第1楽章 4節目
「……っくしゅん!」
店側ではなく、家のキッチンを片付けながら、優子はくしゃみをした。
二月になって、少し寒さが和らぐと同時に、花粉が舞ってきたのか、今日はくしゃみも出るし目も痒い。材料に変に飛沫が入らないようにマスクを出しておかないと、と優子は考えて戸棚を探す。
今日は、来週月曜日のバレンタインデーに向けて、千夏とチョコレート作りをすることになっていた。
正確には、千夏に申し訳無さそうに相談されて、優子が快諾したのだ。
(放課後で頑張ろうとしてたみたいだけど、確かに、チョコをあげる相手に相談はできないしね、お母さんは忙しいみたいだし…………)
それでも手作りしてあげたいと思うその気持ちを応援してあげたいと純粋に思う。
早紀と玲奈は部活とのことで、ある意味誤魔化す必要も無いから楽だったかな、と考えながら時計を見た。
「そろそろかな……よし、こっちも湯煎にボウルや型の準備も出来たし、いつ来ても大丈夫だね」
そう言っている間に、チャイムが鳴る。
インターホンから除くと、私服姿の千夏が見えた。
「いらっしゃい、千夏ちゃん」
「お邪魔します。聞いてたけど、本当に一階の表側が定食屋さんなんだねぇ、うち、料理屋さんの家って初めてで裏から回る時も少しキョロキョロしちゃった。」
「あはは、まぁ慣れたら珍しくも何とも無いんだけどね、後、ちょっと揚げ物の匂いが上がってくることがあるのは勘弁ね」
今日の千夏の服装はシンプルで、きちんと料理をするのに邪魔にならないコーディネートだった。
だが、それでもスタイルの良さは際立っており、特別身長が高いわけでも無いがそう見えるのは、頭身のバランスなのだろうなぁ、と部屋に入って見回している千夏を見て思う。
「とりあえず、一通りは用意しておいたけど、千夏ちゃんはチョコは買ってきた? 生チョコにするんだよね? ……あ、手を洗うとこはそっちね」
「ありがとう! うん、いやー、ネット見て一人で作れって感じかもしれないんだけど、うち、チョコ手作りするのも、誰かに渡すのも実は初めてでさ、ゆっこが居てくれて感謝!」
ささっと手洗いをして、千夏が可愛らしいシンプルなエプロンを取り出しながら言うのを聞いて、優子は頬が緩んでしまった。
確かに、生チョコはそこまで難易度が高いわけではないが。
(やる気に満ち溢れてるなぁ、ハジメくんのための初めてのチョコ作りかぁ、それに関われるのも嬉しい限りだよ)
全身から今良い恋をしているとわかるオーラを発している美少女を見るのは、同性の優子からしても目の保養である。
「さて、とりあえず板チョコ達を割り入れようか」
「うん、ゆっこは何作るの?」
「私も家族で食べる分で、簡単に作れるトリュフでも作ろうかなって思ってるよ」
「……ほぇー、とりあえず、ハジメはチョコは何でも結構好きだから生チョコってだけ思ってたけど、トリュフってうちもできるかなぁ?」
「結局のところ、どういう形にするかだから、大丈夫だと思うよ、ガトーショコラとか、チョコケーキとか、もっと本格的にするのは大変だと思うけど」
「うーん、無理はしない範囲で、また来年凝ったのは頑張ってみる。とりあえず今日のところはご指導よろしくお願いします!」
「あはは、とは言っても、私もレシピ通りにちゃんとやるだけなんだけどね」
そんな事を言いながら、二人でパキパキとチョコを耐熱のボウルに割り入れていく。
料理に苦手意識がありそうだが、千夏の手付きは危なげなかった。
「やっぱり千夏ちゃんって、別に料理が不得意ってわけじゃないんだよね」
一通り割って、優子は生クリームを計量して弱火にかける。
「そうだねぇ、まぁ今はチョコを割ってるだけだけど、お母さんだけだから自分で作ったりもしてたし…………たださ、うち、きちんと測ったりとか、後は料理の目分量とか順番とか、そういうのあまり得意じゃないんだよね。ハジメみたいに手際よくもできないし」
「ハジメくんは見たこと無いけど手際良さそうだね…………はい、生クリーム温めたから、さっと混ぜちゃってね」
「ありがとう! ……うん、うちは洗い物のプロになりました、ハジメは片付けはあれであまり得意じゃないから」
(うーん、さらっと一緒に御飯食べて片付けの分担もしてるんだよねぇ、しかもそれが当たり前と)
学校でもちょっとした雑談の中ですら、今のようにツッコミどころが出てくるのだが、何というかあまりに二人が普通過ぎてからかうタイミングすら無いのだ。
だが、ここは珍しくも千夏と二人きり、混ぜ終わったチョコは30分ほど冷蔵庫行きであるため、優子はにこにこしながら気になっていたことを聞いた。
「ところで二人は……どこまでいってるのかな? もうどこまでもいってるのかな?」
「ゆっこゆっこ、目が怖いよ…………まぁ、少しは聞いてほしいとかもあるんだけど、いいの?」
「勿論!」
意識的にそうしていたのであろう千夏から壁が無くなったと感じたのは、ファミレスの一件もあるだろうが、その後のハジメくんといっくんの対決からだろう。
あれで千夏は高嶺の花、みんなの人気者、のような立ち位置から、もう一人の佐藤一くんの彼女という立ち位置に収まった。それによって女子人気はかなり上がり、それでいて男子人気も落ちてはいなさそうだが、前よりとっつきやすくなったとして柔らかな雰囲気となっている。
クラスで突っかかっていた石澤くんとハジメくんが和解?した後は特にそうだ。
最初はその関係を意外に思われていたと思う。
でも、千夏があまりにもハジメくんにぞっこんでありそれを隠そうともしていないこと、そして、それを穏やかに受け止めているハジメくんとの空気がもう何者も入れない感であることから、意外性は薄れていった。
更にその後、隙を縫うようにして今まで『二番』と呼んだことがあるものが、皆改めて謝りに行って受け入れられたことで、恐らくハジメくん以外の人間にとっての心が軽くなったのだろうと優子は思っている。
(そういう意味では、石澤くんの偶然の手柄でもあるのかな)
不思議と、ハジメくんの「許すよ」、には重みがあった。
別に口数が多いわけでもなくて、声が低いとか重みがあるわけではないのだけれど、何だか本当に受け入れて許してもらったかのような気になった、とは掃除で一緒になった堀切雅美ちゃんの言である。
尤も、段々と普通にクラスメイトとも話すようになった結果、ハジメくんの株が上がって千夏ちゃんは気が気じゃないようだけれど、正直、記念告白みたいなのはあったものの、本気で割り込めると思っているのはもういないんじゃないだろうかと優子は思っていた。
◇◆
「…………もはや夫婦なのでは、それに親公認で同棲経験すらあって、鍵もお互い持っているとは、流石に斜め上どころか、私の中での仲のいい恋人像が上方修正されすぎて困る」
少しばかり照れながら千夏ちゃんが嬉しそうに話してくれたのは、随分と濃い内容だった。
ごめんいっくん、昔の私たちの関係っておままごとみたいなものだったよ。そんな事を思いながら優子はそう言った。
「ハジメの家から学校が行きやすいんだよねぇ、お母さんもうちのこと気にしないで仕事したい日はあるみたいだし」
そう言ってあはは、と笑う千夏であるが、割と朝一緒に登校しているのは知っていたが、駅とか家で待ち合わせているとばかり思っていた。
(まさか、当たり前のように一緒に家に帰って、一緒に寝て、一緒に朝ごはんを食べて一緒に来ているとは…………これは、学校では話せない案件だったね)
想像以上に大人だった二人である。
そして流石に具体的には聞けていないが、千夏の恥じらいようはスクショに収めておくべき案件だった。
「そ、そろそろ固まったかな?」
優子があまりにもまじまじと千夏を見ていたからか、少し焦り始めたのかわざとらしそうに冷蔵庫を見る。確かにもう30分のタイマーが鳴りそうなのと、更に深掘りしてもまだまだ出てきそうで少し怖くなってきたため、優子は頷いて冷蔵庫に向かった。
「あれ? ゆっこのトリュフは少し違うの?」
「うん、ほら、ちょっとこれをかけてね……自分でも食べる分もと思って」
「抹茶パウダー?」
「そうそう、他にも幾つかあるけど千夏ちゃんも使う?」
「うーん、どうしようかな。……とりあえず今回はいいかな、何か結構綺麗にできたし、ハジメって何でも食べるけど、多分その中でもノーマルなチョコが好きっぽいのよね、コンビニとかで選ぶのを見てても」
そう考えながら話す千夏に、そっか、と答えつつ、さらっと丸めてラップをかけて冷蔵庫に入れておく。
「千夏ちゃんはいつ渡すの? 一応バレンタインデー自体は来週の平日だけど」
「うーん、そうだなぁ…………」
何だか言いづらそうな空気を感じて優子はピンときて、そのまま口に出してみる。
「…………もしかして今日もハジメくんの家に行く感じだったり?」
「えへへ……今日はお母さんが飲みに行くっていってたんだよね、だから――――」
(可愛いかよ! もう自分にリボンつけてバレンタインデーで良いんじゃないの? ……って言ったらやりそうで怖い、え? しないよね?)
恥じらうように笑う千夏を見て、優子の脳裏にあられもない千夏の姿が想像される。そして、全く現実味が無いかというと、さっき聞いた話でありえなくも無さそうなのが怖いところだった。
「……でもさ」
「どうしたの? 千夏ちゃん」
「こうしてさ、何か恋バナみたいなのとか、また、話せる友達が出来るって思ってなかったから、嬉しいなって」
「…………うぅ、千夏ちゃんが良い子すぎて辛い。後この千夏ちゃんを独占しているハジメくんが憎い」
「えぇ?」
優子と千夏はそんな風にじゃれ合いつつ作ったチョコを包み終え、夕方になる頃には千夏は帰っていった。
自分の家ではなくハジメくんの家に帰るのだろうな、と優子は思った。