第2楽章 33節目
まさかこういう形で再び訪れることになるとは思わなかったな、と佳奈は思う。
心境が天候に関係しているはずもないが、今日は穏やかな晴れ模様だった。
「ではこちらへ…………再び、こうして佳奈様をお乗せすることができて、喜ばしく思っています」
「ありがとう、鹿島さん」
目的地である真司の家に到着して、迎えに来てくれていた鹿島さんが告げてくれたその嘘の無い言葉に、素直に佳奈はお礼を言う。
そして、出迎えに車庫まできてくれていた真司と、降りてそこに駆け寄った佳奈に対して、鹿島さんは改めて流麗にお辞儀をして見送ってくれる。
それに返礼のようにお辞儀をして、佳奈は中へと歩を進める真司の後に続いて歩いた。
「佳奈、大丈夫かと聞くのも何だが、大丈夫か? 悪かったな、自分で迎えにも行かずに来させて」
「うん、大丈夫だよ…………あはは、でも少し緊張するね」
真司の質問にそう答えて、佳奈は首を振る。それに真司が色々と動いているのは知っている。鹿島さんが迎えに来てくれただけで十分過ぎるほどだった。
「すまん、正直言って、完全に俺の我儘だからな」
「謝らないで、あたしは嬉しかったよ」
真司がどこか申し訳無さそうに告げるのを、佳奈は否定するように、そう口にした。
ただ隣に居てほしいと、他でもない真司にそう求められる事に対しての佳奈の中にある感情は、きっと正確には伝えられない。でも、嬉しかった事、嫌ではない事、何より仕方なくなんて欠片も思っていないことは何度でも伝えておきたかった。
「ありがとうな」
あの夜から、真司は少しだけ素直に言葉を紡ぐ。
それが佳奈にとっては嬉しいことで、そして愛おしいと思う。だから、もしそれを否定する人がいるならば、その時は佳奈が真司を肯定する。そのつもりでここに来た。
「居て良い限り、隣にいる」
「頼んだ。それで俺は、正しさに負けずにいられる」
長くない言葉に、伝えきれない位の感情を乗せて、その一部だけでもきちんと伝われば良いと言って。真司がそう応えてくれるのに、少し佳奈は驚きながら微笑んだ。
扉が、開く。
◇◆
「なるほどな、それがお前の答えか?」
「……けじめをと仰られたと思いますので、けじめをつけに参りました」
佳奈をひと目見て、宗全がどこか面白がるようにして言った言葉に、真司は告げる。
そして同時にその反応を見て、改めて確信した。
「代案は?」
「ありません。べき論や、正論を交わすのであれば、法乗院家との婚姻を行うべきでしょう」
だからこそ、真司は堂々と言葉を発する。
「ほう? それでは代案も無く、無かったことにしろと? それは随分と都合が良すぎるとは思わんか?」
「そうですね。ですが、これがお祖父様の望んでいることであるという確信もまた、あります。ですので、俺は本日は意思を示すために来ました」
「…………」
宗全から発する、圧というべきものが少しばかり大きくなり、部屋の空気が明らかに重くなる。
隣にいる佳奈もまた、その変化に気づいたように、少し強張る素振りを見せた。それを安心させるようにして、真司は言葉を続けた。
「合理的に判断すること、そして、未来を想定すること、リスクに備えること。それを蔑ろにするつもりは毛頭ありません。ですが、合理を越えた先で、自分に絶対的に必要なものがあるのだと最近知りました」
「……それが彼女だとでも言うか」
そして、圧が収束するように、宗全が視線を真司と佳奈にそれぞれ向ける。
「ふふ、流石に佳奈だけが全てと言うつもりはありませんが。ええ。この先、俺という人間が相澤という家を継ぐにしろ継がないにしろ、未来のための代案を出すにも出さぬにも彼女が必要で、そして、その意思を示すことが不可欠と。…………ずっと考えておりました。法乗院との関係性も、今後動いていくための時代への道筋も、最善手のみで良いのだろうかと」
それに対して、真司は、宗全の圧を押し返すようにして、目を向けて答えた。
「続けよ」
「お祖父様や父が言うように、俺は最善手の打ち手としてはそれなりの判断が出来る自信があります。情報を整理して、甘さというものに左右もされないでしょう。ですが、与えられた情報をもってして、ただ最善を選択し、判断できるだけのことに今後どれほどの価値があるのかと思ってはいました」
「…………」
宗全は黙っている。
真司は続けた。
「『曾祖父に似ている』。よく言われた言葉です。そして、俺が後継にと推された理由の一つでもあると聞いています。次々と的確な手を打ち、相澤の家を戦後大きく成長させた傑物、そう聞いていました。でもそうではなかった」
これまで調べてこなかった。話にはよく聞くが、敢えて知ろうともしてはこなかった。
的確な手と破天荒な人柄とは聞いている。だが、改めて興味を持って調べると、その実績の中で、時折合理的でないものがあった。
しかし、的確と称されているように、後から見るとそれが転換点となり成長に繋がっているように見える。だからこそ、見えていない要素があったのかとそう感じていた。
だが、違った。
合理を理解した上で、理から外れ、おそらくは誤りを正解にしていたのだ。合理を動かしている。
宗全が、そこで口を開いた。
「そうだな…………今、時代の歩みは加速し続けておる。その速度を読み取れぬものにも、読み取った上で甘さを振り払えないものも、舵を切る事などできまい。無論ワシに取ってもこれまで以上に未知。今でも十分に激動と言えようが、今後も緩む事はないだろう。益々、価値を示しにくい世界となるだろうと思っている」
そして、真司に問うように言う。
「その中で、何が価値を示せるだろうか。かつてのSFのような世界が現実になり、正しさも判断も知識量も経験も、人を凌駕するものが出てくる事が空想の世界と笑えない時代に、過渡期となる時流に」
「それは…………」
「正解などない問いだ。後世という歴史だけが、正誤を判断出来る類のな」
真司は息を吐いて、答えた。
「正解を導き出す能力ではなく、行動を正しいものとする覚悟と能力…………と思っています。今の俺にはまだ無い。しかし、そしてそれは少なくとも、貴方がたの言葉に縛られ、正しさに囚われていては、身につくことは無いであろうものとも思っています」
しばしの静寂があった。
だが次の瞬間に、宗全は呵呵と破顔した。
「なるほどな……くく、この時流に、時間を寄越せと云うている意味はわかっておろうな?」
その返しで、真司は真意が祖父に伝わったことを悟る。
「間に合わなければ、それまでということでしょう…………やってみせようと思っていますが、その場合は、正しさに殉じます」
「わかった。あちらの家にも根回しもしていたようだしな。そこに至っているのであれば好きにせよ……ただし、そう余裕は無いぞ」
そう告げる宗全の声は厳しさと期待が交錯していた。
◇◆
「真司ごめん、本当に横にいただけで、全然わかんなかった」
佳奈は、祖父との対面を終えた後で、真司にそう言った。
それに、真司はふっと笑って告げる。
「簡単に云うと先延ばしだ、この先、正誤の判断なんざ人間がやるべきものじゃあ無くなっていく。でもな、与えられた命題の中から正解を理解した上で、間違いを正解にしてみせる能力ってのを求めるなら、時間を寄越せって言って、祖父さんはそれを承認した」
「もう少し日本語で」
「お前と一緒に居るために時間をもらった。俺はそれが正解だったと示せる男になるって宣言してきた、祖父さんはわかったって言った」
「……それってさ、すんごく大変なんじゃない?」
「まぁな、ただの理論の積み上げで正しさを示すことに比べりゃ、余程難しいだろうがな。でもな、俺の曾祖父さんってのは、その繰り返しで家を成長させてきたみてぇで、俺はそれに似ているんだそうだ」
「へぇ」
「兄貴にも少し話さなきゃならねぇが、まぁ道筋が見えていないわけじゃねぇ。それに第一な」
「うん?」
「俺がそうしたいと思ったんだ」
そう告げる真司の中には、嘘どころか、かつてあった諦観も、寂寥も、虚しさも感じられなくて、佳奈はもらった言葉以上に、ただその事実に柔らかく微笑んだのだった。
第2楽章 約束は夏の日々と共に巡る 前編 完




