閑話7-2
千夏は、隣に座るハジメの横顔をまじまじと見ていた。
目を閉じて、こくりこくりと船を漕いでいる。整っていると言う人は少ないだろうけれど、千夏にとっては誰よりも好ましいと思う人の寝顔は、いつまでも見ていられる気がした。
とはいえこのままだと前にカクンとなってしまった時に起きてしまうかもしれない。
そう思った千夏は、起こさないようにそっとハジメの腕に自分の腕を絡めるようにして背筋を伸ばし、肩にもたれかかることができるような体勢へと誘導した。
もう少し広ければ、膝枕とかをしてあげてもいいのだろうけれど、流石に二人がけの新幹線の座席ではそうもいかない。
初めての旅行で寝落ちするなんて、とは全く思わなかった。
昨日まで、バイトに宿題にと忙しかったのもわかっているし、宿泊の予約とかは一緒にしたものの、ハジメの両親のうろ覚えの知識を元に、この辺が楽しそうとか、ここじゃないかなとか好きなことを行っていた気がする千夏の意見を取り入れながら現実的な予定にしてくれたのはハジメだ。
マメなハジメの事だから、きっと色んな下調べもしている気もするし、朝早くでも予定通り新幹線に乗れて安心したのもあるだろう。
それに何より、ハジメが人前でこうして無防備に眠るという事が実は珍しいのだと千夏は知っていた。
性格は穏やかで聞き上手、物腰はとても丁寧。誰に対しても紳士的だけれど、自分の意見はきちんと言う。
家の事情でバイトをしながらでも勉強も程よくできて、料理が上手くて彼女のお弁当作りもお手の物、そして実はバスケも上手くて、何より南野改め佐倉千夏の自慢の彼氏。
それが、学校におけるハジメの立ち位置だ。
目立たなかったけれど、いざ目立つようになって意外と話してみると凄くいい人でスペックが高くて、千夏の彼氏っていうのも分かる気がする、とはよく言われる。
別に分かられなくてもいいよ、と内心思いながら、前までであればにこにこしているだけだっただろうけれど、仮面など剥ぎ取った今では盛大に彼氏自慢して呆れさせるまでが鉄板だ。
でも、ふとした時に千夏は気づく。
以前被っていた仮面を被らなくなって八方美人を辞めた千夏と裏腹に、ハジメは不特定多数に対しても紳士の仮面を被っていた。誰に対しても平等に。
尤も、真司やイッチー、和樹といった面々については、素を出しているので、かつての千夏のような歪さは無いのだけれど、それでも根本のところでハジメは自分の内側の領域に触れさせる人間を絞っていた。
それはきっと、かつてあった事に起因することで。そしてそんなハジメがこんなにも無防備を晒してくれていることの価値がどうしようもなく愛おしくて、千夏の口元は自然と緩む。
「ん…………」
新幹線がトンネルに入って、振動でハジメが吐息を漏らした。
千夏はそれに髪をそっと撫でるようにして、うちの肩でそのまま寝てていいからね、と囁くように呟く。
「…………」
それが届いたのか、どこか安心するように再び寝息を立て始めたハジメを見て、千夏は微笑んだ。
トンネルに入ったことで、自分の顔がより映り込むようになった新幹線の窓に、驚くほどに穏やかな表情を浮かべた自分がいる。
(何か、どうしようって思うよね)
最近、幸せだなって思うことが変わって来ている気がしていた。
それはかつて、恋人同士という言葉を聞いて想像していたような、あるいは物語で読んで考えていたような幸せとは少しだけ違っていて。
好きって言われたりとか、一緒にいるとか楽しいとか、きっと人の数だけ、物語の数だけ色んな幸せはあるのだと思う。
でも、今の千夏が感じてやまないのは。
自分が好きだと思っている人が、自分のことをめちゃくちゃ好きで居てくれているっていうのが、心の底から信じられる瞬間が、何よりも幸せで。
そして、ハジメと恋人になってからというもの、それを疑う事が一度も無い。
だから、一緒に居ても居なくても。
こうして、ただ寝ているハジメに並んで座っているだけでも。
自分が今までで一番幸せな自分でいるなぁ、と思うのだった。
そして、そんな自分が皆に呆れたように見られるのもよく分かるような表情が、目の前の窓に映っているわけで。
(…………)
もしもあの時、ああいう出会い方をしていなければこんな自分ではなかっただろうと思った。
友人関係の構築に失敗して、父と母がそれが原因で上手く行かなくなって、二度と恋愛なんてできないとすら思っていた頃が、今の自分があまりにも自然体であるが故に随分と遠く感じる。
「好きだよ、ハジメ」
そっと、触れ合っていても聞こえない程度に口の中だけで、でも心の中だけではない言葉で、そう告げた。
言葉にするのは大事だ。言霊というのがあるのかはわからないけれど、嬉しい言葉は一番聞いている自分自身も、そしてそれをきちんと届けられた相手も幸せにしてくれる。
どうやら完全解決とはいかないまでもスッキリしたらしき真司と佳奈さんにしても、復縁してからというもの、凄く自然に培った時間を感じさせるようになったイッチーや優子にしても、ちゃんとそういうのを示してるから幸せそうに見えるんだと思う。
新幹線が長いトンネルを抜けた。
もう少しで在来線に乗り換えるための駅だ。
「……千夏? あ、ごめん、僕寝ちゃってた?」
「全然大丈夫! むしろ着いたら起こすから寝ててもいいんだよ?」
「肩までありがとう。そのおかげで凄く心地よく寝てたかも」
「えへへ、そうでしょうとも。可愛い彼女の肩の寝心地は抜群だった?」
暗いところから明るくなったからか、少し寝ぼけた声で起きたハジメと会話を交わして、物思いから復帰した千夏はからかうようにそう告げる。
それにハジメは、千夏が好きな照れた表情ではにかみながら言った。
「普通逆なのかも知れないけど、肩貸してくれてて腕も組んでくれてたおかげか、凄い安心できてさ。埋め合わせと居場所代として、着いたらアイスでもご馳走する…………だからさ、甘えてもう少しだけこのままでもいい?」
「ふふ。勿論いいよ、着くまで堪能してて」
「……ありがと、千夏」
千夏の言葉に、再びハジメは目を閉じる。
寝起きのハジメは、いつもより少しだけ甘えることに素直だ。
――――それを知っているのはうちだけ。
千夏はそんな事を思い、組んだ腕を少しだけ力を込めた。
トンネルを抜けた窓には自分の表情は映らず、景色が流れていくのみ。
その速さとは裏腹に、二人の時間は穏やかにゆっくりと流れていた。




