第2楽章 25節目
佳奈は、千夏と優子が出ていった部屋の中で、少しくすりと直前の会話を思い出して笑った。
(ちゃんと言葉にするまで、行動にするまで、許したり、誤魔化されたりしちゃ駄目ですからね、かぁ)
不思議な気持ちだった。
年下の友人たちに心配されるのも、そして、代わりに自分以上に怒ってもらうのも。
でもそうか、と思った。
確かに自分は、どこかで寂しいと思っていたのかもしれない。
誤魔化すような言葉の裏の真実で、気持ちは伝わっていると思っていたけれど。
色んな事情があって話していないことも、その中で間違いない優しさや、想いを感じ取れていたからこそ、良いかなと思っていたと自分でも信じていたけれど。
(そういえば、あたしから強引に言って付き合い始めたし。その後も言葉にしてもらったこと、あまりなかったかなぁ)
『察しろ、なんて甘えすぎだから!』
『そうだそうだ、男らしくないぞ相澤君!』
『あはは…………ありがとうね二人共、代わりに怒ってくれてるみたいで』
そんなやり取りの中で気づかせてくれた。
気にはなるけれど、それで失うくらいなら何も聞かなくて良い。
そんな事を思っていた時点で、きっと。
自分が嘘や本当を感じ取れてしまうからこそ、察するのがある意味当たり前だったけれど、佳奈は、それでも言葉にしてほしいと思っていたのかもしれない。
だから、先日の雨の日も、どうしようもなく寂しくなってしまったのだ。
言ってほしかったという気持ちと。
それを真司本人じゃなくて、父親からなんて聞きたくなかったという気持ちと。
それでもまだ、去ることを止めてくれないのかという少しの我儘のような気持ちと。
その全てがないまぜになってしまったのかもしれなかった。
(どうやって出迎えればいいのかな)
佳奈は内心でそう思う。
今まで幾度となくこの部屋になんて迎えたことがあるはずだった。
何をきちんと話すのかという不安もあるし、そして、あのままお別れにならなかったというホッとした気持ちもある。
少しだけソワソワした気持ちで、玄関の扉を見た。
多分もう少しで、真司がやってくる。
◇◆
見慣れた扉の前で、チャイムを押した。
インターホンからの返事は無く、代わりに足音が聞こえる。
真司はここに来るまで、色々なことを考えていた。
自分の中にあるこの気持ち。
そして、同じく自分の中にある、相澤の家としての正しさを主張し、組み立てていくもの。
佳奈と出会ったときのこと、それからの過ごした日々を。
雨の中で、去っていく背中に何も言えず、後を追えなかった情けない自分のことを。
今日の昼に、ハジメやイッチー、石澤に言われたことも。
タクシーを降りる時に、石澤の父に言われたことも。
本当に、様々なことを考えていたのだった。
だというのに、たった半年、短い時間の中で、どうしようもなく居心地が良いと感じてしまった部屋の前で今、会いたいと思った相手が扉を開けて。
「あはは、いらっしゃいかな? …………それともさ、まだ、おかえり、って言っても良いのかな?」
少し探るように、でもいつもの雰囲気で佳奈は、真司にそう言った。
ただそれだけのはずなのに、真司は自分の心の中に、何かがストンと落ち込むのを感じる。
色んな事を考えすぎていた頭に縛られていたはずの身体が、勝手に動いた。
頭一つ分程真司より小さな背丈、細く見えるのに、こうして触れ合うとしっかりとした柔らかさを返してくれる身体。それをただ、腕を回して抱き寄せる。
「ちょ……真司?」
突然の抱擁に、目を泳がせて戸惑う佳奈の声が胸元で聞こえた。
「…………色々と話をしに来た、だがすまん、一つだけ先に言わせてくれ」
言葉よりも先に、ここまで身体が動くことなど、自分には起こらないと思っていた。
でも動いてしまった。それでもちゃんと、真司はここに言葉を伝えに来たのだから、せめて一言だけでもと、今ここにある思いを言葉にする。
「…………なぁ、俺はお前が必要だ。だから、俺と一緒に居てくれねぇか」
本当にただ、口をついて出た感情だけの言葉だった。
まるで子供の我儘のような。ただ、欲しいと、そして、一緒にいたいという気持ちを声に出しただけの。
いきなり来て、こうして怒られても仕方ないような行動で、言葉で。
これこそが、甘えというものなのだとわかりながらもそう告げて。
「……うん、いいよ。えへへ、難しいことはいっぱいあるんだろうけど。じゃあやっぱり、おかえりで大丈夫だったねぇ」
なのに、佳奈はそれだけの言葉でそう笑ってくれる。
そうして、真司を見上げて笑う佳奈の目元には、涙が浮かんでいて。
泣かせたら承知しないと言われたのに、もう泣かせてしまったな。そう、真司は思いながら言った。
「サンキュな…………そんで、ただいまだ」




