第1楽章 1節目
その日、櫻井優子は久しぶりにお昼休みを友人四人で過ごしていた。
久しぶり、というのは、今年が始まってからは、グループのうちの一人である南野千夏が彼氏とお弁当を食べていたからなのだが。
「ハジメくんとお昼食べられなくて残念だったね、千夏ちゃん」
「今日は食堂でイッチーくんと相澤と食べるんだってさ……まぁ、そういう男同士の関係も大事だよね」
優子の言葉に、千夏が少し残念そうに、でも仕方ないよね、と頷きながら言った。
それは良いのだが、その口ぶりはまるで――――。
「あのさ千夏ちゃん、セリフがもう妻の立ち位置になってるよ? 少なくとも貫禄が……」
「あはは、もう、またそうやってからかわないでよ」
優子はかなり本気で言っているのだが、千夏は優子の言葉を冗談のように笑って受け流しながら、愛妻弁当ならぬ愛夫弁当を取り出した。
蓋を開けると、相変わらず何だか手間と共に愛情でも詰められていそうな可愛いお弁当が姿を表す。
「ハジメさんのお弁当は、相変わらず凄いですね。何というか、お弁当という少し特殊なジャンルとはいえ、うちの料理人に引けをとらないというのは脱帽です」
法乗院玲奈が、それを見て感嘆の声を上げる。
玲奈の家は、使用人というものが当たり前に存在するいわゆる旧家というやつで、遡れば華族であったらしい。家に行くと、生の執事さんとメイドさんというものが見られる。
尤も、タキシードとメイド服ではないが。
そして、そんな玲奈が褒めるのもよく分かる。優子は何の変哲もない生まれだが、家が定食屋をやっているので料理にどれだけ手間がかかっているかは見れば理解できる。
少なくとも、男子高校生が作るお弁当なのに冷凍食品が一つも入っていない時点でかなり凄いことであるし、シンプルながら腕前がわかる卵焼きは色合いも綺麗で崩れていない。まさか銅の卵焼き用フライパンとか持ってないよね、と疑うくらいだ。
「で、そんなラブラブな千夏は、何か面白いネタはないの? 相手のいない私達に、潤いのある甘々な話題を提供してよ!」
そんな風に、ニヤッとしながら言うのは藤堂早紀。
長い脚を惜しげもなく組んで、ただ座っているだけなのにスタイルの良さが際立っている。
玲奈も、優子自身も、見目が整っている方だとは思うのだが、早紀と千夏については、容姿の良さに加えてオーラのようなものが違うのか、さり気ない仕草ですら目を引くのだ。
そんな二人が並んでいると、ただの教室にも関わらず、何かの一場面のようにすら感じる。
千夏とハジメの関係が公になったファミレスの一件以来、不思議と皆、壁が無くなったかのようにお互い気安い関係を築けていて、優子はとても心地よかった。
そして、早紀の言うように、優子もまた興味津々である。この二人のカップルは、何というかお互いを物凄く尊重しあっていて、一言で言うと尊い。
早紀の言葉に、そうだなぁ、と言いながら千夏は考えている。
「こないだ、うちとハジメが出会ったきっかけになった子猫に会いに行ったんだけどさ、猫ってあんなに一気に大きくなるんだねぇ」
「へぇ、猫? っていうかそう言えば、私らってあんた達二人がどうやって知り合った、というか仲良くなったのかまだ聞いてないんだよね」
優子と玲奈も、早紀のその言葉にうんうん、と頷く。
あぁ、推しカップルの話題を彩りに食べるお昼ごはんは、なんて美味しいのだろうか。
「えぇー? っていうか玲奈まで乗り気だね、意外っていうとなんだけど」
「そうですね、私もあまり恋愛というものは興味はなかったのですが……その、お二人の事は興味があると言いますか」
「わかる、わかるよ玲奈ちゃん! そうなのよ、別に恋バナじゃなくて、二人の物語が聞きたいのよ……さぁ、さぁ千夏ちゃん!」
「ゆっこ、どうどう」
早紀になだめられながら鼻息を荒くする優子に、千夏が笑ってどこから話せばいいかなぁ、と話してくれた出会いは、何だか思ったよりも事件とかじゃない、とても穏やかなもので――――。
「……へぇ、やっぱ佐藤って何か、いいキャラしてるよねぇ」
「そうですね、それにしても…………千夏さんが可愛いです」
早紀と玲奈がそんな感想をいう中で、優子も同様に幸せな気分になっていた。
何というか、千夏が思い出しながら話す様も尊ければ、その口から語られる情景もまた、何だか尊かった。尊いが多用されているが、優子にとって、いいものはいいのだ。
(これこれ……やっぱり自分の恋愛とか、嫉妬とか、そういうのと無縁でいながらにして甘さを摂取、いいわぁ)
優子がそんな事を内心で考えながら浸っているうちにも話は進んでいく。
「それでバイトをしてることとかも知ってね…………あ、バイトと言えば、うち今度面接に行くんだけどさ、ハジメがバイトしてるとこの近くのケーキ屋さんだから、受かったら皆も来てね!」
「へぇ、千夏バイト始めるの? その……親御さんのこととか?」
「うん、前に話したけど、正式に両親離婚することになってさ、でもお母さんキャリアウーマンって感じだからお金的には全然問題ないらしいんだけど…………えっとね、ハジメがバイトしてると思うと、何かうちだけお小遣いだけで遊びに行くのも少しって思って、親のことを理由に使わせてもらって許可取っちゃった」
そう、千夏の両親の事は、元々ちらっと聞いてはいた。
優子の家は両親が仲が良すぎるせいでその気持ちは想像も出来ないが、千夏が暗くなっていないのは良かったと思う。見かけだけでも演じられるのは余裕があるということだろうし、それに、優子の直感でしか無いが、本当に気にしていないようだった。
きっと、一時期は陰を感じることもあったから、そこにも物語があったに違いない。
いつか話してくれるといいな、傷に触れないような甘い部分だけでいいから、と優子は思うのだった。
「まぁね、ちょっと遊びに行くのも、何かを買うのもタダじゃないからね」
「うん、それに今度、旅行にも行こうと思ってさ」
(…………ん?)
何気なく千夏が言った言葉に、ふと疑問を覚える。
「あら、旅行ですか? 良いですね」
「でしょでしょ? 春休みか、遅くてもGWかなって話してるんだけど、せっかくの学生なら世の中が平日の時のほうが空いてるんじゃないかって」
玲奈がほんわかと反応するのに、千夏が答えて、優子は確信しつつも、恐る恐る聞いた。
「えっと、それは……ハジメくんとお泊りで旅行に行くってこと? 二人で、だよね?」
「うん、そうだよ? あ、いつかはお母さんも一緒にでも良いけど、最初は二人でがいいなぁ」
「なるほど、恋人同士での旅行ですか、何処に行かれるのですか?」
「「…………」」
千夏が楽しみで堪らないように言うのに、玲奈がさも普通のことかのように返していて、優子はそっと早紀を見た。
早紀も同様に、優子を見ていた。
少し自分の中の常識を疑い始めていたが、無言で目と目で通じ合った気がした。
(正直、当たり前のように長期のお休みを使って、二人で泊まりの旅行に行く計画を堂々としている千夏ちゃんに動揺を隠せないんだけど。そういうのって、何かもう少し事件とかイベントとか、家族に隠れてとか、何かあるんじゃ…………)
「ねぇ千夏……あんた達ってさ――――」
きっと同じ感覚を持つであろう早紀が、疑問を言葉にしようとしたその時。
「頼む!」
「いやだから、一度断ったじゃないですか」
廊下の方から男子生徒の声が聞こえて、その声がまさに今話題となっていた彼の声だったことから、話を止めて優子達はそちらを見るのだった。