第2楽章 6節目
自室に入って、玲奈は先程までの会話を思い返していた。
祖父母と母と昼食の中での、雑談から派生した玲奈の将来についての話。
(自由にするとは何なのでしょうか?)
玲奈の家はいわゆる旧家の、平たく言えば金銭的にも裕福な家にあたる。
そのため、玲奈自身の性格もあるのだろうし、婚約者がいるという情報であったり、華道や茶道を嗜んでいたり、部活も弓道を選んでいることから、友人たちは、物語などである厳格な家族を想像されることもある。だが、それに反して玲奈の家族仲は非常に良好だった。
そのため、玲奈の婚約の状況についても良く心配されるように会話に出ることがある。
「玲奈ちゃんは、この間慎一郎君の絵の展示を見に行ったのよね? どうだったの?」
そう聞いてきたのは母だ。
玲奈と共に行動していると、時には姉妹のようにも見られる程若く見られる玲奈の母は、公的な場ではきちんとした立ち振舞を行うものの、家族の前では見かけ通りに若々しい口ぶりで会話をする。
「ええ、お母様。とても素敵な絵でしたよ。慎一郎さんの絵は技術もそうですが、それ以上に優しさが絵から伝わってくるようでした。他の展示も素晴らしかったと思いますが、私が一番目を引かれたのは慎一郎さんの絵でしたね」
「そう…………やはりそちらの道に進まれるのかしらね」
「そうなのではないかと思っています」
「……玲奈、何度も言うが、もしお前が望まないのであれば、家と家としての婚約の件は今であれば約束事のままで済ませることはできるのだからね」
母の言葉にそう答えていると、物静かに食事をしていた祖父がそう言った。
去年から、幾度かそう尋ねられている言葉だ。
そして、それに対する玲奈の返答は決まっている。
「いえ、私としては決められた通りで大丈夫ですので」
「そうか……いや、まだ高校一年生だ。結論を急ぐ事はあるまい」
それに対しての祖父や母の反応も同様だった。
◇◆
婚約が決まっていた相澤の家は法乗院家と並ぶ旧家だ。
法の専門家を輩出する法乗院に対して、相澤の家は様々な企業のスポンサーであったり、新規事業も多数手掛ける商業に強い家だ。元来は不動産を下地とした金融業であったが、曽祖父の代から新規事業への支援などを数多く行っており、時代の移り変わりと共に必要となる法整備への知見という実利面、そして曽祖父世代の友人関係からも近い家同士となっている。
その相澤の家から、跡継ぎとされたのが、非公式にではあるが長男の慎一郎ではなく次男の真司となったのが一年前。
それに合わせて、婚約の約定を慎一郎と玲奈のものから、真司と玲奈のものと出来ないかという打診があったのも一年前の事だった。
確かに旧家と言えば、男尊女卑であったり、政略的な側面があるのは否めない。
だが、少なくとも玲奈の実家と相澤の家ではそうではないらしく、むしろ次代を育てる上で母親は最も重要視されていることからも物語であるような女性蔑視は無いように玲奈は感じている。
そのため、本人たちの意思という意味でもそのような確認が家同士で行われているのだった。
だが、その上で玲奈も、おそらく慎一郎も真司も理解をしている。
時代が進み、技術の躍進が人の想定を大きく超えている昨今。
その中で変わるものと変わらないものがある。
変わるものは、PCの登場に加えて、スマートフォンの登場からの技術の世界への影響だ。
10数年前は考えられないほどの情報の氾濫、誰もがアクセス出来る端末の普及。
そしてAIの普及による技術的特異点の到来。
古くからの事業にも関わりつつ、新規事業も行っている相澤の家にとっては、この時代の速さは危惧すべきものであるはずだ。今まででも法整備が追いつかないことからの想定外の訴訟などを経験していることから、今後を想定したより強い家同士の結びつきを求めた結果の婚約だと聞かされており理解もしている。
婚約によっての家の結びつきというのが、変わらないものだ。
どんなに結果を出す人間であろうとも、能力が認められている人間でも手に入れられないものがある。
それは積み重ねた結果の信頼というブランドだ。
能力に対する信用とは異なるもの。言わば共に沈むことが出来る覚悟があるかどうかという信頼。
その部分は旧態依然として血による結びつきが強く、その結果の旧家だ。
つまりは、祖父達の考えている事のためには、法乗院と相澤の血を継ぐものが次代に繋がる事が必要だということだ。
そして法乗院の女の子供は玲奈のみ、相澤の家には慎一郎と真司の兄弟のみである現状、婚約の変更は合理的だった。玲奈自身もそう思っている。
第一、慎一郎と玲奈は恋仲というわけでも無い。
勿論幼少の頃から人として慕ってはいたし、慎一郎もまた玲奈に優しくしてくれていた。
しかし大人である慎一郎が玲奈をそういう対象として見たことは無かったように思う。
そのため、いつ問われても、玲奈の答えは変わらないままだ。
祖父や母が心配してくれていることもわかる。それでも、玲奈はまだ恋愛というものがわからない。
好ましいという気持ちも嫌悪という気持ちもきちんと存在するが、それが恋愛としての気持ちなのかはわからないままだった。
だが――――。
『理解があって何よりだが、親に決められた通りになる必要もねぇ、お前もお前の思う通りに生きて良いんだと思うぜ? 俺としても縛るつもりはない』
かつて真司にそう言われた時には少しだけ心の中は動いた。
(……思う通りに生きるとはどういうことなのでしょうか)
そして、千夏とハジメを見て、羨ましいという気持ちが生まれた自分にも少しの驚きを。
(千夏さんも早紀さんも優子さんも、皆さん自分を持ってらっしゃいますからね)
春休みになる前の、早紀の恋の終わりと強さ、優子の恋の顛末は玲奈も聞いた。
双方の友人として、全てを喜ぶことは出来ないが、関係が壊れることはなく収まるところに収まったように感じられる二人と一人の関係は、やはり良かったという感想になるのだろうと思う。
その上で玲奈は考える。
(私も、私の思うところというものを考えてみるべきなのでしょうか)
そう内心で呟く玲奈の心には、まだその熱は訪れていなかった。




