閑話7-11
龍泉洞の入り口をくぐると、涼しい風が僕たちを包んだ。調べては寒いと知っていたけど、外の暑さとはあまりにも違って、思わず身震いしてしまう。何だか、僕たちが夏の空から、一気に秋の世界に飛び込んだみたいだった。
鍾乳洞というだけあって、洞窟内なのだから室内のようなものな気がするのに、吸い込む空気が冷たく、随分と澄んだものに感じられるのは気分の問題なのだろうか。
「うわ、結構寒いね……」
隣の千夏が小さな声で呟いた。震える肩を見て、僕は念のため持ってきていた薄いカーディガンを取り出して彼女に渡した。
「ありがとう、ハジメ」
僕の上着を肩に羽織りながら千夏は、そう言ってはにかむように笑う。
案内に沿って進むにつれて、寒さは強まるばかりだ。だけど、その冷たさが頭をはっきりさせてくれる。
中は照らされていない場所は勿論暗くて、自然の作り出した美しさを詳しく見るのは難しい。でも、ライトで照らされた鍾乳石の美しさには目を奪われた。
どれもが何千年、何万年という時間をかけて作り上げられた美術品のようで。そんな美しい風景を眺めながら、千夏と手をつないで歩いていく。それだけで幸せな気持ちが胸をいっぱいに満たしていく気がした。
「何ていうかさ、風景っていうのかな、景観もすごいんだけど、こういう場所に観光用にこうして足場作ってライト作ってさ、誰でも見に来れるようにしてるのって凄いよねぇ」
ただ、そんな時に千夏がそういうものだから、僕はふっと吹き出すようにして言葉にする。
「せっかく無言で何か幻想的なところなのに、千夏って時々凄い現実的な事言うよね……でも同感。凄いよね」
「ハジメのご両親も、こうして歩いたのかな?」
僕の言葉に少し笑って、千夏は天井を見上げるようにして呟いた。
「まぁ、僕が中学の時でも、買い物とかでさえ手を組んで歩いてた仲良し夫婦ではあったから……恋人の時ってどうだったんだろ。うわ、なんか想像すると少し――――」
それに答えつつ僕は言葉に詰まる。
感傷は勿論あるのだけど、それ以上に親がイチャイチャしているのは、それなりに見慣れていたといっても想像するには僕の中の何かが抵抗しているわけで。
そして、そんな複雑な心境に陥っている僕を見透かしたように、千夏が笑みを作ってからかい口調で言った。
「なるほどね、じゃあうちらが皆にからかわれるのはハジメが原因で、遺伝ってことで」
「ちょっと、僕だけのせいじゃ絶対ないんだと思うんだけど」
「ふふ、前からの人も居ないし、階段でもないからこうしちゃおうかな」
僕の抗議には答えずに、千夏は手を離して、僕の腕に絡みつくように密着する。
身体を合わせたことがあったって、やっぱりスルッと腕を組まれたり、いい匂いがしたり、ちょっとした時に素肌が触れたら、心臓がうるさくなるのは変わらなかった。
多分千夏もその辺の感覚は変わらないはずで、でも、こういう時に近づいてくれるのはいつも千夏の方だから、いつかはちゃんと僕からだって、というのはいつも思うだけでできない僕の課題だ。
◇◆
「あはは、歩いてたら急にハート出てきたね」
「確かに、でも外にも恋人の聖地あったしね。父さんと母さんの頃にはまだなかったっぽいけど。あったら絶対写真に収めてそうだし」
その後は、歩いていくうちに光るハートを見つけてそんな事を話したり。
「外みたいに明るいわけじゃないのに、めっちゃ透明ってわかるのって凄いねぇ」
「何か歩いてきた道とも合わさって、幻想的に見えるね。まぁ、地底湖って響きだけでも既に格好いい感あるけど」
「どうしよう、昔は理解できなかった気がするのにハジメのゲームとか本の影響でか完全にわかる……これが知らない間に毒されるってことかぁ」
「人聞きが悪いなぁ、いいじゃん同じ感覚になってるなら」
地底湖まで行って透明感と深さに少しばかり現実じゃない印象を受けたり。
そうして、僕らはゆっくりと鍾乳洞の中を楽しんだのだった。
◇◆
散策を終えて鍾乳洞を抜けると、一気に外の暑さが僕たちを包んだ。千夏は上着を脱いで、一瞬で夏の格好の女の子に戻る。
何だか変な開放感があって、僕たちは、先ほどまでの寒さが嘘みたいに、夏の日差しを浴びて笑いあった。
「ねぇねぇ、さっきお土産屋さんの方にさ、ソフトクリームもあったし食べに行こうよ」
「そうだね。それにしてもこういうところってさ、意外と二十年前の写真と見比べて、すぐここだって分かるくらいには変わってないんだね」
「そうだねぇ、新しくはなってるみたいだけど…………ふふ、良かった」
「千夏?」
「何かさ、すっきりしたような顔してるよ?」
「え、そうかな?」
僕の言葉に、千夏が微笑みながら頷く。
「うん。最近は特にそう思うけど、ハジメ、お父さんとかお母さんとか、後美穂ちゃんの事とかも想い出を話しの中で教えてくれるからさ…………何ていうのかな、そういうの、色んな意味で良かったなぁって思うんだ」
そう言ってくれた千夏の笑みが、物凄く温かくて。何だか自意識過剰ではなく、愛情ってものが乗っている気がして、僕はふっと目をそらした。
千夏と一緒にこうして来ることができてよかったと思う。
感傷のまま親の旅路を辿ってみたのだけど。きっと僕の両親も同じ様に楽しんだ日々があって。そしてその結果、僕や美穂が生まれて。そんな、当たり前のことを、写真と同じ場所で僕自身が楽しかったからか、遠い話じゃなくて実感としてわかった気がした。
「ありがとう……あ、これはちゃんとしたありがとうだからね!」
この感謝を伝えたくて、でも来た時に言われた申し訳無さなんてもう混じってないことを言い訳のように言うと、千夏は微笑みを快活な笑顔に変えて言った。
「あはは、ちゃんとしたありがとうって何よ? でもわかってるって、うちも何か曖昧なこと言ってごめんね……お、見てみて、初恋ソフトに恋するパフェ、初恋ドックだって、これは制覇せねばなるまいて。この後は移動だもんね?」
「そだね。ここで軽食食べたあとは、バスで移動して、夜は美味しいもの食べて温泉に入っての予定だから、せっかくなら一つずつ頼んでシェアしよっか」
僕もそう言って笑う。
鍾乳洞から出てきたからか、いつもよりも少し日差しが暖かい気がしていた。




