第2楽章 31節目
「わりぃな、今思いついたこれを、少しだけ考えさせてくれ」
纏まりそうでいてそれ自体があやふやな考えをなんとか掴もうとしているのだろうか。真司がそう告げて黙考し始めたため、佳奈はそれを受けて立ち上がり言った。
「あ、じゃあせっかくだからさ、来てくれた皆に良いお茶でも入れちゃおうかな」
貰い物の茶葉があるはずだ。こうして来てくれた皆に振る舞えるものはあまり無いのだけれど、佳奈個人としても、真司の恋人としても、何かをしたいと思う。
「私もいいでしょうか? 運ぶくらいは出来ますし」
それに玲奈もそう言って続けて立ち上がった。優子たちも反応しようとしていたが、玲奈が声を上げたのを見て、そっと座り直す。
比較的広い方とは言っても、二人並んで少し余裕があるくらいだ。残りの人には少し待っていてもらうことにして、佳奈はキッチンへと向かう。
「玲奈ちゃんその……あたしは正直、家のこととかも、事情も、真司が今どういう風に悩んでいるのかとかも、ちゃんとわかったとは言い切れないんだけれどさ、改めてありがとうね」
「いいえ。その、私としてもやはり気になっていましたから、気になさらないで下さい。私としては、佳奈さんとはこれからも仲良くして頂けると嬉しいです」
改めてお礼を言う佳奈に、そう微笑み返す玲奈は、佳奈の目から見てもとても魅力的な女の子だった。
清楚で、お嬢様で、それでいて性格も悪くなくて、きっと真司の家にとっても真司にとっても本来は自分よりも余程良い相手のはずの少女。
でも、今の佳奈はもう身を引こうとは思わなくなっていた。その言葉を、行動を真司に貰ったから。スマートなだけではなく、拙く求められることで、満たされるものもあるのだと知った。
だから、ここは本当に純粋な思いで告げる。
「えへへ、こちらこそだよ。貴女のお陰で、ううん、皆のお陰で、あたしも、あたしの大事な人も、進んでいるようで進んでいなかった関係を、きちんと前に進めることが出来たと思うんだ」
そんな風に、笑みを浮かべる佳奈を、どこか眩しそうな顔で、玲奈は微笑みをたたえたまま見ていた。
◇◆
真司は思考の海の中に沈んでいく。
いや、普段の、情報を整理して、取捨選択してと言った考え方とは違うから思考ではなく、思索なのかもしれない。
結局のところ、自分は理論的に導き出した『正しいもの』が、正しい答えなのだと思っていた。
その方向でしか考えられていなかったのが、一人での真司という人間の枠の限界であったのかもしれない。そしてその枠の中で、様々な目に見える事が他人よりも優秀と言われる程度にはこなせていた。
井の中の蛙というのとは少し違うのかもしれないが、『正しい』とか『効率的』とかそういった側面からの視点以外も入ってきたことで、真司はどこか、幼少期から感じ続けていた閉塞感が和らいでいる気がしていた。
おそらくだが、父はともかくとして祖父はどちらでも良かったのではないだろうか。真司が気づいたらそれはそれで、気づかなくても。どちらのパターンでも。
曾祖父と似ている、か。
いざその視点を入れると、分かった。何故視野が狭かったことに気づけなかったのかとすら思うが、狭まるべくして狭まっていたのだ。祖父の視座の中での本当の優先順位というものも理解した。
真司と慎一郎で、真司が選ばれた理由は間違ってはいないし、向き不向きの問題もそうだ。
慎一郎は、真司とは違って人間味というものを捨てられない。判断できる能力はあっても、その感性は芸術家の繊細さと共にあり、冷徹さが無ければ家の舵を取る上では不足がある。
勿論、上に立つものがどうあれ、回るように組織は存在するべきという話もある。だが、結局のところ、そういった民主主義的な考え方と、資本主義的な側面は相性がいいとは言えない。
維持を目的とするか、成長を目的とするかによって後進の育成も組織のあり方も変わる。
成長を求める家だからこそ幼少期からそのための教育を受けるし、状況を判断する能力は重視されていた。そして、祖父にとっては冷徹さと共に合理的な判断を下すことのできる真司の方が、甘く人格的で繊細な兄より向いていると合理的に判断されたわけである。
だが、向き不向き、合理だけを是とするのであれば、恐らくは成長は無い。
外的要因の変化が少ない状態で維持を行うのであれば、合理こそが尊ばれるだろう。対して、理外を意思の力で理へと昇華させるものが、急激な成長やイノベーションを引き起こしてきていることは歴史が証明してきていた。
だが、この成長やイノベーションには再現性が難しいということも同時に言われている。
誰が、どの時代のどのタイミングで、何を為したか。軸の一つが常に動き続けている時点で、何かを為した人間であってすら、再現できるとは限らない。
だが、理外を知るためには、合理を見抜けなければいけないのも事実。
甘さで終わってもいけない。甘さを入れるくらいであれば、冷徹な合理を。
色々と言葉にしたものの、結局のところは、自分がやりたいことに対して、正解と呼ばれるものから外れていても、正解とする能力と意思。
それを求められているが故の、あそびなのだと。
「……とりあえず、もう一度爺さん達と話をしてみる必要があるな」
頭の中で結論に至った、組み上げたとはとても言えないその答えに真司はそう呟いた。
合理性? 正しさ? ある意味で教えられた事を否定するような答えが正しいとはとても思えない。だが、一年前であれば鼻で笑っていたような、根拠のない直感とやらが、考えの中の中心に収まっていた。
「真司?」
真司が思考に沈んでいる間に、お茶を入れてくれていた佳奈が戻ってきて声をかける。
「すまん佳奈…………可能な限り早く、爺さんとアポイントを取る。それでな、これは俺の我儘でしかないが、来てくれるか? 隣に居てくれるだけでいい」
「…………っ? 分かった!」
真司の短い言葉に、佳奈は驚きを示しながらも、嬉しそうな表情を滲ませて頷いた。
それを見て、自分の中でホッとするような感情が生まれたことに、これは強くなったのか、弱くなったのかと思考が流れ、それが枠が広がったということなのかもしれないと思い直す。
「すまん、正直言って全然わかんねぇんだが、とりあえずまとまったってことでいいのか? 俺はもうさっきから自分がここに居て良いのかさっきからすげぇ微妙なんだが」
そして、黙っていた石澤がおずおずと、そう言葉を発する。ハジメやイッチーも、他の面々も少し真司の思考が定まったのを悟ったのか同様に頷いた。
真司はそれに、ふっと表情を和らげて言う。
「少なくとも俺は感謝している…………今この場で役に立つかどうかはともかくとしてな」
「……おお、まじか。そいつはめちゃくちゃ光栄。そんじゃ、光栄ついでに聞いちまうけどさ、結局何をどうするんだ? いや、相澤の祖父さんと話をするってのはわかったけど、結局何かしら代案が無いと駄目なんだろ?」
「まぁな。ただ、今のところ正しい代案なんてものはねぇのが本当のところだ……普通に積み上げて考えたとして、様々なパターンがあれど。俺がこのまま玲奈と婚約して対外的にも示すのが方法論としては最優だろうと思う」
「え? それって良いのか?」
真司の言葉に、石澤がぽかんとしたように疑問を投げた。
「最優ではあっても、それを結局、俺が最上だと思うかどうかは別ってことだ、多分な」
真司はそれにそう答える。
そして、自分が何を最上と思い、そのためにどうするかは決まっていた。
違ったら違ったとて、また別の道を探せばいいだけ。真司はどうやら、本当の意味で一人ではないのだから。




