第2楽章 17節目
鹿島さんが運転する車は、門を抜けて敷地の中を通り、そのまま車庫に入った。
同様の車が何台か止まっていて、それだけの車が止まっていても余裕があるように見える。門からの庭も、窓の外に見ていただけだったが、想像していたよりもずっと大きな家だった。
(うわぁ、ここから俺の家、を地で行ってるやつだ)
そんな何かの物語であったシーンを思い出して、佳奈は心の中で感嘆の声を上げる。
真司の家が昔から続いている家で、凄いらしいというのは知っていたが、実際に家の中に入ることでその感じ取れる積み重ねられた年月とでもいうものに佳奈は気圧されていた。
「お疲れ様でした。それではこちらへ」
鹿島さんがそう言って後部の扉を開けてくれるのに頭を下げて、車を出る。
そして、そのまま佳奈は鹿島さんの案内に従って、奥にある一室へと通されたのだった。
◇◆
部屋の中にいたのは一人の男性だった。真司の親ということは、恐らくは40代なのではないかと思うが、随分と若く見える。
顔立ちは真司よりは慎一郎に似ているだろうか。
どちらかというと柔和な印象で、口元も入ってきた佳奈を迎えて笑みの形を作っていた。
しかし、その目の中に笑みは無いことが、佳奈にどこかアンバランスな印象を与える。
「あの、春崎佳奈と申します。この度は――――」
「あぁ、既に知っていますので自己紹介は不要です。時間を取って頂きありがとう。私は真司の父で、誠一と言います。とりあえず話をする前に、飲み物は紅茶でいいでしょうか?」
「え? ……はい、ありがとうございます」
思いもよらぬ丁寧な口調と、それでいて有無を言わさないような空気に機先を制されたようで口ごもることになった佳奈だったが、気を取り直してかけられた言葉に頷いた。
すると、後ろに控えていた女性がそっと温かい紅茶のカップを運んできてくれる。
それにお礼を言って受け取って、佳奈は改めて誠一の方を向いた。
誠一もまた、佳奈の目を見て口を開く。
「では、単刀直入にいきましょうか…………春崎佳奈さん、貴女には真司との交際を断って頂けないかとそう思っています」
「…………理由を聞かせて頂けますか? 私がその、お金持ちの家の人間ではないからでしょうか?」
告げられた言葉に佳奈が落ち着いてそう返すと、誠一は少し意外さを瞳に浮かべて言った。
「驚かないのですね?」
「車の中でずっと考えていましたから。それにここの家を見て改めてその大きさを知りました……そして、家に息子の初対面の交際相手を一人で呼び出してする話なんて、そう種類はないと思います」
「なるほど、その通りですね」
そして、真司は佳奈がここに来ていることを恐らく知らないのだろう事もわかる。
いつも、何かを言おうとして呑み込んでいた真司。でも、佳奈に向けてくれる心は嘘はなくて。だからこそこんな形で父親と会うことを許したりはしないだろうと思う。
「質問にお答えします。貴女の言葉はある意味では正しく、ある意味では正しくはない」
嘘は無かった。
「真司には家が定めた婚約者がいます。その婚約は、貴女が言うところのお金持ちの家であるから結ばれたものです。ですが、例えば貴女がお金持ちの家だったからといってこの話が変わるかというとそんな事はありません」
「……婚約者」
「ええ、やはりその話を真司は貴女にしていなかったようですね…………ふむ、それがどういった意図で話をしていなかったのかまでは、この家の後継たる我が息子の事ながらわかりませんがまぁ想像はできます」
そう言って、目の前の人がふっと口元のみで笑うのを、佳奈はただ見ていた。
「後継、ですか? その、お兄さんもいらっしゃるのに? それにまだお若いのに、ですか?」
婚約の事もそうだが、次から次に情報が出てきて佳奈はその中の言葉に反応するように疑問を口にした。
こういう家の常識は佳奈にはわからない。
ただ、基本的には長男が継ぎそうなものだし、何より目の前の誠一も若い。まだ高校生の真司に対して、婚約だとか後継の話が出るのが、そしてその言葉に一片の嘘も躊躇いも感じられないのが不思議だった。
「慎一郎とも面識があるのですか。それは知りませんでした…………ええ、そうです。真司がこの相澤の家の次の後継となります。そして予想以上に貴女は冷静な方ですね、では少しだけお話しましょうか」
そう言って誠一は両手を組むようにして話し始めた。
「この相澤の家は、遡れば江戸から続く商家の家ですが、ここまで大きくなったのは戦後の事です。その立役者となったのが、私の祖父。真司の曽祖父に当たる人物ですね」
そこで言葉を切って、誠一は自分の手元にあるカップを口へを運ぶ。
それを見て、佳奈も先程淹れてもらった紅茶に口をつけた。雨で乾燥しているわけもないのに、口の中が乾いていた。
「戦後の混乱とも言われていますが、元々商才があったのでしょう。様々な分野に手を出しつつもその尽くを成功に導いた、今の相澤の家の礎を築いた人物です。そして、真司はとてもよく似ているのですよ」
「似ている? その曽祖父に当たる方にですか?」
「ええ、父曰く生き写しのようだということです。そして、その才気とも言うべき優れた判断力、理解力、思考力においても、まるで祖父の若き頃のようだとその時代を知るものは言います…………先程私が若いことと、慎一郎について疑問を投げられかけましたね? ですが私や慎一郎では足りないのです」
「……足りない」
「ええ、真司はいわゆる天才とでもいうべきものです。父もまた傑物ではありますが、あくまでその思考は年月を積み重ねた結果のもの。その積み重ねの視座に、私はまだ追いつくことが出来ていません。慎一郎も無論の事です…………ですが真司は違う。まだ甘さもあれば経験不足もあるでしょう。それでもその感覚、視座の高さは天性のものであり、曽祖父を知るものが長を努める家が数多くあるうちにこそ、真司は後継とするべきものです」
「…………」
佳奈は目の前の男性の言葉の在り方に対して、少しずつ恐れのようなものを抱き始めていた。
そんな佳奈には気づかず、誠一は続ける。
「そして、その後継に法乗院家からの婚約者を迎える事が次代のための布石として重要なのです。これは相澤の家、そして法乗院の家としての意思になります。その公での周知の時期が決まりました。そのため、貴女に魅力がないわけでも、貴女を軽んじているわけでもないのですが、最初のお願いをさせていただいたというわけです。ご理解頂けたでしょうか?」
法乗院、という言葉も気にはなったが、それよりももう一つだけ、ずっと気になっていたことを佳奈は聞いた。
「……真司は知ってるんてすか? 私がここにいる事」
「いえ、知りません。ですが今頃真司は、身辺の整理について父に申し付けられているはずです」
「身辺の、整理」
それが何を意味するものなのかを佳奈は悟る。
真司が話してくれなかった理由は分からない。でも、少なくともこれは真司の意思ではない。
家というものは理解る。だが果たして、本当にそこまで割り切れるものなのだろうか、一抹の希望を込めて佳奈は問いかける。
「わかった気がします。でもわかりません。そこに、それぞれの意思は関係ないんですか? 真司もそうですが、真司のお父さんも」
「わかりにくい感覚かもしれませんが、個人の意思の前に家があります。相澤の家の将来は、すなわち数千人を超えるグループとその家族に関わること。決して個を否定しているわけではありませんが、私は家を優先し、慎一郎も、真司も、法乗院の孫も、私自身も全てそのための駒として扱うことを決めています。その上で貴女と真司の関係も、あれの性格も理解しています。真司には私よりも余程正しい道は分かっているはずですが、どうにも最近のアレは鈍っているようにも見えます。決断が先延ばしになるのも良くない。そのためこうして私が直接お話させていただいているというわけです。これで、最初の理由、については不明点はないでしょうか?」
淡々とした口調だった。
そして何よりも佳奈が恐ろしいと思ったのは、ここまで彼の言葉に嘘が混じらないことだった。
これは、何かの意思を語る際に、佳奈の感覚ではありえない事だ。誰しも、自分の言葉を完全に信じ切ってはいない。基本的に嘘をついていなくても、どこかにその気配が交じるものなのだ。
なのに、誠一の言葉には一切の嘘の気配が無い。
いや、過去に佳奈は一つだけ同じ例を知っていた。
自分の言葉の一切に嘘が無い人物。自分の中にある信念が揺らがない人物。
目の前の彼と似通った過去見た事があるそれを表す言葉は、狂信者といった。
その目が、嘘の一切ない言葉が、告げてくる。
真司との別れを。
その重圧をもった目の前の男性に佳奈は――――。




