごめん、前も千夏に怒られたし」
「一体いつの話をしてんのよ?」
雅美がペロっと舌を出すようにして早紀と千夏に謝るのに、千夏が呆れたような顔で言う。
その話は早紀も知らなかったので、少し問うような目を向けると、千夏がやれやれ、といった感じで言った。
「まだハジメのことをハジメって呼んでなかったくらいの頃。雅美が『二番』君って言っててさ、うちがちょっとだけムッとしたっていうだけ。そう言えばあの時の石澤は、今思ってもまぁ最悪だったね」
「あはは、ごめんって。でもそっか、あの時はまだ付き合ってなかったんだ……熟年の空気って、一年かからないでも出るもんなんだね」
千夏の言葉に、雅美がしみじみと言って、早紀はヒカリと目を合わせてふふ、と笑ってしまう。
「でもそうなんだね、私は同じクラスじゃなかったから噂くらいだけど。でも今、早紀ちゃんほどじゃなくても千夏ちゃんも石澤くんと仲がいいよね? やっぱりぜんぜん違うの?」
ヒカリがそう言うのに、千夏があんたのターンよ? とでも言いたげに手を差し出してくる。
どうぞどうぞとでも聞こえてきそうなあれだ。それにふう、とため息をついて早紀は口を開いた。
「ほら、イッチーとハジメがバスケの勝負したでしょ? あん時に心底思っちゃったらしいよ。『あぁ、自分ってダセェな』って。まぁそれで、ハジメに謝って、流れでバスケ部に入って、何だかんだちゃんと出来るとこはするようになってって感じかな。元から何もかも駄目ってやつでもないからね、背伸びしないで普通にしてれば普通っていうか――――」
そして、話しているうちに雅美とヒカリがへぇ、となって、雅美が興味津々といった表情で千夏に顔を向けて質問する。
「これはどっち?」
「黒寄りのグレー。あっちはわかんないけどね」
「いいなぁ、早紀ちゃんはちゃんと次に向かえてるんだね……ちょっと羨ましいな」
そして最後にヒカリがどこか羨ましそうな顔をした。
早紀はその表情に少し怪訝な顔をする。
羨ましい? 次?
まぁ、鈍いわけでもないから何を意味して言っているのかはわかるが。
そんなに自分と和樹は、そう見えるのだろうか?
「言っとくけど、違うからね? グレーでもないから」
「うん、それでも。もう佐藤くんのことは、吹っ切ってるんだなぁって……私はさ、まだ遠くから見ると心臓のあたりが少し、きゅっとなるから」
「ヒカリ……」
「えへへ、だから、羨ましいなぁって。あ、ごめんね昼休みにこんな」
そう言って、少し困ったように笑うヒカリは、切なげだった。
そして言われた言葉を早紀は自分の中で反芻する。
優子との関係性もあるだろうけど、完全に平気でもないけれど、確かに遠くから見ても目で追うことはもう無い。友人がいたな、と思うくらいだ。
むしろふとどこに居るか気になってしまうのは――――。
キーンコーンカーンコーン。
そこまで思考が流れそうになったところで、昼休みの終わりを告げる五分前のチャイムがなった。
早紀たちは、それで時間に気づいて慌てて立ち上がる。次の授業の準備もまだできていなかった。
「あはは、ごめんごめん、話が盛り上がりすぎちゃった。また今度、せっかくだからお話させてね」
「こっちこそお願い、これからもよろしく」
そして、早紀は席に戻る。
すると当たり前のように和樹が後ろから話しかけてきて、早紀は振り返った。ここ最近で見慣れた顔が、何も考えていなさそうな表情で口を開く。
「随分盛り上がってたな、何の話題だったん?」
それに、あんたとの仲を聞かれたのよ、と普通に言ってみても良かった。
なのに、何故か少し気恥ずかしい気分で早紀は告げる。
「……女子の秘密よ」
窓の外は、梅雨とは思えないほど雲ひとつ無い晴天だった。




